▼ 【19-2】基礎編2
2012/09/28 23:05 【騎士と魔法使いの話】
「あのなニコラ。念のため言っとくが、食い物に関しては迂闊にダインを基準にするんじゃないぞ?」
「………」
カリカリと白墨を走らせる音がぴたりと止まる。
「あいつ、いっぺん口にしたら毒でも無い限り意地でも食うからな」
「あー」
「食えないスープはスープじゃない。違うか?」
ニコラはそろっと帳面を読み直し、それから改めて手元の黒板に目を落とした。
「あ」
おずおずと黒板消しに手を伸ばし、ざーっと、書き留めたレシピの一部をまとめて消す。
(ははぁ。察するに食えないスープは減点、とでも書いてあったんだろうなあ)
師匠はクツクツと咽を鳴らして笑いつつ、蜜色の瞳で見守った。
「まず『普通のスープ』を作ってから、マテリアル(魔法の材料)を入れて、味を調整してから儀式した方が楽なんじゃねぇか?」
「ああっ、その発想はなかったーっ!」
きょとーんと青い瞳を見開いて、両手を握って叫んでいる。本気で思いつかなかったらしい。
「いや、先に思いつけよ」
「えーっと、んーっと……やっぱり美味しいスープがいいよね、うんっ」
「んぴゃあ!」
ちびが目をきらっきらと輝かせ、かぱっと赤い口を開ける。髭を震わせ、鼻面をぷっくり膨らませて。
「おいしい、おいしい、おいしいすーぷ! すーぷ、すーぷ!」
「トウガラシ入れれば大抵のものは食べられるよね。後はトマトと、お豆も入れて」
「まあ、適量さえ守ればな」
微妙に気乗りしない口調になるのは、根本的に辛い物、熱い物が苦手だからだ。またこの弟子と来たら、調子が乗ってくるところっと限度と言うものを頭からすっ飛ばすし……。
「程々に?」
「そう、程々に」
まあ、万が一、入れ過ぎてもダインが食う分には問題あるまい。術の触媒にしろ、トウガラシにしろ、きちんと調理されてる分には……。
(しまった、それがあったか)
これまで、菓子作りは何度か指導してきたた。学校でも習っている。だが料理となると、どうだろう?
そこはかとない不安を抱きつつ、さり気なく問いかけてみる。
「あー、その、ニコラ」
「なぁに?」
「その、特に俺が指導しなくても、普通にスープ作るのはできる……よな?」
「もちろん。お料理の基本だもの!」
果たして。ニコラは薄い胸を張ってとんっと拳で叩いた。ド・モレッティ家のレディたちは、家事を使用人にまかせてふんぞり返るような、お高くとまった教育は受けていないらしい。
(中々にたくましいこった)
「そうかそうか、うん、安心した」
「ジャガイモとかキャベツがごろんごろん入ってるのも食べでがあって好き。でも魔法スープだから飲みやすさ優先した方がいいよね……こうスプーン使わずにごくっと行けるような。ベースはチキンかな、お魚かな」
「んっぴゃあ!」
次々とニコラの口から飛び出す食材に我慢できなくなったのだろう。
ちびはつぴーんっと尻尾を立ててうろうろと、カウンターの上を歩き回る。時折尻尾がにゅるん、ひゅるんっとフロウの顎の下をくすぐる。
「ちょ、ちびっこら……っはは、待てこの……っ!」
歩き回るちびを捕まえようと手を伸ばす。
万が一、作業台に飛び乗られたら大変だ。とりねこの毛なんて混ざって変な調合になりかねない。
もぞもぞ動く羽毛の塊を、膝の上に抱え込もうとしたが。猫って奴はとにかく、自分の気が向いた時しか、大人しくしない生き物なのだった。
「ぴゃあん」
追いかけっこのつもりかひゅるっと体を一ひねり。ぱさっと羽根を広げるが、一瞬早くフロウに抱え込まれてしまう。
「んぴぃ」
暴れはしないが、耳を伏せて目を半開き。とても、とても目つきが悪い。
「ったく、作業台やカウンターの上をうろちょろすんなって何時も言ってるだろ?」
抱え込んだちびの額を指先でぐりぐりしながら、叱るような諭すような声で話しかける。
「んぴぃうう、んぴいぅるる」
耳を伏せて不満げにうなってる。今ごろどこかで飼い主も、でこを押さえてる事だろう。
「ダシはベーコンでとって、豆と、トマトにオレガノとトウガラシで風味付けして……これで色は赤くなるから……後は何入れてもごまかし効くよね」
その間にさりげなく、またぼそっと物騒なことを呟きつつ、ニコラはカリカリとレシピを書き留めて行く。
(何だってスープ造りでこんなに冷汗かかなきゃいけないんだか)
「牡蛎の殻の粉末に、くず真珠と……」
くず真珠と言うのは、装飾品に使えないちっぽけな真珠だ。薬や術の材料として、一袋いくらで売られる比較的安価な素材。当然、ここの店でも取り扱っている。
初めての調合となると舞い上がって、とかく高価な素材を使いたがるもんだがきっちり自制しているじゃないか。感心、感心……。
なんて思っていたら。
「……のウロコ」
「ちょっと待て。今何のウロコつった?」
「え、いや、ワニです、ワニ! 在庫、あるよね?」
「ああ、あるよ」
(今、こそっとドラゴンって言ってなかったか?)
前言撤回。このお嬢さんと来たら、うかうかしてると、とんでもない素材をさくっと使いそうで油断できない。また、その気になれば調達できるから始末が悪い。在庫的にも。金銭的にも。
「師匠、レシピ案書けました!」
「ほう、どれどれ?」
びしっと掲げる黒板を受け取り、目を通す。
『【シールドスープ】材料:ベーコン インゲン豆 トマト トウガラシ オレガノ 塩 コショウ 牡蛎の殻 くず真珠 ワニの鱗』
ワニ、の所にうっすらとドラゴンと書いて消した痕跡がある。
(気のせいじゃなかったんだ……)
途中で思いとどまってくれただけ良かったと思おう。
「どう?」
「ん~、殻や鱗はちゃんと粉にすること……だな。後は、クルミを入れても良いかもな。殻は粉にして、中身は刻んで」
「あ、素敵、美味しそう!」
「ぴゃーっ」
師匠として、これくらいの助言は許されるだろう。
素材としての強化もできるし、何より食べられる物だ。
「後は悪くねぇな。そんじゃ、作って味見して、味の調整してから、最終的なレシピを羊皮紙に書けば出来上がりだ」
「殻、と鱗は粉末、クルミを追加、っと」
追加分を黒板に書き込み、ニコラはぴょんっと床に降り立った。
「じゃ、材料集めてくるね!」
つやつやと頬を輝かせ、ワニの鱗、ワニの鱗と小さく唱えながらすっ飛んで行く。爬虫類のウロコやら干物の置いてある一画は、普通の女性客はまず近づきたがらない。だがこの少女は別だ。
「んー、いい鱗~。ほれぼれしちゃう。さすが師匠、お目が高い!」
(鱗でうっとりするって、十四歳の女の子としてどうなんだ?)
しっとり冷汗をかきつつ笑顔で答える。
「ははっ、ありがとさん。くず真珠は宝石の棚の右端な」
「了解。あったあった!」
「ぴゃあ」
一声鳴くと、ちびはフロウの腕から抜け出し、梁の上へとひとっ飛び。目を丸くしてじっとニコラの動きをのぞき込む。食べられない物ばかりなので、鼻を突っ込むのは諦めたらしい。だが興味はある、と。
その証拠に、長いしっぽがぴこぴこ揺れている。
「牡蛎の殻にクルミ、クルミ~~」
梁の上でうずくまるちびの周りには、何処からともなく、二頭身のちっちゃな小人が集まっていた。家つき妖精「ちっちゃいさん」だ。
(お、おいでなすったな?)
ニコラの動きにいたく好奇心をそそられたらしく、何やらきゃわきゃわ囁きかわしている。
「豆と乾燥トマトと……あ、師匠、ベーコンお借りします!」
水色のスカートを翻し、ニコラはひらひらと蝶々のように奥の厨房へと駆け込んで行く。
すぐにベーコンの薄切りを手に戻って来た。ここでニンニク、と来ない辺りはやはり若い女の子だ。食べた後、強烈なにおいが残る材料は避けたいのだろう。
しかしこれはあくまで『魔法のスープ』。単純なお料理では終わらない。
「あー、ニコラ。念のため確認しとくが、魔化の儀式の準備も忘れるなよ?」
魔化の儀式とは、物品に魔力を封入するための術式だ。今回の課題はその基礎中の基礎。強力な魔法の品や薬を作るための、最初の一歩なのだ。
「もちろん!」
誇らしげにニコラが腰の巾着袋から取り出したのは、40cm四方の四角い布。色は濃い藍色で、表面には魔化用の儀式円が白く染め抜かれている。職業魔法使いの使う物に比べれば規模はささやかだが、スープ一杯分には充分だ。
「なら、良し」
「では。行きます!」
「ん、頑張んな」
ゆるい笑みを浮かべると、フロウはカウンターの後ろから読みかけの本を引っ張り出し、ぺらぺらとページをめくり始める。
後は任せておいて大丈夫だろう。
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