▼ 四の姫、使い魔を呼ぶ。1
2013/05/10 4:05 【お姫様の話】
ネコ科の獣を思わせるしなやかな長身、絹糸のごとき艶やかな焦げ茶の前髪に一筋混じる鮮烈な赤、そして怪しく光る黄金色の瞳。
ナディア・レイハンド・ブランディスが大講義室に入って行くと、居並ぶ生徒は一斉に息を飲み、居住まいを正した。
「ごきげんよう、諸君。初めての人もおなじみの人もよろしく。あ、私のことはナデューと呼んでくれ。先生(master)をつけるつけないは各自の自由だ」
今日は魔法学院の公開授業。学院の制服を着ている初々しい一団は、初等科の訓練生たちだ。緊張した面持ちでじっと教壇を見上げている。一言も聞き漏らすまいと、耳をそばだてている。
彼らにとって、今日は地道に学んできた初歩の召喚術の授業の仕上げの日なのだ。
「呼び名なんて何でもいいじゃないかって思うかもしれないけれど、召喚士にとって名前は重要な意味を持つ。ここで今、学んでいる諸君には言うまでもないことだよね?」
広々とした講義室には私服姿の、生徒にしてはやや年齢の高い男女の姿も混じっていた。下は20代から上は30、40代まで。市井の召喚術の使い手たちだ。
元々召喚術にはきちんとした学問体系はなかった。師匠から伝授されたり、あるいは家業として細々と営んできた者、独学で身に付けた者も多いのだ。
だからこそ、この公開授業の意味がある。術師同士の情報交換にもなるし、訓練生たちにとっては、経験を積んだ召喚術師たちから実用的な話を聞ける、またとない機会になる。
教壇の上から居並ぶ受講生を見回すと、ナデューはにっこりと顔をほころばせた。
「今日は天気もいいし、授業は外でやろうか!」
***
魔法学院の中庭、枝を四方に伸ばす樫の古木の根元に場を移した。
単純に開放的な空気が心地よいし、召喚士たちの多くはそれぞれ自分の使い魔を連れている。できるだけ、そうするようにあらかじめ頼んであるのだ。数多くの使い魔と生徒が触れあえるように。
生きた経験に勝る教材はない。
「この方が、くつろげるだろ?」
ナデューは樫の木に寄りかかって座り、受講生たちはその回りに半円を描くようにして座る。
この頃には、初等訓練生たちの緊張もだいぶほぐれていた。
(うんうん、これでいい。ガチガチに緊張してたんじゃ、楽しくないものな)
召喚士ナデューは学院始まって以来の天才と謳われ、歩くより早く異界の存在と心を通わすことを覚えたと噂されている。そんな彼にとって、異界の生き物と接することは眉間に皴を寄せてしかめっつらしく行う苦行ではなく、むしろ喜びに他ならないのだった。
「知っての通り、異界の存在をこちら側に呼び出して実体化させるには、あちら側とこちら側の接点、すなわち境界線を束ねて、異界に通じる門を編み上げなければいけない。
その際には焦点を合わせるための『器』が必要だ。召喚された使い魔が宿り、体を休めるシェルターとしての役割もある。何しろ彼らは本来、異界の生き物だ。こっちの世界で存在し続けるには、多くのエネルギーを消費する」
熱心にノートを取る初々しい訓練生たちに混じって約一名、ひときわ目立つばかでっかい男がいた。
柔和な顔立ちだが立派な大人。多分、二十歳を越えている。猫背ではあるがよく見れば、肩幅は広く胸板厚く、筋骨隆々とした逞しい体つきだ。
別にガタイのいい魔術訓練生が居ても不思議はない。実際、昨年はそんな生徒を教えていた。
(グレンジャー君を思い出すなあ、あの筋肉。でも彼はもっと姿勢が良かった)
「指輪や腕輪、ブローチ、ペンダントと言った装身具がよく『器』に使われる。いつも身に付けることができるからね。この他にも、術を行使する際に助けになる道具は数多くある。その中でも、洗練されていて持ち運びが便利なのが、この召喚符だ」
懐から、実際に自分の使っているカードを取り出して受講生たちによく見えるようにかざした。
生徒たちの目が一斉にカードに集中する。
金色のカエルや角の生えた蛇、二対の翼の鳥や複数の尾を持つ小動物、コウモリ状の羽根のある小鬼に薄い昆虫状の羽根を羽ばたかせる小さな女の子。様々な姿の使い魔たちもまた、宿主とともに目を向けてきた。
本能的に嗅ぎつけるのだろう。自分たちと同じ『異界の存在』の気配を。
「ぴゃああ……」
『図体のでかいノ』の懐から、もそっとふわふわした生き物が顔を出した。黒褐色斑の毛並みに覆われ、姿形は猫によく似ている。だがその背中には、猛禽類にも似た一対の翼が生えていた。
(あれは!)
ナデューの琥珀色の目の瞳孔が、わずかに開いた。
(鳥のような、猫のような外見。あの鳴き声。まちがいない、あれは、幻獣フェレスペンネだ!)
不完全ながら人語を理解し、空を飛ぶこの生き物の最大の特徴は、宿主(host)の精神活動と共鳴することにある。すなわち、宿主が呪文を唱えれば自らも一緒に詠唱し、効果を倍増させることができるのだ。
もっとも意識してやっている訳ではない。あくまで本能。動くものが目の前を横切れば追いかけるのと同じレベルなのだが、術を使う者にとっては強力な助っ人となる。
しかし、一方でとんでもなく宿主の体力を消耗させる欠点もあった。『器』やカード等の術具で補ってさえ、実体を維持するには宿主側にかなりのエネルギーが必要とされる……つまり、腹が減る。
また、人に懐きやすい反面、気まぐれで集中力に欠ける。特に子供はその傾向が強く、やって欲しくないこと、やられたら困ることを最悪のタイミングでやらかす。
有り体に言ってしまえば召喚難易度とコストが高く、使役するにせよ飼うにせよ、とにかく手間がかかるのである。たびたび公開講座を行ってきたが、使い魔として連れ歩いている受講生を見たのは、始めてだった。
(珍しいこともあったもんだ)
感心しつつ、講義を続ける。
「それでは、一つ質問。カードにこのようにして、召喚獣……僕はどっちかって言うと喚ばれし者(be-summonner)って言い方の方が好きなんだけど。いちがいに獣の姿をしているとは限らないからね。とにかく、彼らの姿と名前を映すのは何故だと思う? ……ええと、それじゃ、そこの君」
試しに指名してみた。
「え、俺?」
目をぱちくりさせたと思ったら、閉じた。
「うーん……」
腕組みをして考え込んでる。かなり真剣な顔つきで首を捻っていた。ちょっと難しかったかな、と心配になる頃、やおら目を開けた。
「わかった、名前と姿を忘れないためだ!」
「………はい?」
「だって、カード見ればすぐわかるだろ?」
(だめだこりゃ)
「んな訳ないでしょ!」
隣に座っていた女の子に、ぴしゃりと言われて首をすくめている。金髪に青い目の、小柄な利発そうな少女。髪に水色のリボンを結び、魔法学院の制服を身に着けている。
「それじゃ、代わりにニコラ君、答えて」
「術の発動の手順を簡略化するためです。束ねた境界線を安定させて、実体化の負担を減らす効果もあります。喚ぶ者(summonner)にとっても、喚ばれし者(be-summonner)にとっても」
「正解」
うん、なかなかに飲み込みの早い子だ。この分なら、初級術師の試験も難なく突破できるだろう。
「そーなんだ」
感心して頷く『残念なでかぶつ君』に向かってニコラはつい、と顎をそらし、ぺちりとおでこを手のひらで叩いた。
「あう」
「あなた、のん気すぎ! 宿主(host)としての自覚が足りないのよ自覚が!」
「ぴゃあ」
肩の上ではフェレスペンネが首を傾げている。
残念なでかぶつ君は肩をすくめて、しおしおとうなだれた。
「……ごめん」
どうやらこの二人、かなり親しいようだ。妹だろうか? それとも後輩?
(どっちにしろ尻に敷かれてるなーあれは)
ナディア・レイハンド・ブランディスが大講義室に入って行くと、居並ぶ生徒は一斉に息を飲み、居住まいを正した。
「ごきげんよう、諸君。初めての人もおなじみの人もよろしく。あ、私のことはナデューと呼んでくれ。先生(master)をつけるつけないは各自の自由だ」
今日は魔法学院の公開授業。学院の制服を着ている初々しい一団は、初等科の訓練生たちだ。緊張した面持ちでじっと教壇を見上げている。一言も聞き漏らすまいと、耳をそばだてている。
彼らにとって、今日は地道に学んできた初歩の召喚術の授業の仕上げの日なのだ。
「呼び名なんて何でもいいじゃないかって思うかもしれないけれど、召喚士にとって名前は重要な意味を持つ。ここで今、学んでいる諸君には言うまでもないことだよね?」
広々とした講義室には私服姿の、生徒にしてはやや年齢の高い男女の姿も混じっていた。下は20代から上は30、40代まで。市井の召喚術の使い手たちだ。
元々召喚術にはきちんとした学問体系はなかった。師匠から伝授されたり、あるいは家業として細々と営んできた者、独学で身に付けた者も多いのだ。
だからこそ、この公開授業の意味がある。術師同士の情報交換にもなるし、訓練生たちにとっては、経験を積んだ召喚術師たちから実用的な話を聞ける、またとない機会になる。
教壇の上から居並ぶ受講生を見回すと、ナデューはにっこりと顔をほころばせた。
「今日は天気もいいし、授業は外でやろうか!」
***
魔法学院の中庭、枝を四方に伸ばす樫の古木の根元に場を移した。
単純に開放的な空気が心地よいし、召喚士たちの多くはそれぞれ自分の使い魔を連れている。できるだけ、そうするようにあらかじめ頼んであるのだ。数多くの使い魔と生徒が触れあえるように。
生きた経験に勝る教材はない。
「この方が、くつろげるだろ?」
ナデューは樫の木に寄りかかって座り、受講生たちはその回りに半円を描くようにして座る。
この頃には、初等訓練生たちの緊張もだいぶほぐれていた。
(うんうん、これでいい。ガチガチに緊張してたんじゃ、楽しくないものな)
召喚士ナデューは学院始まって以来の天才と謳われ、歩くより早く異界の存在と心を通わすことを覚えたと噂されている。そんな彼にとって、異界の生き物と接することは眉間に皴を寄せてしかめっつらしく行う苦行ではなく、むしろ喜びに他ならないのだった。
「知っての通り、異界の存在をこちら側に呼び出して実体化させるには、あちら側とこちら側の接点、すなわち境界線を束ねて、異界に通じる門を編み上げなければいけない。
その際には焦点を合わせるための『器』が必要だ。召喚された使い魔が宿り、体を休めるシェルターとしての役割もある。何しろ彼らは本来、異界の生き物だ。こっちの世界で存在し続けるには、多くのエネルギーを消費する」
熱心にノートを取る初々しい訓練生たちに混じって約一名、ひときわ目立つばかでっかい男がいた。
柔和な顔立ちだが立派な大人。多分、二十歳を越えている。猫背ではあるがよく見れば、肩幅は広く胸板厚く、筋骨隆々とした逞しい体つきだ。
別にガタイのいい魔術訓練生が居ても不思議はない。実際、昨年はそんな生徒を教えていた。
(グレンジャー君を思い出すなあ、あの筋肉。でも彼はもっと姿勢が良かった)
「指輪や腕輪、ブローチ、ペンダントと言った装身具がよく『器』に使われる。いつも身に付けることができるからね。この他にも、術を行使する際に助けになる道具は数多くある。その中でも、洗練されていて持ち運びが便利なのが、この召喚符だ」
懐から、実際に自分の使っているカードを取り出して受講生たちによく見えるようにかざした。
生徒たちの目が一斉にカードに集中する。
金色のカエルや角の生えた蛇、二対の翼の鳥や複数の尾を持つ小動物、コウモリ状の羽根のある小鬼に薄い昆虫状の羽根を羽ばたかせる小さな女の子。様々な姿の使い魔たちもまた、宿主とともに目を向けてきた。
本能的に嗅ぎつけるのだろう。自分たちと同じ『異界の存在』の気配を。
「ぴゃああ……」
『図体のでかいノ』の懐から、もそっとふわふわした生き物が顔を出した。黒褐色斑の毛並みに覆われ、姿形は猫によく似ている。だがその背中には、猛禽類にも似た一対の翼が生えていた。
(あれは!)
ナデューの琥珀色の目の瞳孔が、わずかに開いた。
(鳥のような、猫のような外見。あの鳴き声。まちがいない、あれは、幻獣フェレスペンネだ!)
不完全ながら人語を理解し、空を飛ぶこの生き物の最大の特徴は、宿主(host)の精神活動と共鳴することにある。すなわち、宿主が呪文を唱えれば自らも一緒に詠唱し、効果を倍増させることができるのだ。
もっとも意識してやっている訳ではない。あくまで本能。動くものが目の前を横切れば追いかけるのと同じレベルなのだが、術を使う者にとっては強力な助っ人となる。
しかし、一方でとんでもなく宿主の体力を消耗させる欠点もあった。『器』やカード等の術具で補ってさえ、実体を維持するには宿主側にかなりのエネルギーが必要とされる……つまり、腹が減る。
また、人に懐きやすい反面、気まぐれで集中力に欠ける。特に子供はその傾向が強く、やって欲しくないこと、やられたら困ることを最悪のタイミングでやらかす。
有り体に言ってしまえば召喚難易度とコストが高く、使役するにせよ飼うにせよ、とにかく手間がかかるのである。たびたび公開講座を行ってきたが、使い魔として連れ歩いている受講生を見たのは、始めてだった。
(珍しいこともあったもんだ)
感心しつつ、講義を続ける。
「それでは、一つ質問。カードにこのようにして、召喚獣……僕はどっちかって言うと喚ばれし者(be-summonner)って言い方の方が好きなんだけど。いちがいに獣の姿をしているとは限らないからね。とにかく、彼らの姿と名前を映すのは何故だと思う? ……ええと、それじゃ、そこの君」
試しに指名してみた。
「え、俺?」
目をぱちくりさせたと思ったら、閉じた。
「うーん……」
腕組みをして考え込んでる。かなり真剣な顔つきで首を捻っていた。ちょっと難しかったかな、と心配になる頃、やおら目を開けた。
「わかった、名前と姿を忘れないためだ!」
「………はい?」
「だって、カード見ればすぐわかるだろ?」
(だめだこりゃ)
「んな訳ないでしょ!」
隣に座っていた女の子に、ぴしゃりと言われて首をすくめている。金髪に青い目の、小柄な利発そうな少女。髪に水色のリボンを結び、魔法学院の制服を身に着けている。
「それじゃ、代わりにニコラ君、答えて」
「術の発動の手順を簡略化するためです。束ねた境界線を安定させて、実体化の負担を減らす効果もあります。喚ぶ者(summonner)にとっても、喚ばれし者(be-summonner)にとっても」
「正解」
うん、なかなかに飲み込みの早い子だ。この分なら、初級術師の試験も難なく突破できるだろう。
「そーなんだ」
感心して頷く『残念なでかぶつ君』に向かってニコラはつい、と顎をそらし、ぺちりとおでこを手のひらで叩いた。
「あう」
「あなた、のん気すぎ! 宿主(host)としての自覚が足りないのよ自覚が!」
「ぴゃあ」
肩の上ではフェレスペンネが首を傾げている。
残念なでかぶつ君は肩をすくめて、しおしおとうなだれた。
「……ごめん」
どうやらこの二人、かなり親しいようだ。妹だろうか? それとも後輩?
(どっちにしろ尻に敷かれてるなーあれは)