▼ 【side16-1】市場調査
6月も半ばを過ぎたある週末。
ローゼンベルク家のキッチンでは、家族とその友人が神妙な顔で待機していた。
家長であり、父親役でもある『ぱぱ』レオンと、その伴侶で『まま』ディフ、そして双子の兄弟オティアとシエン。
一家のプリンセス、白い猫オーレのチャームポイントは、お腹にある少し歪んだカフェオーレ色の丸いぶち模様。
獣医師の卵、テリーは研究と学業の傍ら、双子のシッター(子守り)を引き受ける快活な青年だ。専門はイヌ科。その知識と経験を活かして、ディフの営む探偵事務所の仕事を手伝う事もある。
5人はレオンの入れた紅茶を飲みつつ、くつろいでいるように見えたが……どこかそわそわした空気が漂っている。
オーレも敏感にその流れを感じ取っていた。
白い毛皮に縁取られたピンクの耳をぴんと立て、青い目をきらきら輝かせて油断なく周囲を見回していた。
「あ」
双子が同時に顔を上げ、玄関の方を見た。ややあって、呼び鈴が鳴る。即座にディフがドアを開けに行く。
「よっ、ただいま」
「ご苦労さん」
ままの後から食堂に入ってきたのは、黒髪に眼鏡、アンバーアイの二人組だった。
まずはひょろっと手足の長い痩せ型の男。髪の毛は刈ってから一週間経過した芝生みたいに中途半端な短さで、先端があっちこっちを向いている。
着ている白いシャツは清潔でアイロンもかかっているはずなのだが、どこかくてっとだらしない。
上のボタンを開けてるせいか。絞めてるネクタイからしてゆるんでいるからなのか。
「お帰り、ヒウェル」
後に続くもう一人は、ずっと背が低い。骨格からして華奢で、足の運びから指先の動かし方に至るまで、立ち居振る舞いはことごとくしとやかで、たおやか。
まとう空気もほんわりと柔らかく、丸い大きめのフレームの眼鏡がこれまたよく似合っていた。
「お疲れさま、サリー」
二人はそれぞれ食卓の空いた席に腰を降ろした。
一同の視線が集中する。何となればヒウェルとサリーはつい今し方、大事なミッションを遂行してきた所なのだ。
「で、どうだった、ディーンの欲しいもの、聞けたか?」
「おう、ばっちりだぜ!」
ヒウェルがにやりと笑い、サムズアップを決めた。
階下に住むオーウェン家の一人息子、ディーンの4才の誕生日が間もなくやってくる。
ヒウェルは『それとなく』プレゼントのリクエストを聞きだす役目を買って出たのである。
『何てったって俺はディーンの友達(ダチ)だからな!』
ちなみにサリーはベビーシッターとしてディーンと一緒に居た。両親の帰宅と入れ違いに、オーウェン家を辞してきた所。
『ヒウェルだけじゃ心もとないから』と、満場一致の意見を受けて付き添っていたのは公然の秘密である。
実際、ヒウェルは以前にも双子の誕生日の際に見事に、プレゼントのリクエストを聞きだすのに失敗した『実績』がある。
にもかかわらず、今回も「まかせろ!」と自らリサーチを買って出たのは、いかなる自信によるものか。
「ディーンが今、一番欲しいものはな……」
へたれ眼鏡は自信満々に胸を張り、満面の笑みを浮かべてキッチンに集う一同の顔を見渡し、高らかに宣言した。
「パンケーキだ!」
一瞬、空気が凍りつく。
ちりん、と鈴の音が響いた。オーレが体を揺すったのだ。
それを合図に金縛りが解けた。レオンもディフも双子もテリーも、申し合わせたみたいにまばたきをして、首を傾げた。
「へ?」
「は?」
「む」
「それは、どう言う意味なのかな?」
「だから。パンケーキが食べたいって!」
途端に『あーあ』と大小さまざまのため息が露骨に流れる。
同時に無意味に自信満々なへたれ眼鏡に向かって、クール&ドライな視線の集中砲火が浴びせられる。曰く、『こいつ使えねえっ』。
「今日のおやつを聞いてどうする!」
「いや、だからさあ!」
ヒウェルは必死だ。手のひらを外側に向けて体の前に掲げ、ぱたぱたと仰ぐ。
「本当に言ったんだって。『あの』パンケーキが食べたいって!」
「あの?」
「どの?」
「これのことだと思う」
サリーがかばんから紙袋を出して、開けた。中から出てきたのは絵本が一冊。
illustrated by Kasuri
表紙には、それぞれ赤と青の半ズボンと帽子を身に着けた生き物が、森の中で仲良く一つのバスケットを運ぶ様子が描かれていた。
「ぐりとどら?」
「うん」
「うわ、なっつかしー」
サリーの開いたページには、巨大なフライパンの中に、ふっくら盛り上がる黄色い半球状のケーキが描かれている。
途端に冷ややかな空気は消え失せ、ゆるやかな理解と共感が結ばれた。
「あー、これかあ!」
「そう、これだよ!」
テリーが腕組みして大きくうなずいた。
「これは、あこがれだよなー。うちのちびどもも食いつくように読んでる」
「ディーンも大好きなんだ。今、ブームが来てるみたい」
「わかる、わかる。そーゆー年ごろだもんな!」
「読んでってせがまれたか?」
「ううん。読んでくれた」
一同そろって納得する中、双子はきょとんとしていた。
(何だって、みんなして通じ合ってるんだろう?)
(何やら共通認識があるらしい。だが、さっぱりわからない)
「うん、確かにこれはいっぺん作りたかった。これなら、充分誕生日のプレゼントになり得る」
ディフはがぜんやる気になってきたようだ。
「よくやった、ヒウェル」
「だっから言ったじゃないか、まかせとけって!」
けっけっけ、と笑うヒウェルの後ろ頭を、ぺっちんと大きな手のひらが張り倒す。
「調子に乗るな」
「ってえなあ、もお!」
「これ、かなり大きさがあるよね。フライパンで焼けるかな」
「コーンブレッドとか、パンを鉄鍋で焼くやり方もある。応用で行けるだろ」
一同、顔を寄せ合って作り方を検討する中、ヒウェルはこそこそとずれた眼鏡を直していた。下を向ていたものだから、自然と食卓に載せられた紙袋が目に入る。
「サリー、これ自分のか?」
「うん、たまたま買ってきたところだったから」
オーレが紙袋をくんくん嗅いでいる。
(なつかしいにおいがする!)
懐かしいのも道理。その袋は彼女の実家、エドワーズ古書店のものだったのだ。
「見つけたら、何だかなつかしくなっちゃって、つい」
「そっか………」
古書店の主、イギリス生まれのエドワーズは礼儀正しく物静かな『紳士』だ。
彼と過ごす穏やかな時間が心地よく、ここの所(正確には二月以来)サリーは何かとエドワーズ古書店に足を運ぶ機会が増えているのだが……本人は全く自覚していないのだった。
「よし、そうとなったらさっそく、試作してみるか」
さくさくと準備を始める双子とディフを見て、ヒウェルがぽつりとつぶやいた。
「男ばっかの家で、ケーキを焼く道具も材料も、すぐ出てくるのって……ある意味すごいよな」
「最近、菓子作りに凝っててな」
「お前が?」
「いや、シエンが」
ディフの視線の先では、ああでもない、こうでもないとサリーとパンケーキのレシピを考えるシエンの姿があった。きらきらと目を輝かせて、実に楽しそうだ。
「炊飯器でも焼けるの?」
「うん。もちっとした食感になるよ」
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