▼ ひとりぼっちのディーンドルフ後編
2013/06/18 4:34 【お姫様の話】
肩、首、腕そして脇腹。死に際のオーガに刻み込まれた傷は、きれいに洗われ、すり潰した薬草を塗り込まれて痛みも疼きも収まりつつあった。
兜の上から切り付けられた額の傷は時折痛むものの、鼓動一つ打つごとに生命の抜ける、嫌な感触はもう無い。
「ありがとな、フロウ。だいぶ、楽になった」
ごそごそとシャツに袖を通そうとしていたら、ぺちっと背中を張られた。薬草の香る手のひらで、ぺっちんと。痛みというより、驚きでびくっと肩が跳ねた。
「ってえな、何しやがる!」
「まだ終わってねえっつの」
「え?」
慌てて自分の体を見回した。上半身何も着けてないから、傷がどうなってるか、一目で分かる。
「傷口洗って、薬塗ったろ? 他に何するんだ」
「さっき塗ったのは、触媒だ。切り傷は薬だけじゃ塞がらねぇだろ?」
男が右手をかざしてきた。手首にはめられた木の腕輪が、ぽうっと光る。表面に彫られた文字に沿って、緑色の光が走った。
まるで日の光に透ける若葉のような色。一瞬、目を奪われた。
『混沌より出でし黒にして緑 美と草花の女神マギアユグドよ、芽吹き花咲き実を結ぶ、汝の命の力もて、癒しの奇跡を我に授け賜え……』
「っ!」
左目の奥が、熱い。しまった、これは魔法だ!
「よせ、駄目だ!」
掌で目を押さえ、顔を背ける。だが一瞬遅かった。
体の内側からむずむずとこそばゆい感触がこみ上げる。新しい肉芽がにょきにょきと盛り上がり、傷が塞がって行く。
あっと思う間もなくしみ込む力の流れに左目が共鳴し、掌を弾いた。
「う」
「何だ?」
目の奥で色のない虹が弾ける。呪われた光。気味が悪い、不吉だとののしられてきた光が、視界を覆い尽くす。世界が塗り替えられて行く。
あり得ざる『流れ』が浮かび、色をまとい、形を結ぶ。
フロウの手から実体の無いつる草が伸びて広がり、いくつにも枝分かれし、傷口を覆っていた。
(しまった!)
慌てて押さえ直したが、この薄暗がりの中、光ったのだ。目立たないはずがない。
見られたか。心臓が早鐘を打つ。冷たい汗がじわじわとにじむ。せっかく助けてくれたのに、ここであれを見られたら……。
(何を恐れる。嫌われるのは慣れてるはずなのに)
「魔法は、駄目だ!」
「おいおいおい」
フロウは困ったように眉をひそめ、肩をすくめている。
「いくら騎士が魔法に頼ることを良しとしないからって、それはねぇだろ! あ、お前さん、あれか。東の生まれかぁ?」
「………一応」
「あーあーあー、やっぱりなあ。あっちの騎士さまは、魔法嫌いで有名だもんなぁ。でもよ、やっぱできる手当てをしないってのは、俺の信条に反するんだよ」
「……」
「第一もう、使っちまったもんはしょうがねえだろ。ってか何で目、押さえてんだ。ゴミでも入ったか? 血でも落ちたか。痛むんなら見せてみろって」
「そんなんじゃない」
駄目だ。もう、隠し切れない。
嫌われてしまうのだろうな……薄気味悪い奴だって。
今まで何度も経験してきた。親しかった人の顔が恐怖に強張り、引きつれ、目をそらす瞬間を。
ついさっきまで開かれていた扉が、堅く閉ざされるのを。
彼らが悪いんじゃない。ただ恐れているだけなんだ。
それがわかっているから余計に、細く長い針が深々と胸を抉る。
「こっちの目は……呪われてるから」
「はぁ? 大抵の呪いなら、教会で解いてもらえるだろ」
「そんなんじゃない。血に潜み、俺の体に染みついてる」
咽が引きつり、声が震える。こいつ自身も魔法を使えるのなら、隠しても仕方ない。
「生まれつき、なんだ。魔力が動くと、今みたいに勝手に現われる」
「勝手にって……」
「……見えるんだ。人に見えないモノが。今も見えた。あんたの体から、つる草みたいな緑の光が伸びて、俺の傷を包んだのが」
隠せないのなら、自分から言ってしまった方がいい。見抜かれるより、ずっといい。
手を外し、息を深く吸って、閉じていた目を開く。
「お」
驚いてる。だが、フロウの顔は歪みも引きつりもしない。蜜色の瞳が静かに見返してくる。
左目が熱い。唱えられた呪文の力に誘われて、眠っていた『呪い』がすっかり目を覚ましていた。
左の瞳で見るフロウは、淡い緑の光に包まれていた。まるでつる草のように手足に絡みつき、ふわふわと葉を広げ、ゆれていた。
「お前さん、魔術や祈術のたしなみは?」
「え?んなもん、ある訳ないだろ! お、俺は、騎士の家に生まれたんだぞ?」
「おーおー、お約束な返事しやがって。ってことは、あれか。道具の助けも、呪文の行使も無しで魔力を目視してんのか!?」
眉根を寄せて、じとぉっと睨んできた。だが、忌わしいとも。気持ち悪いとも言われなかった。
「何、それ、ずりぃ!」
「ずるいって……え? え?」
ずるい。確かにそう言った。思わず肩に手をかけていた。手のひらにすっぽり収まって、意外に丸っこくて、あったかい。
ずっと忘れていた……自分から他人の体に触れることなんて。
「これ、普通にあることなのかっ? 他の人間も、できることなのかっ」
「うお!? いや、魔法使える奴なら、ある程度はな……でもそこまで具体的に視覚化できるとか、なんだよそれずりぃ」
不満そうにフロウは唸った。その反応こそが教えてくれる。彼にとってこれは、『普通』のことなんだって。
むしろ無いより、有る方が望ましいのだと。
「むしろ、俺が欲しいわそんなスキル!」
「そっか……そうだったんだ………」
(今まで誰もそんなことは教えちゃくれなかった。これが見えるのは俺と、亡くなった姉上だけだと思ってた)
「俺………一人じゃなかったのか………」
くしゃっと顔が歪む。咽の奥でしょっぱい波が渦巻いている。そのくせ、口もとはくすぐったくてうずうずしてる。ああもう、泣きたいんだか笑いたいんだか、自分でもわかりゃしない!
「そんなこと言ったの、お前が、初めてだ」
「知るか」
ふっくらした唇を尖らせ、ぷいっと横を向いてしまった。だが視線だけはこっちに向けられている。
拗ねた子供みたいな顔してる。
「呪い(カース)じゃなくて能力(スキル)じゃねぇかよ。しかも一級品の。ったく……心配して損したさね」
「呪いじゃなくて……能力? なのか?」
『忌わしい』
『お前の目は呪われている』
『人に見えないモノが見える』
『恐ろしい』
『汚らわしい』
今までずっと、そうだと信じていた。
それ以外の考えなんか欠片ほども浮かばなかった。
「そうだ。よーく聞け、ダイン。そいつは、『はじまりの神』の祝福だ」
「祝福?」
「ああ。俺も実物見たのは初めてだがな。『月虹(げっこう)の瞳』って言うんだ」
「月の虹(Moonbow)……」
「月の光でできる虹のこった。お前さんは、昼も夜も、光も闇も全部生み出した、世界の一番はじまりの神様の加護を受けてる。その印さね」
「ははっ……そうか……そうだったのかっ」
何故、こんな目を持って生まれたのか。
魔物の血が混じっているからだと言われ、そう信じてきた。能力だったなんて。増して、神様の祝福だったなんて!
(たとえ嘘でも気休めでもいい。俺は、その考えを選ぶ)
閉ざされた暗い迷路の中で、一筋の光の光が差し込み、扉が開く……そんな気分は初めてだった。
※
それが、薬草師フロウとの出会いだった。
誰かを信じても、頼っても、愛しても良いのだと彼が教えてくれた。
左目の『呪い』を才能だと言い、胸を張れと、うなだれる広い背中をどやしつけた。
その結果、ダインは変わった。
馬上槍試合の会場で、一人ぽつんとたたずむ少女の下に赴き、彼女の名誉をかけて戦った。
するとその少女は、時間を見つけては自分の隣でニコニコと笑ってくれるようになった。
境界線を越えて、迷い込んできた異界の猫を拾いあげて、故郷に還すために戦った。
するとその猫は自ら世界を渡ってまで舞い戻り、自分の使い魔となった。
己の後ろに在るのは、別の盾でもなければ、か弱き者でもない。別の強さを持った仲間なのだと。背中を預けてもいいのだと。
今まで返って来なかった、善意と勇気に対する好意に戸惑いながらも、少しずつ学んでいる。
そして……フロウの言う所の『無自覚天然タラシ』が野に放たれた。
彼は夢にも思っていないだろう。他ならぬ自分こそが、その封印を解いてしまったのだとは……。
<ひとりぼっちのディーンドルフ/了>
兜の上から切り付けられた額の傷は時折痛むものの、鼓動一つ打つごとに生命の抜ける、嫌な感触はもう無い。
「ありがとな、フロウ。だいぶ、楽になった」
ごそごそとシャツに袖を通そうとしていたら、ぺちっと背中を張られた。薬草の香る手のひらで、ぺっちんと。痛みというより、驚きでびくっと肩が跳ねた。
「ってえな、何しやがる!」
「まだ終わってねえっつの」
「え?」
慌てて自分の体を見回した。上半身何も着けてないから、傷がどうなってるか、一目で分かる。
「傷口洗って、薬塗ったろ? 他に何するんだ」
「さっき塗ったのは、触媒だ。切り傷は薬だけじゃ塞がらねぇだろ?」
男が右手をかざしてきた。手首にはめられた木の腕輪が、ぽうっと光る。表面に彫られた文字に沿って、緑色の光が走った。
まるで日の光に透ける若葉のような色。一瞬、目を奪われた。
『混沌より出でし黒にして緑 美と草花の女神マギアユグドよ、芽吹き花咲き実を結ぶ、汝の命の力もて、癒しの奇跡を我に授け賜え……』
「っ!」
左目の奥が、熱い。しまった、これは魔法だ!
「よせ、駄目だ!」
掌で目を押さえ、顔を背ける。だが一瞬遅かった。
体の内側からむずむずとこそばゆい感触がこみ上げる。新しい肉芽がにょきにょきと盛り上がり、傷が塞がって行く。
あっと思う間もなくしみ込む力の流れに左目が共鳴し、掌を弾いた。
「う」
「何だ?」
目の奥で色のない虹が弾ける。呪われた光。気味が悪い、不吉だとののしられてきた光が、視界を覆い尽くす。世界が塗り替えられて行く。
あり得ざる『流れ』が浮かび、色をまとい、形を結ぶ。
フロウの手から実体の無いつる草が伸びて広がり、いくつにも枝分かれし、傷口を覆っていた。
(しまった!)
慌てて押さえ直したが、この薄暗がりの中、光ったのだ。目立たないはずがない。
見られたか。心臓が早鐘を打つ。冷たい汗がじわじわとにじむ。せっかく助けてくれたのに、ここであれを見られたら……。
(何を恐れる。嫌われるのは慣れてるはずなのに)
「魔法は、駄目だ!」
「おいおいおい」
フロウは困ったように眉をひそめ、肩をすくめている。
「いくら騎士が魔法に頼ることを良しとしないからって、それはねぇだろ! あ、お前さん、あれか。東の生まれかぁ?」
「………一応」
「あーあーあー、やっぱりなあ。あっちの騎士さまは、魔法嫌いで有名だもんなぁ。でもよ、やっぱできる手当てをしないってのは、俺の信条に反するんだよ」
「……」
「第一もう、使っちまったもんはしょうがねえだろ。ってか何で目、押さえてんだ。ゴミでも入ったか? 血でも落ちたか。痛むんなら見せてみろって」
「そんなんじゃない」
駄目だ。もう、隠し切れない。
嫌われてしまうのだろうな……薄気味悪い奴だって。
今まで何度も経験してきた。親しかった人の顔が恐怖に強張り、引きつれ、目をそらす瞬間を。
ついさっきまで開かれていた扉が、堅く閉ざされるのを。
彼らが悪いんじゃない。ただ恐れているだけなんだ。
それがわかっているから余計に、細く長い針が深々と胸を抉る。
「こっちの目は……呪われてるから」
「はぁ? 大抵の呪いなら、教会で解いてもらえるだろ」
「そんなんじゃない。血に潜み、俺の体に染みついてる」
咽が引きつり、声が震える。こいつ自身も魔法を使えるのなら、隠しても仕方ない。
「生まれつき、なんだ。魔力が動くと、今みたいに勝手に現われる」
「勝手にって……」
「……見えるんだ。人に見えないモノが。今も見えた。あんたの体から、つる草みたいな緑の光が伸びて、俺の傷を包んだのが」
隠せないのなら、自分から言ってしまった方がいい。見抜かれるより、ずっといい。
手を外し、息を深く吸って、閉じていた目を開く。
「お」
驚いてる。だが、フロウの顔は歪みも引きつりもしない。蜜色の瞳が静かに見返してくる。
左目が熱い。唱えられた呪文の力に誘われて、眠っていた『呪い』がすっかり目を覚ましていた。
左の瞳で見るフロウは、淡い緑の光に包まれていた。まるでつる草のように手足に絡みつき、ふわふわと葉を広げ、ゆれていた。
「お前さん、魔術や祈術のたしなみは?」
「え?んなもん、ある訳ないだろ! お、俺は、騎士の家に生まれたんだぞ?」
「おーおー、お約束な返事しやがって。ってことは、あれか。道具の助けも、呪文の行使も無しで魔力を目視してんのか!?」
眉根を寄せて、じとぉっと睨んできた。だが、忌わしいとも。気持ち悪いとも言われなかった。
「何、それ、ずりぃ!」
「ずるいって……え? え?」
ずるい。確かにそう言った。思わず肩に手をかけていた。手のひらにすっぽり収まって、意外に丸っこくて、あったかい。
ずっと忘れていた……自分から他人の体に触れることなんて。
「これ、普通にあることなのかっ? 他の人間も、できることなのかっ」
「うお!? いや、魔法使える奴なら、ある程度はな……でもそこまで具体的に視覚化できるとか、なんだよそれずりぃ」
不満そうにフロウは唸った。その反応こそが教えてくれる。彼にとってこれは、『普通』のことなんだって。
むしろ無いより、有る方が望ましいのだと。
「むしろ、俺が欲しいわそんなスキル!」
「そっか……そうだったんだ………」
(今まで誰もそんなことは教えちゃくれなかった。これが見えるのは俺と、亡くなった姉上だけだと思ってた)
「俺………一人じゃなかったのか………」
くしゃっと顔が歪む。咽の奥でしょっぱい波が渦巻いている。そのくせ、口もとはくすぐったくてうずうずしてる。ああもう、泣きたいんだか笑いたいんだか、自分でもわかりゃしない!
「そんなこと言ったの、お前が、初めてだ」
「知るか」
ふっくらした唇を尖らせ、ぷいっと横を向いてしまった。だが視線だけはこっちに向けられている。
拗ねた子供みたいな顔してる。
「呪い(カース)じゃなくて能力(スキル)じゃねぇかよ。しかも一級品の。ったく……心配して損したさね」
「呪いじゃなくて……能力? なのか?」
『忌わしい』
『お前の目は呪われている』
『人に見えないモノが見える』
『恐ろしい』
『汚らわしい』
今までずっと、そうだと信じていた。
それ以外の考えなんか欠片ほども浮かばなかった。
「そうだ。よーく聞け、ダイン。そいつは、『はじまりの神』の祝福だ」
「祝福?」
「ああ。俺も実物見たのは初めてだがな。『月虹(げっこう)の瞳』って言うんだ」
「月の虹(Moonbow)……」
「月の光でできる虹のこった。お前さんは、昼も夜も、光も闇も全部生み出した、世界の一番はじまりの神様の加護を受けてる。その印さね」
「ははっ……そうか……そうだったのかっ」
何故、こんな目を持って生まれたのか。
魔物の血が混じっているからだと言われ、そう信じてきた。能力だったなんて。増して、神様の祝福だったなんて!
(たとえ嘘でも気休めでもいい。俺は、その考えを選ぶ)
閉ざされた暗い迷路の中で、一筋の光の光が差し込み、扉が開く……そんな気分は初めてだった。
※
それが、薬草師フロウとの出会いだった。
誰かを信じても、頼っても、愛しても良いのだと彼が教えてくれた。
左目の『呪い』を才能だと言い、胸を張れと、うなだれる広い背中をどやしつけた。
その結果、ダインは変わった。
馬上槍試合の会場で、一人ぽつんとたたずむ少女の下に赴き、彼女の名誉をかけて戦った。
するとその少女は、時間を見つけては自分の隣でニコニコと笑ってくれるようになった。
境界線を越えて、迷い込んできた異界の猫を拾いあげて、故郷に還すために戦った。
するとその猫は自ら世界を渡ってまで舞い戻り、自分の使い魔となった。
己の後ろに在るのは、別の盾でもなければ、か弱き者でもない。別の強さを持った仲間なのだと。背中を預けてもいいのだと。
今まで返って来なかった、善意と勇気に対する好意に戸惑いながらも、少しずつ学んでいる。
そして……フロウの言う所の『無自覚天然タラシ』が野に放たれた。
彼は夢にも思っていないだろう。他ならぬ自分こそが、その封印を解いてしまったのだとは……。
<ひとりぼっちのディーンドルフ/了>