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とりねこの小枝

【20-1】赤い夕陽

2012/10/11 18:24 騎士と魔法使いの話十海
 
 アインヘイルダールの下町に、古い薬草屋がある。
 通りから石段を三段上った入り口の軒先には、杖の突き出した大鍋をかたどった木彫りの看板がかかっている。そこには流れるような書体でこう記されていた。
『薬草・香草・薬のご用承ります』
 ぱっと見、肝心要の店名がどこにも出ていないようだがそれは文字ではなく、むしろその形にあった。
 ほとんどの客から『下町の薬草屋』とか、『ジェムルの薬草店』とか呼び習わされているその店の屋号は、『魔女の大鍋』と言う。
 
 現在の主、フロウライト・ジェムルはカウンターに肘を乗せて頬杖をつき、ぼんやりと天窓を見上げていた。
 赤々と夕陽が照り映えて、まるで窓の外が燃えているように見える。
(真っ赤だなあ……こりゃあ明日も晴れるな)
 果たしてそれだけで済むんだろうか? 不吉な予感がひやりと腑を撫でる。
 美しいと言うにはあまりにその『赤』は深すぎて、どこか凄みすら感じてしまう。理性の殻のすぐ下で、生き物としての本能が恐怖を感じるのだろう。
 燃えている、すぐに逃げろ、と。
(お?)
 夕陽の赤を背景に、ぽつっと黒い影が映る。
 かたん、と器用に窓を押し開けて、小さなしなやかな生き物が入って来た。天井に渡された太い梁の上を音もなく歩き、ぱさっと翼を広げ、身軽にカウンターの上に舞い降りる。

「ふーろう!」

 猫だ。黒と褐色斑の翼の生えた猫。金色の瞳が見上げて来る。フロウはほっと息を吐いて頬をゆるめ、目尻を下げてほほ笑んだ。

「お帰り、ちび助」
「んぴゃあるるる、にゃぐるるる」

 咽を鳴らす猫の頭を撫でてやると、ぐいぐいと顔と体を押し付けてくる。
 まるで綿飴のようなふかふかの毛皮がくすぐったい。

「ぴぃうるる、うるぴぃるう」
「そーかそーか、ご苦労さん」

 言ってることはわからないが、察するに散歩しながら見聞きしてきた事を報告しているらしい。

「ダインは一緒じゃなかったのかい?」

 途端にちびは耳を伏せ、体を低くした。上目遣いに目を半開き、赤い口からは白い牙がのぞく。
 とてもとても猫相が悪い。

「とーちゃん、くさーい」
「……は?」

(一体何やらかした、ダインくん?)
 首をかしげていると、程なく。外の通りをずしん、ずしんっと重たい蹄の音が近づいてくる。

「お、来たか」

 客ではない。その証拠に蹄の音は裏へと回り込み、ぎ、ぎぃい、と、木戸を開ける音がした。
 わんこ騎士は明日から非番。だから昼間のうちに裏の馬屋に風を通し、寝藁を新しくして香草入りの飼い葉を用意してあった。
 薬に使う部分を取り除いた後の香草を混ぜた飼い葉は、黒毛の軍馬の好物なのだ。
 体を低くしてなおも『くさい、くさーい』とぼやくちびをなだめつつ、フロウはそれとなく頭の中で馬と乗り手の行動をなぞった。
 裏の馬屋に入り、馬具を外して馬房へと導き、体を拭いて、丁寧にブラシをかけて、蹄の手入れ。飼い葉と水を与えて、軽く首を叩いて撫でて、馬屋を出て……。
 のっし、のっしと重たいブーツの音が近づいてくる。裏口の扉が軋みながら開く。

「ただ今、フロウ」

 途端にちびがぶわっと尻尾をふくらませる。フロウもまた、眉をしかめて入ってきた男をねめつけた。

「……焦げ臭いぞ、ダイン」

 金髪混じりの褐色の髪、背は高く手足はがっちり、肩幅広く胸板も厚い。詰襟の軍服をまとった堂々たる体躯の男が情けなくもきゅうっと眉を山形に寄せ、きまり悪げにぽりぽりと、人さし指で己の首を掻いた。

「はは、やーっぱ臭うか」

 じっとぉっとフロウとちびに睨め付けられて肩をすくめ、ダインは改めて自分の肩や腕をくんくん嗅いだ。

「一応着替えて来たんだけどな」
「着替えた程度じゃ、染みついた煙やススのにおいは抜けないんだよ。髪の毛に篭ってるんだ」

 ちびが助走も無しにカウンターに飛び乗り、かぱっと赤い口を開けた。

「とーちゃん、くさーい」
「……すまん」

 一人と一匹(一羽?)の苦情を受け、ダインはますます背中を丸めて縮こまり、うな垂れた。

「とりあえず風呂沸かしてやるから、それまで近づくな」
「っ」

 その言葉を聞くなり、ダインはびょっくんっと跳ね起きた。
 目が限界まで見開かれる。白目の露出が増え、瞳孔がきゅーっと収縮し、眼球そのものが白っぽくなったように見えた。

「井戸で水浴びて来る!」

 言うなりくるっと回れ右。一目散に裏口へとすっ飛んで行く。あっと思った時は音を立てて扉が閉まり、ばたばたと騒がしい足音が遠ざかっていた。庭の井戸へとまっしぐら、ってとこか。

「おー、おー、慌てちゃってまぁ……」

 がしゃがしゃと井戸の滑車をを回す音が響いて来る。季節は双子月(6月)、暑い日が続いてるとは言え、まだまだ井戸の水は冷たかろうに。

「湯が沸くのも待ちきれないってか?」

 ざばー、ざばー、と派手な水音を聞きながらフロウは苦笑して、お湯を沸かしにとりかかった。
 風呂ではなく、お茶用に。 

     ※

 10分後、さすがに寒そうに身を縮めて入って来たダインは案の定、シャツも羽織らず上半身裸で戻って来た。
 しっとりと濡れ、いつもに増してくるっと巻いた髪が首筋にまとわり付いている。

「何つー格好してんだよ」
「拭くもんなかったから、シャツで拭いた」
「ばーか」
「うぶっ」

 ぼふっと顔面めがけてタオルを投げつける。白い柔らかな布を被ったまま、ダインは眉を潜めて目を細め、むぅっと口を尖らせた。

「馬鹿って言うな」
「阿呆」
「う」
「後先考えずに突っ走りやがって」
「うう」
「そら、これ飲め」

 首をすくめてひるんだ所にすかさず、ごっつい手に湯気の立つマグカップを押し込む。

「何だ、これ」

 くんっとにおいを嗅ぐとダインはほうっと小さくため息をもらし、目を細めた。

「いいにおいがする」
「普通の紅茶だよ。ショウガと蜂蜜入れといた」
「さんきゅ!」

 一口、二口とすすり、また小さく息を吐いてる。

「あ」

 あったまったら頭が回って来たのか。そろーっとこっちを見上げてきた。

「まだ臭うか?」

 おどおどしながら問いかける濡れわんこの髪に顔を寄せ、おもむろに深呼吸。しばし腕組みして考え込む、
 わんこは緊張した面持ちで息を呑み、じっと自分の言葉を待っている。その姿が何ともいじらしく、愛らしい。
 ここでダメ出ししたらどうなるだろう。またすっ飛んで水を浴びに行くだろうか? 意地の悪い考えが脳裏をよぎるが。

「……うん、合格」

 途端に眉間の皴は薄れ、食いしばっていた顎から力が抜ける。口角がにゅっと上がり、ぱあっと顔全体が輝くような笑みに包まれた。
(ほんと、わかりやすいよお前さんって奴は)

「とーちゃーん」
「ちび……」

 ちびもようやく落ち着いてダインにすり寄り、差し出された指先をてちてちとなめている。

「で、どうしたい。火事にでも出くわしたか?」
「うん。何でわかった?」
「何でわからないと思ったんだ」

 見つめあう事しばし。ぱち、ぱちとまばたきをすると、ダインはおもむろに音を立てて甘いお茶をすすった。
 フロウはひたすら待つ。
 こちらからはっきりと問いかけるまで、話そうとはしなかった。何かしら、引っかかるものがあるって事だ。こう言う時は無理に急かすと余計に黙り込む。こいつが自分から話すのを待つに限るのだ。

「おかわり要るか?」
「うん、もらう」

 一杯目を飲み終わり、二杯目の半ばまで口をつけた所でやっとダインが口を開いた。

「……馬で、城外を見回ってたんだ」
「うん」
「シャルダンと一緒に」
「あいつ、まだ自分用の馬持ってないよな?」
「うん。だから騎士団の共有馬を使ってる……」
 
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