▼ 【ex10-6】これよりシスコ側のターン
土曜日の夕方。カリフォルニア大学サンフランシスコ校のキャンパスを足早に歩く結城サクヤの姿があった。
待ち合わせ場所まで、ケーブルカーとバスを乗り継いで20分。大丈夫、間に合うはずだ。
「よぉ、サリー」
「あ……テリー」
内心、しまった、と思った。ちょっとした誤解から、彼はこれから会いに行く相手のことをあまり快く思っていないのだ。
「夕飯、まだだろ?」
「あ……うん」
しまった、パート2。もう食べたって言っておけばよかった。
「一緒に飯食わないか?」
「ごめん、今日はちょっとこれから、人と会う約束が……」
わずかに口ごもるサリーの様子に、テリーは何やらピン、と来てしまったようだ。これも身に付いた『おにいちゃん』本能のなせる技か。
「……あいつか」
「そうだけど」
すぱっと答える。
(考えてみれば隠す必要なんてないんだ。ランドールさんとは『任務』の話をするだけなんだし、夕飯を食べるのもたまたまその時間に会うからだし……)
土曜日の午後にカフェで待ち合わせして、同じテーブルについて。談笑しつつ一緒に食事をする……しかも夕飯。相手はハンサムでゲイでお金持ち、加えて評判の『遊び人』。
サリーは欠片ほども意識していないが、はたから見れば立派なデートである。
そして、テリーも同じ結論にたどり着いたのだった。
「俺も一緒に行く」
「え、でも……」
「飯はどこかで食わなきゃいけないんだ。それとも俺が一緒にいると、何か不都合があるのか?」
「いや……別に……」
「だったらいいだろ?」
困った。
ターコイズブルーの瞳が、断固たる意志の光を放っている。こうなったら、テリーはがんとして後に引かない。
急がないと待ち合わせの時間に遅れてしまう。ただでさえ、こっちは日本より9時間出遅れているのに。
「しょうがないな……一緒に来てもいいけど、一つ約束してくれる?」
「ああ」
「わかんない内容でも、大事な話だから口を出さないでね」
「わかったよ」
OK。これで安心だ。
テリーは約束は守ってくれる。いつでも必ず。
※ ※ ※ ※
待ち合わせ場所のカフェに着いたのは、ランドールの方が少し早かった。
コーヒーだけではなく、カリフォルニアワインやビールも気軽に楽しめるセルフサービス式の店だ。オーダーは後回しにしてまず、席を取る。幸い、隅の禁煙席が空いていた。
(飲み物を買うのは、サリーが来てからにしよう)
今日の会合は『任務』……すなわち夢魔狩りの打ち合わせだ。わかってはいたが、それでもちょっぴり心が弾む。
サリーはヨーコの従弟だ。顔立ち、仕草、そして声の根本的な響き。二人はそれこそ姉弟と言っていいほどよく似ている。
ヨーコに会えないこの寂しさも、彼と会えば少しは癒されるだろう。
「……ん」
店のドアが開き、見慣れた顔が入ってきた。さらりとしたストレートの黒い髪。卵形のつやつやした顔、くりっとした黒い瞳、ほっそりした手足、なだらかな肩。
待ち人が現れた。
「こんばんは」
「やあ、サリー………」
記憶と言うのは、思ったよりあてにならないものだ。
こうして直に向き合うと、サリーはとてもおだやかで、ふんわりしていて……秘めたる芯の強さこそあるものの、研ぎ澄まされた朝の空気のような、ぴりっとした鋭さにはほど遠い。
何より、においが違う。
「どうかしましたか?」
「あ、いや………」
ランドールは軽く肩をすくめてまゆ根を寄せ、ため息まじりに答えた。
「意外に似てないんだな、と思ってね」
(わ、なんか今、さりげに失礼なこと言われた気がする)
誰に似てるのか、なんていちいち確認するまでもない。
しかし。
サリーの背後に付き従うもう一人を確認した途端、ランドールはぴょこっと顔を上げ、ぶんぶんと尻尾を全開で振った。
「やあ、テリーくん!」
「よぉ」
「君も一緒だったのか」
「残念ながら」
「いや、うれしいよ。座りたまえ」
「失礼します」
サリーがランドールの向かいに座ろうとした。が、テリーは満面の笑みをうかべてぐいっと押しのけ、自分が代わりにその位置に座ってしまった。
やむなくサリーはランドールと対角線上に腰を降ろした。
(困ったな……ランドールさんの近くに行きたいのに)
しかたない。できるだけ顔を寄せて話しかけよう。
一方でランドールは上機嫌。うきうきしながらメニュー片手にテリーに話しかけた。
「とりあえず、何か飲むかい?」
テリーがぎろっと目をむいてにらみつけてくる。
その表情に、マーメイド・ラグーンでの一件を思い出した。どうやら、酒を警戒しているらしい。
「……あ、いえ今日は」
「そうか………では失礼して、私はコーヒーを頂こう。テリー君はどうする?」
「み………」
水、と言おうとした瞬間、入れ立てのエスプレッソの芳香がふわぁん、と漂ってきた。
「………カプチーノ」
「あ、それじゃ俺もカフェラテ。コーヒーならいいよね?」
「ああ、コーヒーならな」
「OK、それじゃコーヒー一つとカプチーノ、カフェラテだね」
ランドールが椅子から立ち上がるやいなや、テリーがポケットから小銭を取り出し、かちりとテーブルに並べた。
「これ、俺の分」
断固たる口調とまなざしで『おごってもらう気はない』と主張している。
サリーがちょこんと首をかしげた。
「あれ、テリー、マイマグは使わないの?」
「ああ、今日は持ってきてない」
「おや、いつもはマイマグなのかい?」
「ええ、まあ……ちょっと安くなるし。けっこう気に入ってるんで」
「ほう」
「ロイからのプレゼントなんですよ」
「ニンジャのプリント入りなんだ」
「ニンジャの?」
「絵じゃなくて、漢字ですよ。見た目はシンプルだけど、インパクトはあるかな?」
にこにこしながらサリーは言葉を続けた。
「俺のと対になってるんです」
「そう……か……それは、良かったね」
(あれ?)
一瞬、ランドールの声のトーンがわずかに揺れた。ちょっぴりがっかりしたような。拗ねたような気配を感じた。
(ひょっとしてランドールさん、うらやましいのかな……ニンジャマグ)
※ ※ ※ ※
「お待たせ。サリーはカフェラテだったね」
「ありがとうございます」
まずサリーにラテを渡し、続いてふわっと盛り上がるミルクの泡に、褐色の渦巻きの浮かぶカプチーノのカップを手にとる。
「それから、これは……」
差し出されたテリーの手が、するりと宙をかく。カップに届く瞬間、わずかにランドールが手を引いたのだ。
「っと……失敬」
「どーも」
むっとした顔でテリーは今度こそカプチーノを確保した。
(わあ、大人げない)
湯気の立つラテをひとくちすするとサリーはおもむろに身を乗り出し、声をひそめた。
「実はヨーコさんから連絡がきて……」
ランドールの耳ぴくっと動く。
「ヨーコからっ?」
ずきり、と鈍い痛みが心臓を噛む。
先日、見たばかりの気掛かりな夢の記憶がひらめいた。暗い水の中で月の光を反射する、魚の鱗のようにチカチカと……。
大事なものが指の間からすり抜ける。どんなに手を伸ばしても、届かない。
何だかここ数日と言うもの、同じ夢を繰り返して見ているような気がした。しかも日を追うごとに、漠然とした喪失感が徐々に強くなっている。
(もしや、彼女の身に何かトラブルが?)
落ち着け、落ち着け。ここでうかつに事件が、なんて口にしたらテリーくんを驚かせてしまう。もっと穏やかで、一般的な言い回しを考えるんだ。
「その………私に、何か手助けできるような事が……起きたのかな?」
「はい。内容がすこし複雑だったので、英語だと説明しづらかったみたいですね。概要はこちらに」
サリーは鞄から折り畳んだ紙をさし出した。まるで仕事用の書類でもやりとりするかのようにさりげなく。
あらかじめ、事件の概要と調べるべき事柄をまとめてプリントアウトしておいたのだ。
「そうか……ありがとう」
書類に目通しするなり、きりっとランドールの表情が引き締まる。大会社を取り仕切る、『社長』の顔に切り替わる。
「なるほど、確かにこれは私の役目だね」
「わかったことがあれば、メールで全員に送ってもらったほうがいいかな。時差は気にせずに」
「わかった………………」
(何なんだ、こいつら!)
互いに身を乗り出して親しげに、傍から聞いていてわけのわからない話をしている。
しかも、かなり真剣に。
そんな二人を見ながら、テリーはがぶがぶとコーヒーを飲んだ。いくらカフェインを補給しても一向に気が収まらない。
とうとう、テリーはむすっとした顔で席を立った。
「どこ行くの、テリー?」
「……トイレ」
サリーとランドールは顔を見合わせた。
テリーには悪いけど、チャンスだ! これでしばらくは心置きなく事件のことを話せる。
「それで。この情報収集の作戦なんですけど」
「ああ、いつでもOKだ。さすがに日曜は休みだから、あまり人がいないが……」
「できるだけ急いだ方がいいですね。月曜日に実行しましょう」
「わかった」
顔を寄せ、ひそひそと込み入った話をする二人の姿はぱっと見、愛をささやいてるように見えなくもない。
だが幸いにして、この現場を目撃して一番、ダメージを受けそうな人物はこの場には居なかった。
「やっぱり………毎回裸になるのは問題ですよね。今回は俺がやりますから」
「う………む、済まない。固定観念とは厄介なものだな………」
「服を着たまま出来る様になれば、色々と便利ですし」
「……と言うか、いちいち裸になってると、色々と不利益だな……有難う、でもはっきり言ってくれて構わないよ」
ちらちらと漏れ聞こえる内容も、服を脱ぐの、着たままできるのと、かなり怪しい。しかし本人たちはいたって真剣だ。
「後は、そうだな……サリー。くれぐれも私の秘書に見つからないように気をつけてくれたまえ」
「えっ、そんなに怖い人なんですか?」
「いや。彼女はエレガントで有能で、節度を心得た女性だよ」
「あ、女の人なんだ」
「うむ。ただ、その……可愛いものに目が無くてね」
「あ……なるほど……」
(そう言う意味、なんだ)
「注意します」
「うん」
「……っと」
二人は申し合わせたように、ぱたっと話をやめた。
「……お帰り、テリー」
「ん」
(何なんだ、こいつら。俺に聞かれちゃまずい話でもしてたのかっ)
むすっとした顔でテリーは再び腰を降ろした……ランドールの真向かいに。
「話、もう終ったのか?」
「うん、だいたいは」
「そっか。いい加減、俺、腹減ったんだけど」
「私もだよ。君たちも食事はまだなんだね?」
おかまいなく!
用意した台詞が声になる前に、ぐうううう、と派手にテリーの腹の虫が返事をしていた。
くすっと笑うとランドールは壁際に立てかけてあったメニューをとり、差し伸べた。
「ここのピザはなかなか美味いよ。新鮮なバジルと岩塩ベースの味付けで、試してみる価値はある。サンドイッチもいけるね。だが、バーガーは避けた方が無難だ」
「そんなに、ひどい味なのかっ?」
「いや。サイズが尋常じゃない」
「ああ、そう言うことなら、俺はバーガーで」
「サリーは何にする?」
「んー、ピザはクリスピータイプですか?」
「ああ」
「じゃ、マルガリータのSサイズを一つ。テリー、シェアしよ?」
「おう、かまわないぞ」
「では、私もピザにしよう……ジェノベーゼのLサイズを」
注文しようとランドールが席を立つより早く、さっとテリーが立ち上がっていた。
「俺も行く」
「ありがとう!」
illustrated by Kasuri
屈託の無い笑顔でうなずくと、ランドールもまた立ち上がり……二人で並んでカウンターに向かって歩き出す。
一人はこの上もなく上機嫌。もう一人はこの上もなくご機嫌斜めで。
※ ※ ※ ※
「ごちそうさま……ほんとにピザ、美味しかったです。ぱりっとしててて!」
「そうか、気に入ってくれて嬉しいよ」
「んー、俺はもーちょっとこってりチーズとソースがかかってた方が……」
「えー。俺にはあれぐらいが丁度良かったよ。小麦の味が、しっかり出てるし」
「おまえ、そーゆーの好きだよな」
「うん、和食に通じるものがあるし?」
ランドールはほくほくと上機嫌だった。
期待したほど、ヨーコ分の補給はできなかったが、それを補って余りある収穫があった。テリーと一緒にコーヒーを飲み、夕食まで食べたのだ!
……支払いはあくまで、個人個人だったけれど。
大口を開けてバーガーにかぶりつく姿を、こんなに間近に見られるなんて。
「んじゃ、飯食ったし。とっとと帰るぞ、サリー」
「え、あ、うん」
「用事はもう終ったんだろ?」
「うん……一応」
サリーは申し訳なさそうにランドールに一礼して立ち上がった。
(気にすることはないよ。今夜は十分、楽しかった)
ランドールはサリーに手を振り、ちら、とテリーの顔を見ていたずらっぽい笑みを浮かべた。靴下を口いっぱいにほお張った、やんちゃな仔犬(パピー)の顔で。
「今度は是非、見せて欲しいな……その、ニンジャマグとやらを」
「ああ。機会があったら、いくらでも見せてやるぜっ」
(こいつ、次のデートの約束のつもりかっ)
引きつり笑顔でテリーはずいっとランドールとサリーの間に肩を割り込ませた。
(サリーに手は出させないぞ、遊び人め!)
「『俺の』ニンジャマグをな!」
「楽しみにしているよ」
二人の思惑は物の見事にすれ違っているのだが……結果として事態はランドールの望む方向に動いていたりするのだった。
意図することなく、きわめてナチュラルに。
一方でサリーは。
(ランドールさんとテリー、ちょっとは親しくなれたみたいだ……良かった)
こっちもある意味、ずれていた。
(それにしても意外だったな。ランドールさんが、ニンジャグッズに興味があったなんて)
後でロイに聞いてみようと思った。『あの湯飲み、どこで見つけたの?』って。
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