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ローゼンベルク家の食卓

【4-7-6】迷走波紋拡大中2

2008/11/10 0:20 四話十海
 
 テリオス・ノースウッドはその日珍しく自宅に居た。最近は大学の勉強と研究論文の執筆で忙しくて女の子をナンパに行く暇もなく、必然的にデートにでかける時間も減っていた。
 当人はいささか不満だったがこの日ばかりはそれが幸いしたと言って良いだろう……ある意味。
 野郎一匹、そろそろわびしく夕飯の仕度でもしようかと思ったところに、大学の同級生から電話がかかってきたのだ。

「テリー!」
「よう、どうした」
「サリーが遊び人で有名なゲイの社長とデートしてるぞっ! 『マーメイド・ラグーン』って店に入ってった」
「デート? まさか」
「ほんとだって! きちんとネクタイしめて、めかしこんでたぜ」

 親友のサリーことサクヤ・ユウキは確かに女の子と見まごうような華奢な奴だが、ゲイではなかったはずだ。うかうか誘いに乗るほど不用心だとも思えない。
 ……思いたくはないが。

(あいつ、しっかりしてるようでたまに天然入ってるからなぁ……)

 だからこそ放っておけなくて、入学以来ずっと面倒を見て来た。
 そもそも初対面の時からして、学内でうろうろ迷っているサリーと廊下でぶつかったのが始まりだった。幾分ぎこちない英語でお礼を言う彼のことを最初はてっきり女の子だと勘違いしたのも今となっては懐かしい思い出だ。
 今年の夏には彼の従姉にも紹介された。ちっちゃくてせかせか動く小動物みたいな子で、最初は妹かと思ったが、話してるうちに姉さんみたいな存在なのだとわかった。
 でっかいロリポップキャンディを、クッキーでも食うみたいにがしがしかじるワイルドな人だった。
 別れ際に彼女に手を握られ、しみじみとした口調で言われたものだ。

『サクヤをよろしくね』
『まかせてください! 親友ですから』

 思いめぐらすうちに電話の報告はなおも続く。

「スタバで待ち合わせして、連れ立って歩いてったんだ。って言うかあれは完ぺきにエスコートしてたな」

 急に話が現実味を帯びてきた。どうやら、人違いや自分を引っかけようとするジョークの類いではなさそうだ。

「でお前はつけてったのかよ」
「今店の前。とてもじゃないけどあんな高い店、入れねーよー」
「……わかった、行く」
「うんうん、そう言うと思ったよ」

 マーメイド・ラグーン。市内でも指折りの高い店だ。さすがに自分の金で足を運んだことはないものの、教授のお供で入ったことがある。
 ラフな格好ではまずい。
 クローゼットを開けて滅多に出番のないきちんとしたシャツに腕を通し、タイをしめる。

(まったく、女の子とのデートでもないのにここまで手間かけさせて。ガセだったらだたじゃおかねぇぞ!)
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
  
「お、来た来た、テリー!」

 現場の店の前まですっ飛んで行くと、早速、張り込み中の友人から携帯のカメラで写した写真を見せられる。

「これ」

 そこには『マーメイド・ラグーン』の入り口を入って行くサリーと背の高い黒髪の男の姿があった。

「……」 

 ガセじゃなかったようだ。テリーはぎゅっと眉を寄せ、口をへの字に結んだ。

「誰なんだ、相手は」
「ランドールって名前なんだけどさ。でかい会社の社長で、その筋では有名なプレイボーイなんだ……」

 確かに写真で見る限り着ているスーツは上等そうだ。さらりとこんな高い店に入れるのだから懐もそれなりに豊かなんだろう。友人同士ならまだいい。
 問題はそいつがゲイで、名うての遊び人だってことだ!

「最近、鳴りを潜めてたと思ったら。どこで知り合ったんだろうな?」
「さぁな。 連絡サンキュー」
「おう、気ぃつけてな」

 いそいそと夜の町へと消えて行く友人を見送り(ちゃっかり、ボーイフレンドが待っていた)、テリーは一人『マーメイド・ラグーン』に入って行った。

(遊び人社長め。俺のダチに手ぇ出しやがったらタダじゃおかねえぞ!)
 
 
 ※ ※ ※ ※


 杯を重ね、温かな料理で腹を満たすうちに、だいぶ二人の間の空気はほぐれてきた。
 そろそろ、いいかな。
 サリーは思い切ってずっと気にかかっていたことを尋ねてみることにした。

「それで、あの、ランドールさん」
「何だい?」
「どうして……一人旅なんかしようとしたんです」
「それは……」
「携帯の電源、切ってましたよね?」

 ランドールは軽く目を伏せた。
 どうしたものか。
 それを認めるのは辛い。だが、口に出さなければいつまでも前に進めないような気がした。

「実はね。失恋してしまったんだ」
「あぁ……」

 サリーは何も言わなかった。ただうなずいて、聞いてくれた。

「彼の幸せを願おうと決めたのだけれど、どうもそれだけでは収まらなくってね。誰にも告げず、車を飛ばして一週間ばかり、あての無い一人旅としゃれ込んだ訳さ」
「そうだったんですか」
「彼女には見つかってしまったけれど……ね」
「そう言う人ですから」

 どちらからともなく見つめ合い、ほほ笑みを交わしたその時だ。
 つかつかとブルネットの若い男が近づいてきて、だん、とテーブルに右手を着いた。
 
 
081119_1129~02.JPG081119_1129~01.JPG ※月梨さん画「テリー乱入」
 
「サクヤ! 奇遇だな、こんな所で会うなんて」

 サリーは一瞬、きょとんとしたがすぐにくったくのない笑顔になってひょいと片手を挙げた。

「やあテリー!」
「おや、友だちかい?」
「ええ、大学の同級生です」
「どーも!」

 ぎろり、とターコイズブルーの瞳がにらみつけてくる。

 ああ……そうか……。

 ばちばちと火花を散らさんばかりに激しい彼の眼差しにランドールはおおよその事情を察した。
 自分は今まで遊び人としてそれなりに浮き名を流してきた身だ。こんな風に二人っきりで親しげに食事をしていたら、警戒されるのも無理はないだろう。
 いやはや、参った。サリーに対してはまったくそんなつもりはないんだが。
 まったく、若者の友情ってやつは何て純粋で、無鉄砲なのだろう。20代の頃の自分を思い出し、うらやましいような、ほほ笑ましいような気持ちになる。

 ふと、あまりに真面目なテリーの顔を見ているうちに悪戯心が頭をもたげてきた。カルヴィン・ランドール・Jrの口元に、にやりと人の悪い……そしてある種の人間には非常に魅惑的に見える笑みが浮かんだ。

「そうか、『友だち』か。よかったら一緒にどうだい?」
「ありがとうございます」

 テリーはサリーの隣にどかっと腰を降ろした。腕組みしてあいかわらずこっちをにらみつけている。

「何か飲むかい?」
「水」
「……ガス入り? ガスなし?」
「ガスなしで」
「OK」

 ウェイターを呼び寄せてオーダーをしてから、ちらっとサリーの顔を見て。ひょいと手をのばして親指で口元を拭った。

「パセリがついていたよ、サクヤ」
「え? あー、全然気がつかなかったー」

 普段ならさすがに遠慮されるだろうが、酒が入ってリラックスしているせいか、楽しそうに笑っている。

「ありがとうございます……って、あ」

 今度はサリーがナプキンをとり、くいっとランドールの口元を拭う。

「ランドールさんもついてましたよ、パセリ」
「おや、これはうっかりしていた」

 一方、テリーは硬直したままこっちを指さし、金魚みたいに口をぱくぱくさせていた。
 うんうん、いいね、なかなかに初々しい反応じゃないか。どれ、もう一押ししてみようかな……。

「ところで、もしかして君たち……付き合ってるのかい?」

 一瞬、テリーはぎょっと目を見開いた。
 付き合ってる、だと? いきなり何言い出すんだこの男は! 探ってるのか。俺がサリーの恋人だとでも思ってるのか。
 ふざけてる。だが、ある意味、これはチャンスだ。ここでYesと答えておけば、余計なちょっかいは出さなくなるだろう。
 
 運ばれてきたミネラルウォーターの封を切り、ボトルから直にのどに流し込む。
 よし……行くぞ。
 すうっと大きく息を吸い込むと、テリーは勢い良く答えた。

「はい! 俺たちつきあってます!」

 そりゃあもう、きっぱりと、店中に響き渡るような声で。決死の覚悟で言った告白を聞くなり、サリーはころころっと笑い出した。

「何言ってるんだよー」

 ものすごく上機嫌だ。よく見ると顔が赤い。

「お前っ、飲んでるな?」
「うん、飲んでるよ?」
「何杯飲んだんだっ!」
「えーと、カンパリ・ソーダにカンパリ・グレープフルーツに、カンパリ・オレンジにスプモーニ(カンパリベースのカクテル)に……」
「っかーっ、道理で顔赤いと思ったら……酒、それほど強くないくせに……」
「おや、そうなのかい? 美味しそうに飲んでるから、つい私もおかわりを勧めてしまったよ」
「あんたのせいかっ」

 おや、ずいぶんとぞんざいな口調になっている。本音が出たかな、テリーくん。

「すまないね。では今夜はそろそろ切り上げようか。サリー、つきあってくれてありがとう」
「いえ、俺も楽しかったです。ごちそうさまでした」

 椅子から立ち上がろうとして、ふらっとよろめくサリーをごく自然に手を伸ばして支える。一瞬の差で出遅れたテリーが目を剥いて睨んできた。

「家まで送ろうか?」

 がうっ!
 テリーが牙を剥いてサリーとの間に割って入ってきた。

「ご心配なく、俺が送ります。家も知ってますし」

 参ったな、喧嘩を売るつもりはなかったんだが……少し悪戯が過ぎたかな。ひとまず誤解を解いておくべきだろう。

「誤解しないでくれ。私は、彼の従姉の友人なんだ」
「うん、ヨーコさんが色々とお世話になって」
「そうなのか?」

 一瞬、納得しかけたテリーだったが、はたと思い直した。

(そう言うのが一番危ないんだよ!)

「世話になったって、留学してた時?」
「ううん。もっと最近。今年の夏にヨーコさんがこっちに来た時に……ほらテリーもちょっとだけ会ったよね」
「ああ、あのちっこい人」
「そうそう」
「彼女はレディだよ。実にオリジナリティにあふれている人だ」

 真面目な顔でうなずいている。なるほど、確かに親しいらしい。

「それで、ちょっと用事もあって、たまに連絡とってるんだ」
「なるほど……そう言うことなら……」

 あのちっこいくせにとんでもなくワイルドな従姉が後ろに控えていると知った上での付き合いなら、いかな遊び人社長もサクヤに手を出すことはないだろう。
 しかし、万が一ってこともある。

(だいたい、こいつはあらゆる意味で迂闊って言うか、天然って言うか、とにかく無防備すぎるんだよ!)

 さりげなくカードで支払いを済ませる社長を横目で見やりつつ、上機嫌のサリーを支えながらテリーは心に決めた。
 これからは、俺が目を光らせておかねば! と……。
 
 
 ※ ※ ※ ※

 
 一方。
 新たなる乱入者に、エドワード・エヴェン・エドワーズは気もそぞろ。もはや視線は警部補を通り越して奥のテーブルに釘付け状態。

 同い年ぐらいの若い男が入ってきて、つかつかとサリー先生のいるテーブルに近づいて行き、ばんっと手をついて割り込んだ。
 しばらく青い目の男とにらみあっていたと思ったら、いきなり青い目のハンサム・ガイがサリー先生の口元を親指でぬぐった。

(あいつ!)

 馴れ馴れしいにも程がある! だが立ち上がろうとした刹那、エドワーズをさらなる衝撃が襲う。サリー先生がにっこり笑って、相手の口元をナプキンでさっと拭ってお返しをしたではないか。

 へなへなと膝の力が抜けて椅子に沈み込んだ所にとどめの一撃。

「はい! 俺たちつきあってます!」

(え? 今、何て言った?)

 ぐわらんぐわらん、ぐわらららん。

 その瞬間、彼は頭っからカトリーナ級のハリケーンの中に叩き込まれた気分を味わっていた。(幸い、まだそんな経験はないのだが)
 上も下も右も左も、全ての色と形と音がぐんにゃりとゆがみ、彼を中心に猛スピードで回転しながら一点に収縮して行き……

(付き合ってるって……)

 閃光とともに一気に爆発、四散した。
 
081122_0018~01_Ed.JPG
※月梨さん画「彼にはこう見える」
 
(サリー先生、恋人がいたのかーっっ!!!)

「……警部補。もう一本追加してもいいですか」
「……あ、ああ」
「ウォッカを」

 運ばれてきた無色の酒を、エドワーズは水も氷も入れずにくいくいと流し込んだ。咽せもせず、一言もしゃべらず、黙々と。

「どうした。ピッチが早いぞエドワーズ」
「今夜はとことん飲みたい気分なんです!」
「そうか……ほどほどにな」

 マクダネル警部補は秘かに舌を巻いた。
 何てこったい、目がすわっている。
 生真面目な男だ。いろいろとためこんできた苦労があるのだろう。よかろう、今夜はとことん飲ませてやろうじゃないか。
 いざとなったら、ひっかついで連れて帰ればいい。

 ばしゃり!

 中央の水槽で水しぶきが上がる。
 何やら不穏な空気を察したのかアロワナが……『看板娘』が暴れたようだ。尾びれを打ち振り、左右に体をくねらせながら底に潜って行く。
 珍しいこともあるもんだ。滅多にあんなお転婆はしない娘なのに。
 それにしてもエドワーズの奴、アロワナの水槽を食い入るように見ていたな……こいつがこんなに魚好きだったとは知らなかった。

「そら、エドワーズ。たまには水も飲めよ」
「はい、警部補」
「つまみも食え」
「はい、警部補」

 とん、と置かれたグラスの中で透明な酒が揺れ、たぷん、と波紋が広がった。

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