▼ エミルの場合・前編
2013/10/28 7:21 【お姫様の話】
ロベルト・イェルプが薬草店を訪れてより四日後。
「んぴゃあぁぁぁ」
カウンターでうずくまっていたちびが起き上がり、つぴーんっと尻尾を立てた。
ほどなく、磨き抜かれた青銅の取っ手がガチャリと動く。
歳月を経ていい感じに焦げ茶色になったドアを開け、黒髪の青年が入って来た。若い肌はこんがりと陽に焼け、身につけた深緑のローブの上からも広い肩と分厚い胸板が容易に見てとれる。
ぴりぴりとちびがしっぽを震わせ、甘えた声を出した。
「えーみーる」
エミリオ・グレンジャーは騎士団の若き団員……ではなく、魔法学院で学ぶ中級魔術師だ。
しかしながらとある理由から、連日のように西道守護騎士団の砦に出入りしている。その馴染みっぷりときたら、もはや詰め所でも食堂でも、誰も彼が交じっていることを気にしないレベルにまで達している。
「おう、エミルじゃねぇか。どした」
カウンターに肘をつき、相も変わらず眠たげな眼差しをフロウが投げ掛ける。
しかしエミリオは、やわらかな芳香を放つ乾燥した薬草にも(いつもなら必ず一通り目を通すはずなのに)。新しく入荷した種にも目をくれず(いったいどうした風の吹き回しだ!)、よれよれとカウンターに歩み寄る。
力ない手でスツールを引き寄せれ腰を落とし、あまつさえ天板に肘をつき、仕上げにがっくりとうな垂れた。
「フロウさん………気分の落ち着くハーブティーいただけますか。ポット一杯ほど!」
確かにここは薬草屋だ。客の求めに応じて、その場で店主自らが調合した薬茶を出す事もある。
お茶の時間に香りを楽しむ程度の軽いものから、口当たりより薬効優先、煎じ薬よりは幾分マシ、と言うレベルの効き目の強い奴までお好み次第。
エミリオが求めているのは、明らかに後者だ。
「そんなに飲んだら、腹ぁ緩くなるぞ、ったく……どうした?」
こいつは学院で薬草術を学んでいる。効き目の強い茶に付きもののその手の揺り返しを、知らないはずがないのだが。
とは言え、憔悴し切った顔といい、珍しく丸めた背中といい、それぐらい強い薬茶が必要なのは目に見えていた。
だからこそ、ここに来たのだろう。
カウンター奥の棚からカップとポットを取り出し、卓上コンロで湯を沸かす。その間にお茶用の乾燥ハーブを収めたガラス瓶を選ぶフロウの姿を、エミリオはぼんやりと目で追う。
だが視点は会ってない。
「ぴゃあぴゃあ」
「やあ、ちびさん」
ふわふわの毛皮を撫でていたな、と思ったらいきなりがばっと顔を埋めてしまった。
「んぴっ?」
やれやれ。
フロウは首をすくめたくなった。
いつもなら目を輝かせて『それ新しいブレンドですよね』とかあれこれ聞いてくるってぇのに。どんだけ参っていなさるのやら。
(カモミールに、ラベンダーに……香りがちいっときつくなるがこいつなら大丈夫だろ。リンデンも混ぜとくか。あとセージとミントと……)
相手が慣れているのをいいことに、かなり強めに調合した茶をポットに入れる。
ぬるめのお湯を注いで、ことりと小さな砂時計をひっくり返した。
砂が落ち切るまでの間にエミリオと来たら何度ため息をついたことか。
「ほい、できあがり」
「ありがとうございます」
こぽこぽとカップに注いで差し出すと、香りもろくすっぽかがずに一気に飲み干した!
「おいおい、香りも効能のうちだろうがよ……」
わかってるだろうが、と言い添える。エミリオは思い出したように空っぽのカップを嗅ぎ、それからふーっと深くため息をついた。
「実は……」
「ん?」
「シャルにロブ隊長がプレゼントしたって言うんです。しかもそれがっ! 隊長が気のある子にプレゼントするために選んだものだろうって、ニコラ君がっ」
香草茶の効果か、それともため込んでた袋が破れたか。立板に水とばかりにたーっと一気にまくし立てる。おしまいまで聞いてから、それとなく問いかけた。
エミリオが二杯目の薬草茶をぐびぐびやってる間に。
「……プレゼントねぇ……一体何を?」
ごくっと咽を鳴らして口の中の茶を飲み込み、そ……と空のカップを差し出してきた。
「ほいよ」
たぱたぱたぱ……
注がれた黄緑色のお茶を、またぐいっと一気に飲む。三杯目を飲み干したところで、ようやくエミルは口を開いた
「ものすっごいリアルなトカゲの彫刻のついたケースに入った、軟膏です」
「……あぁ、なるほど、あれか」
「シャルもすっごく大事にしてて……」
「さらにニコラのお勧めの入れ物だった、と……それで?」
首を傾げて先をうながした。
「昨日は『鍋と鎚』亭で一緒に食事してたって言うし!」
※
そう、確かにロベルトはシャルダンを伴って見回りに赴いた。騎士団の一番の新入りを指導するのは、隊長たる己の役割と心得ていたからだ。
そんな訳で見回りの最中、遅めの昼食を取るために二人で一緒に店に入るのは、ごく自然な成り行きだった。
シャルダンもまた、生来のマメさで隊長の飲み食いするものの好みをいち早く察していた。
「隊長、いつものですか?」
「うむ」
「すいませーん、ビールとライ麦パンとチーズをお願いします」
※
「……なんて仲むつまじく食事してったて言うんですよ! しかも! あの二人、一緒に風呂にも入ってるしっ」
「そりゃお前、砦で共同生活してんだから風呂にも一緒に入るだろ。ってか、よお、エミリオ?」
「はい?」
「それ言ったらダインなんか、一緒の部屋で寝起きしてんだぞ?」
「先輩はいいんです。……なんかあの二人って一緒にいてもそーゆー方向には」
「転ばないだろうなあ、どうまちがっても」
どこまで親密になろうが。たとえ半裸でじゃれていようが、一緒に風呂に入ろうが、妙に爽やかと言うか、和やかと言うか……。頭にお花が咲いていそうな雰囲気なのだ。
シャルダンは白百合、ダインはたんぽぽあたりが、わさわさと。
「とにかく俺、俺、もうシャルとロブ隊長の事が一日中頭から離れなくてっ」
「……へ? 何でだ?」
真顔できょとんとなったフロウを、エミルはじとーっと目を半開きにして見返す。
「噂になってるんですよ。ロブ隊長がシャルに気があるってっ」
ああ、なるほど。悩みの根源はそれか。
「んぴゃあぁぁぁ」
カウンターでうずくまっていたちびが起き上がり、つぴーんっと尻尾を立てた。
ほどなく、磨き抜かれた青銅の取っ手がガチャリと動く。
歳月を経ていい感じに焦げ茶色になったドアを開け、黒髪の青年が入って来た。若い肌はこんがりと陽に焼け、身につけた深緑のローブの上からも広い肩と分厚い胸板が容易に見てとれる。
ぴりぴりとちびがしっぽを震わせ、甘えた声を出した。
「えーみーる」
エミリオ・グレンジャーは騎士団の若き団員……ではなく、魔法学院で学ぶ中級魔術師だ。
しかしながらとある理由から、連日のように西道守護騎士団の砦に出入りしている。その馴染みっぷりときたら、もはや詰め所でも食堂でも、誰も彼が交じっていることを気にしないレベルにまで達している。
「おう、エミルじゃねぇか。どした」
カウンターに肘をつき、相も変わらず眠たげな眼差しをフロウが投げ掛ける。
しかしエミリオは、やわらかな芳香を放つ乾燥した薬草にも(いつもなら必ず一通り目を通すはずなのに)。新しく入荷した種にも目をくれず(いったいどうした風の吹き回しだ!)、よれよれとカウンターに歩み寄る。
力ない手でスツールを引き寄せれ腰を落とし、あまつさえ天板に肘をつき、仕上げにがっくりとうな垂れた。
「フロウさん………気分の落ち着くハーブティーいただけますか。ポット一杯ほど!」
確かにここは薬草屋だ。客の求めに応じて、その場で店主自らが調合した薬茶を出す事もある。
お茶の時間に香りを楽しむ程度の軽いものから、口当たりより薬効優先、煎じ薬よりは幾分マシ、と言うレベルの効き目の強い奴までお好み次第。
エミリオが求めているのは、明らかに後者だ。
「そんなに飲んだら、腹ぁ緩くなるぞ、ったく……どうした?」
こいつは学院で薬草術を学んでいる。効き目の強い茶に付きもののその手の揺り返しを、知らないはずがないのだが。
とは言え、憔悴し切った顔といい、珍しく丸めた背中といい、それぐらい強い薬茶が必要なのは目に見えていた。
だからこそ、ここに来たのだろう。
カウンター奥の棚からカップとポットを取り出し、卓上コンロで湯を沸かす。その間にお茶用の乾燥ハーブを収めたガラス瓶を選ぶフロウの姿を、エミリオはぼんやりと目で追う。
だが視点は会ってない。
「ぴゃあぴゃあ」
「やあ、ちびさん」
ふわふわの毛皮を撫でていたな、と思ったらいきなりがばっと顔を埋めてしまった。
「んぴっ?」
やれやれ。
フロウは首をすくめたくなった。
いつもなら目を輝かせて『それ新しいブレンドですよね』とかあれこれ聞いてくるってぇのに。どんだけ参っていなさるのやら。
(カモミールに、ラベンダーに……香りがちいっときつくなるがこいつなら大丈夫だろ。リンデンも混ぜとくか。あとセージとミントと……)
相手が慣れているのをいいことに、かなり強めに調合した茶をポットに入れる。
ぬるめのお湯を注いで、ことりと小さな砂時計をひっくり返した。
砂が落ち切るまでの間にエミリオと来たら何度ため息をついたことか。
「ほい、できあがり」
「ありがとうございます」
こぽこぽとカップに注いで差し出すと、香りもろくすっぽかがずに一気に飲み干した!
「おいおい、香りも効能のうちだろうがよ……」
わかってるだろうが、と言い添える。エミリオは思い出したように空っぽのカップを嗅ぎ、それからふーっと深くため息をついた。
「実は……」
「ん?」
「シャルにロブ隊長がプレゼントしたって言うんです。しかもそれがっ! 隊長が気のある子にプレゼントするために選んだものだろうって、ニコラ君がっ」
香草茶の効果か、それともため込んでた袋が破れたか。立板に水とばかりにたーっと一気にまくし立てる。おしまいまで聞いてから、それとなく問いかけた。
エミリオが二杯目の薬草茶をぐびぐびやってる間に。
「……プレゼントねぇ……一体何を?」
ごくっと咽を鳴らして口の中の茶を飲み込み、そ……と空のカップを差し出してきた。
「ほいよ」
たぱたぱたぱ……
注がれた黄緑色のお茶を、またぐいっと一気に飲む。三杯目を飲み干したところで、ようやくエミルは口を開いた
「ものすっごいリアルなトカゲの彫刻のついたケースに入った、軟膏です」
「……あぁ、なるほど、あれか」
「シャルもすっごく大事にしてて……」
「さらにニコラのお勧めの入れ物だった、と……それで?」
首を傾げて先をうながした。
「昨日は『鍋と鎚』亭で一緒に食事してたって言うし!」
※
そう、確かにロベルトはシャルダンを伴って見回りに赴いた。騎士団の一番の新入りを指導するのは、隊長たる己の役割と心得ていたからだ。
そんな訳で見回りの最中、遅めの昼食を取るために二人で一緒に店に入るのは、ごく自然な成り行きだった。
シャルダンもまた、生来のマメさで隊長の飲み食いするものの好みをいち早く察していた。
「隊長、いつものですか?」
「うむ」
「すいませーん、ビールとライ麦パンとチーズをお願いします」
※
「……なんて仲むつまじく食事してったて言うんですよ! しかも! あの二人、一緒に風呂にも入ってるしっ」
「そりゃお前、砦で共同生活してんだから風呂にも一緒に入るだろ。ってか、よお、エミリオ?」
「はい?」
「それ言ったらダインなんか、一緒の部屋で寝起きしてんだぞ?」
「先輩はいいんです。……なんかあの二人って一緒にいてもそーゆー方向には」
「転ばないだろうなあ、どうまちがっても」
どこまで親密になろうが。たとえ半裸でじゃれていようが、一緒に風呂に入ろうが、妙に爽やかと言うか、和やかと言うか……。頭にお花が咲いていそうな雰囲気なのだ。
シャルダンは白百合、ダインはたんぽぽあたりが、わさわさと。
「とにかく俺、俺、もうシャルとロブ隊長の事が一日中頭から離れなくてっ」
「……へ? 何でだ?」
真顔できょとんとなったフロウを、エミルはじとーっと目を半開きにして見返す。
「噂になってるんですよ。ロブ隊長がシャルに気があるってっ」
ああ、なるほど。悩みの根源はそれか。