▼ 【4-16-6】★紳士の社交場
ビリヤード(pocket billiard)は自宅でするに限る。
少なくともレオンハルト・ローゼンベルクはそう思っていた。
このマンションに越してきた当初は、遊戯室なんて使うこともないだろうと思っていた。だが、今ではアレックスの差配に感謝している。
ビリヤード台にポーカーテーブル、果ては自動計算機能付きのダーツボードまで一式揃えた本格的な遊戯室は、しばしば夕食後に大人三人が気軽に遊べる紳士の社交場として多いに役立っている。
特にビリヤードだ。
その性質上、どうしてもプレイする時はキューを構えて前かがみになる。マッセやジャンプショットを狙う時はそれほどでもないが、オーソドックスに構えようものなら、自ずと尻を突きだす格好になってしまう。
そして、ディフは滅多に奇をてらうことはなく、正統派に構えるのが常だった。
緑色のラシャ布を貼ったテーブルの上に左手をつき、中指、薬指、小指で支えて高さを調節。人さし指と親指で輪をつくり、右手で握ったキューの先端をくぐらせる。
右足を45度身体の外側に開き、反対側の足を斜め前に出して身体を安定させる。体重を両足に均等にかけて上体を前に倒し、頭をキューの真上に。
必然的に無防備にさらけ出された広い背中を。引き締まった腰、張りのある尻を、レオンはじっくりと目を細めて味わった。
「……」
何人たりともこの姿を見ることなど許さない。無論、ヒウェルもだ。
ナインボールは一対一。対戦相手とは基本的に向かい合うか並ぶかで、背中を見る機会は滅多にない。
従って、こうして自宅の遊戯室でプレイしている限り、レオン以外の人間がプレイ中のディフを背後から眺めるチャンスは無くなる。
(うん。やはりビリヤードは家でするに限るね)
数度弾みをつけてから、ディフはおもむろに勢いよくキューを繰り出した。
がごん!
勢いがよすぎたようだ。
白い手球はわずかに宙に浮き、狙ったはずのカラーボールの手前で水切りの石よろしくバウンド。テーブルの縁すれすれにすっ飛び、放物線を描いて床に落ちた。
そのまま壁際までころころと転がり、かこんと跳ね返る。
「……っあれ?」
「おいおい、ジャンプショットにも程があるぜ。部屋の壁狙ってどーすんだ」
ひゅうっとヒウェルが口笛を吹き、足下に転がった手球を拾い上げた。
「っかしいなあ……6番を狙ったはずなのに」
角度は正しかった。しかしながらディフが考えている以上に彼の力は強かった。スピンがかかりすぎて、まっすぐ転がるべき球が跳ねてしまったのだ。
(熟した桃をつぶさず皮を剥ける君が、どうしてこうなるのかな……)
そこが可愛い。愛おしい。レオンは密やかにほほ笑み、ディフに歩み寄った。
「この距離ならもっと優しく打たないと」
「優しく……か」
手のひらを握ったり、開いたりしながら首をかしげている。背後から手をまわし、両肩を包み込む。
「ほら、深呼吸………ゆっくり息を吸って」
「深呼吸……か」
素直にすー、はー、と深く息をする彼の横顔を飽きることなく眺めた。
その間にヒウェルはサイコロ型の青いチョークを手のひらにとり、くいくいと自分のキューの先端にすり付ける。
(やれやれ、こいつらと来たらもう遠慮もへったくれもあったもんじゃないや)
とにもかくにも、自分の手番だ。さしあたっては拾った球をどこに置くか、だが。
「んじゃま……さっきとだいたい同じ位置に置かせていただきますかね」
「いいのか?」
「ああ。じーっと見てたからね。この方がやりやすい」
そっと指先で白い球を支えて緑色の布張りの上に載せる。口の端にくわえたタバコには火はついていない。この家は全面禁煙だし、そもそもビリヤード台のそばでタバコを吸うのは紳士らしからぬ行為とされている。
しかしながら火がついてるついてないは問題じゃない。
要はくわえていることが大事なのだ。こいつがないと調子が出ない。
ヒウェルは片目を細めて頭の中に球の軌道を描いた。
ナインボールゲームで今残っているのは6、7、8、9。最初に手球が接触するのは、一番小さい数字……すなわち6番でなければいけない。
上体を倒し、左手の人さし指と親指で作ったVの字の上にキューを載せ、弾く。子猫の前足の一撃のように、こつ……と軽く。
狙いたがわず、転がった手球は6番に当たる。
そして6番はコロコロと転がり、カツンと当たって……カコン、と球が穴に落ちる。
「ほい、9番ポケット」
「まだ6までしか行ってないぞ?」
「うん、だから6に当てて、6で9を弾いた」
ナインボールでは、先に9番ボールを落とした方が勝者となる。
かくしてセット終了、次のターンへ。
「…………さすがだね」
「大学の学費の半分はコレで稼いだようなもんですから?」
ディフは軽く肩をすくめると三角形の木枠を置き、てきぱきと9つのボールをひし形に組み始めた。1番を手前に、9番を真ん中に。パイの上にベリーを並べるように慎重に、隙間なくぴっちりと。
「……っし」
前後左右から確認し、うなずいて枠を持ち上げ、台から下がる。
「んじゃま、失礼して……」
ヒウェルは再び手球を置き、無造作に突いた。
カコン、ころころころ……ポコン。
「え」
「ごめん、入っちゃった」
悪びれもせずキューの先端にチョークをすり付け、構え直した。
「……やってろ」
ディフはひらひらと手を振り、レオンの傍らに寄り添った。
ヒウェルは余裕綽々と言った体で軽快に白い球を弾き、狙った球を落として行く。
「1番ポケット。お次は……2はもう入っちゃってるから3っと」
ディフはため息をつき、キューをラックに立て掛けた。
今日はヒウェルの奴はいつもにも増して調子がいいようだ。こうなると、果たして自分の番が回ってくるかどうか、はなはだ疑問だ。
まあ、いいか。
夕食後のひととき、酒を飲むか、ビリヤードかダーツにするかの三択で選んだ結果だ。この際、ゆるっとヒウェルの技の冴えを見物するのも悪くない。
今度は上体を起こして台の脇に立ち、キューをほぼ垂直に構え下ろしている。
やんわりとレオンがたしなめた。
「台を破らないでくれよ?」
「今まで破ったことあります?」
カコン!
狙いたがわず、キューの先端が手球の中心からわずかに端にそれた部分を弾く。強烈にスピンしながら白い球がカーブを描き、手前の7番と5番を回避して3番に当たる。
ゴトリ。
「ほい、いっちょあがり」
「お見事」
にまっと笑ってヒウェルは青いチョークを取り、きゅっきゅとキューの先端をこすった。
「Mr.エドワーズってさ。ピアスしてるんだな」
本来は相手の手番中にみだりに話しかけるのはマナー違反だ。しかし、当人から話しかけてきたとなれば別。
まして酒盛り代わりのお遊びだ。興が乗ってくれば自ずと無駄話に花が咲く。
「ああ。見たのか?」
「うん。透明の保護用のがキラっとね。若い頃に開けたんだって?」
「んむ、自分でやったそうだ。消毒した安全ピンで、こう、ぶすっと……」
「意外だね」
「うーわーやめて、聞きたくないーっ」
ヒウェルは耳を押さえてじたばたしている。
「自分から話題振っといて……」
「ヒウェルらしいね」
それでも次のショットはきちんと決めていた。
「EEEは、若い頃はけっこうやんちゃしてたらしい」
「マジ?」
「うん。イギリスから移住してきたばかりで、こっちに中々馴染めなくて。ケンカ三昧で尖ってたのが、マクダネル警部補にとっつかまって説教食らったそうだ」
「もしかして、グレてたってこと?」
「そうとも言う。バンドもやってたって聞いたな。署内でチャリティーコンサートやった時も、ギター弾いてたし」
「ジャズ? ビートルズ?」
「ハードロック」
「えー」
「意外だね……やっぱりブリティッシュ?」
「いや、ガンズ」
「世代だなあ……曲は?」
「Paradise City」
「……あ」
カコ……。
話の合間に弾いた球は、狙った的にも、台のクッションにも当たらず、半端な位置で止まっていた。
「……珍しいな」
「ま、ね、たまにはね」
※ ※ ※ ※
結局、2セット目はヒウェルの腕はいまいち振るわずディフの勝利となり、互いに一勝一敗になったところでキリよくお開きとなった。
寝室に引き上げ、服を脱ぐ途中でディフは手を止めて何気なくレオンに問いかけてみた。
「なあ、レオン。ピアスしてる男って、どう思う?」
「どうしたんだい、いきなり」
「EEEのこと思いだして、な。あと、右の耳に一つだけピアスつけるのは、ゲイの印だって言うから、その、気になって」
「ずいぶんと古風なことを言うね……」
レオンはさりげなく広い肩に手を置き、顔を寄せた。
(君は、積極的にゲイだと意思表示をするつもりか? この街で?)
サンフランシスコでそんな真似をしようものなら、今まで見るだけで済ませていた奴らがここぞとばかりに声をかけてくる。
とんでもない。
断じて却下だ。
「つけてみたくなった?」
ゆるめたシャツの襟の内側に息を吹き込むと、ディフはぴくっと身をすくめた。
「いや、別にそう言う意味じゃ……」
右の耳たぶにキスをして、口に含む。
「っ、あ、何をっ」
「こんな風に……耳たぶに穴を……」
「くっ、よせっ、んんっ」
「軽く噛んだだけでこんなに震えてるのに……」
「わかった、わかったからっ」
身もだえする腰に腕を巻き付け、しっかりと抱きすくめる。どうやら、じっくり教え込む必要がありそうだ。
言葉よりも雄弁に。奥深い所までじっくりと。
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