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ローゼンベルク家の食卓

【4-7-7】そして宴の夜が明けて

2008/11/10 0:22 四話十海
 朝。
 エドワード・エヴェン・エドワーズは珍しく寝坊した。
 目を開けるとまず、見慣れない天井。起きあがって部屋の中を見回す。カーテンのすき間から差し込む陽の光に照らされた部屋は、どう見ても自分の寝室ではない。

 窓の外が何やら騒がしい。
 のそのそとベッドから降りてカーテンを開ける。門扉を開けて、犬を連れた男性が帰って来るところだった。シェパードと、ゴールデンレトリバーと、足元をちょこまか走り回る毛足の長い黒い犬。スコッチテリアだ!
 すると、ここは……。

 スポーツウェア姿の男性がこっちを見上げて手を振ってきた。

「よう、エドワーズ。目がさめたか」
「……おはようございます、警部補」

 何と言うことだ。酔いつぶれて警部補の家に厄介になってしまったんだ!

 ずっくん、とうずくこめかみを押さえて改めて室内を見回す。この部屋には何度か泊まったことがある。一度目は妻と別れた直後。二度目は爆発物処理班から内勤に転属届けを出した時。
 記憶を頼りに客用のバスルームに行き、顔を洗う。鏡に映る自分と対面した。

(……酷い顔だ……)

 そなえつけの剃刀を拝借してヒゲをあたった。
 シャツが酒臭い。いったい何杯飲んだのだろう………。
 
 1本目のウォッカを空けたあたりから記憶が無い。
 念のため、リズのご飯は多めに入れてきたし水もたっぷり用意しておいた。彼女がひもじい思いをすることはないだろう。
 だが何たる失態! 帰ったら謝らねば。

 そろりそろりと静かな足どりでダイニングキッチンに入って行くと、マクダネル夫人がパンケーキを焼いていた。

「あら、おはよう、エディ。ちょっと待っててね、もう少しでできあがるから」
「奥さん……すみません、すっかりお世話になってしまって」

 ぺしっとあざやかな手つきで焼き上がったパンケーキを皿に載せると、マクダネル夫人は冷蔵庫からガラスのピッチャーを取り出して中味をコップに注いだ。

「はい、これ飲んで」

 とろりしとした黄色のジュース。ぼーっとしたまま素直に飲むと、柑橘類独特の弾けるような酸味が体中に広がった。

「う……酸っぱい」

 グレープフルーツジュースだ。二日酔いの特効薬、混じりっけなしのフレッシュ。

「もう一杯いかが?」
「いえ、十分です」

 夫人を手伝い、皿を並べていると、裏庭に通じるドアが開いて警部補が三頭の飼い犬を引き連れて入ってきた。
 彼は動物好きで、魚好きだ。ダイニングにもリビングにも水槽が置かれ、水草の間を熱帯魚がゆるりと泳いでいる。
 前に来た時より数が増えているようだ。
 さらに引退した警察犬と盲導犬を引き取り飼っている。そして、ちっぽけな小型犬の中に大型犬の魂を秘めたスコティッシュ・テリアは父祖の地スコットランドへの愛のあらわれなのだ。

「お帰りなさい、あなた」
「ただいま」

 マクダネル夫妻はしっかりと抱擁を交わし、誰はばかることなくキスを交わしている。何となく遠慮して、エドワーズは床にかがみこみ、三頭の犬たちと挨拶を交わすことにした。

「やあ、シリウス、ライラ、スキップ。私を覚えているかい?」

 ちっぽけな黒犬は短い尻尾をぷりぷり振って、当然、とでも言うように短く吠えた。
 
「う」

 ドスの利いた低音が頭に響き、ずっくん、とまたこめかみが疼いた。
 
  
 ※ ※ ※ ※
 
 
 一方、マリーナ近くのサリーのアパートでは、ソファの上でテリーが目を覚ましていた。
 サリーを部屋まで送り、ご機嫌の彼を着替えさせてベッドに寝かしつけて、結局、そのまま泊まり込んだのだ。
 別に初めてじゃない。今までもちょくちょく泊まりに来ている。デービスに居た時も、シスコに移ってきた後も。

 台所の方でカチャカチャと音がする。ふんわりと香ばしいにおいが鼻をくすぐる。

「おはよ」

 いつ起きたのだろう。さわやかな笑顔でエプロンをつけて食事の仕度をしている。

「あー、おはよう……ってそうじゃなくて! サクヤ。ちょっと話がある」
「先に顔洗ってきて朝ご飯食べたら?」
「……そうだな……洗面所借りるぞ」

 どうやら二日酔いはしていないらしい。昨夜あれだけご機嫌だったってのに……考えてみればこいつはいつもそうだ。
 二杯も飲めばご機嫌になる割に翌朝はすっきり目を覚ます。大学の友人一同で飲み明かした時も、翌朝全員がぐったりしてる中けろりとしていたっけ。

「いただきます」
「いただきます」

 テーブルの上には白米と味噌汁、キャベツの温野菜サラダをそえたオムレツが並んでいる。
 きちんと一礼して食べ始めた。

「あ、美味いなこのミソスープ」
「ほんとはシジミがいいんだけどね。こっちにはないし」
「シジミ?」
「貝だよ。お酒飲んだ翌朝に効くんだ」
「そうか……」

 こいつは覚えてるんだろうか。昨日の夜、防衛線を張りたい一心で自分が言った公明正大な大嘘を。
 あの時はつい、頭に血が上ってしまったが今こうして朝の光の中で思い返してみると、とてつもなく恥ずかしい。

「テリー学校行くんだろ、何時から? 俺は外来に行くから遅めだけど」
「あー、今日は二限から……」
「そっか」

 食べ終えて、カチャリと箸を置くと、サクヤはにこにこしながらちょこんと首をかしげた。

「お茶、飲む? それともコーヒーの方がいいかな」
「ああ、コーヒーを……ってそうじゃなくて!」

 危うくこのまま流される所だった。テリーはしゃん、と背筋を伸ばすとサクヤの目を正面から見据えた。

「サクヤ。悪いことは言わない……あの男と付き合うのはやめとけ、遊び人だ」
「え。うーん。遊び人なんだ」

 やっぱり知らなかったんだな。肩に手を置き、一言一言噛んで含める様にして言い聞かせる。

「そう、遊び人だ」
「でも別にそういう付き合いをしてるわけじゃないよ? 食事に行ったのもたまたまだし」

 キッチンに向かうとコーヒーのドリップバックを二枚取り出し、パッケージを開け、紙製のホルダーを開いてマグカップに載せると上からお湯を注ぐ。しゅわしゅわと細かいかっ色の泡が立ち、コーヒーの香りがいっぱいにひろがった。
 一杯分の挽いたコーヒー豆をペーパーフィルターにセットしたこの形式が一番使いやすい。アメリカのインスタントコーヒーの瓶は大きくて、使い切る前にしけってしまうから。

 いそいそとコーヒーを入れるサクヤを見守りながら内心、テリーは穏やかではなかった。有り体に言って、非常にやきもきしていた。

 お前がそういうつもりはなくても向こうがそのつもりだったらどーすんだー!

 一方、コーヒーを入れるサクヤの心中はいたって穏やかだった。

 昨日はちょっと驚いた。「君たちつきあってるのかい」と聞かれるのはよくあることだけど、いつも否定するのはテリーの役目だったのだから。
 さっきの一言を聞いて納得がいった。彼は必要以上にランドールさんを警戒してるんだろう。

「コーヒーに砂糖いれるよね?」
「うん、三つ」

 まったくテリーは心配性だな。ランドールさんにそのつもりがないのは事実なんだし、そのうち誤解も解けるだろうから今はそっとしておこう。
 
 カップに砂糖をスプーンで三杯。それからミルクをたっぷり注いでかきまぜる。自分の分は砂糖をいれずにミルクだけ。

「はい」
「さんきゅ」

 ああ、やっぱりこいつはあらゆる意味で迂闊だ。学校の外でどんな付き合いをしてるのか、改めて俺の目で確かめなければ!
 
 湯気の立つマグカップを手に向かい合う二人の頭の中は、その実微妙に行き違っているのだが……当人たちは知る由もなかった。

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