▼ 召しませ、魔法のスープ!3
2013/05/10 4:26 【お姫様の話】
さてフロウが読みかけの本に戻ってしばらくの間、作業台ではコトコト、ごりごり、ぎーりぎーりと……
普通の料理とはちょっと趣の異なる音が響いていた。
「キアラ、水おねがい」
『はい、おみず』
こぽこぽと水を注ぐ音が聞こえる。ちゃっかり自分の使い魔に手伝わせているようだ。
ほどなくコンロに火が点り、ことことと美味そうな……若干、物騒な気配の混じるにおいが立ちこめる。
ちらりと顔をあげて様子をうかがう。
ニコラは塩コショウで味を整えている真っ最中、表情は真剣そのものだ。赤いスープを慎重に木杓子でかき回し、ちょろっと小皿に注いで、ふーふーさまして口に含んだ。
「むー」
首をかしげて、ほんの少しぱらっとオレガノを追加して、手早く混ぜてから再び小皿にとって舐める。
「……うん」
目を閉じて味わい、こくっとうなずいている。どうやら自分なりに納得の行く味になったらしい。
新たな小皿にスープをとって、ふー、ふー、ふー……と念入りにさましてから、とことことカウンターに近づいてくる。
(お、来たな?)
わざと素知らぬふりして本をめくっていると。
「師匠、味見お願いします!」
緊張のあまり、声が裏返っている。顔を真っ赤にして、ぷるぷる震える両手でスープの入った小皿をうやうやしく掲げていた。
「ああ、ん……」
そろーりと小皿の中味に口をつける。覚悟はしていたが、ピリっとしたトウガラシの辛味が舌を刺す。ぶわっと毛穴が開いたが、顔をしかめるほど辛くはない。トマトの甘みと酸味のおかげか、見かけよりかなりマイルドな仕上がりになっている。
それにこの柔らかな舌触りは……。
「ん、牛乳か何か入れたか?」
「チーズをちょこっと」
なるほど。
魔法の素材による味の変質も、上手い具合にスパイスの味と香りに紛れて気にならない程度に抑えられている。
余さず飲み干し、小さく頷いた。
「ん、これなら大丈夫だろう」
「やったぁ!」
ニコラの顔いっぱいに笑顔が花開く。きゅっと木杓子を握ってぴょんぴょん飛び跳ねる少女の頭上では、金色のポニーテールが揺れていた。
「ま、とりあえずとっとと儀式済ませとけ、ダインが帰ってきたら食わせられるようにな」
「はぁい♪」
いそいそと儀式円を描いた布を広げるニコラの背後に、音も無く舞い降りる黒褐色の謎の影。低く、低ぅく身を寄せて、忍び足でスープの鍋へとにじりよる。
かぱっと赤い口を開けた所で、すかさずフロウがぐいっと首根っこを引っつかんだ。
「は~い、つまみ食いはやめような~ちび助?」
「んぴゃああああああああっ」
「あ、ちびちゃん! だめよ、これ辛いんだから!」
「ぴぃ、ぴぃ、ぴーいいい」
「うわっぷ、こら、暴れんな!」
ふわもこの羽毛の塊がフロウの腕の中でじたばたもがく。目の前のスープによほどご執心らしい。にゅるんっと伸び上がって抜け出した。
慌てて腕に力を込めた時は既に遅く、しゅるっと尻尾がすり抜ける。
「だああ、この不定形がっ」
「しょうがないなあ。じゃあ、ちょっとだけね?」
ニコラは赤いスープを指にちょっぴりつけて差し出した。ちびはふんかふんかとにおいをかいで、ぺろり。
「ぴっ!」
途端に全身の毛をもわもわに逆立て、その場で四つ足ジャンプ。辛かったらしい。
「……ったく」
目の前で繰り広げられる少女ととりねこの漫才に苦笑いを浮かべ、フロウはもっさもさに膨らんだ黒い毛並みをゆるりとなでた。
今度ばかりはちびも大人しくフロウの腕の中に収まり、すぴー、ぴすーっと鼻を鳴らす。撫でられるうちに、逆立った毛並が落ち着いてきた……尻尾は依然として、ブラシみたいになっているが。
「とりあえず、儀式に集中しろよ? 失敗してボン、とかはゴメンだからな」
冗談めかして笑いかけると、ニコラはきゅっと背筋を伸ばした。
「そっそれは……無いって……信じたい」
あはは、と引きつった笑みを浮かべつつ、作業台の上に儀式円を描いた布を敷く。
布の四隅と中央にこの世を構成する五つの元素を刻んだ石を置き、しかる後に鍋から器に写したスープを一杯分、円の中に置く。
続いて自分の杖で順振りに護符に触れ……ほわっと淡い光が円に沿って走るのを確認した。
「儀式円の起動……終わりました!」
「……ん、じゃあ杖で力線を誘導して魔力の量を調節しながら、呪文で封入しろ。封入量間違えたら弾けるからな」
まあ、所詮はスープだ。こめられる魔力も高が知れている。多少溢れた所で、せいぜいスープが飛び散る程度だろう。
だが初めが肝心。慎重に事に当たるに越した事は無い。
「は、はい、わかりましたっ!」
緊張した面持ちで少女は杖をきちっと両手で握り、呪文を唱え始める。ほんの少し声が震えていた。
『力よ集え 不可視の盾と為さん 貝の殻のように固く クルミのように固く ワニの鱗のごとく剣を弾き 真珠のごとく包み守れ……』
店の中を流れる、目に見えない魔力の流れ……力線がじわじわと儀式円に集まる。ニコラは糸を紡ぐように杖を繰り、からめ捕ってスープに流し込んで行く。
フロウは近くにあったフェンネルを手に取り、目の上にかざして魔力の流れを『視た』。
流れる力線は今のところ多すぎず、少なすぎず適量を保っている。声が震えているが、発音そのものはしっかりしていた。これなら問題ない。
「落ち着け、ゆっくり唱えたって今は大丈夫だからな?」
戦っている最中に、攻撃呪文を詠唱するわけではないのだ。ニコラの集中を妨げないように、驚かせないように、ゆるりとした口調で声をかける。
ニコラはちらりと師匠を見やり、小さくうなずいた。杖を握り直し、すうっと息を吸い込む。
ここからが正念場。流し込んだ魔力をスープに『固定』しなければいけない。
『盾為す力よ、宿れスープに』
精一杯ゆっくりと、力を固定させるべく魔導語を紡ぐ。やはり緊張しているのだろう。ぴんっと魔力の流れが張りつめ、スープの表面が波立つ。
「きゃっ!」
『きゃ』
ぱたぱたと空中で小妖精が後ずさるが、ニコラは怯まない。反動で杖が軽く跳ね上がるが手は離さない。
(おー、おー、やる気充分だな)
フロウは思わず浮かしかけた腰を落ち着け、見守る事にした。
(あれなら心配ないか)
然り。ニコラはきっとまなじりを正し、もう一度言葉を繰り返した。
『盾為す力よ……宿れ!』
気合いの篭った一言に、波立つスープが一瞬で静まった。
普通の料理とはちょっと趣の異なる音が響いていた。
「キアラ、水おねがい」
『はい、おみず』
こぽこぽと水を注ぐ音が聞こえる。ちゃっかり自分の使い魔に手伝わせているようだ。
ほどなくコンロに火が点り、ことことと美味そうな……若干、物騒な気配の混じるにおいが立ちこめる。
ちらりと顔をあげて様子をうかがう。
ニコラは塩コショウで味を整えている真っ最中、表情は真剣そのものだ。赤いスープを慎重に木杓子でかき回し、ちょろっと小皿に注いで、ふーふーさまして口に含んだ。
「むー」
首をかしげて、ほんの少しぱらっとオレガノを追加して、手早く混ぜてから再び小皿にとって舐める。
「……うん」
目を閉じて味わい、こくっとうなずいている。どうやら自分なりに納得の行く味になったらしい。
新たな小皿にスープをとって、ふー、ふー、ふー……と念入りにさましてから、とことことカウンターに近づいてくる。
(お、来たな?)
わざと素知らぬふりして本をめくっていると。
「師匠、味見お願いします!」
緊張のあまり、声が裏返っている。顔を真っ赤にして、ぷるぷる震える両手でスープの入った小皿をうやうやしく掲げていた。
「ああ、ん……」
そろーりと小皿の中味に口をつける。覚悟はしていたが、ピリっとしたトウガラシの辛味が舌を刺す。ぶわっと毛穴が開いたが、顔をしかめるほど辛くはない。トマトの甘みと酸味のおかげか、見かけよりかなりマイルドな仕上がりになっている。
それにこの柔らかな舌触りは……。
「ん、牛乳か何か入れたか?」
「チーズをちょこっと」
なるほど。
魔法の素材による味の変質も、上手い具合にスパイスの味と香りに紛れて気にならない程度に抑えられている。
余さず飲み干し、小さく頷いた。
「ん、これなら大丈夫だろう」
「やったぁ!」
ニコラの顔いっぱいに笑顔が花開く。きゅっと木杓子を握ってぴょんぴょん飛び跳ねる少女の頭上では、金色のポニーテールが揺れていた。
「ま、とりあえずとっとと儀式済ませとけ、ダインが帰ってきたら食わせられるようにな」
「はぁい♪」
いそいそと儀式円を描いた布を広げるニコラの背後に、音も無く舞い降りる黒褐色の謎の影。低く、低ぅく身を寄せて、忍び足でスープの鍋へとにじりよる。
かぱっと赤い口を開けた所で、すかさずフロウがぐいっと首根っこを引っつかんだ。
「は~い、つまみ食いはやめような~ちび助?」
「んぴゃああああああああっ」
「あ、ちびちゃん! だめよ、これ辛いんだから!」
「ぴぃ、ぴぃ、ぴーいいい」
「うわっぷ、こら、暴れんな!」
ふわもこの羽毛の塊がフロウの腕の中でじたばたもがく。目の前のスープによほどご執心らしい。にゅるんっと伸び上がって抜け出した。
慌てて腕に力を込めた時は既に遅く、しゅるっと尻尾がすり抜ける。
「だああ、この不定形がっ」
「しょうがないなあ。じゃあ、ちょっとだけね?」
ニコラは赤いスープを指にちょっぴりつけて差し出した。ちびはふんかふんかとにおいをかいで、ぺろり。
「ぴっ!」
途端に全身の毛をもわもわに逆立て、その場で四つ足ジャンプ。辛かったらしい。
「……ったく」
目の前で繰り広げられる少女ととりねこの漫才に苦笑いを浮かべ、フロウはもっさもさに膨らんだ黒い毛並みをゆるりとなでた。
今度ばかりはちびも大人しくフロウの腕の中に収まり、すぴー、ぴすーっと鼻を鳴らす。撫でられるうちに、逆立った毛並が落ち着いてきた……尻尾は依然として、ブラシみたいになっているが。
「とりあえず、儀式に集中しろよ? 失敗してボン、とかはゴメンだからな」
冗談めかして笑いかけると、ニコラはきゅっと背筋を伸ばした。
「そっそれは……無いって……信じたい」
あはは、と引きつった笑みを浮かべつつ、作業台の上に儀式円を描いた布を敷く。
布の四隅と中央にこの世を構成する五つの元素を刻んだ石を置き、しかる後に鍋から器に写したスープを一杯分、円の中に置く。
続いて自分の杖で順振りに護符に触れ……ほわっと淡い光が円に沿って走るのを確認した。
「儀式円の起動……終わりました!」
「……ん、じゃあ杖で力線を誘導して魔力の量を調節しながら、呪文で封入しろ。封入量間違えたら弾けるからな」
まあ、所詮はスープだ。こめられる魔力も高が知れている。多少溢れた所で、せいぜいスープが飛び散る程度だろう。
だが初めが肝心。慎重に事に当たるに越した事は無い。
「は、はい、わかりましたっ!」
緊張した面持ちで少女は杖をきちっと両手で握り、呪文を唱え始める。ほんの少し声が震えていた。
『力よ集え 不可視の盾と為さん 貝の殻のように固く クルミのように固く ワニの鱗のごとく剣を弾き 真珠のごとく包み守れ……』
店の中を流れる、目に見えない魔力の流れ……力線がじわじわと儀式円に集まる。ニコラは糸を紡ぐように杖を繰り、からめ捕ってスープに流し込んで行く。
フロウは近くにあったフェンネルを手に取り、目の上にかざして魔力の流れを『視た』。
流れる力線は今のところ多すぎず、少なすぎず適量を保っている。声が震えているが、発音そのものはしっかりしていた。これなら問題ない。
「落ち着け、ゆっくり唱えたって今は大丈夫だからな?」
戦っている最中に、攻撃呪文を詠唱するわけではないのだ。ニコラの集中を妨げないように、驚かせないように、ゆるりとした口調で声をかける。
ニコラはちらりと師匠を見やり、小さくうなずいた。杖を握り直し、すうっと息を吸い込む。
ここからが正念場。流し込んだ魔力をスープに『固定』しなければいけない。
『盾為す力よ、宿れスープに』
精一杯ゆっくりと、力を固定させるべく魔導語を紡ぐ。やはり緊張しているのだろう。ぴんっと魔力の流れが張りつめ、スープの表面が波立つ。
「きゃっ!」
『きゃ』
ぱたぱたと空中で小妖精が後ずさるが、ニコラは怯まない。反動で杖が軽く跳ね上がるが手は離さない。
(おー、おー、やる気充分だな)
フロウは思わず浮かしかけた腰を落ち着け、見守る事にした。
(あれなら心配ないか)
然り。ニコラはきっとまなじりを正し、もう一度言葉を繰り返した。
『盾為す力よ……宿れ!』
気合いの篭った一言に、波立つスープが一瞬で静まった。