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とりねこの小枝

白馬、脱走

2013/11/19 5:26 お姫様の話いーぐる
 彼女は不満だった。
 走るのは好きだ。すらりと伸びた四肢を隅々まで使い、自分の力の限界まで挑む、あの感覚は最高!
 吹き抜ける風がたてがみを、尾をなびかせるとまるで空を飛んでるような気分になる。
 けれど、それも乗り手による。
 マルリオラの奥様は優れた乗り手だ。細かな機微を察し、導いてくれる。ちょっと慎重すぎる所はあるけれど。
 自分はまだ若い。本当はもっと冒険したい。だけど男の人を乗せるのは絶対お断り!
 あの人たちときたら、ごつごつして汗臭いし、煩い声で喋るし。がさつで、大ざっぱで、細やかな気遣いってものをまるっきり理解していないのだから!

 だから、男の人が乗ったら振り落とす。でなけりゃ動かない。一歩たりとも、絶対に!

 断固たる意思表示が通じたのか、暑苦しい兄弟は自分を牧場から連れ出した。新しい主の所に連れて行かれるらしい。
 気の合う人だと良いのだけれど。マルリオラの奥様とまでは行かないにしろ、馬の扱いが上手でデリケートな気分の変化を感じ取ってくれる人だったら嬉しい。
 なんて考えてたら、引き合わされたのは、いかにも生意気で、我の強そうな若い女! 目があった瞬間、かっちんと来た。
 絶対、好きになれないタイプ。しかも明らかに、厄介者扱いされたーっ!
 なんと言う屈辱。耐え切れない!

 いたくプライドを傷つけられ、若い白馬はお冠。騎士団の砦に向う道すがら、何度も立ち止まり、首を左右にぶんぶん振って、足を踏み鳴らし……要するに、暴れていた。

「どうどう、スイーティ(かわい子ちゃん)、お願いだから静かにしておくれ」

 またその呼び方するし。いい加減にしてよね! 失礼にもほどがあるわ、馬鹿にして!

「騎士団の砦までもう少しだからな?」

 何、何なの、そっちに連れて行こうって言うの? むっさい男のにおいがぷんぷん漂う方角に!
 もう、いや。我慢の限界!

 なだめすかしつつ、マルリオラ兄弟は白馬を連れて、橋のたもとまでやって来た。ここを過ぎればもう少しで砦だ。その時、向こう側から荷物を満載した荷馬車がやって来た。

「こりゃいかん。こっちにおいで、スイーティ」

 白馬の手綱を引き、橋の片側に寄る。二人の注意がそれたその瞬間、すかさず白馬は行動を起こした。

「うわあっ」

 甲高くいななくや後脚で立ち上がる。
 慌てて取り押さえようとしたジュゼッペだったが、手綱をぎっちり掴んだのが災いした。後脚を軸に、白馬がぶーんっと上半身を右に振る。
 当然、手綱を掴んだジュゼッペも引っ張られ、あっと思った時は橋から身を乗り出していた。

「おーのーっ!」

 とどめ、とばかりにぐいっと白馬が押して来たからたまらない。バランスを大きく崩し、もんどり打って川に落ちる。その瞬間、馬に災いが及ばぬようとっさに手綱を放すあたりはさすがと言うべきか。
 派手に水しぶきが上がった。

「ああっ、何てこったい、兄さーん!」
「たすけてくれー」
「待ってろ、今行くからなっ」

 泡を食ってランジェロが、兄を助けに向うその間に、白馬はぽくぽくと橋を渡り、悠々と走り去っていた。
 ぽとぽとと水を垂らして二人がようやく乾いた地面に戻った時、白馬の姿はどこにもなかった。

「ど、どうしよう兄さんっ」

 アインヘイルダールは家畜の町だ。そしてまた困ったことに……馬泥棒の跋扈する土地でもある。優れた獲物が集まれば、それを狙う輩も自ずと集まる。
 持ち主のわからぬ馬がふらふらしていたら、持ち主を探すよりまず、自分の物にするなり、素知らぬ顔で売り払う奴がうようよしているのだ。

「とにかく、隊長に知らせよう」
「そうだね、兄さん!」

 体を拭くのもそこそこに、マルリオラ兄弟は西道守護騎士団の砦に駆け込んだ。

「緊急です」
「一大事です」
「ロベルト隊長を呼んでください!」

 馬を扱う職業上、マルリオラ兄弟は砦の騎士たちと顔馴染みだった。ただちに門番から知らせが走り、ロベルト隊長は詰め所で牧場主たちと対峙した。
 一目見て、てっきり強盗にでもあったかと思った。
 二人ともずぶ濡れで、毛布に包まってぶるぶる震えていたからだ。

「どうしたのだ」
「馬が……」
「何!」

 ロブ隊長の目が鋭く光る。馬泥棒は言うまでもなく重罪だ。大事な交通手段であり、財産なのだから。

「盗まれたのか!」
「いえ、逃げました」
「……何?」
「実は選りすぐりの牝馬を一頭、二の姫に献上すべく館に伺ったのですが……」

 思わず知らずロベルトはため息をついた。やれやれ、ここでもまた二の姫か!

「姫いわく、自分とはそりが合わないから、砦の騎士たちに献上するが良かろうと」
「……そんなに使えぬ馬なのか」
「いえ、いえ、とんでもない! 実に勇敢で、気性もまっすぐで、体格の優れたよい馬です」
「ほう」
「ただ、その……何と申しますか……なあ、ランジェロ」
「うん、あれさえなければな、兄さん」

 こそこそと目配せする兄弟をじろりとにらみ、ロベルトは腕組みして先を促した。

「もったいぶらずに話せ」
「……すさまじく意地っ張りで……」
「筋金入りの、男嫌いなんです」
「………何で、そんな馬をここに連れて来るか」
「ですから、途中で逃げ出しましたので、はい」

 ロベルトは額に手を当て、うつむいた。どうしてこう、今日は色々と厄介事が持ち上がるのか。

「実は以前にも、同じ親から生まれた気難しい馬がいたのですが」
「今ではこちらの砦の騎士さまが立派に乗りこなしてらっしゃいますし」
「ひょっとしたら、あの馬も……と」
「わずかな望みを抱きました次第です、はい」
「ほう」

 なるほど、前例があるのか。ならば兄弟の判断もうなずける。優れた馬はいつでも歓迎だ。たとえ性格に少々難があったとしても。

「で、どの騎士が乗っているのだ、その気難しい馬とやらは」
「そりゃあもう、見事な体格の黒い牡馬で………」

 馬の特徴を聞いた途端、腹の底がむずむずしてきた。

「ダインさんが乗ってます」

 予感的中。やはり、あいつか。こめかみの奥で血管が、ずっきんずっきんと脈打ち、膨らむ。
 いや、待て落ち着けロベルト。
 
「なるほど、逃げたのはディーンドルフの馬の、妹と言うことか」
「そうなります」

 かちり、と何かが頭の中で嵌まった。そう、まさにこの瞬間、ロベルトは思いついたのだ。
 頭痛の種を二つ、まとめて片づける方法を。

「案ずるな、その件については我々に任せろ」

 ぽんっとロベルトはマルリオラ兄弟の肩を叩いた。

「おおお、隊長! 何と頼もしい」
「素晴らしい!」
「食堂で、熱い茶でも飲んで来るといい」
「ありがとうございます!」
「ありがとうございます!」

 むっはむっはと暑苦しい感謝の念を発する兄弟を送り出した後、ロベルトは改めて副官に申し付けた。

「ディートヘルム・ディーンドルフとシャルダン・エルダレントを呼べ! 隊長室に。大至急だ」
「はっ」
「ちょっと待てハインツ」
「はい?」
「出頭する前に、きちんと制服を着るように伝えろ。特に、シャルダン」
「……了解」

 ハインツは軽く肩をすくめ、小走りに立ち去った。

     ※

 力強い拳が隊長室の扉をノックする。ごん、ごん、と二度。頑丈な木の扉の向うから、低い良く響く声が聞こえてくる。

「失礼します。ディートヘルム・ディーンドルフ並びにシャルダン・エルダレント、出頭しました」
「入れ」

 扉が開き、騎士が二人入ってくる。のっしのっしと大股で歩く厳つい体の長身の褐色頭と、乙女のごときたおやかな容貌の銀髪。
 しかしながらその手は柳の枝のようにしなやかで、強く、砦の騎士の中でも随一の強弓をやすやすと引き絞る。
 二人とも、言いつけ通りに砂色の身頃に黒の前立ての制服姿だ。ディーンドルフは若干、まくった袖がそのままだが、まあこいつはいい。いつもの事だ。
 シャルダンさえきちんとした服装をしていれば、何も問題はない。

「命令だ。お前たち二人にある任務を与える。これは大掃除に優先する重要事項だ」

 二人は表情を引き締め、背筋を伸ばした。もっともシャルダンの背筋は最初からピンと伸びていた。ディーンドルフの猫背癖は、もはや少年の頃からの習慣だ。これでも一度剣を持てばしゃっきり伸びるのだが。

「砦に寄付されるはずだった馬が脱走した。ふらふらしてる間に、馬泥棒にでも捕まったら厄介だ。貴様らが探してこい」

 手短に命令を伝える。

「馬、ですか」
「うむ。マルリオラ牧場から連れて来られたのだが、砦の手前の橋の上で暴れてな。ジュゼッペとランジェロを川に叩き込んで逃げ出したらしい」

 さっとシャルダンの顔から血の気が引いた。

「暴れ馬なんですか? だったら早く取り押さえなければ危険です!」
「いや、聞いた話では別に凶暴な訳ではない。マルリオラ兄弟も濡れはしたが怪我はないしな。ただ……」

 こほん、とロベルトは咳払いを一つ。

「その、性格にちょっと問題がある」
「と、言うと」
「筋金入りの、男嫌い」

 一瞬、微妙な沈黙がその場を支配する。二人の騎士は顔を見合わせ、まばたきして、それからまたこっちを見た。号令をかけたように、揃って。

「何で、俺達に捜索を?」
「脱走した白馬はな……ディーンドルフ、お前のあのでっかい黒馬の妹にあたるそうだ」
「あー……」

 ディーンドルフはかぱっと口を開けて何かを思い返すように目を逸らし、しかる後、大きくうなずいた。

「納得しました」
「血縁者が探しに行けば、寄ってくるかもしれん。責任取れ!」
「了解!」
「了解!」

 きちっと敬礼すると、ディーンドルフとシャルダンは連れ立って部屋を出て行く。重たい足音と軽やかな足音、二つ並んで寄り添うのを聞きながら、ロベルトはほっと息をついた。
 やれやれ、これで団員どもの気が散る事もなくなった。作業の遅れも解消されるだろう。
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