ようこそゲストさん

ローゼンベルク家の食卓

【4-5-2】ブルーな気分でスプラッシュ

2008/10/08 2:46 四話十海
 
 そして取材にやってきた展示会の会場で、こうして大量の青い目覚まし時計と対面しちまったのである。
 ああ、まったく忌々しい。これがせめて1コインショップの店先なら、ひらきなおって予備の1つ2つも買っておけるものを……
 芸術作品じゃあ、手出しもできやしない!

 それでも仕事はしたさ、プロだから。

 真面目にキュレーターの話を聞き、メモを取り、許可をもらって写真を写す。悔しいことに例の柱時計のオブジェはすばらしく画面映えがして、撮らずにはいられなかった。

(ああ、まったくもってこのご婦人ときたら!)

 加えてたまたま会場に顔を出していた作者のインタビューをする幸運にまで恵まれちまった。
 実に快活で気持ちのいいお嬢さんだった。

(くそ、これじゃ逆恨みもできやしない!)

「ありがとうございました。それじゃ、雑誌が出たら見本誌送りますんで!」

 展示会場を出て3m歩いた所でへばーっと盛大にため息をつき、ブルーな時計にブルーな気分になりつつ美術館を出る。
 かっとまぶしい陽射しが降り注ぐ。石畳の照り返しがじわじわ熱い。
 よく晴れた日だった。九月とは言えそこそこ気温は高い。エントランス前の噴水が勢い良く噴き上がり、白い水しぶきが散っている。水気をふくんだ空気がひんやりとして心地よい。
 よし、験直しだ。近くのコンビニに入り、アイスを買い求める。ひらべったいボート型の、バニラアイスをチョコでコーティングしたスティックつきのアイス。ラクトアイスとかアイスミルクとか呼ばれる種類のチープな味わいのやつ……好物なんだ、これが。
 
 袋を両手でつまんで、べりっと破った。
 景気よく………いや、良すぎた。ロケットみたいに飛び出したアイスは俺の手のひらからあっさり離脱。つるりん、べしゃり、と石畳の上へ。
 
 ice.jpg

「あ………」

 2秒ほど時間が停止した。
 この期に及んで、まだ食べられるかなと未練がましいことを考えていると、びよおおおと強風が吹いて、噴水の水がじゃばーっと飛んできた。
 ぱらぱらと細かい水滴がカーテンみたいに降り注ぎ、ちっぽけな虹が現れる。みとれる暇もあらばこそ、俺は半端に濡れ鼠。アイスはもちろん水びたし。

「来やがったよ、水難が……」

 ひきつり笑顔でへっと口をゆがめて吐き出した。ポケットから引っぱり出したハンカチはやっぱり半端に濡れていたが、とりあえず大雑把に眼鏡のレンズを拭い、肩をそびやかして歩き出す。

 いいさ。かえって踏ん切りがついたってもんだぜ。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「ただ今、ジョーイ」
「どーしたのヒウェル。水びたしじゃない。俺が頼んだのは確か美術館の取材だったんだけどね?」
「美術館の前には何がある?」
「噴水。まさか暑さにぷっつんして水浴びしてきたんじゃないよね?」
「笑えない冗談だぜ、Ha,Ha,Ha!」

 乾いた声を震わせ笑っていると、ばさっと上からバスタオルをかけられた。ありがたくごしごしと顔を拭う。終わったところで絶妙のタイミングでティッシュの箱が出てきた。

「サンキュ、ジョーイ」

 きゅっと眼鏡のレンズを拭う。よし、だいぶすっきりしたぞ。タオルを返すと、ジョーイは目をぱちぱちさせてちょこんと首をかしげ、人懐っこい笑みを浮かべた。

「ついでだからさあ、ヒウェル。ここで記事書いてっちゃいなよ」

 そらおいでなすったぞ!
 その手は食うか。基本的に文章を書く時は自分の家で、自分のペースでと決めてるんだ!

「いや、俺、Mac派だし。速攻、帰ったら記事起こすからさ。できたらメールで送るよ」

 そそくさと出口に向かおうとしたが、素早く回り込まれて退路を塞がれる。ったくカートゥーンから抜け出したようなのどかな面してるくせに抜け目ないぜ。

「だいじょーぶ! うちの社には両方そろってるから。ね? ね? ね?」

 背中をとんとん押されて有無を言わさずiMacの前に連れてゆかれ、肩を押されて強制的に着席。あれよあれよと言う間にぽんっとスイッチが入れられて、ファーンっとおなじみの起動音が鳴り響く。

「さあ、どうぞ。テキストエディタでも、ワープロソフトでも、お好きなのを使ってちょうだい?」

 もはや観念するしかなかった。

「わーった、書くよ、書きますよ」
「そう言ってくれると思ったんだ。資料集めにはもうちょっと時間かかりそうだから」
「OK、そっちはよろしく頼むよ」

 ったく、つくづく人を使うのが上手いよ、お前さんは。
 こきこきと指を鳴らすとボイスレコーダーを取り出し、イヤホンを耳にはめた。

 まずは聞き取ったインタビューを片っ端から文字に落す。重要な所は巻き戻して聞き直し、聞きながらネタにできそうな部分に意識のアンカーを落して行く。
 テープ起こしが終わったらふるいにかけるように使いたいネタだけを残して行く。手書きのメモと照らし合わせながらざりざり削る。
 それでも実際の記事に使うのはほんの一部だ。
 記録は記録、記事は記事。混ぜちゃいけない。記録の言葉を整頓しても記事には成らない。
 記録を読み返して記事の大筋を練って……ここまで来て、ようやく記事の下書きに取りかかる準備ができた。
 もっともテープを起こしてる段階で何を書くか、何を書けばいいのかはいい具合に脳みそに染みてるからほとんどメモを見る必要はない。
 細部や数字の確認ぐらいなもんだね。

 下書きができたら綴りを確認しつつ、記事の文字組みと字数に合わせて微調整。最後に三回読み返して作業終了。

「……よし、できあがり」

 デジカメで写した写真のうちから記事に使えそうなのをピックアップして、書き上げた記事もろとも一つの圧縮ファイルにまとめた頃には、ランチタイムをとっくに回っておやつタイムに突入していた。
 何のかんのと言いつつ、集中していたらしい……昼飯食うのも、コーヒー飲むのも忘れるほど。
 ひっさびさに社内の緊張感の中で仕事したなあ。

 んーっとのびをして、がちがちに強ばった腕、肩、首筋を順繰りに伸ばした。

「調子はどうよ、ヒウェル?」
「終わったよ、ジョーイ。お前さんのパソに送っといた」
「ご苦労さん。資料集めといたよ、そこ机の上に」
「さんきゅ……………おわ」

 机の上には、どーんっとファイルが山積みになっていた。一冊一年と見てざっと十年分って所だろうか……あ、もう一個箱があったか。

「デジタル化、されてなかったんだ」
「結構アナログなのよ、この手の記録って。年代は絞っておいたから、後は自分で探してね……あ、これ差し入れ」

 呆然とする俺の前にジョーイはコーヒーを満たした紙コップとドーナッツを置いて、入れ違いに自分のデスクへと戻って行った。
 何、何、あてもなく探すよりはマシだ……。
 もそもそとドーナッツをかじり、コーヒーで流し込みながら大会記録に目を通して行く。

 一つ目のドーナッツを食べ終わり、二つ目が半分消えた所でペアの名前が変わっているのに気づいた。
 ヒース・ガーランドとメリッサ・ガーランドに。

「ああ……この辺で結婚したのか……ってことは、例の新聞記事はこれより前だな」

 年代を絞り込みながら、もっと細かい資料まで読み込んで行く。母親が亡命ロシア人の娘だと言うこともわかった。その愛らしい姿から『銀盤の妖精』と呼ばれていたことも。
 カラーの写真も何枚かあった。双子の金髪は母親ゆずり、紫の瞳はどうやら父親から受け継いだらしい。
 借り物の資料にヤニだの焦げだのをつける訳にも行かない。だから煙草は自粛した。その代わりコーヒーを流し込む。何杯も、何杯も……。
 途中でジョーイに肩をたたかれ、記事はOKだったと言われたような気がしないでもないが記憶が定かじゃない。

 調べているうちに、何やら不思議な気分になってくる。
 俺は今、双子の生まれる前の時間に触れているんだな………。今はもういない二人の面影を追いかけて。

「あった。これだ」

 山と積まれたファイルの中の、新聞記事のスクラップの中からとうとうたどり着いたぞ。古本の間に挟まれていた、記事の欠片のオリジナルに。
 ポケットから切り抜きを取り出し、見比べる。まちがいない、同じだ。

「ジョーイ、これ、コピーとってもいいかな」
「どうぞ。そのために探してたんでしょ?」

 いい奴だ。
 
 慎重にコピーをとる。できるだけ鮮明に、読みやすい文字が出るように濃さを調節して。
 そうしてできあがった最良の一枚から、注意深く写真を切り抜いた。

「あれ、写真はいいの?」
「ああ……文字だけでいい。ありがとな、ジョーイ」
「こっちこそ。いい記事だったよ。なあ、ヒウェル。お前さんさえ良ければ」
「おおっと、その話は無しだ。俺、会社勤めってどうにも性に合わないんだよね?」
「OK、ヒウェル。わかったよ、もう言わない」

 ジョーイは残念そうな顔をして肩をすくめると、未開封の煙草を投げてきた。

「こいつはおまけ。どーせ買い置きの奴は湿気っちゃってるでしょ?」
「お、さんきゅ」

 気が利いてるね。いつも俺が吸ってる奴だ。
 すまんね。毎月決まった給料をもらえる。〆切りはあるがあくまで会社の枠の中。有給休暇有り、ボーナスあり、社会保障制度あり。
 心惹かれないと言えば嘘になるが、しかし……自由(フリー)に勝るものなし。

「ギャラはいつもんトコに振り込んどいてくれ。それじゃ、またご用の節はよしなに」

次へ→【4-5-3】君だけの優しい俺
拍手する