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ローゼンベルク家の食卓

【ex7-1】はじめてのおつかい

2008/10/27 18:17 番外十海
 彼の名前はディーン。
 くるくるカールした鳶色の髪の毛に、濃い茶色の瞳の男の子。
 サクラメントで生まれてサンフランシスコに引っ越してきた。
 ママの名前はソフィア。いつもパンのにおいがする。ディーンはママが大好き。ママもディーンが大好き。

 パパのことはぼんやりとしか覚えていない。ちっちゃな堅いボールをころころと手の中で転がして、時々ディーンにも触らせてくれた。
 
「まだ早いかな」
「早いわよ」
「そうか。大きくなったら……しような」

 ママとこんな話をしていた。

 冷たい灰色の雨の降る日に、パパは遠くに行ってしまった。ママは黒い服を着て、ディーンを抱きしめてぽろぽろ泣いた。
 それから何日かが過ぎて、ディーンとママはおじいちゃんとおばあちゃんの家に引っ越したのだ。

 ディーンが三歳になってからまもなく、新しいパパができた。
 パパの名前はアレックス。
 ママと、ディーンと、パパと三人でZeumに行って、一緒に回転木馬に乗った。くるっと半円を描く角と白いあごひげ、ディーンのお気に入りのヤギに一緒に乗った。

 新しいパパは、すごくきちんとした人だった。
 新しい家は、マンションの5階。すぐ上には、ローゼンベルクさんの一家が住んでいる。パパがとっても大事にしている人たちだ。
 茶色の髪の毛で、いつもきちんとしたスーツを着てるレオンさん。赤い髪の毛のがっしりしたディフはよく笑い、ディーンといつも遊んでくれる。
 金髪のお兄さんが二人、そっくり同じ顔の双子の兄弟。どっちがオティアでどっちがシエンなのか時々忘れる。とりあえず髪の毛の短い方がオティアらしい、と最近わかってきた。
 それから黒い髪の毛で眼鏡をかけた人。パパはメイリールさまと呼んでいる。ローゼンベルクさんの家の人たちはヒウェルと呼ぶ。

「よっ、ディーン。元気かー」
 
 いつも友だちみたいに声をかけてくるから、ディーンもいっちょまえに手をあげて挨拶することにした。

「Hi,ヒウェル。元気だよ」

 新しい家に引っ越したら、友だちの家からは遠くなってしまった。でも幼稚園は前と同じだからさみしくない。幼稚園が終わって、ママが迎えに来てくれると、一緒におじいちゃんのお店に行く。
 夕方までおじいちゃんのお店に居て、それから家に帰るのだ。

 新しい家の台所には、とびっきり大きなぴっかぴかのオーブンがある。パパからママへのプレゼントだ。ぴっかぴかの立派なオーブンで、ママはいつも美味しいパンを焼く。

「どうしてこんなに美味しいの?」と聞いたら、おじいちゃんのお店から分けてもらった特製のイーストが決め手なのよ、と教えてくれた。

 よく晴れた土曜日、ディーンはマンションの庭で遊んだ。ディフと二人でボールを投げて遊んだ。

 最初は一人で壁にぶつけて、はねかえったのを受けとめていた。そうしたらディフが言ったのだ。

「俺も仲間に入れてくれるか? 壁、相手にするよか気が利くだろ」
「……OK」

 軽くてよく弾むゴムのボールはディーンのちっちゃな手でも軽々投げられる。顔にぶつかってもあまり痛くない。最初のうちはディフの投げるボールはものすごく早くて、強くて受けとめることができなかった。
 けれど何度もチャレンジするうちに、ディーンもディフもだんだん力の入れ方が分ってきて、そのうち、上手にお互いのボールを受けとめることができるようになった。

「よーし、だいぶ上達したな、ディーン」
「ディフも上手になったよ?」
「そっか。ありがとな」

 ばふっと大きな手が頭をつつみこみ、わしゃわしゃとなでる。

「ディーン」
「あ……パパだ」

 パパとレオンさんが帰ってきた。

「何だ、レオン。わざわざ駐車場からこっちに回ったのか?」
「途中で姿が見えたんでね……キャッチボールかい?」
「ああ。いい肩してるよ、ディーンは」
「ありがとうございます、マクラウドさま」
「いや、俺も楽しんだし」

 四人で一緒にマンションの中に戻った。同じエレベーターに乗って、ディーンとパパは五階で降りる。ディフとレオンさんはそのまま六階へ。
 ドアを開けると焼きたてのパンのにおいがした。

「ただ今、ママ!」
「お帰り、ディーン。お帰りなさい、あなた」
「ただ今、ソフィア」

 手を洗って台所に戻って来ると、パパがママにただ今のキスをしていた。そろーっと入っていって、ママのスカートをくいっとひっぱる。
 ママはにっこり笑ってディーンを抱きしめ、キスをしてくれた。

「パン、焼いたの?」
「そうよ。ディーン、お使いを頼んでいいかしら」

 そう言って、ママはパンのいっぱい入ったバスケットをディーンに手渡した。

「これを、ローゼンベルクさんのお家に届けてほしいの」
「OK、ママ」
「一人で大丈夫だろうか?」
「大丈夫よ、エレベーターで上がればすぐだし……それにね」

 ママはそっとパパに小さな声で耳打ちした。パパは大きくうなずいて、ディーンの頭を撫でた。

「大事なお役目だ。頼んだぞ、ディーン」
「OK、パパ」

 ※ ※ ※ ※
 
 両手にバスケットを抱えた息子を玄関から送り出すと、ソフィアは素早く携帯をかけた。

「今出ましたわ」
「OK、ソフィア。俺もこれから上がってく」

 ※ ※ ※ ※

 エレベーターが上がって来て、止まった。ドアが開くと、中には先に乗ってる人がいた。

「よっ、ディーン。元気か?」
「Hi,ヒウェル。元気だよ」

 とことこと乗り込み、6と書かれたボタンを押した。
 ここのエレベーターには低いのと、高いのと二カ所にボタンがある。高い方はちょっと難しいけれど、低い方のボタンになら簡単に手が届いた。
 
「いいにおいだな。ママが焼いたのか?」
「うん」
「レオンとこに届けるのか」
「うん」
「そうか、大事な役目だな」
「うん!」

 6階に着くと、ディーンはとことことエレベーターを降りる。
 パパの仕事部屋の前を通って。金髪のお兄さんたちの部屋のドアの前を抜ける。
 もう少し………着いた。
 ローゼンベルクさんの家だ。

 ディーンはバスケットを床に置くと、よいしょっと伸び上がって呼び鈴を押した。
 
「やぁいらっしゃい」
 
 レオンさんがドアを開けてくれた。

「あの、これ、ママが焼いて。みなさんで、めしあがってくださいって」
「そうか、ありがとう。一人で来たのかい、ディーン」

 ちらっと後ろを振り返る。少し離れた所にヒウェルが立っていたけれど、エレベーターの中で一緒になっただけだし……。
 とりあえず、こくこくとうなずいた。

「ごくろうさま」

 レオンさんはバスケットを受けとって、キッチンの方に声をかけた。

「ディフ!」
「よう、ディーン! おつかいか。えらいな」

 大きな手でわしわしと頭を撫でてくれた。

「ちょっとそこで待っててくれ」

 ひょいっとディフはディーンを抱き上げて、居間のソファに座らせてくれた。

 キッチンの方で何か声がする。

「何かごほうびに出すものないか?」
「チョコバーでよければ」
「脚下」
「何で」
「ヤニくさいんだよお前のポケットから出てくる菓子は!」
「……ちぇー」
「オレンジジュース、あるよ?」
「よし、それだ」
「ストロー、あった方がいいよね」
「……どっかで見たようなストローだなおい」
「スタバのアイスラテについてくるやつ。オティア、使わないから」

 しばらくして、金髪のお兄さんがオレンジジュースを持ってきてくれた。髪の毛が長いから、こっちはシエンだなと思った。

「ソフィアさんに渡すものがあるから、しばらくこれ飲んで待っててね」
「うん。……ありがとう。いただきます」

 両手でコップを抱えて、緑のストローを口にふくんで、ちゅーっと吸う。

「おいしい」
「そう。よかった」

 オレンジジュースを飲み終わると、ディフがバスケットを持ってリビングに入ってきた。

「パン、ありがとな。お返しにこれ、食べてくれ」
  
 フタを開けて中をのぞきこむ。

「これ、何?」
「ミートパイだ」
「……カレーのにおいがする」
「ああ。前に作ってる時にこいつがカレー粉こぼしやがってな」
「わざとじゃねーぞ。事故だ、事故!」
「材料もったいないから試しに焼いてみたらけっこう美味かったんだ。それ以来時々、カレーを入れてる」
「新たな食の開拓だ。俺に感謝しろ」
「……………ヒウェル?」
「いでででっ、だからよせっ、オクトパスホールドはーっっ」

 ディフとヒウェルって仲がいいなと思った。いつもハグしてる。なんか、ママとパパのハグとはちょっと形がちがうけど。

「ギブアップ、ギブアーップ!」

 ほんと、仲がいいな。

 帰り道、ヒウェルがエレベーターの所まで送ってくれた。ばいばいと手を振って五階で降りる。ヒウェルは三階に降りて行く。
 とことこと歩いて、自分の家に戻るとパパがドアの前で待っていてくれた。

「ただいま、パパ」
「お帰り、ディーン。お使いごくろうさま。えらかったね」
「うん」
「みなさん喜んでくれたかい?」
「うん。これ、お返しって」
「そうか」

 パパはバスケットを受けとるとディーンを抱き上げてくれた。ディーンはちっちゃな手を伸ばすとパパにしがみつき、頬にキスをする。
 そして二人で中に入った。
 
「ママ、ミートパイもらった」
「まあ、いいにおい。これって、カレーかしら?」
「うん、カレー」

 居間の飾り棚には古い野球のボール。ソファの上にはゴムのボール。
 いつか、『小さな堅いボール』でディーンがキャッチボールをする日も来るだろう。

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