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とりねこの小枝

閃いた!

2015/04/19 14:23 お姫様の話いーぐる
 じとーっと目の前のフレイミーズの群れを睨む。今はただ、上機嫌でくるくると空中ででんぐり返しに興じている。
(ひょっとしたら。走って通り抜ければ振り切れるかも?)
 勢いに任せて駆け出した途端、さーっと押し寄せてきて取り囲まれる。思ったより動きが早い。2mほど進むのがやっとだった。
(無理矢理、かきわけたらどうなるんだろう?)
 試しに手を伸ばして触てみた。
「あっつぅい!」
 まるっきり本物の火に触れた時と同じ。何の安全措置も取られていない。手加減無しだ。
「むーむむむむむ」
 しゃくに障ることにこのフレイーミーズ軍団、後ろに下がる分には追いかけては来ない。あくまで前進を阻んでいるだけなのだ。
「逆に考えれば、行かせまいとする方角に出口があるって事よね」
 よし、これで目指すべき方角はわかった。問題はどうやってフレイミーズを回避するかだ。彼らは無意味に漂っているのではない。はっきりした目的をもって配置されている。しかも、元気でご機嫌だ。動きが活発になっている。
 どうして?
 答えは簡単。この場には木の力が満ちているからだ。
「そうだぁ!」
 その瞬間、属性の基礎知識が閃光となってニコラの頭の中を駆け巡る。
「木は火に力を与える。火は金に強く……水に、弱い!」
 フレイミーズは水と触れ合うと力が中和され、消滅する。正確には『この世から消えて炎の精霊界に戻る』。
 つまり、水をかければ彼らを火の精霊界に送り返せるってことだ。けれど緑のドームの中には、こう言う時に限って水が無いのだった。
(んーもう、エルネスト先生ってば徹底してるなあ)
 幸い、水の精霊力そのものはブローチに宿った使い魔……水妖精キアラのおかげで使える。と、なれば。
「よーし!」
 ニコラは左手で琥珀のブローチに触れ、右手で杖を構えた。鈴を振るような声が慣れ親しんだ呪文を詠唱する。
『水よ集え 凍てつき鋭き針と成り 我が敵を貫き通せ!』
 空中に生じた氷の針を、片っ端から赤い光球にぶつける。
『きゃわー』
『きゃわわっ』
 じゅわっと水蒸気をあげて、フレイミーズが一体、また一体と消失して行く。やはりこれでいいのだ。
 しかしニコラは直に気付いた。
 標的の数が多すぎる!
「わぁん、これじゃ私の魔力だけじゃ足りないよぉ!」
 既にここに来るまでに、呪文を使っていた。その分の消費がじわじわと痛い。これでは全てのフレイミーズを消す前に魔力が尽きてしまう。やっと、問題を解く方法に気付いたのに実行する力が足りない。
「だ、だめだ……」
 時めきと喜びは瞬時に凍えるような失望に変わる。
 さらに追い打ち。
 呪文による攻撃が途絶えた瞬間、フレイミーズが増殖を始めたではないか。それこそじわじわと燃え広がる炎のように。
「うそおっ! せっかく減らしたのにぃ!」
 この葉には木の力が満ちている。フレイミーズはそこからいくらでも力を補給できるのだ。片やニコラの魔力は不足している。補う術は無い。
(詰んだ……)
 膝から力が抜ける。ニコラはへなへなとその場に座り込んでしまった。
「もぉだめぇっ!」

 魔法訓練生でも騎士の娘でもやはり本質は14歳の少女である。万策尽きて行き詰まり、一度崩れ始めると、もろい。
(どうしよう、どうしよう、どうしよう、わあんっ)
 声すら出さず、耳を塞ぎうずくまって震えるしかできない。ちりぢりになった思考はもはや言葉を為さず、習い覚えたはずの知識は塵となって霧散する。
 このまま、ただ虚しく時間切れを待つしかないのか。いや、むしろそうなってしまった方が楽になれるんじゃないか。
(だめーっ、このままじゃ試験に……落ちるっ)
 心身ともに萎縮して、縮こまって震えていると……。
『ニコラ』
 小さな手が瞼に触れる。ひんやりして心地よい。じりじりと押し寄せる炎の熱さを。緑のドームの外側から照りつける夏の太陽を、忘れた。
「あ……」
 瞳に写るのは、金色のふわふわの巻き毛に金魚のヒレにも似た赤い二対の翼。水妖精キアラだ。
『ニコラ、だいじょうぶ?』
 そうだ。
 私は、一人じゃない。
『キアラは、ニコラといっしょ』
 その言葉に我に返る。
 使い魔と宿主は一心同体なのだ。そして今、ニコラの挑む試練は『持てる知識』と『身に着けた魔法』全てを駆使して切り抜ける事。
(キアラを呼んだのは私)
 キアラの存在を『魔法を使うための精霊力の源』としてしか考えてなかった。でも、そうじゃないんだ。
(キアラも一緒なんだ。一緒に……)
「一緒に、巫術師に、なる!」
『なる!』
「ありがと、キアラ」
 ニコラは立ち上がる。しっかりと地面を踏みしめて。
(木の力が満ちてるから元気なんだと思った。けど、それだけじゃ、フレイミーズがこんな風にはっきりと実体化する事はできないはず)
「キアラ、私の回りを飛んで」
『キアラ、飛ぶ』
 キアラは円形の軌道を描いて空中を舞った。フレイミーズは動かない。彼らが追尾しているのは、ニコラだけなのだ。
「よっしゃあ!」
 ぐっと拳をにぎりしめ、足を踏ん張り腹の底から声を出す。明らかに騎士たちの(と言うかその中の約一名の)影響だ。あまつさえ、隣に浮かぶキアラまでもが同じポーズをとっている。
「キアラ、ドームの中を飛び回って。フレイミーズに触らないようにね!」
『了解!』
 キアラが飛ぶ。背中の翼をはためかせ、金色の髪をなびかせて。ニコラは目を閉じて、感覚を重ねる。今、彼女はキアラの目で物を見ている。フレイミーズの群れに遮られていた視界が変わり、見えていなかった物が見えて来た。
 さっきまでは目の前に迫る赤い光球の群れに圧倒されて気付けなかった。一ヶ所だけ、炎の力が不自然に強い場所がある。
「そこかぁっ!」
 キアラの視点を通して意識を集中する。庭園に植えられた潅木の一本が揺らめき、霞み、かがり火を点した台座に変わった。
 幻術で巧みに偽装されていたのだ。あれこそが、フレイミーズたちの拠点。かがり火を中継点にして、マスター・エルネストが術を施したに違いない。さらにフレイミーズの集団にけん制させ、ニコラが気付かないようにしていた。
(もうわかっちゃったもんね! ざーんねんでした。ふふふん!)
「キアラ、水!」
『はーい』
 水妖精は小さな手のひらを合わせ前に突き出す。幸い、水源は豊富に合った。隣り合ったエリアには池もある。水路もある。余裕で転送距離内だ。
 キアラの手のひらからしゅわーっと透き通った水が噴き出す。空中に細かな水の雫を散らし、小さな虹を写しながら、きらめく水が降り注ぐ。雨のように、かがり火の上へ。

 じゅーっ!

 凄まじい音とともに、水蒸気が立ちこめる。
 かがり火は見る間に小さくなって行き、やがて炭化したたきぎの奥に潜む熾火となる。
 けれどキアラは手を休めない。さらに水を送る。
 やがて、かがり火は完全に消えた。
『きゃわーっ』
『きゃわわーっ』
 フレイミーズは大混乱。拠点を失い、赤い光が急激に弱まった。
「今だーっ」
 ニコラはすかさず杖を振り上げた。
『水よ集え 凍てつき細かな針の雨と成れ 炎の子らに降り注げ!』
『ふりそそげ!』
 キアラの詠唱が続く。
 一人ではできなかった事が、キアラの助けがあればできる。呪文を拡散し、一気に広範囲のフレイミーズめがけて氷の針を散布した。
(威力は弱くなるけど、触れればいいんだからこれでOKのはず。何でもっと早くに気付けなかったんだろう、悔しい!)
『きゃわっ』
『きゃわわんっ』
『きゃわぁっ』
 こまかな氷の針を吹きつけられ、フレイミーズが次々に消失して行く。力の拠点を断たれた今、もう増殖することはない。
「もういっちょ、行くよ、キアラ!」
『もういっちょ、ゆく!』
 二度目の詠唱で、残りのフレイミーズは全て消えた。
 そして最後の赤い光球が消失すると同時に行く手の壁が細かく震え、左右に開いたのだった。
「やったぁ!」

     ※

 あまりにあっけない開門だった。あっけなさすぎて、本当に最後の課題を突破したのかどうか、実感がわかない。
 途中で閉まったらどうしよう。ひょっとしてあれも幻影だったりして? 
 考えるとキリがない。
(ええい、迷ってる場合じゃない!)
「キアラ、行くよ!」
『キアラ、行く!』
 ニコラは走り出した。
 水妖精を引きつれて、金色の髪をなびかせて。叫びたい。でも口を開いたら心臓が飛び出してしまいそう。
 たんっと踏み切り、門を抜ける。
「わ」
 そこは、庭園の入り口だった。ぐるっと回って最初に戻っていたのだ。
(全然気がつかなかったーっ!)
 迷路の中を進むうちに感覚が惑わされていたのだろう。
 目の前に、マスター・エルネストが立っていた。相変わらず眉間に皴を寄せ、不機嫌そうな顔でむっつりしてる。
 ニコラは息を弾ませて上級巫術師を見上げる。もしかして、失格? トラップに引っかかった? 一抹の不安。だがやれるだけの事はやった。今、この瞬間、悔いは無い!
 エルネストが口を開き、重々しい口調で告げた。
「おめでとう、ニコラ・ド・モレッティ」
「え?」
 一瞬、何を言われたのかわからなかった。祝福の言葉と、むっつりした表情にあまりに差がありすぎて。
(もしかして先生、今おめでとうって言った? おめでとうって? じゃ、私、受かったの?)
「君を初級巫術師として認めよう」
「ほんとですかっ?」
 とっさに聞き返してしまう。マスター・エルネストが薄い眉をはね上げる。
「何か不満があるかね?」
「いえっ、ありませんっ! ぜんっぜん、ありませーん!」
「よろしい。後日、日を改めてローブの授与式が行われる。今はこれを受け取りたまえ」
 骨張った手の上に、指輪が一つ乗っていた。平打ちの銀に、背を向け合う二つの三日月。それを囲む真円は満月の、そして同時に新月を表す。終わりのない月の巡りを刻んだ指輪……巫術師の証だ。
「はいっ!」
 ニコラはきちっと背筋を伸ばし、両手で指輪を受け取った。
 アイテムとしては決して高額なものじゃない。店でも普通に売られているありふれた品でしかない。
 だが紛れも無く試練を踏破し、術師の資格を得た印なのだ。それはとりもなおさず、『自分の杖』を作る権利を与えられた印でもある。震える手で自らの左指に嵌める。ひんやりとして冷たい。
 唇の端がむずむず震える。次の瞬間、ニコラは満面の笑みを浮かべて飛び上がった。
「や………やったぁーっ」
『やったーっ!』
 ぴょんぴょんと兎のように飛び跳ねる教え子とその使い魔を見守りながら、厳格なマスター・エルネストはほんの少し目を細め、口元を緩める。
 勤務中は滅多に無い事だが、彼はほほ笑んでいた。いつもしかめられている薄い眉から力を抜いて、確かに笑っていたのだった。
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