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とりねこの小枝

白馬、追跡

2013/11/19 5:27 お姫様の話いーぐる
 命令を受けた二人は厩舎に向かい、馬の仕度に取り掛かる。ダインは自らの黒毛の軍馬に。シャルダンは騎士団共有の栗毛の馬に、手際よく鞍を着ける。

「黒さんの妹なら、きっと素直でよい馬ですね! ちょっと気難しいかもしれないけど……」
「あ、ああ、そうだな」

 あいまいにお茶をにごすと、ダインは後輩の肩をぽんっと叩いた。

「彼女の手綱をとるのは任せたぞ、シャルダン」
「はい!」

 はきはきと答えたものの、シャルダンはみっしり筋肉のついた先輩の腕と、自分の腕を見比べて不安そうに顔を曇らせる。

「私にできるでしょうか……」
「心配すんな。お前ならできる」

 自信たっぷりにダインが頷く。

「俺が、保証する!」

 乗り手に同意するかのように、黒が鼻を鳴らした。何となれば、この気難しい黒毛の馬を扱えるのは砦の騎士でも二人だけ。主たるダインと、そしてシャルダンだけなのだから。

     ※

 ダインとシャル、二人の騎士は橋の手前で馬を降りた。ダインは二頭の手綱をとって橋のたもとで待機。その間、シャルは注意深く橋と、その周囲の地面を調べ始める。騎士団の砦から見て川を挟んだ対岸……白馬の逃げて行った方角は特に念入りに。

「あった。ありましたよ先輩!」

 シャルに呼ばれ、ダインは馬を引いて注意深く橋を渡って近づいた。
 石造りの橋と地面の接する境目は土が湿り、いくつもの蹄や車輪、人やそれ以外の動物の足跡がくっきりと押されている。片膝をついたシャルは、その中の一つを迷わず指さした。

「これですね。強く踏み込んでるから、マルリオラさんたちの証言と一致します。歩き方の癖が黒さんと似ていますし」
「そこまでわかるのか! さすが熟練の狩人、狩猟の女神の申し子だな」
「そんな……私なんか、まだまだです」

 謙遜しながらも先輩に褒められるとやはり嬉しい。白磁のような頬をぽわっと赤く染め、シャルは恥じらいつつも笑顔で答え……

「ああ、シャル様……」
「恥じらう姿も素敵っ」

 秘かに沿道のご婦人方の胸をきゅんきゅんさせていた。まったく無意識に。

「よし、この調子で頼むぞ」
「はい、先輩!」

 一度、目標となる個体の足跡を識別してしまえば追跡は容易い。シャルは迷わずダインを導き歩いて行く。しかし町の中に入って行くにつれ、他の足跡も増える。目抜き通りを抜け、中央広場に出た所でとうとうシャルは立ち止まってしまった。

「うーん……困りました」
「さすがに限界か」

 立ち尽くす二人のすぐ前を、がらごろと乗り合い馬車が走って行く。円形の広場の周りはぐるりと宿屋や酒場、飲食店に仕立屋、雑貨屋、酒屋……その他の商店が建ち並んでいる。
 乗り合い馬車の停留所もあれば、食べ物や飲み物を扱う屋台も多い。おまけにこの町で一番大きな劇場もある。
 それこそ何台もの馬車の跡や馬の足跡が入り乱れているのだ。さすがに見分けが付かない。

「よし、聞き込みだ。俺はこっちから回る。お前はあっちからだ」
「了解!」

 二人の騎士はいずれもこの界隈の商店や屋台の店員と親しかった。そしてさらに幸いなことに、行方不明となった白馬は目立っていた。白く、堂々として美しく、主を連れず歩く姿はそれはそれは人目を引いたのだった。

「ああ、その白い馬なら向こうの路地に入ってったよ。誰も引いてないし乗ってもいないから妙だなって思ったんだ」
「ありがとうございます!」
「あ、ちょっと待ちな」

 八百屋の店主は、ぽいぽいっと小振りなリンゴを二つ、シャルダンに投げてよこした。

「おっと」

 シャルはとっさに受け取っていた。

「ちょっとばかし傷がついちまって、売り物にはならないんだがな。充分食えるよ。持ってきな!」
「ありがとうございます!」

 ぺこっとお辞儀をして駆けて行く銀髪の騎士の姿を見送りつつ、八百屋の店主は独り言ちた。

「あの騎士さま、どうにもこう、細っこくていかん。しっかり食べて、がっちり育てよ!」

 確かにシャルは細身だが、ひ弱と言う訳ではない。事実、しなやかな腕は女性に比べてずっと力強いのだが……いかんせん、ダインやロブ隊長と一緒に歩く事が多いもんだからどうしても『細っこく』て『小食な』子に見えてしまうのだった。

「どうだった、シャル」
「はい、北の方に向ったようです」
「俺も同じ話を聞いた。誰も連れずに北区に入る路地へ歩いて行ったらしい」
「……すごいですね」
「ああ、すごいな」

 広場には食べ物の屋台がずらりと並んでいる。この状況で、誘惑されずに素通りしたとは。二人の騎士は、白馬の意志の強さに素直に驚いた。

「ん?」

 甘酸っぱいにおいを嗅ぎつけ、ダインは後輩の手にした赤い果実に視線を落とす。
 
「どうしたんだ、そのリンゴ」
「あ、八百屋のおじさんからいただきました。先輩もどうぞ」
「さんきゅ」

 もり、もりっとダインは片手で握った真っ赤なリンゴにかぶりつく。果汁がしぶきとなって景気良く飛び散った。
 その隣でシャルは両手でリンゴを抱え、白い歯でしょりしょりとリンゴをかじる。
 半分食べた所で、ダインは黒にリンゴを差し出した。

「そら」

 ばくっと一口でリンゴは消えた。
 一方でシャルはようやく三分の一かじったところで、栗毛の馬にリンゴを与える。時間が惜しかったし、それで充分だったからだ。
 
「行くか」
「はい!」

 6月の陽射しは眩しく、熱い。新鮮なリンゴは、乾いた咽を潤してくれた。人も。馬も。

     ※

 途中で通り掛かりの人や、周囲の住民に話を聞きつつ、ダインとシャルは白馬を追って北区へと入って行く。道は次第に狭くなり、建物がみっちり密集したかと思えばぽっかりと空き地が広がる。
 時折、袋小路や建物の間からこちらを伺う気配が伝わって来た。
 黒の前立て、砂色の身頃。西道守護騎士団の制服に、穏やかならざる反応をする輩は決して少なくない。
 しかしながら二人にとっては馴染みのある区画だった。この界隈はスラム街に隣接していて治安が悪い。しょっちゅう巡回していたし、それ以前に、フロウライト・ジェムルの薬草店があるからだ。

「参ったな。この辺りは、道や建物が入り組んでるんだよな……」
「目撃証言にも限りがありますしね……あ」

 シャルは小さくつぶやき、地面に屈みこんだ。

「どうした、シャルダン?」
「私たち以外の人間が、この子の後をつけてるような気がするんです」
「何だって?」
「左の靴底に、ヒビの入ったブーツの後が、さっきから妙に目に付くんです。どことなく三日月みたいな形なんで、記憶に残ってて……偶然かも知れないんですが」

 目立つ馬(白いし見事な馬だし)だ。こんな治安の悪い界隈をふらふらしてると、よからぬ輩の目にもつきやすい。

「お前が言うなら、気のせいなんかじゃない。断じてな」

 ダインはシャルの鋭い目と、狩人としての技量を高く評価していた。

「よし。人の目だけじゃ無理だ。鳥の目で探そう」

 幸い、ここからフロウの店は近い。うってつけの助っ人がいる。ダインはおもむろに目を閉じた。

「鳥、ですか?」
「正確には、とりねこの目だな」

 左の手首に巻いた革ひものブレスレットに意識の照準を合わせる。編み込まれたファイヤールチル……水晶の中に赤い針状の鉱石が封じ込められた珠を通じて、呼びかけた。揃いの首輪をつけた、黒と褐色斑の猫に。

『ちび。来い!』
『ぴゃあっ、とーちゃん!』

 瞼の裏に、見慣れた薬草店の店内が写る。どうやらカウンターでお茶の相伴に預かっていたらしい。

『え、ダイン、来たの?』

 ニコラの声だ。いつものようにフロウの店で修業していたんだろう。あの金髪の少女が中年薬草師から学んでいるのは単なる術の知識に留まらず、もっと、ずっと幅広い。

『とーちゃん、呼んでる!』
『そうか、行ってこい』
『ぴゃあ!』

 ちびの目線がフロウの顔を見上げ、ふわっと舞い上がる。梁の上をちょこまかと歩き、前足で器用に窓を開け、飛び立った。

「……よし」

 感覚の同調は充分、安定した。
 ゆっくりと目を開く。自分自身の視界にだぶり、ちびの見ている景色がぼんやりと映っている。
 左目を通して意識を絞り込む。きらきらと煌めく光の粒に覆われた円の中、はっきりとちびの視界に照準が合った。
 おそらく左の目は、打ち消しあい、混じり合うあらゆる色の渦巻く月色の虹に覆われている事だろう。
 異界を見通し、魔力の流れを視覚化する『月虹の瞳』。母親から受け継いだこの瞳は、かつて呪われた印と忌み嫌われていた。
 ダイン自身もそう信じ、人目から隠していた。
 だが、今は違う。
 三日月湖のほとりでフロウと出会ったあの日から、全てが変った。それでもまだ、騎士団の中にはあまりいい顔をしない者もいるが、表立って罵られる事がなくなっただけずっと良い。
 銀髪の後輩はひと目見て、得たりとばかりにうなずいた。

「ああ! ちびさんを呼んだんですね!」
「その通りだ、シャルダン」

 こんな時、こいつと組んでよかったって、思う。

「いいなー、いいなー、ふわもこ、いいなー……」

 ほんのり頬を赤らめ、うっとりと青緑の瞳を細め、手で見えない何かを撫でさするような動作をしている。同僚の目が無い事をダインは秘かに神に感謝した。

「ダイン先輩。撫でていいですか?」
「ああ。もちろんだ。仕事が終わったらな」

 撫でるのは、言うまでもなくちびの事である。
 言葉少なに意思疎通ができると言うのも、時と場合によっては考えものだ。特にこの二人の場合は。

「好きなだけ撫でろ!」
「はい!」

     ※

 同じ頃。
 四の姫ニコラと二の姫レイラの姉妹は、薬草師フロウと二体の使い魔……ちびとキアラと共にお茶の時間を楽しんでいた。
 本日の献立は新鮮な苺の果肉と葉、そして花を使ったストロベリーティーと、ブルーベリーのマフィンとベリー尽くし。
 一口ほおばるや、二の姫は目を輝かせた。

「ん、美味しい! ブルーベリーが口の中でぷちっと弾けた!」
「そいつぁ良かった。うちの畑で採れたてのを使ってるんだ。ベリーがお好きだってニコラから聞いてたからね」
「私のために……うれしいよ、ニコラ、ありがとう!」
「へへっ」

 ブルーベリーのマフィンは美味しいが、食べた直後は口の中が赤紫に染まる。故に二の姫は寸での所で自制しなければいけなかった。かわいいかわいい妹のほっぺにキスしたい衝動を……。
 ちびもいつものように、ぴゃあぴゃあと歓喜の声をあげつつ、マフィンをほお張っていたが、いきなり、尻尾をつぴーんと立てた。

「ぴゃあ! とーちゃん!」
「え、ダイン来たの?」

 くいっと胸を張って、赤紫に染まった口をかぱっと開ける。

「とーちゃん、呼んでる」
「そうか、行ってこい」
「ぴゃあ!」

 ちびはばさっと翼を広げて梁に飛び上がり、出入り用の小窓を開け、外に飛び出した。
 見送る途中、フロウは、ぎょっと目を見開いた。小窓のすき間から水が一塊、ちゅるちゅるっと流れ出している。

「えっ」

 すっかり外に流れ出すと、水は再び寄り集まり、ちっぽけな妖精の姿になって……ひらひらと、金魚のひれに似た羽根をはためかせ、とりねこの後を飛んで行くではないか!

「キアラじゃねえかっ」
「ええっ?」

 レイラはきょとんっとした表情で、小窓と妹を交互に見つめる。ニコラはずず……と紅茶をすすってから、おもむろに首を傾げた。

「だって、気になるじゃない?」
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