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とりねこの小枝

二の姫・白馬・四の姫

2013/11/19 5:20 お姫様の話いーぐる
 館の中庭は手入れの行き届いた庭木が生い茂り、柔らかな緑の芝生の間を石畳を敷き詰めた小道が通っている。
 そして中央では小さな噴水がこぽこぽと澄んだ水を吐き出していた。薄紅、紫、水色、黄色。先が星の形に分かれた、ふっくらとしたラッパのようなカンパニュラ。バーベナとクリーム色の花びらのふちにほんのりピンクの滲むつるバラは甘く香り、スイカズラの咲き乱れる中に彼女は居た。
 
 そう、見事な牝馬だった。
 軍馬なだけに、骨格そのものはがっちりしているし、首も太く鼻面も短い。だがやはり若い『娘』だ。すらりとして、可憐だった。純白の毛並の下、しなやかな筋肉が流れるように美しい曲線を描いている。
 だが。
 ちらりとこちらを見る黒い瞳。目が合った瞬間、白馬はぷいっと顔を背け、あまつさえぶるっと首を横に振った。

「おおっと、静かにしておくれ、スイーティ!(いい子ちゃん)」

 マルリオラ兄弟の兄が慌ててハミを押さえる。白馬はしぶしぶと言った風情で大人しくなったが、レイラは見た。
 前足がそっと持ち上がり、ガツンっと地面を叩いたのを。

「ジュゼッペ! ランジェロ!」

 兄弟の名を呼ぶと、二人は彫りの深い顔に惜しみない賞賛と親しみを滾らせて(そりゃもうかっかと燃える炭火のように熱く!)胸に手を当て、深々と一礼した。

「これは、これは二の姫! いやあ、相変わらずお美しい!」
「お会いできて光栄の至りです! 素晴らしい!」
「二人とも、その……元気で何よりだ」

 額に汗を浮かべつつレイラも、いつもの濃ゆい挨拶を受ける。すなわち手袋を外して手を差し伸べ、うやうやしく送られるキスを受け取ったのだった。
 この二人の場合はお世辞でもなければご機嫌とりでもない。いつでも全力で本気、だから決して無下にはできない。二の姫レイラは義理堅い娘なのだ。

「実は今日、うかがったのは他でもない!」
「我らの牧場の牝馬を一頭、献上いたしたく」
「勇敢で、足も早く、軍馬にこれ以上に相応しい馬はおりませぬ」
「ぜひともおそばに!」
「気持ちは嬉しいが……」

 こほんっと軽く咳払いをすると、レイラはちらっと白馬を見やる。相変わらず顔を背け、ばっさばっさと尻尾を振っている。彼女が追い払いたいのはハエなんかじゃない。

「せっかくだが、あの馬は、私には向かないようだ」
「何ですとーっ!」
「確かに勇敢だが、向こう気が強すぎる。おそらく、女子隊のどの騎士にも素直に従わないだろう。女同士、無意識に張り合ってしまうから」
「それはもしかして」
「うむ、似た者同士は、ソリが合わないと言うことだな」
「おおお、何と言うことだ……」
「しかし義姉さんの言うことは大人しく聞いたんですよ?」
「そこはそれ。マルリオラ夫人は人妻であり、母親じゃないか」
「お、おお……」
「彼女の懐の深さが、馬にも伝わったのだろうよ」

 がっくりと、マルリオラ兄弟は肩を落とした。
 と、何やら思いついたらしい弟ランジェロが、がばっと顔を上げる。

「では、では代わりに四の姫に!」

 途端に、二の姫の周囲の空気が、ぴしぃっと音を立てて凍りついた。

「き、さ、ま」

 にっこりと、とても良い笑顔でレイラはずかずかとランジェロに詰め寄った。
 手は出さない。騎士だから、一般人にはあくまで手は出さない。
 だが身にまとう目に見えない青い炎の凄まじさがひしひしと肌を焼き、陽気な牧夫の陽に焼けた顔からさああっと血の気が引いた。

「あんな気の強い跳ねっ返りな馬に! 私のかわいいかわいいニコラを乗せる気か!」
「滅相も無い!」
「振り落とされて怪我でもしたらどうする!」
「迂闊でした!」

 がばあっと頭を下げながら、ランジェロは思った。
 ああ、やっぱ二の姫も感じたんだな。あの馬は気の強い、跳ねっ返りだって。

「大体、軍馬向きなら、砦の若い連中を乗せればよいではないか」
「それが、あいにくとあの子は筋金入りの男嫌いなんですよ」
「おやおや」
「気に入らない男が扱うと暴れるし! ここに連れて来るのも、一苦労でした」

 それはそれで、中々に見込みのある馬ではないか。要は相性の問題なのだ。一度乗りこなすような男と巡り合えば、きっと優れた軍馬となる。
 二の姫は腰に手を当てて胸を張り、爽やかに言い切った。

「何、問題ない。砦の若手騎士は頑丈なのが取り柄だ。多少蹴られても大丈夫だろう!」
「そりゃ、確かにそう言う方も中には居られるかもしれませんがっ」
「騎士は体が資本だぞ?」
「……ごもっとも」
「日々鍛錬していれば、落馬しても怪我をしない落ち方が自ずと身に付く! お主らが教えてくれたではないか」

 自信たっぷりに正々堂々と言い切る二の姫を前に、ぽそりとランジェロが呟く。

「ヘソ曲げて走らないこともあるんですけど……」
「しっ、それは黙っておけ」

 素早くジュゼッペが弟の脇腹を肘でつついて黙らせる。幸い、兄と弟のひそひそ話は二の姫の耳には届かなかった。正にその時、執事がうやうやしく告げたからだ。

「四の姫、ニコラさまがお戻りになりました」

     ※

 その瞬間、二の姫は光になった。マルリオラ兄弟への挨拶もそこそこに、館の中へと飛び込めば、丁度玄関から、濃紺に藍色のラインの入ったケープつきの上着に同色のスカート……魔法学院の制服を着た少女が入って来た所。
 互いの姿を見るなり、二組の青い瞳がぱあっと輝いた。

「ニコラ!」
「レイラ姉さま!」

 レイラはまっしぐらに妹に駆け寄り、高々と抱きあげた。ニコラも慣れたもので、両手を広げてバランスを取ってきゃっきゃと笑っている。

「元気そうだな!」
「姉さまも!」

 くるっと一回転してニコラを床に下ろすと、レイラは改めて妹と向き合い、しっかりと抱きしめた。

(ああ、ニコラが。かわいいかわいいかわいいニコラが腕の中に! いっそこのまま連れ帰ってしまいたい)

「会いたかった……」
「私も」

(この温かさを。ぴちぴちした弾力と柔らかさを覚えていたい! ちょっとでも長く!)

 さらさらした金髪に顔を埋めてうっとりするレイラの顔は、ついぞ表では見せたことがないほどゆるみ切っていた。

「……姉さま?」
「……ごめん、久しぶりだったから、つい」

 抱きあう二人から奥ゆかしく距離を保ちつつ、執事が控えめな咳払いをする。

「恐れ入りますが姫様方、お茶の仕度が整いました。奥様より本日はお天気もよろしいのでテラスでお茶を、とのことです」
「うむ、わかった」

 途端に二の姫はしゃきっと背筋を伸ばし、うやうやしくニコラに手を差し伸べた。

「行こうか」
「はぁい!」

 腕を組んで廊下を進む二人の姫様は、金色の髪といい、青い瞳といい、実によく似ていた。本人たちが思うよりずっと。

    ※

 中庭を見下ろす一階の居間に面したテラスにはテーブルと椅子が並べられ、白いクロスの上にはお茶の仕度が整っていた。キルトのティーコーゼを被った磁器のティーポットにカップとお皿。焼き立てのマフィンにクッキー
を添えて。
 大モレッティ夫人は手ずからカップにお茶を注ぎ、孫娘たちを待っていた。

「ささ、二人ともこっちにいらっしゃい。話したい事がたくさんあるでしょう? 立ち話では足が棒になってしまうわ」

 大夫人の見立ては正しかった。
 紅茶を飲み、菓子をかじる間もレイラとニコラはひっきりなしに喋り続けた。
 レイラはニコラの居ない間の西都での出来事を。ニコラはアインヘイルダールでの日々の暮らし……魔法学院での授業や友達の事、初めての召喚、魔法のスープ作り、そして薬草屋での魔法修業。
 目を輝かせて話す妹を見ながらレイラは思った。
(ああニコラ、あんなに輝いて、活き活きして。やりたい事を見つけたのね)
(これじゃ、とてもじゃないけど言えないな……帰ってきて、なんて)
 それにしても。レイラはわずかに口元を引きつらせた。さっきからダインダインと特定の男の名前が話題に上るのが気になる。
 明らかに他の男性……魔法学院の先生や先輩、騎士団の砦の隊長や従騎士、そして魔法の師匠とは、扱いが違う。どこがどうとは言えないのだが。強いて言うなら同い年の男友達のような扱いだ。それも相当に親しい。

「で、ね。スープ飲んだら、ダインの声がぴゃあぴゃあになっちゃったの!」

 何て朗らかな声で笑う事か! ぱきっとレイラは無意識にクッキーを握りしめ、粉砕していた。
(わ、私のニコラに『親しい』男友達が!)
 ぜひとも後で面を拝んでやらねばなるまい。聞く所によると師匠の店に入り浸っているそうだからいずれ会えるだろう。

「姉さま、どうしたの?」
「ああ、うん、何でもない」

 ささっとどす黒い炎を収めると、レイラは何ごともなかったように粉砕したクッキーを口に運んだ。

「それで、ニコラ。これから、お師匠にご挨拶に行きたいのだがよろしいかな」
「うん!」

 精一杯さりげなく話題を切り替えたつもりなのだが。カップの陰で大夫人がくすっと忍び笑いを漏らした事にレイラは気付いていなかった。
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