メッセージ欄
2011年12月の日記
▼ 【side16】あこがれのパンケーキ
2011/12/21 0:17 【番外】
- 2007年6月、ディーンくんの誕生日。4歳になりました!
- プレゼントに何を贈るか、ヒウェルが市場調査。「今いちばん欲しいものって何?」と聞きに行ったら……。
記事リスト
- 【side16-1】市場調査 (2011-12-21)
- 【side16-2】大事なのは演出 (2011-12-21)
- 【side16-3】森の中、大きな卵 (2011-12-21)
- 【side16-4】おりょうりだいすき (2011-12-21)
- 【side16-5】みんなでたべました (2011-12-21)
- 【side16-6】ぼくらのなまえは (2011-12-21)
▼ 【side16-1】市場調査
2011/12/21 0:22 【番外】
6月も半ばを過ぎたある週末。
ローゼンベルク家のキッチンでは、家族とその友人が神妙な顔で待機していた。
家長であり、父親役でもある『ぱぱ』レオンと、その伴侶で『まま』ディフ、そして双子の兄弟オティアとシエン。
一家のプリンセス、白い猫オーレのチャームポイントは、お腹にある少し歪んだカフェオーレ色の丸いぶち模様。
獣医師の卵、テリーは研究と学業の傍ら、双子のシッター(子守り)を引き受ける快活な青年だ。専門はイヌ科。その知識と経験を活かして、ディフの営む探偵事務所の仕事を手伝う事もある。
5人はレオンの入れた紅茶を飲みつつ、くつろいでいるように見えたが……どこかそわそわした空気が漂っている。
オーレも敏感にその流れを感じ取っていた。
白い毛皮に縁取られたピンクの耳をぴんと立て、青い目をきらきら輝かせて油断なく周囲を見回していた。
「あ」
双子が同時に顔を上げ、玄関の方を見た。ややあって、呼び鈴が鳴る。即座にディフがドアを開けに行く。
「よっ、ただいま」
「ご苦労さん」
ままの後から食堂に入ってきたのは、黒髪に眼鏡、アンバーアイの二人組だった。
まずはひょろっと手足の長い痩せ型の男。髪の毛は刈ってから一週間経過した芝生みたいに中途半端な短さで、先端があっちこっちを向いている。
着ている白いシャツは清潔でアイロンもかかっているはずなのだが、どこかくてっとだらしない。
上のボタンを開けてるせいか。絞めてるネクタイからしてゆるんでいるからなのか。
「お帰り、ヒウェル」
後に続くもう一人は、ずっと背が低い。骨格からして華奢で、足の運びから指先の動かし方に至るまで、立ち居振る舞いはことごとくしとやかで、たおやか。
まとう空気もほんわりと柔らかく、丸い大きめのフレームの眼鏡がこれまたよく似合っていた。
「お疲れさま、サリー」
二人はそれぞれ食卓の空いた席に腰を降ろした。
一同の視線が集中する。何となればヒウェルとサリーはつい今し方、大事なミッションを遂行してきた所なのだ。
「で、どうだった、ディーンの欲しいもの、聞けたか?」
「おう、ばっちりだぜ!」
ヒウェルがにやりと笑い、サムズアップを決めた。
階下に住むオーウェン家の一人息子、ディーンの4才の誕生日が間もなくやってくる。
ヒウェルは『それとなく』プレゼントのリクエストを聞きだす役目を買って出たのである。
『何てったって俺はディーンの友達(ダチ)だからな!』
ちなみにサリーはベビーシッターとしてディーンと一緒に居た。両親の帰宅と入れ違いに、オーウェン家を辞してきた所。
『ヒウェルだけじゃ心もとないから』と、満場一致の意見を受けて付き添っていたのは公然の秘密である。
実際、ヒウェルは以前にも双子の誕生日の際に見事に、プレゼントのリクエストを聞きだすのに失敗した『実績』がある。
にもかかわらず、今回も「まかせろ!」と自らリサーチを買って出たのは、いかなる自信によるものか。
「ディーンが今、一番欲しいものはな……」
へたれ眼鏡は自信満々に胸を張り、満面の笑みを浮かべてキッチンに集う一同の顔を見渡し、高らかに宣言した。
「パンケーキだ!」
一瞬、空気が凍りつく。
ちりん、と鈴の音が響いた。オーレが体を揺すったのだ。
それを合図に金縛りが解けた。レオンもディフも双子もテリーも、申し合わせたみたいにまばたきをして、首を傾げた。
「へ?」
「は?」
「む」
「それは、どう言う意味なのかな?」
「だから。パンケーキが食べたいって!」
途端に『あーあ』と大小さまざまのため息が露骨に流れる。
同時に無意味に自信満々なへたれ眼鏡に向かって、クール&ドライな視線の集中砲火が浴びせられる。曰く、『こいつ使えねえっ』。
「今日のおやつを聞いてどうする!」
「いや、だからさあ!」
ヒウェルは必死だ。手のひらを外側に向けて体の前に掲げ、ぱたぱたと仰ぐ。
「本当に言ったんだって。『あの』パンケーキが食べたいって!」
「あの?」
「どの?」
「これのことだと思う」
サリーがかばんから紙袋を出して、開けた。中から出てきたのは絵本が一冊。
illustrated by Kasuri
表紙には、それぞれ赤と青の半ズボンと帽子を身に着けた生き物が、森の中で仲良く一つのバスケットを運ぶ様子が描かれていた。
「ぐりとどら?」
「うん」
「うわ、なっつかしー」
サリーの開いたページには、巨大なフライパンの中に、ふっくら盛り上がる黄色い半球状のケーキが描かれている。
途端に冷ややかな空気は消え失せ、ゆるやかな理解と共感が結ばれた。
「あー、これかあ!」
「そう、これだよ!」
テリーが腕組みして大きくうなずいた。
「これは、あこがれだよなー。うちのちびどもも食いつくように読んでる」
「ディーンも大好きなんだ。今、ブームが来てるみたい」
「わかる、わかる。そーゆー年ごろだもんな!」
「読んでってせがまれたか?」
「ううん。読んでくれた」
一同そろって納得する中、双子はきょとんとしていた。
(何だって、みんなして通じ合ってるんだろう?)
(何やら共通認識があるらしい。だが、さっぱりわからない)
「うん、確かにこれはいっぺん作りたかった。これなら、充分誕生日のプレゼントになり得る」
ディフはがぜんやる気になってきたようだ。
「よくやった、ヒウェル」
「だっから言ったじゃないか、まかせとけって!」
けっけっけ、と笑うヒウェルの後ろ頭を、ぺっちんと大きな手のひらが張り倒す。
「調子に乗るな」
「ってえなあ、もお!」
「これ、かなり大きさがあるよね。フライパンで焼けるかな」
「コーンブレッドとか、パンを鉄鍋で焼くやり方もある。応用で行けるだろ」
一同、顔を寄せ合って作り方を検討する中、ヒウェルはこそこそとずれた眼鏡を直していた。下を向ていたものだから、自然と食卓に載せられた紙袋が目に入る。
「サリー、これ自分のか?」
「うん、たまたま買ってきたところだったから」
オーレが紙袋をくんくん嗅いでいる。
(なつかしいにおいがする!)
懐かしいのも道理。その袋は彼女の実家、エドワーズ古書店のものだったのだ。
「見つけたら、何だかなつかしくなっちゃって、つい」
「そっか………」
古書店の主、イギリス生まれのエドワーズは礼儀正しく物静かな『紳士』だ。
彼と過ごす穏やかな時間が心地よく、ここの所(正確には二月以来)サリーは何かとエドワーズ古書店に足を運ぶ機会が増えているのだが……本人は全く自覚していないのだった。
「よし、そうとなったらさっそく、試作してみるか」
さくさくと準備を始める双子とディフを見て、ヒウェルがぽつりとつぶやいた。
「男ばっかの家で、ケーキを焼く道具も材料も、すぐ出てくるのって……ある意味すごいよな」
「最近、菓子作りに凝っててな」
「お前が?」
「いや、シエンが」
ディフの視線の先では、ああでもない、こうでもないとサリーとパンケーキのレシピを考えるシエンの姿があった。きらきらと目を輝かせて、実に楽しそうだ。
「炊飯器でも焼けるの?」
「うん。もちっとした食感になるよ」
次へ→【side16-2】大事なのは演出
▼ 【side16-2】大事なのは演出
2011/12/21 0:29 【番外】
一時間後。
キッチンには小麦粉と卵とバター、そして砂糖の焼ける何とも魅惑的な香りが漂っていた。
食卓の上には、黄色いもこもこのケーキが並んでいる。
フタをした鉄鍋で焼いたもの。定石通りにオーブンで焼いたもの。
蒸し器で蒸したのは、シエンが得意とする中華風の蒸しケーキの要領で作った。
表面に数字が刻印されているのは、炊飯器で焼いたもの。内がまから外したら、目盛りの形が残っていたのだ。
さらに、真ん中に穴の開いた丸い『普通の』シフォンケーキも混じっている。
「勢いでこんなのまで焼いたんだ……ってか、型、あったんだ」
「どうだろう。食感的にはかなりイメージに近いと思うんだ」
「確かに、ふわんふわんだよね」
「美味いけど……ちょっと甘さ控えすぎじゃないか?」
「オティアは気に入ってるみたいだけど」
確かにオティアは一口試食して、その後もくもくと一切れ全部食べ切っている。
ふわんふわんのシフォンケーキをぱくりと口に入れ、サリーはあ、と小さく声を立てた。
「これ、何だか懐かしい味がするなぁ」
「ああ、隠し味にソイソースを入れた」
「シフォンケーキに……ソイソース入れたのっ!?」
びっくり仰天。丸いフレームの中で、濃い褐色の目が真ん丸になる。
「その発想はなかったなぁ……」
一方でテリーとヒウェルの評価は厳しい。
「菓子って言うより料理っぽいよな」
「うん、何つーかパンの味だ」
二人して顔を見合わせ、異口同音に一言。
「これは、ディーンの求める『あのパンケーキ』とは、ちがう」
「そっか……」
ダメ出しをくらってしょんぼりうなだれるディフの肩に、さりげなくレオンが手を回す。
「今回は、小さい子用のメニューだから、ね」
「うん」
炊飯器で焼いたケーキを口にするなり、シエンが「わあ」と目を丸くした。
「ほんとだ、材料の配合は同じなのに、もっちもっちしてる。不思議だなあ……」
「しっとりしてるな。蒸したのとも、焼いたのともちがう」
「不思議な食感だよね」
「形は一番、アレに近いかな?」
絵本の絵と見比べながら、真剣に試食が行われる中、ぽつりとヒウェルが口を開いた。
「確かにこれもそれも美味いけどさ。なーんかちがうんだよな?」
ってなことをフォークに刺した特大の一切れを、もっしょもっしょかじりながら言ってるのだから、説得力の無いこと甚だしい。
「ディーンが食べたいのは『ぐりとどら』のコレだろ?」
その場に流れる無言の圧力を物ともせず、へたれ眼鏡はぺしぺしと絵本のページを叩いて力説した。
「相手は大人じゃないんだ。4歳の子供なんだ。こーゆーのは演出が肝心なんだよ!」
ぱらぱらと最初から、順を追って絵本のページをめくって行く。
「こう、森の中で、でっかい卵見つけて。鍋もってきて、かまどで焼く! キッチンじゃなくて森の中で作る。そこが、大事なんだ」
『おお』
声にこそ出さないものの、一同、納得してうなずいた。ただし、二重の意味で。
「もっともだ」
「さすが、子供目線!」
「つまり、4歳児と同レベルってことだね」
「うるへーっ」
ともあれ。演出が大事なのは一理ある。
「よし、木の多い公園を探そう」
「野外で火を炊いて、料理のできる所だね」
「けっこう、ある」
いつの間に準備していたのだろう?
食卓の片隅で、オティアがノートパソコンを開いていた。
「仕事が速ぇな、さすが有能探偵助手」
ヒウェルの賛辞をさらりと受け流し、画面上にリストを表示する。
「候補を絞ってみた」
「スルーかよ」
「ここならどうだ? ロケーションも良さげだし、何よりマンションからも近い」
「よし、じゃあ俺とサリーで下見してくる」
「助かるよ」
「帰るついでだしな! 携帯で写真撮って送るよ」
「頼んだ」
「んで。決行日はいつにする?」
静かに、だが有無を言わせぬ口調できっぱりとレオンが答える。
「6月23日がいいね」
「土曜日?」
「ああ。土曜日だ」
穏やかな笑顔が全てを語っていた。
日曜日はディフとゆっくり過ごしたい。予定を入れるなんて論外。持っての他。あり得ない。絶対却下だ、と。
「はい、はい、決まり、はい決まり!」
ヒウェルが無駄に爽かな口調で締めくくり、ぱん、ぱんっと手を叩いた。
「それじゃ決行は6月23日ってことで!」
次へ→【side16-3】森の中、大きな卵
▼ 【side16-3】森の中、大きな卵
2011/12/21 0:29 【番外】
6月23日、土曜日。
夏を先取りしたように空はかきーんっと青く、朝早くから眩しい太陽が、くっきりと濃い影を作っていた。
ディーンは朝からそわそわしていた。
だって今日は特別な日。四才の誕生日なのだ! 朝ご飯はいつもの通りだった。昼ご飯はどうなるだろう?
お気に入りのウサギのぬいぐるみを抱えても落ち着かない。
大好きな絵本を読んでも、そわそわしすぎてまるで頭に入らない。
「ディーン」
ママに呼ばれて、ぴょんっとソファから立ち上がる。
「お天気もいいし、今日のランチは、外で食べましょう」
「うん!」
やっぱりそうだった!
ディーンは目を輝かせて、ウサギを抱えた。
「行くぞ、ぐり! お外でランチだ!」
ぐりとどらは二人一緒。だからディーンはウサギと一緒。その日の気分によってウサギはぐりになったり、どらになったりするけれど、いつも一緒。それが大事。
パパの運転する車に乗って出発だ。だけどあれあれ、道が違う? いつも行く公園を通り過ぎてしまった。
「どこまで行くの?」
「いい所よ」
着いた所は、ディーンが初めて来る公園だった。いつもの公園よりもっとたくさん木が生えていた。
駐車場から降りて歩き出す。木と木の間を抜ける、細い道を。奥に向かって進むほど、木はもっともっと増えて行く。
「森だ! 森の公園だ!」
珍しくてきょろきょろしながら歩く。森の中では、あちこちで火が炊かれていた。たくさんの人たちが、コンロやかまどを使って料理をしていた。
いいにおい。
美味しいいにおい。
鼻をひくひくさせながら、ずんずん、ずんずん歩いて行く。知らない道は、どこに続いているのか、いつ終わるのか分からない。
風が吹いた。
頭の上で、ざ、ざざざ……と枝が鳴る。ちょっぴり心細くなって来た
大丈夫。大丈夫。パパもいるし、ママもいる。どらも一緒(あれ、ぐりだったかな?)だから怖くない。パパの手をきゅうっと握り、ウサギを抱える腕に力を入れる。
「よっ、ディーン!」
「ヒウェル!」
初めて見る光景の中に、見慣れた人が立っていた。友だちのヒウェルだ。大人だけど友だち。いつも一緒に遊ぶ友だち。
途端にディーンの額から、頬から、顎から力が抜け、笑顔が花開く。
「待ってたぜ。来いよ!」
「うん!」
ヒウェルの後を着いて行く。森の中をくねくねと曲がる細い小道を、なおも奥へと進んで行くと……
急にぱあっと目の前が開けた。
池だ! 満々と水をたたえた池。そのほとりには、キャンプ用のテーブルが並んでいた。
上には白い布がかかっている。
石を組んで作ったかまどもあった。上には大きな大きなフライパンが乗っていて、その周りにはディフがいた。レオンも一緒だ。オティアとシエンもいる。
嬉しいことにサリーとテリーも居た。
みんながこっちを見て、一斉に口を開く。
「お誕生日おめでとう、ディーン!」
ぽん。ぽぽぽーん!
パーティーポッパー(クラッカー)が弾ける。赤に緑に黄色にピンク。細い紙テープと銀色の紙吹雪が散った。
ディーンは目をまんまる。でもすぐに顔いっぱいに口が広がり……笑った。
「びっくりパーティーだ!」
「そうそう! よく知ってるなー」
「ぜんっぜん気がつかなかった! ほんとだよ?」
「うんうん。そうだろうとも!」
ヒウェルはずいっと胸を張った。ものすごく得意そうだ。
「いやあ、大変だったぜー、ここまで、秘密で準備するのは!」
背後でぽそりとオティアがつぶやく。
「……おとなげない」
「ほっとけっ! ちょっとぐらい達成感にひたってもいいだろ!」
「はいはい」
「……とにかく、気を取り直して、行くぞ!」
こほん、とヒウェルは咳払い。ペンギンみたいな足取りでもっちもっちとテーブルに近づき……
「これが、俺たちからのっ、プレゼントだーーーーっ!」
ぱっと上にかかった白い布を取り去った。
「わあ!」
テーブルの上には、大きな卵と、バターと、粉と、お砂糖、ミルクにベーキングパウダー、バニラエッセンス。ケーキの材料が並んでいた。そう、ディーンにはすぐ分かった。「ぐりとどら」の絵本と同じだったから。
ほら、絵本もちゃんとテーブルに乗っている!
「卵だ! おっきな卵だ!」
「ガチョウの卵だよ。ファーマーズマーケットで買ってきたんだ」
「ほんとはダチョウのにしたかったんだけど、さすがにあれは使い切れないからな」
「一つあたり重さ1200gだものな」
ディーンは答えない。
「……ディーン?」
一言も喋らず、ウサギのぬいぐるみを抱えたまま、無表情でぷるぷる震えている。
このリアクションには見覚えがあった。去年のクリスマスにレゴのお城をもらった時も、こんな顔をしていた。
嬉し過ぎて、固まっている。ディーンの最上級の喜びの表情だ!
「よっしゃ!」
ジャンプして一歩踏み出し、膝を折り曲げ、オーバーアクションでガッツポーズを繰り返す。そんなウェルを見ながら、その場に居合わせた一同は同じことを考えていた。
『やっぱり4歳児と同レベルだ……』と。
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▼ 【side16-4】おりょうりだいすき
2011/12/21 0:30 【番外】
「よし、じゃあ作るぞ、パンケーキ。準備はいいか、ディーン!」
「イエス!」
ディーンは白いエプロンを着けて大張り切り。
大きな卵を握って、がこんっとボウルの縁にぶつける。ヒビが入ったけど、まだ割れない。
「むー」
顔をしかめて、もう一度、がこん、がこんっと卵をぶつけるディーンを、ソフィアははらはらしながら見守った。
「あ、あ、あ。殻が入っちゃう!」
一方で男性陣はのんきなもの。
「平気平気。入ったんなら、後で出せばいいだろ」
「でも」
「ちっちゃいのが多少混じってたって、気にしない気にしない」
「そ、カルシウムだよな、カルシウム!」
三度目で、さしものガチョウの卵もかばっと割れた。
「われたー!」
つるっと卵が滑り出し、ボウルの中に落ちた。
「おみごとー」
「おっきい」
「うん、黄身も白身も、鶏の卵よりずっとでかいな」
「一個で目玉焼き三人分は作れそうだね」
「四人かも」
「並べてみるか?」
「持ってきたのか!」
「うん」
「このために」
「うん!」
かぽんと追加で割入れられた鶏の卵は、ガチョウの卵と並んでまるで雪だるまみたいに見えた。
「さらに、比較のためにうずらの卵を……」
「ヒウェル!」
「お前って奴は……」
ガチョウの卵と鶏の卵、そしてうずらの卵。三つまとめてかしゃかしゃ混ぜた。
さらに、あらかじめ分量を量っておいた粉と、軽くあっためて柔らかくしたバター、砂糖と牛乳を加えてヘラでぐしゃぐしゃかき混ぜる。多少ダマになっても気にしない。
ディーンが熱心にぐるぐるぐる混ぜたから、しまいには全部溶けてしまった。
「トラはぐるぐる回ってるうちにバターになってしまいましたー!」
「……なんか別の絵本混じってるし」
「鍋の準備できたぞー」
かまどの上には、分量外のバターを塗った鍋が載せられていた。巨大な鋳物ホーローの鍋。
「中華鍋かよ」
「家にある中で、一番でかいの持ってきた」
「むー……」
ディーンはしかめっ面をして腕組みしている。中華鍋の取っ手は二つ。だが、ぐりとどらの絵本の「フライパン」は取っ手が一つなのだ。
「大丈夫! ディーン、大丈夫だ」
ディフは笑顔でさっと鍋をもう一つ取り出した。こちらは取っ手が一つの、フライパン。
ぱあっとディーンの顔が輝いた。
「これだ!」
「な、持ってきといて正解だったろ?」
ここぞとばかりに、ヒウェルがまた得意げな顔でふんぞり返る。
「こだわりがあるんだな……」
「細かい所までな!」
ガチョウの卵はすごく大きい。さらに鶏とうずらの卵まで追加したからケーキの種もいっぱいできた。
大きなフライパンで一つ。大きな、大きな中華鍋でもう一つ。流し込んで、フタをして、火にかける。
焼き上がるまで、1時間。じっとがまんの1時間。
「さて、待ってる間、何をやる?」
ヒウェルの問いかけに、ディーンはきっぱり即答した。
「歌う!」
「よし!」
二人は木のベンチに座って肩を組み(だいぶ身長差があるおかげで、ディーンの腕はヒウェルの腰までしか届かなかったけれど)、歌いだした。
「ぼっくらーのなーまえーはぐーりとーどらー」
「このよーでいっちばんすっきなのはー」
ご機嫌で歌う二人を見守りつつ、ひそひそと大人たちは言葉を交わす。
「まさか、あれ、焼き上がるまでずーっと歌ってるつもりか?」
シエンが絵本を開いて確認する。
「この本では、そうなってるね」
「マジかよ……焼けるまでどんぐらいかかるんだ」
「1時間ってとこかな」
「声涸れない?」
「って言うか、飽きるだろ、さすがに」
確かに途中で水を飲んで、ちょっと休憩はした。だがディーン一向に飽きる気配を見せない。
「ぼっくらーのなーまえーは」
「ぐーりとーどらー」
4歳児のパワー、恐るべし。
しかしながら大人はそこまで体力がもたない。特に持久力のないほぼ引きこもり物書き屋はついていけない。
じきにヒウェルの声が枯れ、息が切れる。
「タ……タッチ」
「まかせろ」
続いてテリーが歌いだす。
「ぼっくらーのなーまえーはー」
さすが『お兄ちゃん』なだけあって慣れたもの。持久力もヒウェルとは段違いだったが、さすがに歌い通しはちょっときつかった。
「サリー……頼む」
「うん」
今度はサリーの番。前の二人より高く澄んだ声で浪々と歌い上げる。
しかし、やはりのりにのった4歳児のパワーには及ばない。徐々に息切れしてきたところで、アレックスがすっと水の入ったコップを差し出した。
「後は私が」
「あ、ありがとう」
「パパ!」
「ディーン。パパと一緒に歌おうか」
「うん!」
アレックスが歌う「ぐりとどら」は、さながら盛大なオペラのようだった。声量も声の質も堂々としていて、音に濁りがない。
「うお、アレックスすげえいい声……」
「ああ、彼は確か声楽の心得もあるそうだよ」
「さすがだ」
最初のフレーズを歌い終わり、一息ついた所で周囲から拍手の嵐がわき起こった。
「ブラボー!」
「お見事!」
次へ→【side16-5】みんなでたべました
▼ 【side16-5】みんなでたべました
2011/12/21 0:31 【番外】
調理OKの公園だ、バーベキューをやっているグループがいくつもあった。
オティアとシエンは珍しそうに眺めていた。こんな時でもなければ、他所の家の料理のやり方を見るチャンスはなかなか、ない。
「あ」
「……うん」
近くのグループに日本人の一家がいた。サリーに気付いて(サリーも後半はディーンにせがまれて、日本語で歌っていたのだ)互いに日本語で挨拶をしている。
彼らの作っている料理は、双子にとって見慣れたものだった。ひき肉と、刻んだタマネギ、パン粉と香辛料を混ぜてこねる。ミートローフかミートパイだなと思った。
屋外で、こんな手のかかる料理を作るなんて。オーブンもないのに、どうやって焼くのだろう?
気になって見ていると、料理のプロセスが予想外の方向に進み始めた。滑らかになるまで捏ね合わせたひき肉を、手のひらほどの団子に丸めて。続いて、ぺっちん、ぱっちんと叩いて平べったくしている!
「え」
「ええっ?」
「どうした」
「ディフ。あれ」
「……お?」
目を丸くする三人にサリーが説明した。
「日本風のハンバーグだよ。ああやって小分けにして、平らにしてフライパンで焼くんだ」
「なるほど! 熱が通りやすくなるんだな」
「バーガーの中味と同じだね」
「種はミートローフなんかと同じだから、元は同じ料理だったんじゃないかな」
にこにこしながら、サリーはさらりと恐ろしいことを言ってのけた。
「半分に切った、ピーマンに詰めて焼いても美味しいんだよ」
「やーめーろぉおおっ」
若干一名限定の恐怖だったが。
大鍋いっぱいにぐらぐらとお湯を沸かしているグループも居た。
「焼くだけじゃないんだ」
「煮るのかな。茹でるのかな」
パスタでも茹でるのかと思いきや。出てきたのは、殻のあるシーフード!
「おー、ここで来るかシーフード」
「さすがサンフランシスコだねー」
一同、のんびりと感心する中で若干一名、恐怖に引きつる奴がいた。
「か……か……カニーっっっ!」
「ヒウェル。さっきからうるさいぞお前」
「だってお前、カニ、カニだぞっ!」
「見なきゃいいだろ」
「ってか、眼鏡外せ」
「ううっ、そーゆー問題じゃないんだよ……そこにあると思うと……」
そうこうするうちに、かまどの上にかかった二つの鍋からは、ケーキの焼けるいいにおいが漂い始めた。
甘い香りは、珍しい。
この場で茹でているのも、焼いているのも、揚げているのも、どれもこれも食事(meal)のしょっぱい香りだから尚更に。
一同が見守る中、ディフがおもむろに鍋のフタをずらし、すき間から竹串を刺した。まず中華鍋。次いでフライパン。
「どう?」
眉間に皴を寄せつつ、じっと見る。竹串には二本とも、粘つく滴はついていなかった。
途端にディフは破顔一笑。にかっと白い歯を見せてうなずいた。
「OK!」
「やったあ!」
かたずを呑んで見守る中、かぱっとフタが外される。
ディーンは身を乗り出した。
黄色いケーキがぽっこりと、半球状に盛り上がっている。
「おお……おおおおおおっ」
ディーンはばばっと絵本を開き、目の前にかざした。はっふはっふと息が荒く、頬が赤く、全身からかっかと熱を放っている。サーモグラフィで見たらきっと体中真っ赤だろう。
「おんなじ! おんなじだーっ!」
「ふふんっ」
いつの間にか復活したへたれ眼鏡が得意げに胸を張っていた。
「よーし、ディーン。そこに並べ」
おもむろに携帯を掲げて、ぱしゃっと記念撮影。サリーとテリーが後に続いた。
「じゃ、俺も」
「俺も」
あっつあつのパンケーキ。甘い湯気をまとう憧れのパンケーキが厳かに切り分けられ、ピクニック用の紙皿に乗せて配られた。
「ディーンの分は充分さましとけよ」
「おう」
「絶対あいつ、手づかみしたがるから」
ヒウェルの予言通り。
「そら、あついから気をつけてな」
「さんくす!」
ディーンはきらきらと目を輝かせて両手で黄色いパンケーキを抱え、ベンチに座ってあぐっとかぶりついた。
「お……」
「どうした?」
卵と、小麦粉、砂糖、バターの味が溶け合って、ふっかふっか、もわもわと口の中いっぱいに広がる。
余計な物は入ってない。いつものパンケーキと同じ。同じはずなんだけど……。
一瞬フリーズした表情が、一転して笑顔全開。大輪のひまわりが咲き誇る。それもどわっと一面に、サンフランシスコの斜面全部を埋め尽くすほどに盛大に。
「おいしーーーーーーいっ」
「な?」
ヒウェルは『どうだ!』と言わんばかりの顔をして、絵本のページを叩いた。
そこには、正にぐりとどらが、焼き上がった黄色いふわふわのパンケーキを、両手で持って食べる姿が描かれていた。
「絶対やると思ったんだ!」
はしゃぐ彼にそ、とシエンがパンケーキを差し出した。もちろん、皿には乗せず、ペーパーナプキンで包んだだけのを。
「さんきゅっ! やりたかったんだ、これ!」
甘い香りに誘われて、近くでバーベキューをしていた人たちが徐々に集まって来た。
フライパンの中のふわふわしたパンケーキを指さし、口々に言う。
「わお、これって、もしかして、ぐりとどらのアレ?」
「イエス!」
「素敵! ほんとに作ったんだ!」
大人も子供も、目をきらきら輝かせている。
幸い、特大サイズのフライパンで二つも焼いたから、量はたっぷりあった。
「試食いかがですか?」
「ありがとう! お返しにソーセージをどうぞ」
「さんきゅ!」
「七面鳥のフライはお好き?」
「あ、懐かしいなあ。故郷(テキサス)の伝統料理だ」
「カニ茹でたんだけど、食べる?」
「カーニーーーーっっ!」
「ヒウェル、うるさい」
こうして、森の中で、みんなでパンケーキをたべました。
「同じだ! ぐりとどらのパンケーキだ!」
ディーンは目を輝かせて大喜び。ウサギといっしょにぴょんぴょん跳ねる。
「な? 演出が大事だっつったろ?」
「うん……」
「ありがとうございます、メイリールさま」
「ありがとう、ヒウェル!」
アレックス夫妻にお礼を言われて、さすがにヒウェルも照れたのか。顔を赤らめ、くしくしと頭をかいた。
「いやあ、実は俺も、すっげえ憧れてたんだ、このパンケーキ」
パンケーキ。その一言をきっかけに、居合わせた人々が一斉に口を開いた。
「え、蒸しパンじゃないのか?」
「ホットケーキじゃなかったっけ?」
「カップケーキだと思ってたわ?」
「色はコーンブレッドに似てるよね」
そんな中、サリーと日本人の一家は顔を見合わせた。
「カステラ……なんですよね、確か、日本語の絵本では」
「ですよね」
カステラは、和菓子です。
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▼ 【side16-6】ぼくらのなまえは
2011/12/21 0:32 【番外】
こうしてディーンのお誕生パーティーは、大成功を収めたのだった。
同じケーキを、部屋の中で食べたらここまでは盛り上がらなかっただろう。森の中で焼いて、皆で食べた。大事なのは演出、しかしながら、この試みは若干の『余韻』が残った。
全員、ディーンの歌っていた「ぐりとどら」の歌が頭から離れなくなってしまったのだ。
サリーも。テリーも。
オティアも、シエンも、ヒウェルも。ディフもレオンも。
もちろん、アレックスとソフィアも。
何しろケーキが焼けるまでの間、ずーっと歌い続けていたものだから……気がつくと、ついつい口ずさんでしまう。
「ぼっくらーのなーまえは」
帰る道すがら、ケーブルカーを待ちながら、つい。
「ぐーりとーどらー」
家に帰ってからも、つい。
「ぐり、どら、ぐり、どら」
夕食の仕度をしながら、つい。
(……え? あれ?)
(こんな歌だったかな)
上機嫌でディフが歌うのを聞きながら、シエンとレオン、そしてヒウェルは首を捻っていた。
なるほど、歌詞は同じだがメロディも音程もまるで別もの。
そもそもこれ、歌なのか。
呪文じゃないのか、いやむしろ読経!
思っても、誰も何も言わない。本人が楽しそうなんだから、それでいいじゃないか、と。
それでも念のため、オティアは小さく小さく声に出して確認してみた。
「……り、どら、ぐり、どら」
(お?)
気がついたのはヒウェルだけ。唇が読めて、いつだってオティアの事を一番気にしているヒウェルだけ。
※
「……って言うことがあったんだ」
明けて月曜日の昼休み。事務所の近くのスターバックスで、シエンはエリックに報告した。
二人の手元にはいつものようにソイラテが、そろいのMyタンブラーに入って並んでいる。
「ぐりとどらのパンケーキかあ。俺も憧れたなあ」
「うん、ディーンがすっごく喜んでた」
シエンはこくっとソイラテを一口含み、小さくため息をついた。
「それでね。隣で、大きな鍋で丸ごと七面鳥を揚げてた人たちがいたんだ。ピーナッツ油の中にだぽんっと浸けて」
「あー……あれか……」
「ものすごいダイナミックだった! ぼわあんって炎が上がってびっくりした。味見させてもらったんだけど、美味しかったよ、ローストした時は違った味わいで、何って言うか、フライなのにしっとりしてて! テキサスの伝統料理なんだってね!」
「いや、まあ、確かにテキサスの方でよくやるみたいだけど、伝統……? いや、ある意味確かに伝統なのかな」
「あれ、いっぺんやってみたいなあ……」
頬をつやつやと赤く染めて、シエンはうっとりと目を閉じた。
エリックはにこにこしながら、額にじっとりと冷たい汗をにじませていた。
どうしよう。
この先、食事に誘ったその時に『七面鳥の丸揚げしたい』って言われたら、どうしよう……。
「最初は、わかんなかったんだ。何でそんなにパンケーキに憧れるのかなあって。でも今ならわかるよ、ディーンの気持ち」
両手を握り合わせてシエンはほうっと息をついた。
「料理に憧れるって、こう言うことなんだね!」
その瞬間、エリックは腹をくくった。
いつもより早めに職場に行き、パソコンの前に座って検索を始めたのだった。
「よ、エリック。どうした、今日は早いな」
「うん、ちょっと調べたいものがあってね」
何気なく画面を見た同僚のキャンベルは、思わず凍りついた。
「七面鳥の丸揚げ用鍋(ターキー・フライヤー)?」
「うん。やっぱり専用の鍋を使った方が失敗は少ないと思うんだ」
「何に使うんだ、んなもん」
「何って、決まってるじゃないか、キャンベル」
エリックはのそっと顔を上げて、眼鏡の位置を整えた。
「七面鳥を揚げるんだよ!」
「……まあ、そりゃそうだよな、うん」
「フェイスガードと、耐熱手袋……あ、消火器もそろえておいた方がいいな」
真剣な表情で、ああでもない、こうでもないとネットショップを検索する友人を見ながら、キャンベルは思わずにはいられなかった。
どこに行こうとしてるんだ、バイキング。
エビならともかく七面鳥。この間はギョウザだった。
「お」
「どうした」
「この鍋、カニも揚げられるらしいよ」
「カニもか!」
その瞬間、エリックはにやり、とほくそ笑んだ。液晶画面の明かりを白く眼鏡に反射させて。
「うん、やっぱり一つ買っておこう」
(あこがれのパンケーキ/了)
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▼ 留守番サクヤちゃん2
2011/12/21 0:38 【短編】
- 拍手お礼短編の再録。
- 95年10月、サクヤちゃんのエンブレイス訪問二度目。見た目で苦労する人がここにもまた一人。
十月も後半に入り、朝夕めっきり冷え込んできたある日のこと。
結城朔也が学校から帰ると、母屋の居間で母の桜子と、叔母の藤枝が何やら大荷物を広げていた。
「ただいま」
「お帰りなさい」
「サクヤちゃん、いい所に来たわー。ちょっといらっしゃいな」
手招きされて素直に入って行くと、畳の上には市内のデパートの袋が並び、衣服が広げられている。
袋の一つが、不規則にがさがさ揺れてるなー、と思ったら、ひょっこりと白に点茶模様の猫が顔を出した。
「みつまめ……何やってるの」
「みゃっ」
「そう、お手伝いしてるんだ」
「うにゃおう」
気分だけ。あくまで気分だけ。
「どうしたの、これ」
「駅前のデパートでね、冬物セールやってたの」
何て気が早い。まだ、立冬にもなっていないのに!
「セーターとかお安くなってたから、ぱぱっとそろえちゃったの」
「よーこちゃんに送ってあげようと思ってね」
ああ、なるほど、そう言うことなんだ。でも、それにしてはやけに枚数が多いような。
「それでね。おそろいでまとめ買いしたんだけど……」
目の前に、ふわふわのモヘアのセーターが広げられた。同じデザインの色違い、ミントグリーンと、ピンク色。もちろんどっちも女性用。
「どっちがいい?」
「えーっと……俺の? それともよーこちゃんの?」
「決まってるじゃない」
二人の母は、口をそろえてさえずった。
「サクヤちゃんの分よ!」
子供の頃は、同じ服を着るまでに時間差があった。まずよーこちゃんが着て、1年か2年経ったら自分が着る。
しかしながら成長とともに二人の体格差は縮んで行き、今では母も伯母も同じ服を二着まとめ買いしてくる。
他意はない。その方が安くなるし、何より小さい頃から自分の口癖だったのだ。
『よーこちゃんと同じがいい!』
今になって思う。元々よーこちゃんが水色とか、グリーンが好きだから成り立っていた事だったんだなって。だけどさすがに、この年でピンクはご勘弁。
心の中で謝りつつ……
「こっち」
グリーンを選んだ。
「じゃあこっちをよーこちゃんに送りましょう」
「そうしましょう!」
(ごめんね、よーこちゃん)
わあ、何だか嬉しそうだ。選択肢のない今がチャンス、とばかりに、ピンク着せたいんだろうなあ、二人とも。
「それでねー、サクヤちゃん」
ほっとする間もなく、靴下と、マフラーと、毛糸パンツと手袋が並べられていた。
「どっちがいい?」
選び終わった冬物のあれやこれやを抱えて、部屋に戻る途中でまた呼び止められた。今度は羊司おじさんからだ。
「あー、サクヤくん。今度の日曜、また藤野先生の所に行くんだが……一緒にどうかな」
「はい」
※
週末はこの秋でも一番の冷え込みで、おろしたての冬物がさっそく役に立ってくれた。
古い石造りの洋館にも似た雰囲気をまとった、三階建ての雑居ビル。木枠にガラスをはめ込んだどっしりした扉を開けると、和やかなベルの音に出迎えられる。
占い喫茶「エンブレイス」は秋の金色の陽射しに包まれて、今日も穏やかな時が流れている。
「いらっしゃい、サクヤちゃん」
「こんにちは、藤野先生」
藤野先生は、羊司おじさんの大学時代の先生だ。歴史と民俗学を教えてくれた人で、伯母さんやお母さんとも親しい。この前、ここに来た後で家に帰って見てみたら、社務所に飾られている写真にちょっと若い頃の先生が写っていた。
「くわあっ!」
ばさばさっと黒い翼をはためかせ、カラスが肩に舞い降りてきた。
「こんにちは、クロウ」
「さーくーや! さーくーや!」
人間の言葉で挨拶してから、後はだーっと本来の鴉の言葉に戻ってまくしたてる。
『よっく来たな、待ってたぜー! ちょーどクッキーも焼けたしよ!』
「あ」
本当だ。バターと小麦粉の焼ける、甘いにおいが漂ってきた。
「よう」
「こんにちは」
カウンターの奥から、裕二さんがお盆を持って出てきた。お皿に盛ったクッキーと、ポットに入った紅茶を乗せて。
藤野先生とおじさんが話している間、並んで座ってクッキーをかじる。
時々、椅子の背に止まったクロウにも一枚渡して、器用にこつこつ割って食べるのを眺める。
黒い猫のおキミさんは、静かにカウンターの椅子にうずくまり、目を細めていた。足をきっちり折り畳んで、四角くなって。
「……香箱」
「うん、香箱作ってるな」
「あ」
「どうした?」
ちょうどおキミさんの後ろの壁に、剣がかかっていた。だが見慣れた日本刀ではない。
柄と刀身、鍔の部分が直角に交差した、幅広の剣。それこそ西洋の騎士や王様が持っているような。ファンタジーの小説に出てくるような剣だ。
「あれは、本物?」
「いや。模造剣だ。刃はついてない。剣の形をしてることが大切なんだ」
裕二さんはすっと手を掲げて、入り口の扉を指さした。
「そら、あの取っ手の部分。何の形に見える?」
「えーっと……」
花。いや、違う。あれは炎だ。
「マッチ?」
「あーそう来るか」
くっ、くっと裕二さんは声をたてて笑った。その隣でクロウもやっぱり、同じように声をたてて笑ってる。って言うかそっくりだ!
「うん、確かに燃えてる棒だな」
すうっと裕二さんの手が滑り、今度は別の。剣がかかってるのとは反対側の壁を指さした。
「あっちの花瓶が、聖杯だ。んでもってあれが……」
入り口の真向かい、北側の壁には、小さな『盾』が飾られていた。中央に星を刻んだ金色のコインが埋め込まれている。
「大地の盾」
「うん」
「東に風の剣、南に炎の棒、北に大地の盾、西に水の聖杯」
「あ」
四つの方角、剣と棒と盾と杯、風と火と土と水……まったく同じではないけれど、とても馴染みの深い何かを思い出す。
サクヤの頭の中で、ちかっと小さな光がまたたいた。
「結界?」
ばさあっと翼を広げ、クロウが甲高い声を張り上げた。
「おおあたりー!」
裕二さんが目を細めてうなずく。
「さすが神社の子だ。鋭いな」
胸の奥がくすぐったい。ほめられて、ちょっと照れ臭い。でも、うれしい。
気がつかない間に、サクヤは笑っていた。目を伏せて、ほんの少し、頬を赤らめて。
照れ隠しにクッキーをとって、ぱくりと口に入れる。
「……あ」
「どうした?」
「これ、ヘーゼルナッツ?」
「ああ、そうだ。よくわかったな」
よーこちゃんの好きなナッツだ。家にいる時は、よく焼いてくれた。『ヘーゼルナッツのパウダーって、なかなか手に入らないんだよね』って言ってた。
「これもハーブの一種だからな。ちょっとだけど、店でも扱ってるんだ」
カウンターの隅に置かれたバスケットの中に、見覚えのある袋が並んでいた。
(後で教えてあげよう。ここに来れば、買えるよって)
そのうち、おじさんと、藤野先生のお話も終わったらしい。裕二さんが紅茶とクッキーを運んで行く。
「どうぞ」
「やあ、ありがとう。いただきます」
おじさんもヘーゼルナッツのクッキーをかじって……「お」と小さくつぶやいた。気がついたらしい。
「どうしました?」
「あ、いや、これヘーゼルナッツのクッキーだね?」
「ええ。あれ、サクヤも同じ反応してたなあ……」
「娘が好物でね。よく焼いてくれたんだ」
「ああ、だからか」
ふーっとため息をつくと、おじさんは目を細めてしみじみとクッキーを噛みしめた。
「今は、アメリカに行っちゃってるけどね」
「へえ。仕事で?」
「いや。留学。君とだいたい同じくらいの年ごろかな。サクヤくんとは三つ違いで……」
その瞬間、空気が固まった。それこそピシっと音が聞こえそうなくらいに。
裕二さんは、二度、三度とまばたきして、それから腕組みしてうーん、と考え込んでしまった。
「……どうかしたのかい、裕二くん」
「いや、何か微妙に計算が合わないよーな気がして」
「ああ」
静かに紅茶を飲み終えた藤野先生が、にっこり笑ってさらりと言った。
「この子、二十歳過ぎてるのよ」
「ええっ?」
今度は、おじさんとサクヤが凍りつく番だった。
「いや、その、申し訳ない、こ、これは飛んだ勘違いをっ」
「気にしないで、よくある事だから」
ああ、なんだかとっても聞き慣れた言葉だ。
(そっかー、裕二さんも、年より若く見られちゃう人だったんだ)
(同じような経験、してるんだなあ)
ほんと、中学に上がって何がありがたいって、制服があることだ。学生服を着ていれば、間違われないから……小学生にも。女の子にも。
「そ、そうか、裕二君は成人してたんだな! だったら今度一緒に飲みに行こうか!」
「は、はは、そーっすね!」
おじさんと裕二さんは、何かを吹っ切るように妙に明るく、爽かに笑い合っていた。
※
家に帰ったら、ちょうど母と藤枝おばさんが荷造りをしている所だった。
「サクヤちゃん、サクヤちゃん。お手紙あるなら、一緒に入れるわよ?」
「うん」
そして、よーこちゃんにあてて手紙を書いた。
『藤野先生のお店には、神社と同じように結界が張ってあります。穏やかで気持ちのいい空間なのは、守られていたからなんだなってわかりました』
『あと、今日わかったことがもう一つあります。裕二さんは、実は高校生じゃなくて大人の人でした』
『今度、おじさんとお酒を飲みに行く約束をしていました』
『それからヘーゼルナッツのパウダー、エンブレイスで売っていたよ』
※
その頃。
神楽裕二は、洗面所の鏡をじーっと見つめていた。
二重瞼のぱっちりした目。ふっくらした唇。丸みを帯びて、つるんとしたツヤのある顔。
つくづく見事な童顔だ。小柄な背丈と相まって、年より若く見られるのはいい加減慣れていたつもりだったが。
(まさか、高校生と思われてたなんて!)
つるりとした己の顎を撫で、裕二はぽつりとつぶやいた。
「ヒゲ、伸ばそうかな」
肩に止まったカラスが「けけけっ」と笑った。
「うるせえっ」
怒鳴り返す裕二の足下で、ほっそりした黒猫が一声鳴くと、後脚で立ち上がりぽふっと前足で触れてきた。
さしずめ『肩をぽん』と叩いたような。あたかも裕二の言葉を理解しているかのように、人間くさい仕草だった。
「……ありがとな」
(留守番サクヤちゃん2/了)
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