▼ 【side11-2】酔ってるね?
酒でいい具合に理性がほどけたところで、何気なく聞かれた。
「どんな感じだった?」
「え」
「初めてだったんだろ、女の子相手にキスするのは。どんな感じだった?」
「そ、それは、その………」
腕の中に収まっていた小さな、華奢な体の感触を思いだす。
「ちいさかった」
「うん、そりゃそうだね」
「骨格からして、華奢で。頬もなめらかで、唇もぷるんとして柔らかくて……」
無意識に舌で口の中をまさぐる。舌先にむずむずと走るこそばゆさを紛らわせようと。
「歯も、顎の骨も、舌も圧倒的にサイズが違っていて。油断したらそれこそ、彼女を丸ごと食べてしまいそうだった」
「……舌、入れたんだ」
「………………………………………ああ、入れた」
べちっと衝撃が走り、視界が揺れる。
額がひりひりしている。今度は正面から叩かれたらしい。
「痛いじゃないか」
「ずるいや、カル!」
「ずるくない」
「妹相手に、舌は入れないだろ」
「……………」
正論だ。だが、ここで素直に認めるのも何やら悔しい。
「私は……ゲイだ。女性に興味はない。君も知ってるだろう」
「うん、知ってるよ? でもね、カル。世の中には男も女も愛せる人間ってのが存在するんだよ?」
「だから違う! 何でそう言う論法になるんだ」
「女性を愛せることに……いや、女性『も』愛せることに、何か問題があるのかい?」
チャーリーはペリペリとポテトチップスの袋を開け、差し出してきた。
腹立ち間切れに無造作につかみ取り、ぼりぼりと噛み砕く。
「べろちゅーは性行為だよ。君は女の子相手に性行為をしたんだ、しかも自分から……」
「性行為、性行為と連呼するな! 私は断じてヨーコ相手に性行為なんかしていない」
「勝った、カルのが一回多い」
「え?」
「僕は二回しか言ってないのに、カルは三回も言ったじゃないか……」
チャーリーは胸を張って高らかに言い放った。
「 性 行 為 と!」
「黙れーっ」
ぼふっとクッションを投げつけ、ひるんだ所に腕をまきつけ、ヘッドロックをかける。
「むきゅー、ぎ、ぎぶあっぷ、ぎぶあっぷ」
グラスが倒れ、メガサイズのポテトチップスが花びらのように舞い散った。
「っと……」
「しまった」
一時休戦。
二人していそいそとポテトチップスを拾い上げ、こぼれた酒をふき取る。
片づけが終わってから、カルは言った。
「いいかい、チャーリー。舌を入れたのは確かにやり過ぎだったけれどね……それは少し先走り過ぎだろう」
酒の勢いを借りて反論の余地を与えず、一気呵成に畳み込む。
「例えばここに、ゲイを忌み嫌うストレートの男性が居るとする。では彼には同性の友人は居ないのか?学生時代、バスケットの試合でチームメイトと抱き合って喜んだりしなかったのか?答えは否だ」
「親愛の情を示すのにキスしまくるイタリアンマフィアは皆、ゲイの素養があるのか? 否だ! 頭に血が上ったのは認めるがね……そこに性的興奮は無かった。それだけは言える」
チャーリーはソファに座ったまま、大人しく聞いていた。言葉が途切れた所でさりげなく酒を満たしたグラスを差し出し、受け取る親友の肩を叩く。
「カルヴィン、カルヴィン、落ち着け、ランドール」
「ああ……ありがとう」
ぽふ、ぽふ、と手のひらで肩を叩きながら、ゆったりとした口調で言葉を続けた。
「同性の友人も、シチリアの伊達者も、カモッラも、『べろちゅー』はしないんだよ。前提が間違ってる。上下が違うだけで、内容同じなの、わかってないでしょ。べろちゅーは、性交渉だよ」
ぎろっとにらみつける青い瞳をひたと見返し、チャールズ・デントンはきっぱりと言い切った。
「君は、好きでもない相手とほいほい性交渉に及ぶような男じゃない。そのことは、僕がよく知っている」
あまりにもまっすぐな言葉に、一瞬燃え上がったカルの憤りは、すうっと立ち消えてしまったのだった。
「いや……その……だから……」
気恥ずかしさを持て余しつつ、ぽつり、ぽつりと言葉をつづる。
「好感を持ったからした、のではないよチャーリー。好感を持っているから出来た、が正しい。第一、私は舌を入れたキスを性交渉とは思ってないんだ………」
「えー。柔らかいとこをこすりあって気持ちよくなるんだよ? 体液だって混ざり合うし……根本的に同じじゃん!」
言われて真剣に想像し、うっかり納得しそうになってしまった。
0.5秒後には『そんな訳ないだろう!』と我に返ったが……。
危ない、危ない。色事になるとチャーリーは雄弁だ。うかうかしているとすぐに言いくるめられてしまう。
気をしっかり持たねば。
「そもそも、どういう心理状態でヨーコにべろちゅーする気になったのか、詳しく聞きたいね」
「ああ……どう言うって……」
じとーっとチャーリーをにらみつける。
「……そう……あの時、彼女にキスを仕掛けられて………君の事を考えていたよ、チャールズ」
「…………」
チャールズは何も言わずに酒瓶を取り、親友のグラスを満たした。
土産に持参したショウチュウはとっくに飲み尽くし、サイドボードから勝手に持ち出したウォッカの瓶に取って代わっていた。
かちっと歯から火花が散れば、炎の一つ二つは吐けそうなぐらいに強烈な、無色透明の液体に。
両者にらみあったまま、同時にくぴっとグラスの中味をあおり、ぶはーっと生暖かい息を吐きだした。
「うまい……」
「うん、いい酒だね……」
「あのさ、カル」
「何だい?」
手の中のグラスをもてあそびながら、チャーリーがもごもごと口の中でつぶやいた。
珍しいこともあったもんだ。
「気持ちはうれしいんだけど、さっきも言ったように僕は、女の子専門で……」
「勘違いするな。そう言う意味じゃない」
ひらひらと手を振って答える。
「わかってるって! 冗談だよ、冗談っ」
とってつけたような明るいリアクションに、むすっとしてにらみ返す。
「笑えない冗談だ」
「ごめん……あ、グラス空いたよ」
「君もな」
二杯目は少しずつ、味わうようにして口に含んだ。
「……あー、そっか」
「どうしたんだい?」
「キスして初めてわかることも、あるってことだよ。彼女に変化があって、焦ったんだね?」
「なっ、何を薮から棒に!」
「クリスマスパーティーで言ったよね。あーゆー楚々としたタイプは、いざとなったら化けるぞって……」
「くっ」
図星を指されて言葉の接ぎ穂に困る。チャーリーはしてやったり、と言わんばかりに勝ち誇った笑みを浮かべている。
ええい、腹立たしい!
「やっぱりそれって彼女の相手への嫉妬じゃないの? 俺の知らない色に染まるなー、みたいな」
「…………どう言えば伝わるのかな…」
額に手を当てて考えることしばし。
「なぁチャーリー。私は……もし、例えばこれが彼女でなく君だったとしても……そう違わない対応をしていたと思うよ」
「へえ?」
「君がいつものノリでゲイパブを冷やかしに行くとか言い出したとして、尻を撫でられるくらい平気さ! とかなんとか言い出したら。君の掛かり付けの歯医者くらいには、君の歯並びに詳しくなるようなのもお見舞いするよ」
「わお。そりゃ強烈だね」
「だけどそれは、私がゲイで君が男だから平気という事じゃない。私にも好みはあるからね。いくら君が股間に突起物をぶら下げた性別だからって、君の下半身に興味は無いし、君とキスしても性的興奮は無いだろう」
チャーリーは真面目腐った表情でしみじみと己の股間を見下ろした。それからカルの顔を見上げて、ふはっと一気に噴き出した。
「カル、言ってることが変だよ。酔ってるね」
「……君もな………」
「グラス空いてるよ」
「ああ、ありがとう」
とくとくと注がれた酒に返杯し、同時に一息に飲み干す。かぁっと熱い空気がのどから鼻腔へと駆け抜ける。
そろそろ、ウォッカの瓶も底が見えてきた。いや、そもそも透明なんだから最初から底は見えてるが。
「とにかく……」
ともすれば、あらぬ方向にそれてしまう視線をどうにかチャーリーの顔に定める。
にらみつけてやりたいはずなのに、中々狙いが定まらない……やっと目が合ったと思えば、向こうがふらりとよろけて外れてしまった。
「とにかく。ディープキスは性行為なんかじゃない」
「えー。柔らかいとこをこすりあって気持ちよくなるんだよ? 体液だって混ざり合うし……根本的に同じだよ……」
「全然違う!」
「そうかなー」
おや? さっきも同じことを言ったような……聞いたような……。ぐるっと一回転して、また元に戻ってしまったんだろうか。
「第一、キスするのと、ベッドを共にするのとは別問題だ!」
「よーし、わかった」
いきなり、チャーリーはがばっとセーターを脱ぎ、シャツのボタンを外し始めた。
酔っているはずなのに、信じられないくらいに速やかに。
「そこまで言うのなら、確かめてみようじゃないか」
潔くシャツを脱ぎ捨て、上半身裸になると、のしかかって両肩をつかんできた。
「君と僕とで、Hできるかどうか!」
「うわ、よせ、チャーリー!」
もつれあってソファに倒れ込む。
「んがぁ……」
「……まったく」
そのまま、チャーリーはがくりと突っ伏し、いびきをかいて寝てしまった。
気持ちよさそうに眠りこける親友の口をむにーっと引っ張りながら、カルはまゆ根を寄せてほほ笑んだ……わずかに口元を引きつらせて。
「君の、そう言う所が好きだよ、チャーリー……」
さて。どうやってここから抜け出そうか?
(ポテトは野菜、コーンも野菜/了)
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