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とりねこの小枝

【31-1】閉め忘れた蓋

2013/07/07 16:32 騎士と魔法使いの話十海
「ああっ! 何てことーっ!」
 時ならぬ絶叫が響く、ここは本来なら静寂の中にあるべき場所……薬草店の台所だった。
 店主フロウことフロウライト・ジェムルの弟子、伯爵家の四の姫ニコラは今まさに、食料を収めた棚からクッキージャー(クッキーを入れるための広口瓶)を持ち上げ、蓋を開けた所。
 店に出す売り物と違ってこちらは主に身内で食べるために焼いた「家庭的な」……フロウの言葉を借りれば「ざっと焼いた」クッキーを入れるための瓶だ。

 白く厚みのある陶器製、形はぽってりと丸みを帯びた円筒形。大食いの居候が多い事もあって、サイズはかなり大きい。蓋はきっちり閉まるように精密に設計され、中のクッキーを外気から守り、適度な固さを保つように作られている。
 だが、その機能は蓋をきっちり閉めてこそ初めて発揮される。雑に乗っけただけでは意味がない。

「バタースコッチブラウニーが……ガチガチに固まってるーっ!」
 ニコラはクッキージャーを抱えてむうっと頬をふくらませた。
「ダイン!」
「うぇ?」
 いきなりにらみ付けられたのは、図体のでかい金髪まじりの褐色髪のわんこ、もとい青年。本日は非番の日とあって、西道守護騎士の制服は着ていない。生成りの木綿のシャツに厚地の砂色のズボンと言う、簡素な服装だ。
 しかしながらくたくたに着古した木綿のシャツは、バランス良く筋肉のついた体の線にしっくり馴染み、見る者の目から見ればひと目で知れるだろう。
 この若者が常日ごろから活発に体を動かし、重たい物を振り回したり持ち運んだりする事に慣れ親しんでいると。事実、腰のベルトから下げた長剣は幅が広く、丈も長い。両手でも片手でも扱える業物だ……使い手がそれを扱うに足るだけの腕力に恵まれていれば。
 しかしながらその見た目と愛剣が示す通りダインは豪放磊落、有り体に言ってしまえば細かい事は気にしない、とにかく大ざっぱな男だった。

「クッキー食べたでしょ」
「ああ、うん、二、三枚もらった」
「やっぱり!」
 何で怒られてるのか、わからないのだろう。ぱちくりと瞬きをして、首を傾げている。
「美味かった」
「ほんと?」
 途端にニコラはほんのりと頬を染めて目を輝かせる。
 何となれば瓶の中味は彼女自身も手伝って焼いたものだからだ。たとえ唐変木のわんこが相手でもそこは乙女だ。自分の焼いたクッキーの出来栄えを褒められれば、やはり嬉しい。

「ってそうじゃなくて!」
 素早くほんわかぽわぽわした恥じらい状態から脱すると、ニコラはきっと青い瞳でダインをにらみ付ける。
「食べ終わった後、蓋、きちっと閉めなかったでしょ」
「何で、俺」
「師匠と私は絶対、きちんと閉めるから」
「………」
 そっとダインは目をそらす。もっともだと思ったらしい。
「もちろんレイヴンもね」

 ぴくりと青年の肩が震える。眉を逆立て、目を半開きにしてにらみ付けて来た。きしる歯の間から、大型犬の唸りにも似た低い声が轟く。
「奴と比べるな」
「っ!」
 緑の瞳の奥に色の無い炎が宿る。いや、むしろ若葉色の瞳そのものが炎に変じている。
 あまりの眼光の鋭さにニコラは息を呑み、クッキージャーを抱えて一歩後ずさる。彼は決して自分に危害を加えない、そんな事想像すらしないって事はわかっている。それでもなお、本能的に恐怖を覚えるのには充分な目つきであり、声だった。
 いまだかつて、彼がこんな剣呑極まりない目で自分を。いや、そもそも他人をにらんだ事があっただろうか?
 記憶にある限りでは、無い。

「あ……」
 脅える少女に、ダインは我に返った。
(俺……今、何を?)
 答えはわかってる。
 レイヴン。自分がここに転がり込むよりずっと昔から、フロウと暮らしていた男。長い事東方を旅していたが、最近戻ってきた。
 フロウの店に、『帰って来た』のだ。
 そいつの名前を聞いた途端、奴への敵意が吹き出した。怒りとか、殺気なんて単純明快な感情では言い表せない何かが。慌てて頭を揺すり、振り落とす。
「あーその……ごめん、ニコラ」
 その謝罪は自分の不注意への物か、あるいは先刻の敵意に満ちた目線を詫びたのか。あえて曖昧にぼかしたまま、何事なかったような風を取り繕って話を続ける。
「クッキー、つまみ食いされちまったのか?」
 ニコラはふうっとため息をついた。
「ちょっとだけね」
 若干の気まずさは残るものの、再び日常が流れ出す。
 ニコラは改めてクッキージャーの中味を皿にあけた。若干、枚数が減ってはいたが微々たるものだ。問題は……
「がちがちになっちゃってる」
「え」

 然り。バタースコッチブラウニーは、本来なら適度な歯ごたえが魅力の四角いクッキーだ。しかし外気が瓶の中に入ったために乾燥し、レンガもかくやと言う硬さに変貌していたのだった。
 試しに一枚つまんで歯で噛んだ瞬間、さしものダインも顔をしかめた。ただ硬いだけじゃない。たっぷり含まれる糖蜜(バタースコッチ)の粘りが加わって、やたらと強度が増している。

「うーん、確かにこいつをかみ砕くのは、至難の業だ」
 ……と言いつつぼーりぼーりとかみ砕いているのは単に本人の顎が丈夫だからできる事であって。
「責任とって全部食べてよね」
「え、俺が?」
「こんなんじゃ、食べられるのあなただけでしょう!」
「えー、こんな甘いの大量に食えねぇよお」

 さしものダインも四の姫の気迫に圧され、眉間に皴を寄せて目尻を下げ、困り顔で肩を落とす。
 しかし、騎士たるもの己の成した事の責任はとらねばならない。意を決して皿に盛られた四角い甘い鋳塊(インゴット)に手を伸ばしかけた、その時だ。
 店に通じるドアが開き、ひょいと小柄な中年男が顔をのぞかせる。
「おいおい、どーしたい、大声出して。店にまで聞こえてたぜ?」
「あ、師匠。見てこれ。ダインがクッキージャーの蓋、閉め忘れたからこんなになっちゃった!」
 フロウはニコラの差し出すバタースコッチブラウニー(の成れの果て)を指先で弾いた。
「あれま。見事にカチンコチンになっちまったねぇ」
「これじゃ、普通の人は食べられないよ!」
「俺は? ねえ、俺は?」
「ダインは例外」
「おいっ」

 金髪の少女と大柄な青年。漫才もかくやと言うやり取りに、フロウはくつくつとのどを鳴らして笑った。
「それでダインに全部食わせようってか?」
「他に方法がある?」
「んー、まあ、無いでも無いな」
 無精髭に覆われた顎に手を立ててしばし考える。
「ちょっと待ってな。休憩中の札、出して来るから」

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