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ローゼンベルク家の食卓

【4-16-7】エドワーズがんばる

2010/02/17 0:37 四話十海
 
 一週間後。待ちかねたメールがテリーの携帯に入った。

「サリー、見てくれ、これ!」

 彼は読むのもそこそこにサリーの所に飛んで行き、満面の笑顔で画面を開いて見せたのだった。

「できたんだ、絵本!」
「おめでとう!」
「うん……サンキュ。明日、とりに行こうと思う」
「そうだね、今日はもう、こんな時間だし」

 時刻は午後四時を回っていた。
 大人二人ならともかく、なかなか家から出たがらない、怖がりの小さな女の子を連れ出すのには遅すぎる。
 
「それで……さ。ちょっと頼みがあるんだけど、いいかな」
「うん、何?」
「おまえ、この間、えらく可愛いランチ作ってたろ。絵本みたいに、ライスとかソーセージで形作ってた」
「ああ、キャラ弁?」
「そう、それ」

 アメリカでも日本のアニメやコミック、ゲームは人気がある。普通に日本の書店やゲームショップと変わりないラインナップで英語版が並んでいるし、テレビでは毎日のように英語で吹き替えられたジャパニメーション……日本のアニメが放映されていた。

 その中に出てくる『お弁当』はアメリカでの『ランチ』の概念とはまったく違っていた。
 パンにピーナッツバターとジェリー(ジャム)を挟んで、リンゴやバナナを丸ごとジップロックにごろん。これがアメリカの定番ランチ。
 日本のお弁当を見てみたい、食べてみたい、と言う友人のリクエストに答えてサリーは何度か『ジャパニーズランチ』を披露したことがあった。
 もともと手先が器用で料理上手な事もあり、最近ではマンガや絵本のキャラクターをかたどる『キャラ弁』にまでレパートリーを広げていた。

「いいよ。何かリクエストある?」
「ミッフィー」
「ミッシィ用?」
「うん」

 幼稚園以外の外出、そして外で食事をする。ミッシィを社会に適応させる訓練の一環なのだ。外に行くのは楽しいことなのだと条件づけるための。

「いいよ。作っておく。明日、何時に出発する?」

 テリーに答えながら、サリーはすでに頭の中で献立を考えていた。自分とテリーの分は、簡単におにぎりで済ませるとして……
 おかずは何にしよう。
 ブルーナーの黄色とオレンジ、濃いめのグリーンをどうやって再現しようか? オレンジはニンジン、パプリカ、カボチャ。
 黄色はチーズ、卵、やっぱりパプリカ。
 グリーンはアスパラ、ブロッコリー、ピーマンにホウレンソウかな。

「あ、ミッシィって苦手な食べ物とか、アレルギーはある?」
「いや。好き嫌いはない」
「ピーマンは平気?」
「うん。えらいだろ! 大人になっても食えない奴いるのにな!」

 ああ、言っちゃった。
 今ごろ、クシャミしてるだろうな、ヒウェル。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 コロロン、コローン……。
 真鍮のドアベルが奏でる優しい音色に迎えられ、ミッシィは震える足でお店にはいっていった。
 静かで、どっしりとした空気に包まれる。ウサギの帽子ともこもこのヒヨコ色のマフラーの間から、奥のカウンターをまっすぐに見つめた。

「いらっしゃいませ、お待ちしておりました」

 いた。本のお医者さんだ! 今日はマスクはしていない。手に白い手袋をはめて、薄紙に包まれた四角いものを大事そうに抱えている。
 あの大きさ。あの形。うっすら透けて見える、青と赤、そして小さな緑色。

「に」
「Hi,リズ」

 白い猫さんが迎えに来てくれた。
 ミッシィはかがんで猫を撫でて、それから一緒に前に進んだ。
 心臓がどきどきして、途中で足が止まってしまう。リズがちらりと振り返り、「にゃ」と鳴いた。

『大丈夫。いらっしゃい』

 こくっとうなずき、また歩き出す。
 カウンターにたどり着くと、ミッシィは勇気を振り絞って口をひらいた。

「おはようございます。わたしの本、お迎えにきました」
「はい。こちらにお持ちしてあります」

 本のお医者さんは床にひざまずき、薄紙を開いた。

「どうぞ、ご確認ください」

 うやうやしく本が差し出される。
 
「……………」

 震える手で受け取った。全部くっついてる。ぱらぱらとページをめくる。まるでおろしたての本のように、ぱりぱりと音がした。
 直ってる。すっかり元通りになっている。卵を拾うページも。卵が割れて竜がうまれるページも!

「今度は落としても壊れないように、しっかりと補強しておきました。最初のうちは少し、開きづらいかもしれませんが」
「あ……あ………」

 ぱくぱくと口を開け閉めする。ちいさな口の中、ちっちゃな歯の間から朗らかな声がこぼれ落ちる。小鳥がさえずるように明るく、喜びにあふれていた。

「ありがとう……本のお医者さん、ありがとう!」

 ミッシィは笑っていた。白い歯を見せてにこにこと、しぼりたてのオレンジジュースみたいに。はちみつみたいに笑っていた。
 その笑顔を取り戻すために、自分の手が役立った。そう思うと、エドワーズは嬉しかった。

「よかったね」
「うん」

 サリー先生がミッシィの隣にかがみこみ、頭をなでている。
 ああ、何と言う美しさ。温かさだろう。まるでラファエロの聖母子像のようだ。
 
「ありがとうございました、エドワーズさんっ」

 ……おっと。
 テリーの声に我に返り、立ち上がる。

「あの子が、あんな風に笑うの、すげえ久しぶりでっ! 両親も安心します。ほんと、ありがとうございますっ」

 真剣な顔で、頬を紅潮させ、勢い良く言葉を繰り出す。その朴訥さ、純粋さに胸を打たれた。
 そして気付いてしまう。
 サリー先生の恋人だと言うのに、自分はこの青年を欠片ほどもねたましく思っていない。むしろ好ましいと感じていることに。
 さすがに手放しで祝福、とまではできないが……。(ああ、我ながら何て心の狭い!)

「いえ……私は、自分の仕事をしただけですから」

 少女の笑顔を取り戻せた事を。家族の心に平和をもたらすことができた事を、誇らしく思った。
 エドワーズは胸に手を当てて背筋を伸ばし、きちんと一礼した。

「お気に召して、何よりです」

 テリーは勢い良くぶんっと頭を下げて礼を返した。

「また、何かありましたらいつでもお越しください」
「はいっ」

 修理代の支払いを済ませている間、ミッシィは絵本を抱きしめてほおずりし、じっと目を閉じていた。幸せそうなほほ笑みを浮かべて。

「テリー、これからどうする?」

 サリー先生は肩にかけたトートバッグを軽く叩いた。ぴくっとリズが耳を立て、ヒゲを前に突き出した。
 ほのかなにおいが穏やかに、優しく鼻腔を伝い、胃袋をくすぐる。食べ物のにおいだ。それもお菓子ではなく、れっきとした食事(meal)の。

「頼まれたもの、持ってきたけど」
「お、さんきゅー」
「外で食べるには、寒いよね……」

 どうやら手製のランチを持参したらしい。帰りに三人でどこかで食べる予定だったのだろう。

「そうだな……公園行こうかと思ったけど、無理か」
「あの、よろしかったら……私もそろそろ昼食ですので……」

 ごくっとのどが鳴る。自分は何を言おうとしているのだろう。だが、こんなチャンス、今を逃したらおそらく二度と無い!
 ゴールデンゲートブリッジからバンジージャンプをする覚悟で、エドワーズは申し出た。

「奥で紅茶をごいっしょにいかがですか?」
「ありがとうございます、でも……」

 サリー先生はちらっと、ミッシィの方をうかがっている。
 そうだった。
 他所の家で食事をするなど、彼女にとってはどれほど勇気が必要か! 私としたことが、そんな基本的な事に気が回らなかったなんて……。

「ミッシィ、サリーがランチボックスもってきてくれたんだ。ここで一緒に食べてくか?」
「ランチ?」
「うん。おまえ、今日がんばったからな。ごほうびだ。母さんにはちゃんと言ってある。どうする?」
「ここで……」

 ミッシィはテリーをみあげて。それからエドワーズを見て。店の中ぐるっと見回した。

(ここはしずか)
(この人は本のお医者さん。絵本を直してくれた人。しずかな気持ちのいい声で話す人。ゆっくり動いてくれる人)

 大切な絵本をそっと手のひらで撫で、すぐそばの床で優雅に座る白い猫に目を向ける。
 リズは立ち上がってひゅうんと尻尾を振り、奥に通じるドアに向かってとことこと歩いて行った。
 そして手前で振り返り、「にゃー」っときれいな声で鳴いた。

(ねこさん、おいでってゆった!)

 ミッシィはテリーの手をきゅっとにぎり、うなずいた。ウサギの帽子がこくりと揺れる。

「では、こちらへ……」

 エドワーズは精一杯平静を装いつつ、住居部分に通じるドアを開けた。

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