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とりねこの小枝

偵察と会議

2013/11/25 23:41 お姫様の話いーぐる
 背中の翼をきっちり畳み、ちびは普通の猫のふりをして件の家に忍び寄った。んーっと伸び上がって窓から中をのぞき込み。

「ぴ……」

 耳を伏せた。窓枠にはガラスではなく、薄く削いだ角を張り合わせた半透明の板がはめ込まれている。この界隈にはよくある作りだ。ガラスより安価で、牧畜の盛んなアインヘイルダールでは容易く手に入る。
 かろうじて光は通すものの、視界は良くない。さらに内側からぞんざいに板が打ち付けられていて、ほとんど中は見えなかった。
 聞こえるのは音ばかり。
 何か大きな生き物がしきりと足踏みし、鼻息も荒く暴れている。時折、カツ、ガツっと歯のぶつかる音が響き、合間に押し殺した人間の悲鳴が聞こえた。
 さらに、どごっと何やら小柄な生き物がすっとばされ、壁に激突する気配。ドンガラガンシャーンっと派手な音が響き、窓が揺れる。

「ぴーっっ!」

 さすがにちびはぶわっとしっぽを膨らませ、とーちゃんの元へと飛んで返った。

「ぴぃ、ぴい、ぴぃい」
「よーしよし、がんばったな、偉かったぞ」
「ぴいぅうううっ」

 とーちゃんのがっしりした腕に抱きしめられ、顔を胸にすりよせる。大きな手が背中を撫でてくれた。少しずつ、爆発したしっぽが元に戻って行く。

「すごい暴れてるな、あの白馬」
「可愛そうに」

 シャルが眉を寄せ、顔を曇らせる。

「いきなりあんな酷い事をされて、怯えてるんですね」

 ちびの耳を通して聞いた限りでは、可愛そうなのはむしろ馬泥棒の方なのだが……あえて口には出さないダインだった。

「どうにかして中の様子を見たいな。突入するにしても、何人いるのか、分かればいいんだが」

 誰にともなくつぶやいた、その時だ。不意に背後から、鈴を転がすような澄んだ声が答えた。

「手伝おっか?」

 ぎょっとして振り向くと、そこにはさらさらの金髪を小馬のしっぽのように結い上げた少女が一人。青い瞳をきらきらさせて、後ろ手に手を組み、首をかしげているではないか!
 胸元には琥珀のブローチ、髪に揺れるは水色のリボン。

「ニ……」

 ぱち、ぱちとまばたきしたダインの目が、次の瞬間、限界まで見開かれる。

「ニコラーっ! どうしてここに!」
「ちびちゃんがとーちゃん呼んでるって言うから、面白そうだなーって思って、後をついてきたの」
『きたの』

 ひょこっとニコラの胸元から、ふわふわ巻き毛の小妖精が顔を出す。その瞬間、ダインは全てを理解した。

(そうか……キアラにちびを追跡させたのか!)

 最初の衝撃をどうにか乗り越え、腕組みしてにらみ付ける。

「危ないだろう、一人でこんな所まで来ちゃ」
「心配ない、私が一緒だ」

 その瞬間、ダインの背筋がびしっと伸びた。

「二の姫!」
「え、この方がっ」

 ニコラのすぐ後ろにすらりとした女性が寄り添う。身に着けているのは砂色の身頃に黒の前立ての詰襟の軍服……女性の体に合わせて細身に仕立てられているが、まちがいない。西道守護騎士団の制服だ。襟元には、銀の星が光っている。
 ダインとシャル、二人の騎士はぴしりと気を付けの姿勢をとり、敬礼した。

「レイラ隊長! お久しぶりです」
「久しいな、ディーンドルフ。槍試合以来か」
「はっ!」
「そう堅くなるな、楽にしろ」
「はっ」

 そうは言いつつ一向に力を抜く気配のないダインにくすっと笑うと、二の姫は彼の隣に立つ銀髪の騎士へと視線を移す。

「そなたがシャルダンか」
「はい。お初にお目にかかります!」
「よい目をしている。ニコラから聞いているぞ。弓の名手で、妹に良くしてくれているそうだな。感謝する」
「いえ、私こそニコラさんにはお世話になりっぱなしで……」

 ほんのりと頬を染め、つつましく恥じらうシャルを見てレイラは思った。惜しい。これで女性だったら、まちがいなく女子隊にスカウトするものを、と。

「ところで、ディーンドルフ」

 二の姫は気付いてしまった。黒と褐色斑の猫が、騎士ディーンドルフの首にくるっと、襟巻きのように巻き付いているのを。

「はっ!」
「お主、ダインと呼ばれているのか?」
「はい。長い名前は呼びにくいですから」
「そうか。そうか」

(こいつがダインか……なるほどな)
 全ての手がかりがかちりと噛みあう。つまり、かわいいかわいいかわいいかわいいニコラの話にたびたび登場するダインとは、この男の事だったのだ。
(馬に乗せたのも。ニコラの手作りのスープを食べたのも。ニコラが焼いたパイを食べたのも全てこいつか!)

「あの……レイラ隊長?」
「お前もニコラと親しいようだな、かなり」
「ええ、まあ、それなりに」
「ふふ、ふふふふふ……そうか……それなりに、か」

(しかもさっき、お前思いっきりニコラを呼び捨てにしてたよな!)
 凄みのある笑みを浮かべる二の姫に、ダインは底知れぬ寒気を覚えた。
(何、俺、何かレイラ隊長を怒らせるような事したか? 試合のこと根に持ってるとか、そう言うんじゃないよな?)
 二の姫レイラの公明正大さは、騎士団にあまねく知れ渡っている。正々堂々と戦った結果に、私怨を挟むような人ではない。だとしたら。ダインはちらっと横目で己の愛馬を見やった。
 この緊迫した状況下にも関わらず、かなりご機嫌だ。小さくて可愛い生き物と美女が居るのだから当然と言えば当然か。
(あ)
 はっと閃く。
(ほんとは二の姫、黒が欲しかったとか……)
 だったら納得も行く。佳き馬に巡り合うのは、騎士として何よりの願いだ。性格に多少難があるとは言え、黒は滅多に無い優れた軍馬だ。
(ど、どうしよう。後で試乗していただくか? 黒も異存はないだろうしっ)
 じっとりとにじむ冷たい汗を拭い、ふと顔を上げると。

「ふー、やれやれ、やあっと追いついた」

 後続部隊が一人、増えてたりする訳で。亜麻色の髪に蜂蜜色の瞳の小柄な中年男。ひと目見るなり、かっくんっと顎が落ちる。

「お前も来たのかフロウ!」
「ニコラほっぽって、俺一人店に居るわけにも行かないだろ?」

 何とはなしに状況が飲み込めて来た。
 キアラがちびと一緒に居たのだから、ニコラも白馬誘拐の瞬間を見ているはずだ。しかも現場はフロウの店からほど近い。自分も直接行くと言い出したのは容易に想像が着く。
 二の姫が妹を一人で行かせるはずもないし、フロウにしたってそれは同じだ。
 結果、こうなった、と。

「ちびちゃん、ずーっと下見てたからねー。キアラが上飛んでたの、気が付かなかった?」
「気付かなかった……」

 フロウが片目をすがめてにやりと笑う。

「気配ぐらいは感じただろうによ? ちびの能力、まだまだ使いこなせてねーな、お前さん」
「ううう」

 図星を指されて言い返せない。がくっと肩を落とすしかなかった。

「ね、ね、馬泥棒捕まえるんでしょ?」

 落ち込む騎士の袖を、くいくいとニコラが引っ張る。

「キアラなら、中に入れるよ」
「どうやって?」

 とっさに聞き返していた。正に悩んでいた事の答えが目の前に転がり込んで来たのだから!

「目立つだろ。ちびと違って、猫のふりする訳にも行かねーし」
「こうやって」

 その途端、しゅわっとキアラの姿が透明になり、さやさやと宙に渦巻く一塊の水になる。

「すき間からしゅるしゅるっとね」
「そっか」

 ぽん、とシャルが手をたたく。

「キアラさんは、本来は水なんですよね」
「そ! 水たまりにもなれるし、霧にもなれる!」

 ニコラが得意げに胸を張る。

「変幻自在なんだから!」
「……わかった。人数の確認だけだぞ? 危ないから絶対、前に出るなよ!」
「心配するな、私が着いてる」
「俺もいるし。大丈夫じゃね?」

 ダインは渋い顔をして見渡した。やる気満々のニコラと、守る気満々の二の姫、そして余裕の笑みを浮かべるフロウ。悔しいが。本当に悔しいが、熟練の守護者が二人も居るこの状況で『危険だから』はもはや理由にならない。

 その間に、フロウはこれ幸いと、ちゃっかりニコラに実戦の心得を伝授していた。

「よしニコラ、それじゃあ戦う時の呪文の使い方を軽くレクチャーするからな。」
「はい師匠!」
「おい、本気でやる気かよ……」
「前には出ないよ?」
「当然だ」

 二の姫が重々しくうなずき、腰に帯びたレイピアに手をかける。

「我が身我が剣を以て私が盾となる。ニコラには、何人たりとも近づけん!」

 自分の使う剣に比べればあまりに華奢な武器だった。
 しかし、細くしなやかなその剣は、己の素早さを最大限に活かす二の姫レイラが手にすれば剣呑極まりない威力を発揮する。
 立ち昇る剣気の鋭さに、ダインは背筋がぞわあっと泡立つのを感じた。

「……とりあえず、大前提は『視界の確保』だな」

 その間、フロウ師匠は着々と弟子に教えを授ける。

「魔法は視認できない場所を基点にできない。呪文を使う時は、使い魔の視界でも自分の目でもいいから視界を確保しろ。あと、スパークとかの範囲を攻撃する魔法を使う時はちゃんと見極めろ。味方を巻き込んだら嫌だろ?」
「はい! 姉さまを巻き込まないように注意します!」
『します!』
「……俺は?」

 遠慮がちな前衛担当の一言は、物の見事にさらっと流された。

「あと、手元から撃ち出す魔法の時も注意しろ。つってもわかり難いだろうから」

 つい、とフロウは銀髪の騎士に目を向ける。シャルは戦仕度の真っ最中。愛用の楡の木から削り出した強弓に弦を張り、矢筒に収めた矢を腰のベルトに下げていた。

「シャルに頼れ。シャルと同じタイミングで、同じ相手に向けて魔法を打ち出せば射線はどうとでもなる……いけるよな?」
「了解っ! シャル、よろしくね?」
「はい、任せてください!」

 うなずくと、シャルは目を閉じてぴんっと弦を軽く弾いた。自らの守り神、果樹と狩猟の女神ユグドヴィーネに祈りを捧げたのだ。

「……何か、なし崩しに全員参加ってことになってるし」

 ぼそっと呟くダインの肩の上で、ちびがかぱっと赤い口を開ける。
 
「ぴゃあ!」 
「お前もやる気満々だな」

 顎の下をくすぐると、ちびは目を細めてつぴーんっとしっぽを立てて震わせる。

「ぴぃうぅ!」
「んじゃお前は、ニコラとフロウを手伝え」
「ぴゃっ」

 ちびの能力は、魔法使いと共に居てこそ最大限に発揮される。このちっぽけな生き物は、術師とともに呪文を唱え、その威力を高める事ができるのだ。
 最も猫なだけにかなり気まぐれで、それこそ気の合う相手としか共鳴しないのだが……フロウとニコラなら問題あるまい。

「あ、そうだニコラ……」
「なーに、師匠?」
「魔法で攻撃するのは最初の一回だけ、くらいにしとけ、今は……な。」
「えー」
『えー』

 ニコラと小妖精キアラ。宿主と使い魔は二人そろってぷうっと頬を膨らませた。とても不服そうだ。

「理由は二つ……一つ、攻撃魔法より先にダインと二の姫に使う補助魔法に魔力を割く方が有効だから」
「そっちがあった!」
「二つ……魔法は『手加減できない』……意味はわかるな?」

 ニコラは、はっと目を見開いた。そう、今回の目的は泥棒の捕縛。退治でもなければ殲滅でもない。

「…………わかった」
「ん」

(そうそう、それでいい)
 師匠フロウは秘かに安堵のため息をつく。今回の実戦は完全に予想外の出来事だ。あどけなさの残る弟子に弾みとは言え、人を殺めさせるには忍びない。自分はまだ、その覚悟も心構えもニコラに伝えていないのだから。
 一方、拳を握ると、四の姫ニコラはぶーんっと腕を回して見えない敵をぶん殴った。

「生かしたままふん縛るのが目的だものね!」
「ニコラっ?」

 さすがに二の姫も顔をしかめる。

「どこでそんな物騒な言い回しを……こらディーンドルフ。目をそらすな」

 一方でこっそりとフロウも視線をそらしていた。自分の言葉遣いも大概によろしくないと自覚があるからだ。

「ってわけで、ダイン、二の姫様……悪いが攻撃魔法の援護はあんまり期待しねぇでくれ。その分を治癒と防御にまわすから」
「心得た」
「それとニコラ」
「はい」
「どうしても敵に魔法かけたいなら、土の小精霊に敵をすっ転ばせる程度にしとけ。転んだ相手を捕まえる方がダインも二の姫も楽だろうしな」
「了解!」

 ぴしっと背筋を伸ばすと、ニコラは敬礼した。さすが騎士の娘、完璧な作法だ。

「護りと援護を優先します!」

 敬礼を終えると、ニコラは地面ぺたぺた叩いて呼びかけた。

「よろしくねっ」
『うきゅっ!』

 ダインは見た。ちびと共感すべく解放していた月虹の瞳で。
 地面からころころっと二頭身のちっぽけな小人どもが顔を出し、ニコラに向って敬礼するのを。
 土の小精霊(アーシーズ)だ。

「すげ、手なづけてる……」

 一方で二の姫は、四の姫の初陣を前に

(ああっ、あのちいさなちいさなニコラが立派になって。敬礼の作法も完璧ではないか! かくなる上は私も全力を尽くさねば……妹の初陣を、勝利に導くために!)

 感動に打ち震えていた。
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