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とりねこの小枝

【29-2】騎士の焼きもち

2013/05/03 19:26 騎士と魔法使いの話十海
 店の扉には休憩中の札が出てる。カウンターの後ろも、作業台の前にも居ない。庭にも、台所にも、居間にも、二階にもいない。
「フロウ? どこだ?」
 家中探し回ったけれど、影も形も無い。空っぽの家の中をうろうろしてたら、何だか自分が小さな子供に逆戻りしたような気がして来た。
 はっきりとは覚えていない。
 けれど確かにあった。
 拭えども消えず、沈めども浮かぶ、忘れ得ぬ喪失の痛み。ぽっかり開いた虚ろな穴は、何を入れても埋められない。埋まらない。
(囚われるな。振り向くな。俺はもう、子供じゃない)

 振り払い、地下室に降りる。自分の足音がやけに響く。背丈まで縮んで来るような錯覚がじわじわと、足先から這い上がる。
「フロウ……?」
 静まり返った浴室には、誰もいなかった。鼻の奥がツーンとした。まさか、俺、泣きそうなのか? 
「冗談じゃない!  もう二十歳過ぎてるんだ、れっきとした大人だぞ!」
 声を出しても、誰も答えてくれない。
 その時、気付いた。
「あ……」
 やけに静かだと思ったら、そうか。ちびもいないんだ。いつだって、俺の感情が揺れた時にはそばにいる。答えてくれる。あのぴゃあぴゃあした声が今、聞こえない。

 妙な話だ。
 十四で王都に出てから、フロウに出会うまでの七年間。一人で居る時の方が安堵していた。誰かに何か言われるとしたら、それは一部の例外を除いてほとんどの場合、俺を苛(さいな)む言葉だったからだ。
 聞くのが怖かった。
 聞く事で自分の中にわき起こる、冷たい真っ黒な炎が怖かった。そいつに身をまかせた瞬間、きっと俺は言葉の元を『断って』しまう。それが何を意味するか、理解していたからこそ。
 静けさを求めて、馬のそばに逃げ込んだ。人との接触を避けた。そのはずなのに。

(本気で寂しい時は、『さみしい』って、言えない)
(満たされる事を知っているから、余計に失うのが辛い。苦しい。恐ろしい)
「ったく。どうかしてるぞ」
 首を揺すって不吉な考えを振り落とした。髪の毛の間に指を突っ込み、力を込めてかき回す。
 頭の血の巡りが良くなったら、ちょっとはいい考えも浮かぶだろう。
「あ」
 効果はてきめんだった。
 まだ見てない場所があるじゃないか。

     ※

 改めて庭に出る。向かう先は馬小屋だ。静かに静かに戸を開けて、中をのぞき込む。
 やわらかな陽射しの降り注ぐ中、黒は馬房の中でごろりと横になっていた。腹を下にして、足をゆるく折り畳み、完全にリラックスしてる。そして、黒いつやつやした腹にもたれかかって眠ってるのは……
 フロウだ。
 黒の胴体を枕代わりに横向きになり、背中を丸めて気持ちよさそうに眠ってる。
 さらに黒の背中の上には、ちびがいた。足をきちっと折り畳み、うつ伏せになって乗っかっている。
 よく見るとたてがみの間には、ちっちゃいさんが潜り込んでいた。
(何だ、何だ、何だよお前ら、俺だけおいてきぼりにして気持ち良さげにまあ、すやすやとーっ!)
 大人げないってわかっちゃいるんだが、それでも抑えが利かない。
 むかぁっとした。髪の毛が逆立つような気分だ。
 ずかずかと一直線に近づく。ただし足音は忍ばせて、極力静かに。静かーにー……。

 それでも動物は気付く。ちびがしっぽを振り、黒が薄目をあけてこっちをにらんだ。想定内だ。その程度で退いてたまるかよ。
(蹴るなよ。噛むなよ。動くなよ)
 あらん限りの意志の力を、目線に乗せてにらみ返す。すると黒は自分から目をそらした。
(勝った!)
 勝利に打ち震えるその瞬間。黒の奴、そっぽを向いて『ふーーーーーーーーーーっ』と長々と、鼻息を吐きやがった。耳まで伏せてる。
(あきれ返っただけか、この野郎っっ!)
 口の端が不規則に震えるが、この際構うもんか。フロウの隣に体を押し込み、黒の腹にもたれかかって横たわる。
 背中から抱きすくめるか、向き合うか。ちょっと迷って結局、顔の見える位置を選ぶ。

 フロウはぴくりとも動かず、穏やかな寝息を立てている。俺が来たことなんか、まるで気付いてない。
(気持ち良さげに寝てるな、おい)
(睫毛、なげぇ……唇ふっくらしてんなあ。頬もつやつやしてるし……)
 だが、やはり目元や口元には細かい皴が寄ってる。こう言う所は年相応だ。真昼の光に照されて、咽のわずかな皮膚のゆるみが浮かび上がる。
 そこが、そそる。
 静かにフロウの背に腕を回し、引き寄せて、閉じた瞼にキスをした。年相応に皴の寄った目元にも。右と左に一回ずつ、全部で四回。
 咽は我慢だ。きっと口を付けた瞬間、抑えが利かなくなる。馬屋の二階ならともかく、さすがに腹の上でおっぱじめたら黒だって黙っちゃいないだろ。
(って何、俺は自分の馬に気ぃつかってんだ、ああ、馬鹿らしい!)

「ん……んんん」
 鼻にかかったうめき声に、心臓が縮み上がる。
 今、キスしたばかりの瞼が震えてる。
 ふさふさと長い睫毛が震えてる。
 やばい、起こしちまったか。
 うっすらとフロウが目を開けた。寝起きで潤んだ蜂蜜色の瞳がゆっくりと宙をさまよい、焦点を結ぶ。
「……何やってんだ、ダイン」
「………」
 奴の目を見て、触れて声を聞いちまったら、我慢できなくなっていた。フロウを探しながらずっと胸の中に溜め込んでた言葉が腹から胸へせり上がる。咽を通り抜け、舌先からこぼれ落ちる。
 額と額をくっつけて囁いた。俺にはフロウしか。フロウには俺しか見えない距離と位置を保って。互いの顔と顔の間を息が行き交い、体熱がこもる。
「さみしい」
「は?」
「………さみしい」
 言葉にできるのは、返事がかえってくるってわかっているからだ。答えてくれる人がいるからだ。だから、言える。
 さみしいって言える幸せが、確かにある。
「ったく」
 フロウは口元をほころばせ、目を細めた。ああ、笑ってる。呆れてるんだろうか。それとも……?
「しょうのない騎士さまだねぇ」
 抱きすくめた体は、やわらかくって、あったかくって、とてもいいにおいがした。
 時が許すなら、他に百通りでも言葉が湧き出すだろう。フロウの体を言い表すためになら、いくらでも。絹のようになめらかで、羽毛のように柔らかく、雌鹿の肉みたいにしなやかで。
 抱きしめると確かな質感と温もりで応えてくれる。
 腕の中に包んでいるはずなのに、包まれてる気分になる。
 薬草と香草と、日なたで温まった干し草のにおいが肌の脂に練り込まれ、熟成されてフロウの『におい』になる。
 しなやかな手が伸びてくる。器用な指が髪の毛に分け入り、撫で回す。
 ああ。
 気持ちいい。
 お返しとばかりに揉んでやった。
「ぬあっ、どこ触ってやがる」
「尻」
 むっちり肉の張りつめた太ももから尻にかけて手のひらで撫でて、つかんで、揉む。
「はちみつみたいな手触りの生き物だな、お前って」
「はちみつって……褒めてんのか、それ」
「ったりめーだ」
 肩の力を抜いて、心の窓を開く。手のひらから染みてくるあったかさと、やわらかさと弾力が、自然と言葉に結びつく。
「柔らかくって、あまくって、触っただけでとろけそうになる」
 干し草が動く。フロウの手が降りてきて、頬を撫でた。
「寝ろ。俺はまだ眠い」
「やれやれ。しょうのないオヤジだな」
「言ってろ、ばぁか……」
 お決まりの憎まれ口が途中からあくびに変わる。ほほ笑みかける顔のまま、フロウは再び午睡の中へ。
 頭の上で、ちびがもぞもぞと身じろぎする気配がする。感心なことに、間に割り込むなんて真似はしない。
 手を伸ばしてとりねこの毛皮を撫でる。ふかふかの毛皮に混じって丸っこい身体が指先に触れる。ちっちゃいさんが一人、潜り込んでいたらしい。
「きゃわぁ」
「ぴゃああ」
「ん、おやすみ」
 改めてフロウを抱き寄せる。
「もう、さみしくない」
 あったかいのと、気持ちいいのに包まれて、干し草の中、蜂蜜みたいなまどろみに身を委ねた。

(さみしいと言える幸せ/了)
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