▼ 【side11】ポテトは野菜、コーンも野菜
- 週末の夜、一人さびしく自宅にこもるランドールの元に、学生時代からの親友チャーリーが押しかけてきた。
- ポテトチップをぼりぼりかじりながらグラスを傾けるうちに、話はクリスマスの一件へと誘導されて行く。
「ずるいや、カル」「ずるくない!」 - 【4-16-6】★紳士の社交場と同じ日の出来事。当初は【4-15】犬の日、【4-16】本のお医者さんと合わせてオムニバス形式にまとめる予定が個々のエピソードが膨らんで一本におさまりきれず、三分割しました。
記事リスト
- 【side11-1】やっほー! (2010-02-26)
- 【side11-2】酔ってるね? (2010-02-26)
▼ 【side11-1】やっほー!
『やっほー、カルー。カールヴィーン。居るんだろ? 一緒に飲もうぜ!』
カルヴィン・ランドール・Jrは目まいを覚えた。
インターフォンから流れる声は、学生時代からの友人チャールズ・デントンにまちがいない。かなりご機嫌だ。
一瞬、居留守を使ってやろうかとも思ったが、この時間にこれ以上騒がれては、マンションの他の住民の迷惑になる。
間違いなく、自分が答えるまで彼は騒ぐのをやめないだろう。
そう言う男だ。
「わかった、チャーリー。上がって来てくれ」
手元のスイッチでマンション入り口のオートロックを解除し、部屋を見回す。
飲もうぜ、と言うからには自分好みの酒を持参しているはずだ。おそらくはつまみも。
キッチンに行き、グラスとソーダと氷を準備した。
学生時代はしょっちゅう、ビール片手にジャンクフードをほお張りつつ、テレビを見ながら無駄話に明け暮れた。
スポーツ中継、ドラマ、クイズ番組、内容は何でもかまわなかった。
ほとんどBGM代わり。時折、話題にしたり、突っ込んだりする。
大人になってからは、それなりに週末は忙しい身になったはずだが……。時折、こうして押しかけてくる。
さすがに30を超えた今となってはビールよりもっぱら、ウィスキーやブランデー、ウォッカの出番が多い。
ワインとカクテルは、あくまでデート用だ。
ピンポーン!
「やっほー」
……来たな。
ドアを開け放つ。四角い酒の瓶と、膨らんだスーパーの買い物袋を抱えた友人が立っていた。
「やあ、チャーリー」
「やあ、カル!」
「適当に座っててくれ、今グラスを持ってくる」
「OKOK!」
そしてキッチンから戻ってくると、リビングでは既にTVが着けられ、ローテーブルにはごろごろと大入り袋のスナックが転がっていた。
ポテトチップにポップコーン、ビーフジャーキーにタコス。その他名前すら見当のつかない色鮮やかな袋。
あまりのジャンクな品揃えにため息が出る。
「少しは野菜もとった方がいいぞ、チャーリー」
「とってるじゃないか。ほら、『ポテト』チップスに、ポップ『コーン』!」
「……ちょっと待っててくれ」
予想すべき答えだった。
めまいを覚えつつカルはキッチンに引き返し、冷蔵庫からキュウリとニンジンを取りだした。
細くスティック状にカットして、大振りのグラスに入れる。ディップは……必要ないか。
塩気はもう、十分すぎるくらいに揃っている。
「そら。つまみの追加だ」
「お、サンキュ」
チャーリーは野菜が嫌いと言う訳ではないのだ。単に自分からは積極的に持参しないだけで……現に今も、美味そうにコリコリとニンジンをかじっている。
テーブルの上には既に、飲むばかりになったグラスが二つ。わずかに琥珀色を帯びた液体に氷が浮かべられていた。
「ほい、これ」
「ありがとう」
グラスを手に、ソファに腰を降ろす。どちらからともなく掲げてカチリ、と軽く触れ合わせた。
「おお……これは確かに美味い」
「だろ?」
「スコッチかい?」
「いや、ジャパニーズ。ショウチューって言うんだ」
「そうか、日本のスピリッツなのか」
SAKEとはちょっと違う。芳醇な香りと穀物由来の酸味が一瞬、舌を刺激するが、味わいそのものはさらりとして心地よい。
口に含んだ瞬間はパンチがあるのに、後味がいい。
「取引先からもらったんだ。日本から取り寄せしてるんだってさ!」
海の向こうからやってきたショウチューは、アメリカのスナックにも負けない、しっかりした酒だった。
杯を重ね、ポリポリとつまみを噛みつつ、とりとめのない話をした。思いつくまま、つらつらと。脈絡もなくひょいと新しい話題が顔を出し、しばらく続けて、また別の流れに分岐する。その繰り返し。
「ビリヤードやってる女の子ってさ、最高に色っぽいと思うんだよねー」
「そうかい?」
「こう、台にうつぶせになって、お尻をきゅっと突きだしてるとこがさ!」
「ああ……なるほど」
「無防備な背中に、さらっと長い髪の毛が広がってるとことか。こぼれたのをかきあげて、キューを構えるとことか、もうたまんないよ!」
くぴっとグラスの中味を煽り、バリバリとチップスをほお張る。髪の毛の色はお互いに、口にしなくてもわかっている。
「前から見て、ブラウスの襟元から白い胸がチラってのもいいね」
「まさか、のぞいたりしてないだろうね?」
「もちろん。たまたま、チラッてのがいいんだよ。こう、お得って言うか、ラッキーって気分になるし」
頭の中で対象を置き換えてみる。女性から男性へ。
「うん……まあ、それは、わかる気がするな」
「だろっ! だからさ、思わず言っちゃったんだ……こう、背後に回って、腰に手をからめて引き寄せて」
チャーリーは大入り袋のポテトチップスを抱えて頬を寄せた。
「僕のキューも、握ってくれないかって」
「…………」
ランドールはグラスを握ったまま、たっぷり5秒ほど沈黙した。
「もっと熱い玉突きをしないかい、ハニー……って」
「チャーリー……そんな………」
こめかみに手を当てて、左右に首を振る。
「妙なマニュアルを読んだティーンズじゃないんだから……」
むうっとチャーリーは頬を膨らませ、親友をにらみつけた。
「マニュアルなんか読んでないって! ロマンス小説のマネしただけだ」
(それをマニュアルって言うんだよ、チャーリー……)
「で。お相手の女性は何と返事を?」
「笑ってた。『可愛い人ね』って言って………頬をなでてキスしてくれた」
「…………」
「その場でベッドに直行して、続きをしたって寸法さ!」
「……………そりゃ良かった」
目的は果たせたと言うことか。彼の狙った通りの効果が得られたかどうかは別として。
ある意味、得な男だ、チャーリー。大まじめに、一途に、恥ずかしくなるような台詞をささやく。あくまで楽しそうに。そう言う所が女性に好かれるのだろう。
「それで、さ。君はどうなんだい、カル」
「どうって、何が?」
不意に話題を振られ、どきりとしながら平静を取りつくろった。
実際には空港でヨーコと別れて以来、遊びに出かけても誰も誘う気になれず、一人で飲んで一人で帰る日が続いている。
「珍しいよね、週末、家でおとなしくしてるなんてさ? てっきり留守だと思ったんだ」
呆れた奴だ。いないと思ったのにあんなに大騒ぎしたのか!
「その言葉は、そっくり君に返したいね。私なんかより、ビリヤードの彼女と一緒にいるべきなんじゃないか?」
「たまには、お休みしとかないとね。休肝日みたいなもの?」
すまして答えるチャーリーのグラスには、すでに氷もソーダも入っていない。純粋な酒だけ。その口で休肝日とは、説得力が無いことこの上ない。
「何か悩みでもあるのかい?」
「別に……悩んでなんか」
ついっと目をそらす。
「カル。他の人はともかく、僕の目はごまかせないよ」
「む……」
かなわない。チャーリーとの付きあいは、長い。
今よりもっと若くて、うれしいことも、悲しいことも、ダイレクトに吐きだしていた日々を共有しているのだ。
気取ったり、取り繕うような間柄ではない。どんな些細な悩みでも、決して馬鹿にせず、真摯に受け止めると互いに知っている。
「話してごらんよ」
彼は女性相手の経験が豊富だ。女心には自分より、よほど詳しいはずだ。いい知恵を貸してくれるかもしれない。
「実は………告白されたんだ」
「別に、初めてじゃないだろ?」
「初めてだよ。相手は女性なんだ」
「わお! あ……ちょっと待て、もしかして」
チャーリーは目をぱちくりさせて、ぽいっとチップスの袋を放り投げた。
「あの黒髪の眼鏡の子?」
「…………そうだ」
「赤いコートの」
「そうだ」
「ぷりっとしたお尻の可愛い……」
「チャーリー!」
「ごめん」
首をすくめ、さらりと付け加えてきた。
「それじゃ、彼女のこと何て呼べばいいのか教えてよ」
「ヨーコだ」
「日本人?」
「ああ」
「いつ知り合ったの」
「去年の八月………顧問弁護士の結婚式で………」
「あー、はぁ。よくあるよね、結婚式で招待客同士が知り合うってケース。うらやましいなあ、ゲイのくせに、あんなに可愛い子とお近づきになるなんて!」
「……」
「だいたい、君は男にもてるんだからさあ、女の子は我々ストレートの男性のために譲るのが筋ってもんじゃないか。まったくもってけしからん!」
「チャーリー。私は、真剣に悩んでるんだ!」
「ごめんごめん。それで、彼女とはどこまでの仲? 手、握った? ハグした?」
「……キス」
「頬? 額?」
「……………唇」
べしっ! いきなり平手で後ろ頭を張り倒された。
目から火花が散り、視界が揺れる。
「痛いじゃないか」
「ずるいや、カル」
「ずるくない」
「ずるいよ。僕のことは睨んだくせに、自分はちゃっかりキスしてたなんて。しかも唇に!」
「冗談言うな!」
「冗談? とんでもない。僕はいつだって真剣だよ! 女の子に関しては、特に!」
しばらく真剣ににらみあってから、ふーっとため息をついた。
「私にとって、彼女はよき友人で……妹みたいなものなんだ」
「ふーん、妹ねえ……あ、グラス空いてるよ」
トクトクと酒が注がれる。もはやソーダの追加は無し。氷も無し。
「ありがとう」
ぐいっと一気にあおった。とにかく、胸の奥にわだかまる、もやっとした苛立ちを洗い流したかった。
実は裸で(かろうじてヨーコは寝巻きは着てたけど)一緒に寝た仲だなんて。言えない。言えやしないよ、チャーリー。
「ほい、もう一杯」
「ああ、すまないね……」
「大丈夫、大丈夫。お酒もつまみも、まだまだ沢山あるからね!」
次へ→【side11-2】酔ってるね?
▼ 【side11-2】酔ってるね?
酒でいい具合に理性がほどけたところで、何気なく聞かれた。
「どんな感じだった?」
「え」
「初めてだったんだろ、女の子相手にキスするのは。どんな感じだった?」
「そ、それは、その………」
腕の中に収まっていた小さな、華奢な体の感触を思いだす。
「ちいさかった」
「うん、そりゃそうだね」
「骨格からして、華奢で。頬もなめらかで、唇もぷるんとして柔らかくて……」
無意識に舌で口の中をまさぐる。舌先にむずむずと走るこそばゆさを紛らわせようと。
「歯も、顎の骨も、舌も圧倒的にサイズが違っていて。油断したらそれこそ、彼女を丸ごと食べてしまいそうだった」
「……舌、入れたんだ」
「………………………………………ああ、入れた」
べちっと衝撃が走り、視界が揺れる。
額がひりひりしている。今度は正面から叩かれたらしい。
「痛いじゃないか」
「ずるいや、カル!」
「ずるくない」
「妹相手に、舌は入れないだろ」
「……………」
正論だ。だが、ここで素直に認めるのも何やら悔しい。
「私は……ゲイだ。女性に興味はない。君も知ってるだろう」
「うん、知ってるよ? でもね、カル。世の中には男も女も愛せる人間ってのが存在するんだよ?」
「だから違う! 何でそう言う論法になるんだ」
「女性を愛せることに……いや、女性『も』愛せることに、何か問題があるのかい?」
チャーリーはペリペリとポテトチップスの袋を開け、差し出してきた。
腹立ち間切れに無造作につかみ取り、ぼりぼりと噛み砕く。
「べろちゅーは性行為だよ。君は女の子相手に性行為をしたんだ、しかも自分から……」
「性行為、性行為と連呼するな! 私は断じてヨーコ相手に性行為なんかしていない」
「勝った、カルのが一回多い」
「え?」
「僕は二回しか言ってないのに、カルは三回も言ったじゃないか……」
チャーリーは胸を張って高らかに言い放った。
「 性 行 為 と!」
「黙れーっ」
ぼふっとクッションを投げつけ、ひるんだ所に腕をまきつけ、ヘッドロックをかける。
「むきゅー、ぎ、ぎぶあっぷ、ぎぶあっぷ」
グラスが倒れ、メガサイズのポテトチップスが花びらのように舞い散った。
「っと……」
「しまった」
一時休戦。
二人していそいそとポテトチップスを拾い上げ、こぼれた酒をふき取る。
片づけが終わってから、カルは言った。
「いいかい、チャーリー。舌を入れたのは確かにやり過ぎだったけれどね……それは少し先走り過ぎだろう」
酒の勢いを借りて反論の余地を与えず、一気呵成に畳み込む。
「例えばここに、ゲイを忌み嫌うストレートの男性が居るとする。では彼には同性の友人は居ないのか?学生時代、バスケットの試合でチームメイトと抱き合って喜んだりしなかったのか?答えは否だ」
「親愛の情を示すのにキスしまくるイタリアンマフィアは皆、ゲイの素養があるのか? 否だ! 頭に血が上ったのは認めるがね……そこに性的興奮は無かった。それだけは言える」
チャーリーはソファに座ったまま、大人しく聞いていた。言葉が途切れた所でさりげなく酒を満たしたグラスを差し出し、受け取る親友の肩を叩く。
「カルヴィン、カルヴィン、落ち着け、ランドール」
「ああ……ありがとう」
ぽふ、ぽふ、と手のひらで肩を叩きながら、ゆったりとした口調で言葉を続けた。
「同性の友人も、シチリアの伊達者も、カモッラも、『べろちゅー』はしないんだよ。前提が間違ってる。上下が違うだけで、内容同じなの、わかってないでしょ。べろちゅーは、性交渉だよ」
ぎろっとにらみつける青い瞳をひたと見返し、チャールズ・デントンはきっぱりと言い切った。
「君は、好きでもない相手とほいほい性交渉に及ぶような男じゃない。そのことは、僕がよく知っている」
あまりにもまっすぐな言葉に、一瞬燃え上がったカルの憤りは、すうっと立ち消えてしまったのだった。
「いや……その……だから……」
気恥ずかしさを持て余しつつ、ぽつり、ぽつりと言葉をつづる。
「好感を持ったからした、のではないよチャーリー。好感を持っているから出来た、が正しい。第一、私は舌を入れたキスを性交渉とは思ってないんだ………」
「えー。柔らかいとこをこすりあって気持ちよくなるんだよ? 体液だって混ざり合うし……根本的に同じじゃん!」
言われて真剣に想像し、うっかり納得しそうになってしまった。
0.5秒後には『そんな訳ないだろう!』と我に返ったが……。
危ない、危ない。色事になるとチャーリーは雄弁だ。うかうかしているとすぐに言いくるめられてしまう。
気をしっかり持たねば。
「そもそも、どういう心理状態でヨーコにべろちゅーする気になったのか、詳しく聞きたいね」
「ああ……どう言うって……」
じとーっとチャーリーをにらみつける。
「……そう……あの時、彼女にキスを仕掛けられて………君の事を考えていたよ、チャールズ」
「…………」
チャールズは何も言わずに酒瓶を取り、親友のグラスを満たした。
土産に持参したショウチュウはとっくに飲み尽くし、サイドボードから勝手に持ち出したウォッカの瓶に取って代わっていた。
かちっと歯から火花が散れば、炎の一つ二つは吐けそうなぐらいに強烈な、無色透明の液体に。
両者にらみあったまま、同時にくぴっとグラスの中味をあおり、ぶはーっと生暖かい息を吐きだした。
「うまい……」
「うん、いい酒だね……」
「あのさ、カル」
「何だい?」
手の中のグラスをもてあそびながら、チャーリーがもごもごと口の中でつぶやいた。
珍しいこともあったもんだ。
「気持ちはうれしいんだけど、さっきも言ったように僕は、女の子専門で……」
「勘違いするな。そう言う意味じゃない」
ひらひらと手を振って答える。
「わかってるって! 冗談だよ、冗談っ」
とってつけたような明るいリアクションに、むすっとしてにらみ返す。
「笑えない冗談だ」
「ごめん……あ、グラス空いたよ」
「君もな」
二杯目は少しずつ、味わうようにして口に含んだ。
「……あー、そっか」
「どうしたんだい?」
「キスして初めてわかることも、あるってことだよ。彼女に変化があって、焦ったんだね?」
「なっ、何を薮から棒に!」
「クリスマスパーティーで言ったよね。あーゆー楚々としたタイプは、いざとなったら化けるぞって……」
「くっ」
図星を指されて言葉の接ぎ穂に困る。チャーリーはしてやったり、と言わんばかりに勝ち誇った笑みを浮かべている。
ええい、腹立たしい!
「やっぱりそれって彼女の相手への嫉妬じゃないの? 俺の知らない色に染まるなー、みたいな」
「…………どう言えば伝わるのかな…」
額に手を当てて考えることしばし。
「なぁチャーリー。私は……もし、例えばこれが彼女でなく君だったとしても……そう違わない対応をしていたと思うよ」
「へえ?」
「君がいつものノリでゲイパブを冷やかしに行くとか言い出したとして、尻を撫でられるくらい平気さ! とかなんとか言い出したら。君の掛かり付けの歯医者くらいには、君の歯並びに詳しくなるようなのもお見舞いするよ」
「わお。そりゃ強烈だね」
「だけどそれは、私がゲイで君が男だから平気という事じゃない。私にも好みはあるからね。いくら君が股間に突起物をぶら下げた性別だからって、君の下半身に興味は無いし、君とキスしても性的興奮は無いだろう」
チャーリーは真面目腐った表情でしみじみと己の股間を見下ろした。それからカルの顔を見上げて、ふはっと一気に噴き出した。
「カル、言ってることが変だよ。酔ってるね」
「……君もな………」
「グラス空いてるよ」
「ああ、ありがとう」
とくとくと注がれた酒に返杯し、同時に一息に飲み干す。かぁっと熱い空気がのどから鼻腔へと駆け抜ける。
そろそろ、ウォッカの瓶も底が見えてきた。いや、そもそも透明なんだから最初から底は見えてるが。
「とにかく……」
ともすれば、あらぬ方向にそれてしまう視線をどうにかチャーリーの顔に定める。
にらみつけてやりたいはずなのに、中々狙いが定まらない……やっと目が合ったと思えば、向こうがふらりとよろけて外れてしまった。
「とにかく。ディープキスは性行為なんかじゃない」
「えー。柔らかいとこをこすりあって気持ちよくなるんだよ? 体液だって混ざり合うし……根本的に同じだよ……」
「全然違う!」
「そうかなー」
おや? さっきも同じことを言ったような……聞いたような……。ぐるっと一回転して、また元に戻ってしまったんだろうか。
「第一、キスするのと、ベッドを共にするのとは別問題だ!」
「よーし、わかった」
いきなり、チャーリーはがばっとセーターを脱ぎ、シャツのボタンを外し始めた。
酔っているはずなのに、信じられないくらいに速やかに。
「そこまで言うのなら、確かめてみようじゃないか」
潔くシャツを脱ぎ捨て、上半身裸になると、のしかかって両肩をつかんできた。
「君と僕とで、Hできるかどうか!」
「うわ、よせ、チャーリー!」
もつれあってソファに倒れ込む。
「んがぁ……」
「……まったく」
そのまま、チャーリーはがくりと突っ伏し、いびきをかいて寝てしまった。
気持ちよさそうに眠りこける親友の口をむにーっと引っ張りながら、カルはまゆ根を寄せてほほ笑んだ……わずかに口元を引きつらせて。
「君の、そう言う所が好きだよ、チャーリー……」
さて。どうやってここから抜け出そうか?
(ポテトは野菜、コーンも野菜/了)
次へ→【side12】スケーターズ狂騒曲
▼ サワディーカ!3皿目
- 拍手用お礼短編の再録。
- 【4-16-4】若気の至りと【4-16-5】本のお医者さんの間に実はこんなことがありました。
コロロン、コローン……。
「エドワーズさんって、いい人だな! 親身になって相談に乗ってくれて。ほんとに本を大事にしてくれる」
「うん……いい人だよ」
ずっしり重たい紙袋を抱え、テリーとサリーはエドワーズ古書店を後にした。
袋の中には絵本に童話、小説、図鑑、はては手芸の本や、お菓子のレシピ本まで。テリーが弟や妹のために買った本がぎっしり詰まっている。
「さすがに買いすぎたかなー」
「衝動買いしすぎだよ」
「この本、あいつが欲しがってたなーとか、この本、あの子が好きそうーとか思ったらさ、つい」
二人並んで石畳の道を歩きだす。両脇には絵はがきに出てくるような古い造りの建物が並んでいる。端が細く、中央がぷっくりと膨らんだ柱はヨーロッパの洋館を思わせる。
「ちゃんと読みたがる相手の顔を思い浮かべて買ってるんだ。無駄遣いじゃない!」
「でもお財布の中味は有限だよ?」
「うう……」
「ランチ食べる分、残ってる?」
「ケ……ケーブルカーのチケット代は、どうにか」
「やっぱり!」
冷たい乾燥した空気の中に、ふわりと花の香りが混じる。
赤いレンガ造りの店先に、細長い金属のバケツにいけられた色とりどりの花が並んでいた。
「あ、バーナードのお店だ」
「バーナード?」
「うん。リズの子猫と旦那さんがここに居て、どっちもバーナードって名前で……あれ?」
店の前に、見覚えのあるトレンチコートがうずくまっている。
手元には黒い縞模様の猫が仰向けにひっくり返り、ふかふかの腹をおしげもなく撫でさせていた。
「おまえって、ほんとにおだやかな猫だよな、バーナードJr……」
「なーう」
「よしよし……猫ってこんなにじっくり撫でられる生き物だったんだな……」
「なー」
サリーとテリーは足を止めた。
「あれ」
「お」
むくっとバーナードJrが起き上がり、とことことサリーの足下に歩み寄る。
「な〜」
「こんにちは、バーナードJr。寒いのに元気だね」
「なーお」
「そっか、君はお父さんゆずりでふかふかしてるものね」
「何だ、おまえらも今帰りか」
ヒウェルは顔をあげ、まぶしさに目をしぱしぱさせると、ゆらーっと立ち上がった。トレンチコートがぺらりと風にたなびく。
「頼みがある」
「何でしょう?」
「俺と一緒に………飯を食ってくれ。おごるから……」
サリーとテリーは思わず顔を見合わせる。確かにそろそろランチタイムだ。でも、何で?
「一人で食事すると、さみしいんだよ……」
「あー……」
なるほど。確かにさっきもエドワーズさんとそんなことを話してた。
「助かる、実は本買いすぎて!」
「わかるわかる。こう、脳みその回路がぱーっと開いちまうんだよな!」
サリーが返事をする前に、ヒウェルとテリーはすっかり意気投合してしまったようだった。(どっちも本屋の紙袋を抱えてるし)
「……うん、じゃあ行きましょうか」
※ ※ ※ ※
中華街の小さなタイ料理屋。10人も入れば満杯になる店内に入って行くと、黒髪をきりっとポニーテールに結い上げた、アーモンド型の瞳の看板娘が出迎えてくれる。
「サワディーカ!」
「やあ、タリサ」
「こんにちは」
「……こんにちは」
「あれ、今日は三人?」
「うん。席空いてる?」
「空いてるよ。どうぞ、こっちへ!」
青いギンガムチェックのビニールクロスのかかった四角いテーブルに腰をおろす。
すかさず、どんっと、白いポットに入ったレモングラスのお茶が出てきた。続いて薄い磁器の湯飲みが三つ。
三人で三杯ずつ、たっぷり余裕で飲めそうだ。
「ほい、メニュー。何食う?」
「パッタイ」
「じゃ、俺も同じの」
「はい、パッタイ二つね。メイリールさんは?」
「カオトム」
「え、お粥? カレーもトムヤンクンも無し?」
「うん。徹夜明けだから胃がもたれるしね」
まじまじとヒウェルの顔をのぞきこむと、タリサは腕組みしてうなずいた。
「あー、確かに。いつもにも増して不健康そうな顔してる!」
「トッピングは卵と揚げニンニク。味付けはトウガラシとナンプラーで」
「やっぱり辛くするんですね」
「うん、辛いの大好きだから」
「胃は大丈夫なのか?」
「……タピオカのココナッツミルクがけも追加で」
胃壁に防護壁を張る作戦に出たらしい。
タリサは注文をさらさらとメモすると厨房に向かい、まもなく何か白いものを持って引き返してきた。
「メイリールさん、はいこれ!」
「何?」
「蒸しタオル。顔に当てると、だいぶ違うよ」
「……俺、そんなにボロボロですか」
「うん。ゾンビって感じ」
「わあ、容赦ない」
苦笑しながらもヒウェルは素直に眼鏡を外して上を向き、湯気の立つタオルを顔にかけた。
「っあああ……効くなあ………」
うん、うん、とうなずくと、タリサはサリーに向き直り、にこにことほほ笑みかけた。
「サリーせんせって、いつもお化粧してないよね。やっぱり動物相手だから?」
サリーもにこやかに返事をかえす。
「やだなぁ。男に化粧すすめないでくださいよ」
「えっ」
「えっ」
その瞬間、空気が凍った。たっぷり2秒ほど。
「サリーせんせって……ごめんなさい、てっきり、その、女の人かと……」
「あー……はは、は……」
乾いた笑いで答えるサリーの脳裏に、今までこの店に来るたびに交わした会話の断片がフィードバックする。
『寒くなると、手あれがひどくなるよねー』
『だったら、馬油のハンドクリーム使うといいよ』
『こっちのシャンプーは、何か髪質に合わないみたいで。パサパサになっちゃった』
『中華街でいいの売ってたよ!』
今まで何の疑問も抱かなかったけれど、考えてみればあれ、全部女の子同士の会話だった……な……。
「よく言われます………」
「きゃーっ、ごめんなさいっ、わたしったら!」
ばっとエプロンで顔を覆うと、タリサはダッシュで厨房に飛び込んで行った。
(ばか、ばか、わたしのばかーっ)
ちらっとヒウェルが蒸しタオルをもちあげる。
「どーしたんだ、タリサ」
「いえ……ちょっとね……」
「……………」
サリーは力なく笑い、テリーはぽーっと厨房の方を見つめていた。つい今し方、タリサが消えた方角を。
(おやあ? これは、ひょっとして、ひょっとする、かな?)
「お待たせしましたっ」
数分後、運ばれてきたパッタイは、サリーの分がちょっとだけ盛りが多かった。
おわびのつもりらしい。一緒についてきた看板猫がサリーに顔をすり寄せ、ひゅうんと細い、長い尻尾で彼の手と足を撫でていた。
「み、み、み」
「……うん……ありがと」
「みゃおう」
「よくあることだから」
慣れた手つきでトッピングを粥に投入し、かきまぜるとヒウェルは背中をまるめてずぞーっとすすった。
「そいや、君ら、何で本屋にいたんだ? あの時間に、珍しいよな」
「あー、たまたま午前中が空いてたし。絵本をさがしてて」
「絵本?」
「うん、テリーの妹が大事にしてる絵本が壊れちゃって……」
「なるほど、それで新しいのさがしに来たのか」
「ええ。でも直してもらえることになったんです」
「そうか! うん、Mr.エドワーズならきっとそう言うと思ったよ。で、何てタイトルの本なんだ?」
「竜の子ラッキーと音楽師」
「へぇ……あれ、それってけっこう文字の多い本じゃないか。その、テリーの妹ってのはいくつなんだ?」
「確か、5歳」
「そりゃ大したもんだ!」
「最初は読んでもらってたみたいですけどね」
変だな。
サリーはかすかな違和感を感じた。さっきから自分とヒウェルがしゃべっているばかりで、テリーの反応がない。
いつもの彼なら『まだ5歳なんだぜ』『すごいだろ! かしこい子なんだぞー』とミッシィの自慢話に花を咲かせるはずなのに……
「テリー?」
箸を持ったまま、動かない。コマドリの卵色の瞳はぽやーっとあらぬ方角をさまよっている。
「てりー?」
「おーい、テリーくーん」
さすがに二方向から同時に名前を呼ばれ、我に返ったようだ。
「あ……俺……」
「……まあ、飲め」
ヒウェルはぽん、とテリーの肩を叩き、たぱたぱとレモングラスのお茶を注いだ。
「ああ、うん」
ごきゅごきゅと一息に飲み干すと、テリーは猛然と皿の中味を口に運んだ。山盛りのパッタイがみるみる消えて行く。
あっと言う間に皿が空っぽになった。
「そんなに腹減ってたのか、君は」
「うまいなーこれ!」
「うん、うまいだろ。何か追加で食うか?」
「さんきゅ!」
テリーは伸び上がって奥で控えるタリサに向かって手を振った。
「すいません、グリーンカレー追加で!」
「はい、グリーンカレーねっ!」
ポニーテールをなびかせてさっと飛んで来て、伝票に追加分を記入している。
「おい、平気か? ここのカレー、結構辛いぞ?」
「平気、平気、俺、辛いの好きだからっ」
「わあ。さすがメイリールさんのお友だちね」
タリサは目を細めて白い歯を見せ、ころころと笑った。まだほんの少し、眉の間に困ったような皺が残っていたけれど、それでも笑った。
テリーはまた、ぽやーっとその笑顔に見入り……
「あ、あのっ」
ぎゅっと拳を握り、タリサに向かってわずかに身を乗り出した。
「はい?」
「………空心菜のニンニク炒めも追加で」
「はい空心菜のニンニク炒めねっ!」
そんなテリーを、ヒウェルは眼鏡の奥からつぶさに観察していた。
(何てわかりやすい奴なんだ……)
「なあ、テリー。ここの空心菜は、きっちりトウガラシが入ってるから……」
「俺、辛いの好きだしっ」
「うん、それはわかる、けど。何か甘いもん頼んでおいた方がいいぞ?」
「……じゃあ、ジンジャーチャイ」
ダメだこりゃ。
辛い料理食ったとこに、熱々のチャイ飲んでどうするよ、テリーくん。
「……タリサちゃん」
「はい?」
「タップティムグロープ(クワイのココナッツシロップがけ)も頼むわ」
予想通りひんやりしたデザートは、テリーの救い主となった。
※ ※ ※ ※
店を出ると、ヒウェルはんーっと大きくのびをして目をしばたかせた。
「んじゃ、俺、そろそろ帰って寝るから」
「あー、うん、その方がいいですよ……」
「飯、ごっそーさん、うまかった」
「いや、いや、こっちこそ。つきあってくれてありがとな。楽しかったよ」
ぱちっと片目をつぶるとひらひらと手を振り、ヒウェルは歩き出した。
「それじゃ、な」
「お気を付けて……」
ひょろりとした背を見送り、サリーとテリーも歩き出す。
入り乱れる朱色と黄色。適度にごっちゃりした中華街の雑踏を歩きながら、テリーがぽつりとつぶやいた。
「今の子、かわいかったなぁ」
「あ、うん、そうだね………」
答えたものの、サリーはてんで上の空。
(半年近くあのお店に食べに行ってたのに。ずーっと女の子だって思われてたんだ……)
(アメリカ人ならともかく、同じ東洋人のタリサにまで女の子にまちがえられるなんてっ!)
テリーもやはり上の空。
頭の回りにピヨピヨと、コマドリが輪になって飛んでいた。一羽残らずちっちゃなくちばしに、ピンクのハートをくわえて。
互いの温度差に気付かぬまま、二人はとことこと歩いてケーブルカーに乗り込んだ。
(若いってのは、いいねぇ。実に率直で、わかりやすい!)
一方でヒウェルは軽くなった財布を懐に、何となくふっくら幸せな気分で帰路に着いたのだった。
(サワディーカ!3皿目/了)
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