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ローゼンベルク家の食卓

【side13】踊るペーパードール

2010/04/03 3:12 番外十海
  • エイプリルフール+イースターの季節イベント短編。
  • もともとは四月一日用ネタ短編として書き始めたはずが、長くなって番外編にステップアップ。
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【side13-1】★四月一日限定販売

2010/04/03 3:14 番外十海
 
「エドワーズさんっ!」

 エドワード・エヴェン・エドワーズは自分の身に何が起きたのか、理解できずにいた。
 いつものように夕飯を終え、ささやかな娯楽の一時をすごした後、シャワーを浴びて。横着してパンツを履いてタオルを首にかけた状態で寝室に入り、ベッドに腰かけ……

 ようとして、いきなり引き倒されたのだ。
 
(落ち着け、エドワード、まずは状況を把握するんだ!)

 背後でスプリングが軋む。どうやら仰向けになっているようだ。そして上には温かく、ほっそりした生き物がのしかかっている。だがリズにしては大きすぎる!
 目を開くと、見慣れた天井の代わりにつやつやした卵方の顔、さらりとした黒髪、眼鏡がすぐそばにあった。

「さっ、サリー先生っ?」

 うるんだ目。耳たぶまで赤くそめ、着ているのはいつぞや写真で見たジンジャのユニフォームだ。

「俺のこと、どう思ってるんですか……はっきりしてください」
「どうって……むぐっ」

 唇を奪われた。
 あまつさえ、吸われ、なめられている。
 いけない。こんなことをしてはいけない! 思っても体は正直に反応する。恋しい人がのしかかり、キスしているのだ。男としてきわめて自然な成り行きと言えよう。

「ん……ふっ……」

 とろけんばかりの笑みを浮かべて唇を離すと、サリーは指先でくりくりと胸の突起をもてあそびはじめた。
 さらに、緋色の袴に包まれた膝が、下着の内側でたぎり始めた彼の『息子』をくりっとさすりあげる。

「いけません……サリー先生……こんなことは……うっ」
「ひどいや、エドワード」

 サリーはぐいっとのしかかり、顔をよせてきた。あわてて目をそらす。が、それがかえっていけなかった。乱れた白い着物の襟からのぞく、滑らかな陶器の肌が。淡い明かりに浮かび上がる華奢な鎖骨が、視界を占領する。

「っ!」
「あの時は……」

 やわらかな唇が耳たぶを食む。

「サクヤって言ってくれたのに」

 せつせつと訴える甘いささやきに、エドワーズの忍耐は振り切れた。サリーの肩をつかみ、引き寄せ、猛然とベッドに押し倒す。

「サクヤ……っ」

 ジ リ リ リ リ リリリリリィン!

「う……」

 ベルの音が寝起きの脳みそをシェイクする。強烈に、けたたましく。
 長いことベルが鳴る直前に起きていたから、この音を聞くのはずいぶん久しぶりだ。
 べちっと叩いてスイッチを切り、起き上がる。5:05……5分もあの音を聞いていたのか。

「……おはよう、リズ」
「みゃ」

 ベッドから降りようとして、違和感に気付く。足の付け根が妙にねばつき、不自然に下着がはりく。それこそもう、長い間縁のなかった気まずい湿り気。
 いちいち見て確認する気にはなれなかったし、その必要もない。何が起きたのかはわかりきっていた。

「何てことだ」

 深いため息がこぼれ落ちる。

「この年になって………しかも………」

(サリー先生の夢を見て、こんなっ)

 いたたまれずエドワーズはバスルームに駆け込んだ。
 罪悪感にさいなまれつつ、ざばざばと下着を洗うその間、リズがずっとドアの向こうで鳴いていた。

「にゃーお、みゃーう、ふみゃーおおおう」

 気まずい洗濯を終えてようやく浴室のドアを開ける。白い毛皮がするりとが飛び込んできた。

「みゃ、みゃ、みゃ?」

 見上げる透き通った青い瞳が、痛い。直視できず、目をそらした。

「にゃあ」

 柔らかな前足がズボンの裾をちょい、と引く。ぎこちなく首を回してほほ笑みかけた。

「ああ、心配かけてしまったね。大丈夫だよ、リズ……」

 手にした濡れた布をタオルでくるみ、洗濯機に放り込む。
 洗剤は、いつもより多めに入れた。


 ※ ※ ※ ※


「あ、もしもし、お母さん?」
「あらサクヤちゃん、元気?」

 返事が返ってくるまでに1秒ほどタイムラグがある。携帯一本で気軽に話しているけれど、やはり海を隔てた向こう側なのだ。

「うん、元気だよ。荷物ありがとうね、無事届いた」
「そう! 海苔もお抹茶もちょっと多めに入れておいたわ」
「ありがとう。それで……ちょっと聞きたいんだけど」

 サリーはテーブルの上にざらっと、トランプみたいに扇型に広がる細長い紙の束に視線を向ける。
 透明のビニール袋に入ったステッカー、これは、まだわかる。実家の結城神社のお守りだ。好きな所にはりつけるステッカータイプ。だが、セットで入っているもう一枚が問題だ。

「何で、俺の写真がお守りとセットになってるの?」

 しかも、白衣(はくえ)に緋袴の巫女姿。神社のご神獣であり、かけがえのない家族である鹿の「ぽち」と並んでにこにこ笑っている。眼鏡をかけ、くつろいだ表情をしているからおそらくご祈祷の最中ではない。
 プライベートな時間の写真だろう。

「あーそれねー」
 
 あっけらかんと母は応えた。

「男の娘(こ)巫女さんお守りステッカーよ。四月一日用に限定で売り出したの!」
「……はい?」
「お正月の時の写真を、パソコンで、ちょいちょいっとね? お遊び企画で作ってみたんだけど、これがけっこう人気でねー」
「ねー?」

 ああ、母がWになってる。すぐそばに藤枝おばさんもいるんだ。

「いつの間に……」
「昨日だけで売り切れちゃった。意外に男の人に売れたのよねー」
「大成功だったわ!」

 きゃっきゃとはしゃぐ母たちの声に混じり、低いため息が聞こえた。

「すまん、サクヤくん。止められなかった」
「いいんです、おじさん……」

 目に浮かぶようだ。

『よーこちゃんの写真は使えないわよねー』
『公務員ですもの。副業扱いになっちゃうものね』
『じゃあ、サクヤちゃんのを使いましょう』
『そうしましょう』
『いや……それはちょっと……』
『あっ、この写真がいいわ!』
『ほんと、ぽちと一緒だといい顔するわね、あの子』

 伯父貴の制止を軽々と振り切って、着々と計画が進んでいったにちがいない。
 それにしても、限定と言う割にはずいぶんな数を送り付けてきてくれたもんだ。いったい全部で何枚作ったんだろう?

「それで、これ、どうしろと?」
「ああ、そっちでは人気があるんでしょ? そう言う和風のステッカーって!」
「うん……まあ……」
「お友だちに配ったら?」
「そうだね……」

 写真はともかく、守り札は普通に使える。
 明日にでもディフの事務所に持って行こう。彼に渡せば、双子のために使ってくれるはずだ。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「へえ、面白いな、これ。ホームメイドのステッカーか。ありがとな!」

 赤毛の探偵所長は思った通り素直に喜んでくれた。

「それで、この写真は……」

 巫女姿の写真と自分の顔を交互に見ている。言うべき言葉を探しているようだ。

「ベースボールカード、みたいなものか?」
「いや、これは気にしないで」

 ささっと写真だけ抜き取った。

「これ、どこに貼ればいいんだ?」
「うーんと……」

 部屋を見回し、オティアの使うパソコンに目をつける。

「ここかな」
「OK」

 ディフが守り札をオティアに渡す。少年はほっそりした手を器用に動かし、液晶モニターの裏側にぺたり、と貼り付けた。

(よかった。母さんたちの気まぐれも、これで役に立つ)

 その日の夜、シャワーから上がって髪をふいていると電話がかかってきた。ディフからだ。

「よう、サリー。ちょっといいかな」
「ええ、いいですよ。どうしました?」
「うん、それが今日持ってきてくれたステッカーな。あれ、EEEが見て……」
「エドワーズさん……事務所に来てたんですか……」
「ああ。たまたま近くまで来たんでオーレの顔見にがてら寄ってった。君が来たすぐ後だ」
「そう……なんだ」

(もうちょっと居ればよかったかな)

「それで。あのステッカー、ものすごく気に入ったみたいなんだ」
「エドワーズさんが?」
「うん。よかったら、あいつ用にもう一枚、用立ててもらえると嬉しいんだが……まだ、あるか?」
「ありますよ」

 そりゃもう、たくさん。
 束で。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 翌日、サリーはさっそく、お守りステッカーを探偵事務所に届けに行った。

「はい、どうぞ」
「ありがとう。あいつも喜ぶよ」
「エドワーズさんって和風もの意外に好きなんですね」
「そうだな。あいつ昔はばりばりのハードロッカーだったんだけど、今は伝統のものが好きらしい。うん、特に和!」
「そういえばお店にも日本の本があったなぁ」

 和やかに語らうサリーとディフを、オティアが微妙な表情で見ていた。

『このステッカーは?』
『サリーからもらったんだ。写真もついてたな、ベースボールカードみたいなやつが』
『ほう。神社の写真かな?』
『いや、サリーの。ハカマ着てた』
『サリー先生がっ』

 事務所に来た時、エドワーズはディフとこんな会話をしていた。
 サリーの名前を聞くなり、そわそわして、ため息をついて。オーレをなでながらしみじみと言ったのだ。
『見てみたかったな……』と。
 今、サリーがディフに渡したのはステッカーだけ。と言うか、写真は最初から持ってこなかったらしい。

(あれは、多分、Mr.エドワーズが期待しているものとは違う)

 思ったのだが。

「キモノの柄見本とか、古い画集とか集めてるみたいだぞ」
「浮世絵なんかはこちらの人にも人気ありますしねー」
「そう言や浮世絵の画集を仕入れた、とか言っていたな……写真じゃなくて、版画のやつ」
「わあ、すごいな! 日本でも滅多に手に入らないですよ! 見てみたいな……」

 紅茶片手にほのぼのと語らう二人を見て、結局、言うのをやめたのだった。

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【side13-2】巡り巡って

2010/04/03 3:15 番外十海
 
「ランドールさん、これどうぞ、使ってください。お守りです」
「ありがとう……」

 ランドールは手渡されたステッカーをしみじみと観察し、添えられたもう一枚を手にとった。

「この写真も、お守りなのかな?」
「あー、それ、は……」

 サリーはつ、と目をそらす。

「それは、母さんが勝手に。サービス品らしいですよ」
「そうか……………」

 さらにしみじみ観察。しかる後、ぽつりとつぶやいた。

「これは、君の写真だけ……なのかな?」
「よーこちゃんは教師だから、そういうの出せないんですよ」
「そうなのか」
「日本だと教師の……というか公務員の副業は禁じられてるので。おかげで最近はそういうの全部俺の写真でやられちゃうんですよね。神社の取材とか、お祭りのポスターとかも」
「なるほど!」

 ならば、他の男がうかつにヨーコの巫女姿を目にする心配もない訳だ。
 ランドールはいたく上機嫌でうなずいた。
 日本通の社員から仕入れた情報によると、巫女の装束とはある種の男性にとって、すさまじい吸引力を発揮する衣装なのだと言う。 
 彼はその吸引力を『MOE』と表現していた。
 意味はわからないが、何やらとてつもなく強烈だと言うのはわかった。
 アメリカでも消防士や警察官、神父、カウボーイ等、特定の衣装の需要が(本来の目的とは別に)存在する。それと同じなのだろう。

 納得しているランドールの手元から、サリーはさっさと危険な写真を回収した。

「もう一枚もらえるかな。日本通の社員に贈りたいんだ。彼には世話になってるからね」
「どうぞ」

 すました顔でサリーはお守りステッカーのみ抜き取り、手渡すのだった。

(後で、分けておこう……その方がいちいち説明しないで済むし)
 
 ※ ※ ※ ※
 
「あれ、サリーどーしたんだこれ」

 テリーの声を聞いた瞬間、正直『しまった』と思った。
 お守りステッカーを大学に持って行く前に、自分の写真だけ取り分けておいたのをデスクの上に出しっぱなしにしてあったのだ。

「えーっと……実家のお守り」

 何食わぬ顔でさりげなく、話題をお守りステッカーの方に誘導する。

「へー。いいな、エキゾチックで!」
「一枚あげようか?」
「うん、さんきゅ!」

 喜々としてテリーはお守りステッカーを台紙からはがし、自分のノートパソコンに貼り付けた。

「うん、決まってる!」

 ものすごく嬉しそうだ。

「そっか、よかったね」
「こっちのも、もらっていいか?」
「えっ」

 既にテリーの手の中には、巫女さんステッカーがずらぁりと扇みたいに広がっていた。改めて自分の巫女姿が並んでいるのを見ると……くらくらする。

「何に使うの!」
「ミッシィが喜ぶ」
「う」
この間の弁当、感激してたぞ」

 引っ込み思案なテリーの小さな妹は、サリーによく懐いていた。
 つらい体験からほとんど他人と話そうとしないミッシィにとって、サリーは家族以外で心を許せる数少ない大人の一人なのだ。

「うーん……それなら……」
「サンキュ!」

 テリーは上機嫌で写真を持ち帰った。
 後で『妹たちがすげーよろこんだ! ありがとな!』とメールが来た。
 多分、バービー人形のステッカーとか。紙の着せ替え人形(paper doll)と同じ扱いなんだろう。かわいい動物(ぽち)も一緒に写ってるし……。
 そう思うことにした。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 三日後、エドワーズ古書店にて。

「いらっしゃいませ、今日は何をお探しですか?」
「こんちわ、Mr.エドワーズ。よ、リズ! 今日も美人さんだな」
「にゃー」
「今日は買い物に来たんじゃないんだ。届けもの、頼まれちゃって」

 テリーはカウンターに歩み寄ると、鞄からクリアファイルを取りだした。中には画用紙を切り抜いて作ったカードが一枚。
 クレヨンで丁寧に彩色され、卵の形をしている。
 イースターのカードだ。そうだ、今日は四月八日だった。

「これ、ミッシィから、あなたへ」
「Missミッシィから?」

 カードの内側にはクレヨンで『イースターおめでとう 本のお医者さんへ ミッシィ』と書かれていた。一文字ごとに色を変えていて、まるで花畑だ。
 そして中央には美しいシールが貼られている。ひと目見るなり、エドワーズの心臓は早鐘をつくように激しく高鳴った。

「こ、これはっ」
「ああ、うん、サリーのステッカーな。ミッシィのお気に入りなんだ」
「そう………ですか……」

 マックスからステッカーを受け取った時は、写真がついていなかった。ちょっぴりがっかりしたが、それでもあの人につながると思うと嬉しかった。
 見るチャンスはないだろうと諦めていたサリー先生の写真が今、ここにある。
 クレヨンで描かれた色とりどりの文字と花、そしてハートのマークに囲まれてほほ笑んでいる。さながらペーパードールシートのように。
 
 paperdoll.jpg
 
 耳たぶを赤く染めながらエドワーズはカードを受け取り、撫でた。手のひらでそっと、愛おしさと感謝をこめて。

「ありがとうございます。大切にします」

(踊るペーパードール/了)

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