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ローゼンベルク家の食卓

サワディーカ!3皿目

2010/02/26 21:27 短編十海
 
 
 コロロン、コローン……。
 
「エドワーズさんって、いい人だな! 親身になって相談に乗ってくれて。ほんとに本を大事にしてくれる」
「うん……いい人だよ」

 ずっしり重たい紙袋を抱え、テリーとサリーはエドワーズ古書店を後にした。
 袋の中には絵本に童話、小説、図鑑、はては手芸の本や、お菓子のレシピ本まで。テリーが弟や妹のために買った本がぎっしり詰まっている。

「さすがに買いすぎたかなー」
「衝動買いしすぎだよ」
「この本、あいつが欲しがってたなーとか、この本、あの子が好きそうーとか思ったらさ、つい」

 二人並んで石畳の道を歩きだす。両脇には絵はがきに出てくるような古い造りの建物が並んでいる。端が細く、中央がぷっくりと膨らんだ柱はヨーロッパの洋館を思わせる。

「ちゃんと読みたがる相手の顔を思い浮かべて買ってるんだ。無駄遣いじゃない!」
「でもお財布の中味は有限だよ?」
「うう……」
「ランチ食べる分、残ってる?」
「ケ……ケーブルカーのチケット代は、どうにか」
「やっぱり!」

 冷たい乾燥した空気の中に、ふわりと花の香りが混じる。
 赤いレンガ造りの店先に、細長い金属のバケツにいけられた色とりどりの花が並んでいた。

「あ、バーナードのお店だ」
「バーナード?」
「うん。リズの子猫と旦那さんがここに居て、どっちもバーナードって名前で……あれ?」

 店の前に、見覚えのあるトレンチコートがうずくまっている。
 手元には黒い縞模様の猫が仰向けにひっくり返り、ふかふかの腹をおしげもなく撫でさせていた。

「おまえって、ほんとにおだやかな猫だよな、バーナードJr……」
「なーう」
「よしよし……猫ってこんなにじっくり撫でられる生き物だったんだな……」
「なー」

 サリーとテリーは足を止めた。

「あれ」
「お」

 むくっとバーナードJrが起き上がり、とことことサリーの足下に歩み寄る。

「な〜」
「こんにちは、バーナードJr。寒いのに元気だね」
「なーお」
「そっか、君はお父さんゆずりでふかふかしてるものね」
「何だ、おまえらも今帰りか」

 ヒウェルは顔をあげ、まぶしさに目をしぱしぱさせると、ゆらーっと立ち上がった。トレンチコートがぺらりと風にたなびく。

「頼みがある」
「何でしょう?」
「俺と一緒に………飯を食ってくれ。おごるから……」

 サリーとテリーは思わず顔を見合わせる。確かにそろそろランチタイムだ。でも、何で?

「一人で食事すると、さみしいんだよ……」
「あー……」

 なるほど。確かにさっきもエドワーズさんとそんなことを話してた。

「助かる、実は本買いすぎて!」
「わかるわかる。こう、脳みその回路がぱーっと開いちまうんだよな!」

 サリーが返事をする前に、ヒウェルとテリーはすっかり意気投合してしまったようだった。(どっちも本屋の紙袋を抱えてるし)

「……うん、じゃあ行きましょうか」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 中華街の小さなタイ料理屋。10人も入れば満杯になる店内に入って行くと、黒髪をきりっとポニーテールに結い上げた、アーモンド型の瞳の看板娘が出迎えてくれる。

「サワディーカ!」
「やあ、タリサ」
「こんにちは」
「……こんにちは」
「あれ、今日は三人?」
「うん。席空いてる?」
「空いてるよ。どうぞ、こっちへ!」

 青いギンガムチェックのビニールクロスのかかった四角いテーブルに腰をおろす。
 すかさず、どんっと、白いポットに入ったレモングラスのお茶が出てきた。続いて薄い磁器の湯飲みが三つ。
 三人で三杯ずつ、たっぷり余裕で飲めそうだ。

「ほい、メニュー。何食う?」
「パッタイ」
「じゃ、俺も同じの」
「はい、パッタイ二つね。メイリールさんは?」
「カオトム」
「え、お粥? カレーもトムヤンクンも無し?」
「うん。徹夜明けだから胃がもたれるしね」

 まじまじとヒウェルの顔をのぞきこむと、タリサは腕組みしてうなずいた。

「あー、確かに。いつもにも増して不健康そうな顔してる!」
「トッピングは卵と揚げニンニク。味付けはトウガラシとナンプラーで」
「やっぱり辛くするんですね」
「うん、辛いの大好きだから」
「胃は大丈夫なのか?」
「……タピオカのココナッツミルクがけも追加で」

 胃壁に防護壁を張る作戦に出たらしい。
 タリサは注文をさらさらとメモすると厨房に向かい、まもなく何か白いものを持って引き返してきた。

「メイリールさん、はいこれ!」
「何?」
「蒸しタオル。顔に当てると、だいぶ違うよ」
「……俺、そんなにボロボロですか」
「うん。ゾンビって感じ」
「わあ、容赦ない」

 苦笑しながらもヒウェルは素直に眼鏡を外して上を向き、湯気の立つタオルを顔にかけた。

「っあああ……効くなあ………」

 うん、うん、とうなずくと、タリサはサリーに向き直り、にこにことほほ笑みかけた。

「サリーせんせって、いつもお化粧してないよね。やっぱり動物相手だから?」

 サリーもにこやかに返事をかえす。

「やだなぁ。男に化粧すすめないでくださいよ」
「えっ」
「えっ」

 その瞬間、空気が凍った。たっぷり2秒ほど。

「サリーせんせって……ごめんなさい、てっきり、その、女の人かと……」
「あー……はは、は……」

 乾いた笑いで答えるサリーの脳裏に、今までこの店に来るたびに交わした会話の断片がフィードバックする。

『寒くなると、手あれがひどくなるよねー』
『だったら、馬油のハンドクリーム使うといいよ』
『こっちのシャンプーは、何か髪質に合わないみたいで。パサパサになっちゃった』
『中華街でいいの売ってたよ!』

 今まで何の疑問も抱かなかったけれど、考えてみればあれ、全部女の子同士の会話だった……な……。

「よく言われます………」
「きゃーっ、ごめんなさいっ、わたしったら!」

 ばっとエプロンで顔を覆うと、タリサはダッシュで厨房に飛び込んで行った。
 
(ばか、ばか、わたしのばかーっ)

 ちらっとヒウェルが蒸しタオルをもちあげる。

「どーしたんだ、タリサ」
「いえ……ちょっとね……」
「……………」

 サリーは力なく笑い、テリーはぽーっと厨房の方を見つめていた。つい今し方、タリサが消えた方角を。

(おやあ? これは、ひょっとして、ひょっとする、かな?)

「お待たせしましたっ」

 数分後、運ばれてきたパッタイは、サリーの分がちょっとだけ盛りが多かった。
 おわびのつもりらしい。一緒についてきた看板猫がサリーに顔をすり寄せ、ひゅうんと細い、長い尻尾で彼の手と足を撫でていた。

「み、み、み」
「……うん……ありがと」
「みゃおう」
「よくあることだから」

 慣れた手つきでトッピングを粥に投入し、かきまぜるとヒウェルは背中をまるめてずぞーっとすすった。

「そいや、君ら、何で本屋にいたんだ? あの時間に、珍しいよな」
「あー、たまたま午前中が空いてたし。絵本をさがしてて」
「絵本?」
「うん、テリーの妹が大事にしてる絵本が壊れちゃって……」
「なるほど、それで新しいのさがしに来たのか」
「ええ。でも直してもらえることになったんです」
「そうか! うん、Mr.エドワーズならきっとそう言うと思ったよ。で、何てタイトルの本なんだ?」
「竜の子ラッキーと音楽師」
「へぇ……あれ、それってけっこう文字の多い本じゃないか。その、テリーの妹ってのはいくつなんだ?」
「確か、5歳」
「そりゃ大したもんだ!」
「最初は読んでもらってたみたいですけどね」

 変だな。
 サリーはかすかな違和感を感じた。さっきから自分とヒウェルがしゃべっているばかりで、テリーの反応がない。
 いつもの彼なら『まだ5歳なんだぜ』『すごいだろ! かしこい子なんだぞー』とミッシィの自慢話に花を咲かせるはずなのに……

「テリー?」

 箸を持ったまま、動かない。コマドリの卵色の瞳はぽやーっとあらぬ方角をさまよっている。

「てりー?」
「おーい、テリーくーん」

 さすがに二方向から同時に名前を呼ばれ、我に返ったようだ。

「あ……俺……」
「……まあ、飲め」

 ヒウェルはぽん、とテリーの肩を叩き、たぱたぱとレモングラスのお茶を注いだ。

「ああ、うん」

 ごきゅごきゅと一息に飲み干すと、テリーは猛然と皿の中味を口に運んだ。山盛りのパッタイがみるみる消えて行く。
 あっと言う間に皿が空っぽになった。

「そんなに腹減ってたのか、君は」
「うまいなーこれ!」
「うん、うまいだろ。何か追加で食うか?」
「さんきゅ!」

 テリーは伸び上がって奥で控えるタリサに向かって手を振った。

「すいません、グリーンカレー追加で!」
「はい、グリーンカレーねっ!」

 ポニーテールをなびかせてさっと飛んで来て、伝票に追加分を記入している。

「おい、平気か? ここのカレー、結構辛いぞ?」
「平気、平気、俺、辛いの好きだからっ」
「わあ。さすがメイリールさんのお友だちね」

 タリサは目を細めて白い歯を見せ、ころころと笑った。まだほんの少し、眉の間に困ったような皺が残っていたけれど、それでも笑った。
 テリーはまた、ぽやーっとその笑顔に見入り……

「あ、あのっ」

 ぎゅっと拳を握り、タリサに向かってわずかに身を乗り出した。

「はい?」
「………空心菜のニンニク炒めも追加で」
「はい空心菜のニンニク炒めねっ!」

 そんなテリーを、ヒウェルは眼鏡の奥からつぶさに観察していた。

(何てわかりやすい奴なんだ……)

「なあ、テリー。ここの空心菜は、きっちりトウガラシが入ってるから……」
「俺、辛いの好きだしっ」
「うん、それはわかる、けど。何か甘いもん頼んでおいた方がいいぞ?」
「……じゃあ、ジンジャーチャイ」

 ダメだこりゃ。
 辛い料理食ったとこに、熱々のチャイ飲んでどうするよ、テリーくん。

「……タリサちゃん」
「はい?」
「タップティムグロープ(クワイのココナッツシロップがけ)も頼むわ」

 予想通りひんやりしたデザートは、テリーの救い主となった。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 店を出ると、ヒウェルはんーっと大きくのびをして目をしばたかせた。

「んじゃ、俺、そろそろ帰って寝るから」
「あー、うん、その方がいいですよ……」
「飯、ごっそーさん、うまかった」
「いや、いや、こっちこそ。つきあってくれてありがとな。楽しかったよ」

 ぱちっと片目をつぶるとひらひらと手を振り、ヒウェルは歩き出した。

「それじゃ、な」
「お気を付けて……」

 ひょろりとした背を見送り、サリーとテリーも歩き出す。
 入り乱れる朱色と黄色。適度にごっちゃりした中華街の雑踏を歩きながら、テリーがぽつりとつぶやいた。

「今の子、かわいかったなぁ」
「あ、うん、そうだね………」

 答えたものの、サリーはてんで上の空。

(半年近くあのお店に食べに行ってたのに。ずーっと女の子だって思われてたんだ……)
(アメリカ人ならともかく、同じ東洋人のタリサにまで女の子にまちがえられるなんてっ!)

 テリーもやはり上の空。
 頭の回りにピヨピヨと、コマドリが輪になって飛んでいた。一羽残らずちっちゃなくちばしに、ピンクのハートをくわえて。
 互いの温度差に気付かぬまま、二人はとことこと歩いてケーブルカーに乗り込んだ。

(若いってのは、いいねぇ。実に率直で、わかりやすい!)

 一方でヒウェルは軽くなった財布を懐に、何となくふっくら幸せな気分で帰路に着いたのだった。
 

(サワディーカ!3皿目/了)
 
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