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ローゼンベルク家の食卓

あいつはシャイな転校生

2008/10/08 2:59 短編十海
・拍手お礼用短編の再録。
【4-4】双子の誕生日(当日編)とほぼ同じ時期、日本のある高校で起きた出来事。
 
「はーい、皆静かにしてー」

 結城羊子は教壇にあがるとくいっと背筋を伸ばし、鈴を振るような透き通った声で呼びかけた。
 身長154cm、ヒール付きのサンダルを履いてどうにか生徒の中に埋もれずにいられる彼女だが、その分、声はよく通る。
 始業前の教室のざわめきがすーっとおさまった。

「OK。さて、今日は転校生を紹介しよう。Hey,Roy! Come in!」

 ネイティブさながらのこなれた発音。ほどなく教室の扉がカラリと開いて、背の高い金髪の少年が入ってきた。
 引き締まった体躯は制服の上からでもはっきりとわかる。決して筋肉過多ではなく、俊敏に動くために鍛えられている。
 だが残念ながら端正な顔だちの上半分は長く伸ばされた前髪の陰になり、その瞳が何色なのかまでは伺い知ることはできない。

「アメリカから留学してきたロイ・アーバンシュタインくんだ。席は風見光一の隣でいいな?」

 手際よくロイの紹介を終え、傍らに呼びかけて……羊子はきょとんと目を丸くした。
 さっきまでそこに立っていたはずのロイの姿がこつ然と消えている!

 きょろきょろと見回すと……いた。

「おーい、お前、何でそんなところに張り付いてるんだ?」

 件の転校生は、天井と壁の出会う角っこにへばりついていた。
 いつの間に?
 と、言うか助走もつけずに?

 金髪の転校生の並外れた運動能力と、そのいささか方向性を誤った使い道に軽い目眩を覚えた。
 耳をそばだてると、何やら母国語でぽそぽそと囁いている。

「……なに。照れくさい?」
「こいつ、シャイなんですよ……」

 風見光一がすかさず歩みでてロイに呼びかける。

「おーいロイ! 早く降りてきた方がいいぞ〜」

 こくこくと無言でうなずくと、ロイはしゅたっと床に降り立ち、光一の隣に立つとはにかんだような笑みを浮かべた。

「……よろしくね」
「OK、それじゃ席について。出席をとる。生田!」
「はい!」
「遠藤!」
「………」
「いないのか?」
「遠藤ではない! 俺の名は! 閃光戦士っ」
「いるな。はい、次ー」
「まだ名乗りの途中なのにーっ」

 やれやれ。

 ひそかに羊子はため息をついた。

 なーんであたしのクラスってばこんな生徒ばっかり集まっちゃうかなぁ……。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 

「コウイチ!」

 一時間目が終わるやいなや、ロイは光一に後ろから抱きつき、頬にキスをした。
 
 942880512_76.jpg 08924_157_Ed.JPG ※月梨さん画「あくまで友情です」
 
「さみしかった」
「ははっ、よせよ、ロイ。今朝も会ったばかりだろう?」

 流暢な日本語を話すロイは幼いころから祖父に連れられて何度も来日していた。
 二人の祖父は国境を越えた親友同士だったのだ。その縁で今は光一の家にホームステイしている。

 仲睦まじい二人のハグ&キスの瞬間、クラスの女子は素早く携帯を取り出し、写メを撮った。
 これが撮らずにいられようか?

 しかし、撮った写真を確認した彼女たちは一斉に肩を落として落胆の声をあげた。

「あれー? 手ぶれしてる」
「あたしもー」
「焦りすぎたかなあ………」

 羊子は見ていた。
 携帯のカメラが向けられた瞬間、ロイの足と、手がわずかに動いたのを。足がとん、と小さく螺旋を描くように捻って踏み出され、手が女生徒たちに向けられていた。
 そして常人の目には止まらぬほどの早さと微少な触れ幅で彼女たちの手を揺らしたのだ。

(あれが発剄ってやつか……古武術の心得があると聞いてはいたが、しかし、風見を守るためにそこまでするかあ? ロイ!)

 そんな女教師のツッコミも露知らず、ロイは仲睦まじく光一と語らっていた。
 
(ああ、コウと学園生活を送れるなんて夢の様だ。神様、ありがとうございます!)

 まさしく至福のひと時。だが、唐突に風見光一の携帯が震動した。

「あ」

 びくっと一瞬、震えると光一は携帯を取り出し、そして破顔一笑。

「どうしたの、コウ」
「うん、サクヤさんからメールが来たんだ。ほら、子猫!」

 さし出された携帯の画面には、真っ白な子猫が写っていた。左のお腹にちょっといびつな丸い薄茶色のぶちがある。

「Oh,kitty! very cute ね」
「友だちの家の猫なんだってさ」
「ふーん……それで、コウ」

 どきどきしながらロイは精一杯、何気ないふりを装って質問してみた。

「サクヤさんってダレ?」
「誤解すんなよ、男の人だって!」

(男! コウに、まさか、彼氏がっ?)

「羊子せんせの従弟なんだ。俺にとっちゃ、まあ、先輩かな?」

(センパイ!)

 その瞬間、ロイのシャイな心臓は極限まで縮みあがり、それから一気に限界まで膨れ上がった。

 センパイ。
 日本における最も甘美なる関係。ある意味、単なるお友達よりその絆は深く、憧れの対象でもあると言う。
 バレンタインにセンパイにチョコをあげるかどうかで日本の若人は胸をときめかせ、青春の熱き血潮を燃やすのだと!

(何てことだ。僕の知らない間にコウにそんな大切な人がいたなんてーっ!)

 楽しげにメールに添付されてきた子猫の写真を眺める光一を見つめながら、ロイの思考はぐるぐると、ハリケーンのようにうずを巻いていた。

(かくなる上は、敵情視察! 情報を集めねば……)
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 そして昼休み。
 社会科教務室でくつろぐ羊子の所に、思い詰めた表情の男子生徒が訪ねて来た。

「あっれー、ロイ。どうした? 何ぞ悩みでもあるのか?」

 金髪の留学生をひと目見るなり、羊子はさっと英語で話しかけた。母国語の方が、心情の機微がダイレクトに伝わるだろうと思ったのだ。

「ヨーコ先生……教えてください」
「うん、何でも教えるよ?」
「コウイチと、サクヤさんは、どう言う関係なのですか!」
「………………………………」

 一瞬、絶句。
 それから、にんまりと口角をあげてほほ笑む。

「どうって……サクヤはねー。風見に従弟紹介しよっかーっていったら、『はい』って言うからメアドを教えたの」
「こっ、交際前提ですかーっ!」
「んでまず、メル友になって、今はすっかり仲良しさん」

(ど、ど、どうしようなんとかしなければ)

「まあ、サクヤちゃんは今、シスコに留学中だから顔会わせるのは里帰りした時ぐらいなんだけどさ。あの二人、けっこー気が合うみたいだよ?」
「き、きがあうって、たとえばっ?」
「んー、そうねー、サクヤちゃんは、疲れた時はこー癒しを求めて風見をぎゅーっとやってなで回すのがお気に入りなんだ」

 その時に自分も一緒だった、とか。ついでに言うと純粋に疲弊した精神を回復させるために必要な行為だった、とか。サクヤは手を握っていただけでもっぱらなで回していたのは自分の方だった、なんてことは……敢えて言わない。言うつもりもない羊子だった。

「Oh!My God! なんてこと! 僕のコウにはちかよらせない……!」
「おー、青春だねえ、がんばれ、少年!」

 青春の熱き血潮を無駄に燃え立たせる教え子をにこにこしながら羊子は見守った。

「まあ、ほらサクヤは今、サンフランシスコな訳だしさ。お前さんは学校でも家でも風見と一緒な訳だし……あ、そうだ」

 ぽん、と手を叩く。

「なあ、ロイ。さらに親密になるために……風見と一緒に、バイトしてみないか?」
「バイトですかっ?」
「うん。あたしの実家が神社なんだけど………ちょい、人手不足でね」
「わお、ジンジャ!……うん、もちろんダイカンゲイだよっ! 装備は一般武装でいいのかな?」

 武装って。
 冷や汗がたらりと羊子の額をつたう。
 こいつ、警備か何かとまちがえてないか?

「あー、その……武装いらないから。境内の掃除とか草むしりとか社務所の店番とかポチの散歩だから」
「OKOK! ぜひ、やらせてください!」
「きっとそう言ってくれると思ったよ、ロイくん」

 ロイは思った。ああ、ヨーコ先生は何ていい人なんだろう、と。
 
 もし、この場にヒウェル・メイリールがいたら全力で叫んでいたことだろう。

「だまされるな、少年!」と。

 しかし、幸か不幸か彼ははるかサンフランシスコの空の下。

「うふ」

 まるで子鹿かリスのように愛らしい表情で、心底楽しげに笑う羊子の真意は知る由もないのだった。


(あいつはシャイな転校生/了)
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