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ローゼンベルク家の食卓

【4-17】レッドホットチキンスープ

2010/04/17 17:35 四話十海
  • 2007年、2月。休みの日にスケートに出かけたエリックが出会ったのは探し人……ではなく、悪戦苦闘する黒髪のへたれ眼鏡だった。
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【4-17-0】登場人物

2010/04/17 17:37 四話十海
  • より詳しい人物紹介はこちらをご覧下さい。
 
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【シエン・セーブル/Sien-Sable】
 不思議な力を持つ双子の片割れ。17歳。
 ややくすんだ金髪、紫の瞳、身長170cm、やせ形。
 コーヒースタンドで何度か出会い、話すうち『エビの人』ことエリックの存在を受け入れつつある。
 けれど彼は未だに思っている。あくまで『たまたま』会っているだけなのだと。
 
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【オティア・セーブル/Otir-Sable 】 
 不思議な力を持つ双子の片割れ。17歳。
 外見はほぼシエンと同じ。飼い猫のオーレはエドワーズ古書店の猫、リズの娘。
 ヒウェルへの突っ込みは容赦無いが、マメに世話を焼く一面も。
 バイキング警報発令中。
 
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【エリック/Hans-Eric-Svensson】 
 シスコ市警の科学捜査官。ディフの警官時代の後輩、23歳。
 ライトブロンド、瞳は青緑色、身長186cm。
 金属フレームの眼鏡着用。好物はエビ。
 デンマーク人の祖父を持つバイキングの末裔。寒さにも極めて強い。
 
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【オーレ/Oule】
 四話めにしてようやく本編に登場したオティアの飼い猫。
 白毛に青い瞳、左のお腹にすこしゆがんだカフェオーレ色の丸いぶちがある。
 最愛の『おうじさま』=オティアを守る天下無敵のお姫様。
 趣味はフリークライミングとトレッキング(いずれも室内)、好物はエビ。
 ヒウェルには容赦無い。

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【レオンハルト・ローゼンベルク/Leonhard-Rosenberg】 
 通称レオン
 弁護士。ヒウェルとは高校時代からの友人。27歳。
 ライトブラウンの髪と瞳、身長180cm、着やせするタイプで意外と筋肉質。
 一見、温厚そうな美人さん、実は腹黒。実家は金持ちだが家族への情は薄い。
 ディフの旦那で双子の『ぱぱ』。
 爽やかな笑顔の裏で実はかなりの激情家。嫁にちょっかい出す輩には容赦無い。
 趣味はヒ苛め。
 
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【ディフォレスト・マクラウド/Deforest-Macleod】 
 通称ディフ、もしくはマックス。
 元警察官、今は私立探偵。ヒウェルとは高校時代からの友人。26歳。
 ゆるくウェーブのかかった赤毛、ヘーゼルブラウンの瞳、身長180cm、肩幅やや広め。
 裏表のない直情家、世話好きでおせっかいな熱血漢、時々天然。
 レオンの嫁で双子の『まま』。
 学生時代はアイスホッケーをやっていた。
 見慣れないピスタチオグリーンの手袋が、どこから来たのか気になっている。
 
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【ヒウェル・メイリール/Hywel-Maelwys】
 職業はフリーのジャーナリスト。黒髪にアンバーアイ、眼鏡着用。
 最近、すっかり一人でご飯を食べるのが寂しくなった26歳。
 レオンとディフとは高校時代からの友人。
 先日スケートに初挑戦して見事に惨敗。
 三歳児にすら負けたのがいたく屈辱で今回リベンジに挑んでみた。

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【テリオス・ノースウッド】
 通称テリー。熱血系おにいちゃん。
 栗色の髪にターコイズブルーの瞳。
 獣医学部の大学院生、専門はイヌ科。
 サリーの大学の友人だが周りからは彼氏と思われているらしい。
 基本的に面倒見が良く、女の子に甘い。
 早くに両親を亡くして里親の元で育ったため、血のつながらない兄弟や姉妹が大勢いる。
 
【ビリー】
 シエンの中学の同級生で、今は遊び仲間。
 親に虐待され、里子に出される。
 
illustrated by Kasuri

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【4-17-1】バイキング滑る!

2010/04/17 17:38 四話十海
 
 水曜日の午後。天気がいいのでユニオン・スクエアに行った。と言っても買い物じゃない。コーヒーを飲みに行くのでもない(帰りにちらっと寄ってもいいかな、とは思ってる)
 滑るために。
 
 Eric2.jpg
 illsutrated by Kasuri
 
 一月からずっと厳しい寒さが続き、屋外スケートリンクのコンディションは絶好調。
 滑るのはずいぶんと久しぶりだけど、じいちゃん仕込みのウィンタースポーツの腕はまだ衰えていない……はずだ。いや、むしろ足かな?
 元々スケートは好きなんだ。子どもの頃はそれこそ暇を見つけては滑ってたし、大人になってからも冬場、体を動かすのはジムより、公園のランニングロードより、氷の上。一応、靴も自前のを揃えてる。

 さて、まずは軽く準備運動。しかる後リンクの入場料を払って靴を履き替え、さっそうと氷の上に滑り出す。
 一年ぶりの滑走だ。ジャーっと懐かしい音とともに景色が背後に飛ぶ。冷たい、かわいた空気が頬を撫でる。
 少しずつ速度を上げながら人の流れに乗り、外周に沿って回った。平日だが、人は多い。学校帰りの子どものみならず、仕事の合間にちょいと滑りに来る人もいるんだろう。あるいは、休みが不規則な職場とか。
 
 一周もすれば、じきに感覚は取り戻せる。周囲を眺める余裕も出てくる。
 もこもこのダウンジャケットを着た人の群れ。鮮やかな赤や黄色、青、ピンクにオレンジ。鮮やかなビタミンカラーをかきわけくぐりぬけ、森に溶け込む穏やかなアースカラーを探した。帽子からわずかにのぞく金髪とすれちがう度、ぐいっと目が引き寄せられる。

 来てる……かな……シエン。

 あれからも彼とは週に一度、運が良ければ二度、スターバックスで一緒にコーヒーを飲む日が続いてる。もっとも約束してる訳じゃないから、必ず会えるとは限らない。運良く会えても、いつ急な呼び出しがかかるかわからない。
 わずかコーヒー一杯飲む間の、大切なひととき。とりとめのない事を話したり、この間貸した、iPodの使い方を説明したり。
 この頃は「休みの日は何してる?」なんて話題も口にするようになっていた。
 シエンにしてみれば一緒にいる間、話が途切れないように話題を探していたって感じだったけど……。それでも自分の体験を、家族以外に話せることが新鮮で、楽しそうでもあった。

 この間はサリーとテリー(サリー先生の友だちだそうだ)と一緒に犬を見に行ったって聞いた。大きな犬がいっぱいいたけれど、一番大きなのはデイビットの家のベアトリスだった、と。

「ヒューイやデューイより大きいのに、デイビットはちっちゃなお姫さまって呼んでるんだ」
「ギャップがすごいね。一度聞いたら忘れそうにないや」
「うん。なのに、ディフも、サリーも、テリーもみんなして言うんだ。『なるほど、確かにちっちゃいな』って!」

 先週はスケート。始めて滑った。氷の上を、体が走るより早く動くのが楽しかった、ケーブルテレビの中継で見たスピンを思いきって試してみた。
 どきどきしたけど上手く行った!

「見てる人が拍手して、ちょっぴり恥ずかしかった……」
「嬉しかった?」
「んー……………うん!」

 目を輝かせて話す彼の愛らしい事と言ったら! きっと自分じゃ気がついてないんだろうな……。
 楽しい経験ってのは、自分以外の誰かに伝えることでより強く、色鮮やかに記憶に残る。
 ほんの少しでいい、オレが君の毎日を彩る手助けができているとしたら。

 これほど嬉しいことって、ないよ、シエン。

「……ふぅ」

 一周したけど、探し人の姿はなかった。いいさ、もとより分の悪い賭けだった。最も完全なスカと言う訳でもなく、一応見覚えのある顔がいるにはいた。
 ひょろりとした黒髪、眼鏡、カーキ色のダウンジャケットの下はワイシャツにネクタイ。へっぴり腰で手すりにしがみつき、よろよろふらふら、カタツムリの這う速度よりゆっくり微速前進。

 やれやれ。どうやら、力いっぱいジョーカーを引いたらしいや。
 まあ、知りあいなんだし。目があっちゃった以上、無視するわけにも行かないか。
 近づいて、手前でざーっとブレーキをかける。減速成功、上手い具合に目標の目の前で停止した。

「やあh。手すりの掃除ですか?」
「見てわかんねーのかバイキング。リンクでする事と言やあ一つだろうがよ!」
「……一応スケート靴ははいてるようですが?」

 むっとしてる。頑張ってるつもりなんだろうな……努力がまるきり反映されてないっぽいけど。

「初めてでそれぐらいできれば、上出来ですよ」
「…………」

 あ、さらにむすーとした顔になった。口をヘの字に曲げちゃってるよ。

「もしかして、二回目……ですか?」
「しょうがねえだろ。初めてスケート靴履いたのが、先週なんだからっ」
「はー、なるほど。二回目ねぇ」
「この間来た時ぁ全員初心者だったんだぜ。それなのに、みんなして俺を置いてきぼりにしやがって!」
「だから練習しに来た、と」
「おお、秘密の特訓だ!」

 これだけ大々的にやってて、秘密も何もないと思うんだけどなあ……。

(あれ、ちょっと待て? 先週はじめて?)

「あの、つかぬ事お聞きしますが、h」
「おう、何だ、バイキング」
「みんなって、ダレ?」

 ぱちぱちとまばたきすると、hはさも当然って口調でつらつら言ってのけた。

「レオンと、オティアとシエン、それからディーン」

 match。

 その四人が一緒だったってことは、もう一人も一緒だったってことだ。
 なるほど……この人は、センパイと、シエンと一緒にスケートに行ったんだ。
 シエンと一緒に。

 シ エ ン と、一 緒 に。

 目の前の男に、目を輝かせてスケートの話をするシエンの顔がダブる。
 オレがこんなにも必死で探し求める相手と、この人は当たり前って顔して毎日一緒に夕飯食べている。しかも、スケートにまで行ったんだ。

(わあ、なんか、面白くないぞ)

「なあ、エリック。教えてくれよ。いったいどーやったらそんなにジャーコジャーコ滑れるんだ!」
「わかりました教えてあげます」

 ぐいっと襟首をひっつかんで手すりから引きはがす。

「ぐえっ、ちょ、ちょっと、待てこれはっ」
「はーい、力抜いてー。手でどこかにつかまってちゃ、いつまでたっても一人で滑れませんよ?」
「う、ふ、わ、わかった」

 さすがに襟首はあんまりだな、と思い直してダウンジャケットのフードをつかむ。

「じゃ、支えてますから。まずはゆーっくり歩くことから始めましょう」
「う、うん。離すなよ? 絶対離すなよっ?」
「はいはい、じゃあまず右……左……あ、基礎はわかってるみたいですね」
「ま、まーな」

 フードをつかんで支えたまま、男二人でくっついて、そろりそろりとまず一周。へっぴり腰だけど、向上心は大したもんだ。
 気迫で体力をカバーしようって姿勢は立派だと思う……ほとんどカバーできてないけど。根本的に体動かすってことになれてないよ、この人は。ほら、もう息が上がってきた。

「大丈夫ですか、h?」
「お、おう……だいじょ……ぶ……」
「そうですか」

 本人が大丈夫って言ってるんだから気を使う道理はない、か。いい大人なんだし。

「それじゃ、そろそろ次のステップに進みましょうか」
「次か?」
「はい」

 フードをつかむ手を離す。

「一人で立ってみてください」
「おっ、と、と、う、うー、うー、うー……」

 hは四苦八苦しながら手をばたつかせていたが、どうにか。だいぶ腰が低いけれど、どうにか自力で立った。

「ど、どーだ。立ったぞ!」
「おみごと」

 ぱちぱちと手を叩く。

「それじゃ、もうちょっと前傾姿勢をとって……」
「こ、こうか?」
「はい、OK。それでは」

 再び襟首をつかんで、一旦後ろに引いて……どーんっと前に突き出した。

「うぎゃああああああああああああああああああああ」

 平日だし。空いてるし。大丈夫だよね。
 晴れ晴れとした気分で遠ざかる背に手を振った。

「習うより慣れるのが一番ですよ、h」
「おっ、覚えてやがれーっっっとととつぉわっ!」

 けっこうな勢いで彼は滑り続け、リンクの反対側の壁にぶつかって止まった。
 いや、正確にはぶつかる前に止まろうと努力はしたらしい。前のめりににつんのめり、膝から順に氷の上に突っ伏して、最終的には熊皮の敷物みたいに長々とのびていた。
 
 tarehi2.jpg
 illsutrated by Kasuri 

 びろーんと伸びたきり、動かない。さすがに心配になってそばに滑り寄ってみる。

「……h?」
「…………」

 むくっと起き上がった。ざっと見た限りでは目立った傷はなさそうだ。上手い具合に受け身とってたもんな。

「あー、ちょっと強過ぎましたね、すみません」
「お前、ぜんっぜん悪いと思ってねぇだろ!」
「ははっ」

 そうかも。

「おわびにおごりますよ」
「ったりめーだっ!」
 
 
 ※ ※ ※※
 
 
 特訓の甲斐あって、夕方にはhは一人でどうにか、リンクの外周を一周できるようになった。生まれたての子鹿……と言うにはいささかトウが立ってる足取りではあったけど、かろうじて手すり磨きからは卒業した。大した進歩だ。
 健闘を讃えて約束通り、リンク脇のスタンドでおごった。

「どうぞ」
「……なあエリック。おごってもらって言うのも何だけど……何で、アイス」
「ひと滑りした後は、咽が渇くじゃないですか」
「貴様……俺に何か恨みでもあるのかーっ」

 他意はない。単に自分が食べたいものと同じものをおごっただけだ。ソフトアイス(日本で言うところのソフトクリーム)にチョコレートパウダー、チェリーにマシュマロをトッピングして。

「ちくしょう、バイキングめ………」

 文句言いつつ、がちがち震えながら一心不乱に食べてる。結局好きなんだな、アイス。
 
「美味いな、これ」
「美味いでしょ」
 
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【4-17-2】巨大ミノムシ現る

2010/04/17 17:45 四話十海
 
 部屋に戻って真っ先にしたことは、ぐっしょり濡れた服を上から下までまるっとお取り換えすることだった。まあ上半身はだいぶマシだったんだ、ダウンジャケット着てたおかげで。しかし下は防水対策は皆無。じっとりびっとり足に貼り付き、ひしひしと熱を奪ってくれた。
 乾いた服に着替えた程度じゃ、体の芯まで染み透る寒さはちっとも収まらず、とにかく着るものを探して部屋中ふらふらゾンビのようにさまよい歩く。あったかいもの、あったかいもの、とにかくあったかいもの。

「あー……」

 ぼやけた目でソファの上の鮮やかな縞模様を眺める。あったかさは申し分ない。いまいち機動性に欠けるが、この際だ。これでいいや。
 ぐらぐら揺れる意識をどうにか奮い起こしてデスクの前に座る。さてと、出かけた分は、きっちり進めとかないとな。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
  
「ふーっ!」
 
 飯を食いに上に行ったら、ひと目見るなりオーレに唸られた。
 背中を丸め全身の毛を逆立て、俺をにらんでとっ、とととっと斜め歩き。青い瞳をらんらんに光らせ、全身全霊で叫んでやがる。

『あやしい! あやしい! あやしい!』

 あんまり騒がしいもんだから、オティアが出てきて……固まった。

「何、してる」
「あ"……」

 説明しようとしたら、一瞬のどの奥がくっついて上手く声が出せなかった。

「んが、あががっ、げほっ」

 オーレをかかえてオティアはささっと後ずさり。うんうん、正しい判断だ……。

「どうした、ヒウェル」

 あ。
 まま、来た。
 ……で、やっぱ目ぇ丸くしてぼーぜんとする訳ね。あ、あ、拳握って口んとこに当ててるよ。

「何だ、その格好……」
「ちょっと待て、今説明するから」

 咳き込んだ拍子にゆるんだ縁を、よいしょっと体に巻き付ける。

「……寒かったんだ」
「ああ、それはわかる」
「着替えようにもダウンジャケット、ぐっしょり濡れててさ。セーターも洗ったばっかで、まだ乾いてなくて……」
「で、ブランケットをぐるぐる巻きつけた、と」
「うん」
「自主的に、す巻きになったと」
「うん」
「その格好で、ここまで来たのか」
「だって、寒くてさあ…」

 ずびっと鼻をすする。
 ただいまの俺の服装。とりあえず乾いてるシャツとズボン。動きにくいからってんで置いてったおかげで、無事だったマフラーでのど元をぐるぐる。さらにその上からブランケットをぐるーりぐるりと巻き付けて、はい、できあがり。
 巨大ミノムシ、もしくはブリトーファッションとでも名付けてこの冬流行らせたろか?
 あー、いかんな、いい加減、脳みそ沸いてる……。

 ぼーっとしてたら、べしんと濡れタオルがかぶせられた。

「さんきゅー」

 ずびっと鼻をすすって顔を拭いて(かろうじて眼鏡を外すのを思い出すには間に合った)頭に乗せる。かっかかっかとのぼせていた脳天がしゅわーっと楽になった。

「ふぅ……」
「お前……そもそも、何やらかしたんだ」
「スケートの練習」
「それだけか?」
「それだけだよー。軽〜くすっ転んで、仕上げにアイス食って帰ってきた」

 ああ。ディフとオティアの目線が……冷たい。レオンは明らかに面白がってる。
 ディフが目を三白眼にしてじとーっとねめつけてきた。
 次のひと言、何となく予想がつくような気がする。

「阿呆か!」

 ほらな。

「う、うるへー。最近運動不足だから、ちょーどいいかなって思ったんだよ!」
「運動は大いに喜ばしいことだがな、ヒウェル。お前ただでさえ冷えやすいんだから、もっと防寒に気を使え。体を大事にしろ」
「……うん」
「食欲はあるのか?」
「うん、一応」
「そうか。じゃあ胃腸には来てないんだな……そら」

 背中を押されてぼふんと座らされたのは、暖房がいちばん効く、この部屋で一番あったかい場所だった。

「できたら呼んでやるから。休んでろ」
「うん……さんきゅ」

 ディフがキッチンに戻るのを見計らって、レオンがぽつりと言った。これ以上ないつーくらいににこやかに、ほほ笑みつつ。

「似合うよ、そのファッション」
「どーも」
「金門橋の下に沈めたくなるね」

 ぞぞっと背筋に寒気が走ったのは、熱のせいだけじゃない。
  
 
 ※ ※ ※ ※ 
 
 
 ディフがキッチンに入って行くと、一足先に戻ったオティアが鳥肉を一部とりわけていた。
 本来なら、サリーから教わった『カラアゲ』……日本風フライドチキンにする所だったが、さすがに揚物は食べづらいだろう。オカユさんを作るのには、いささか時間が足りない。
 オティアも概ね同じことを考えたようだ。一人分の鳥肉を一口大に切り分けて小鍋に入れて、固形スープのもとを放り込んでいる。

「オティア」

 振り向いたところに、ぽんっとニンニクを放り投げる。造作もなく左手でキャッチ。いい腕だ。

「そいつも入れてやれ。すり下ろしてな」
「ん」

 こくっとうなずくと、オティアはガラス瓶からトウガラシを大量につかみ出した。
 辛味の基準はヒウェルの基準。これぐらいはお約束。
  
 
 ※ ※ ※ ※ 
 
 
 夕食は、俺の分だけチキンスープだった。ニンニクと赤トウガラシをたっぷり入れた、熱々のピリ辛。

「うめぇ………しみじあったまる……」
「それ食ったらおとなしく寝ろよ」
「うん」
「さんざん苦労したようだけれど、肝心のスケートの成果はどうだったんだい?」
「あー……うん、どうにか……一人で滑れるように、なった」

 一瞬、食卓の上に沈黙が訪れ、みんなして意外そうな表情でこっちを見てきやがった。

「ほんとだって。エリックに教わったんだ!」

 どうにか信用させたいあまり、いらんことまで口走ったと気付いた時にはもう遅い。
 一瞬浮かんだ『まさか!』がぱたぱたと、『あー、納得』に切り替わる。

「たまたま滑りに行ったら、あいつと出くわして、それで、その……」
「よかったね、滑れるようになって」
「う、うん……さんきゅ」
「エリック、スケート得意なんだ」
「ああ、Myシューズも持ってた。かーなーりスパルタでさ……いや、むしろバイキング式か?」
「じいさんに仕込まれたらしいぞ?」
「うえっ、やっぱ直伝かよ!」
「?」
「エリックのじいさんは、デンマーク人なんだ」

 そして、夕食後。精一杯さりげなくオティアに近づき、そっとささやいた。

「スープ、ありがとな。んまかった」
「……」

 こくっとうなずく気配がする。じわーっと胸の奥があったかくなった。
 が。
 ささやかな幸せを噛みしめる暇もなく、無慈悲な判決が下された。

「ヒウェル」
「はい、何でしょう」
「治るまで、出入り禁止」
「うっ」

 よろっと来たとこに、ままが追い討ち。

「オティアとシエン、それにレオンに伝染ったらことだろ?」
「あー、はい、はい、確かにそうですねっ」
「飯は運んでやるから」
「……うん」
 
 ずるずると毛布を引きずり、歩き出したところに背後から、ちりっと迫る鈴の音一つ。あっと思った時には既に遅く、鮮やかなダイブ&キックで床につっぷしていた。

「く……」
「オーレ、容赦ないな」
「弱ってる敵を叩くのは戦略の基本だよ」
「違いない」

 しなやかな足音が顔のすぐそばを通り抜け、仕上げに長いしっぽでびしっと額を叩かれた。

 あー……こんな風に倒れるのは何度めだろう、今日の俺。

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【4-17-3】探し物

2010/04/17 17:46 四話十海
 
 木曜日の夕方、出勤前にスターバックスに立ち寄ってみた。何て幸運。シエンが居た!
 はやる心を押さえて食料と飲み物を買い、半ば雲を踏むような気分で彼の居るテーブルへと歩み寄る。

「Hi,シエン」
「Good evening」
「ここ、いいかな」
「……うん」

 トレイの上には小エビのサンドイッチにヨーグルトにリンゴ、ソイラテのグランデ。シエンが見て首をかしげた。

「それ、夕ご飯?」
「いや朝ご飯。これから出勤なんだ」
「あ、そうか、夜勤なんだ。大変だね」
「うん、大変。だけど困ったことばかりじゃないよ」

 初めてセーブル兄弟の名前を知ったのは、一昨年の十一月。センパイとhが持ち込んできた一つの事件がきっかけだった。

「たまにはいいこともあるからね」

 街角での暴行事件を発端に、発砲、児童保護施設の職員による人身売買斡旋、誘拐、麻薬の製造工場と違法武器の販売網の摘発。あれよあれよと言う間に事態は雪だるまみたいに膨れ上り、最後はFBIまで関わる大事件に発展した。
 hときたら、事情聴取にかこつけて捜査に強引に首をつっこみやりたい放題、し放題。全てはシエンを(その時はオティアと入れ替わっていたなんて知らなかった)探すため。しまいにゃほとんど自分で仕切ってた。
 いつ、主任にばれるかと冷や冷やしたけれど……
 この双子の一件に関しては、巻き込んでくれて感謝してる。

(オレのささやかな苦労が君の救出につながった。おかげで今、こうして一緒に居られる)

「……そう、たまには、ね」
「ふうん?」

 上機嫌でサンドイッチをほお張り、ラテを流し込む。

「今日はハチミツ、入れないの?」
「うん、ヨーグルトが甘いから」
「プレーンじゃなかったんだ……」
「今日のはバニラブルーベリー。君はプレーンの方が好き?」
「そうだね。家はいつもプレーンだし」
「そっか」
「エリックっていつも、何かしら乳製品食べてる?」
「あー、そうかも、とりあえずこれ食ってれば栄養確保できるし……あれ、ソイミルクって乳製品かな」
「んー、植物性?」

 ほんと、他愛の無いことしゃべってるなあ。次、いつ会えるかわからないのに、何してんだろ、俺?
 ああ、でも。
 君と共有できる空気がすごく、心地よい。
 いつまでも、この距離を保っていたい気もする。だけどその反面、わかってもいるんだ。このままでは、決して自分の望む位置に行き着くことはできない。君がいつか、誰かの手を取る瞬間を黙って見てなくちゃいけないって。
 笑顔で見送り、それで終ってしまう。
 そんなのは、嫌だ。

 ああ、もうじき最後の一口を飲み終わってしまう。
 シエン。
 もっと君の近くに行きたい。
 そのことを知っても君は、オレを拒まずにいてくれるだろうか。男としての生々しい好意を知ってもなお。
 正直、怖いよ。
 一緒にいる時間が長くなればなるほど、見守るだけで終らないって、自分でわかってるから。今日は、その日は来ない。だけど必ず、訪れる。次に会う時だろうか。それとも一週間先、一ヶ月先か。運命のダイスは気まぐれだ。いつ当たり目が来るかはわからない。

 空気が動く。
 ドアが開いてまた新しいお客が店に入って来た。幾度となく繰り返されてきた動きだけれど、今回はシエンの反応が違った。
 それとなく目を向けると、同じくらいの年ごろの男の子が二人入ってきた。店内を見回し、こっちに目を向け、手を振った……シエンに向かって。シエンもうなずく。知り合いらしい。
 不審そうにオレを見てる。茶色い髪の子なんか、あからさまに『うぇー』って顔してる。オトナを煙たがる種類の子だ。おそらくオレが警官だと知れば、敬遠するだろう。

「そろそろ行かないと……それじゃ、シエン、またね」
「ん」
 
 
 ※ ※ ※ ※


 店の中に入ってすぐ、ビリーはシエンを見つけた。だけど彼は一人ではなかった。

(誰だ? 絡まれてるのか?)

 一瞬、顔が強ばる。だが、改めてよく見ると、相手の男は背は高いものの、のほほんとしたお気楽そうな奴で……目を細めてにこにこしている。どことなく浮世ばなれしていて、見たところ暇な大学生ってところだろうか。
 どうする。大人よりはマシだが、面倒くさいな。
 顔をしかめて見ていると、上手い具合にちょうど帰る所だったらしい。二言三言話してからトレイを持って立ち上がり、こっちに向かって歩いてきた。

「………」

 脇によって道を開ける。すれ違った時、かすかに薬品のにおいがした。こぼしたとか付けたのではなく、日常的に服や髪の毛にまとわりつくにおい。何度か嗅いだことがある。

(理系……医学生……か?)

 そう言えば着てるものもどことなく白衣っぽい。
 のっぽの医学生は、さほどこちらを気にする風もなく(ありがたいことに!)すたすたと歩いて店を出ていった。外に出る直前、ポケットから携帯をひっぱり出して耳に当てていた。
 ちらっとEで始まる名前が聞こえた、ような気がした。

「よ、シエン。知りあいか?」
「うん、ちょっとね」
「あ、俺コーヒー買ってくる」
「おう」

 ポケットに両手を突っ込んだまま、ユージーンがふらっとカウンターに歩いてゆく間、自分はシエンの向かいに腰を降ろした。

「このごろあんまし顔見せねーな。家、厳しいのか」
「そう言う訳じゃないけど、何となく……ままが風邪ひいて、寝込んだりしたし」
「そっか」

 正直、こいつに会えてほっとした。
 シエンのいない間もユージーンやその他の『友だち』と顔を合わせて適当に遊んでいた。時には知り合いの知り合い、あるいはまったくの初対面の奴までくわわり、けっこうなグループになることもあった。
 気が向けばアドレスも交換するけれど、名前もロクに覚えてない。一時、一緒にいて適当に遊べばそれでおしまい。
『またな』と言って別れるけれど、また会うとは欠片ほども期待はしていない。

 第一、会った時に同じ相手だって見分けられるかもわからない。

 そこそこに楽しい。時間もつぶせる……だけど、それだけだ。

「よ、おまっとさん」

 ふわっとコーヒーの香りに我に返る。

「行くか」
「うん」

 三人で並んで歩き出した。

「今日はどこ行く。久しぶりにカラオケ行くか? 新しい曲入ってるぞ!」

(何だろう。俺、今日、すごくはしゃいでる)

 顔がわかる。名前がわかる。今より前に共有してきた時間がある。そんな三人でいる温かさを経験した後では、二人は妙に寂しかった。つまらなかった。
 一人ぼっちはなおさらに。
 刻一刻と街は暗がりに包まれ、まぶしいネオンが輝き始める。
 一件の店の前を通り過ぎる瞬間、ちょうど明かりが消えた。暗がりを背に、ガラス窓に顔が写る。まったくの不意打ちだった。

(あ)

 楽しい話をしている真っ最中のはずなのに、妙に乾いて、くたびれて……空っぽだった。

「どうしたん、ビリー?」
「い、いや、何でもねえっ! あー、俺も何か買ってくりゃよかったなーっ。ユージーン、コーヒーひとくちくれよっ!」
「これブラックだぞ」
「げ、いらねっ」
「そこのデリで何か買ってこう?」
「そうだなっ」

(俺はほんとは、どこに行きたいんだろう?)


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【4-17-4】二日後に時間差で

2010/04/17 17:47 四話十海
 
 ニンニクをたっぷり効かせた、真っ赤な熱いチキンスープ。翌日の朝も鍋に入った奴を二食分、ディフが届けてくれた。
 ありがたくいただき、ぐっすり眠った。お陰で二日後には熱も鼻水もすっきりクリア、空になった鍋をきれいに洗って(俺基準で)返しに行くことができるまでに回復した。だが、その頃にはまた別の刺客が忍び寄っていたのだった。ひっそりと、音も無く。
 
「よ………スープありがとな」
「……どうしたヒウェル。まだどっか具合悪いのか?」
「ちょっと、な……」

 ふくらはぎ、太もも、そして何故か腰から背中にかけてびっしりと、トゲの生えた見えない針金が絡みつき、一歩あるくごとにギシギシ、みしみし軋む、痛む。
 自分では滑らかに動いてるつもりなんだが、どう頑張っても結果は「スリラー」みたいな動きになっちまう。 

「筋肉痛、か」
「……実は」
「今ごろ?」
「悪かったな!」
「お前……二十代でそれは……」
「皆まで言うな」

 くいっとディフは右手の親指でソファを示した。

「そこに横になれ」
「へ? いや、そこまで酷くないし」
「マッサージしてやる。ちょっとは楽になるだろ」

 ぞわぁっと背筋が凍りつく。ちら、と視線を横に走らせると……レオンがほほ笑んでいた。そりゃもうこれ以上ないつーくらいに美しい笑顔で。

「い、いや、いい! 大丈夫! 明日、マッサージの体験取材に行くことになってるし!」
「……そうか。今夜はじっくり風呂に入ってあっためろよ?」
「うん、ありがとなっ」

 怖い。
 すぐそこで、笑顔全開でこっち見てるレオンが……怖い。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 次の日、ジョーイから指定された店に行く。ユニオン・スクエアの小さな気持ちのいい店で、買い物のついでとか。昼休みや会社の行き帰りにふらっと入れそうなヒーリング・サロン。ゆるーっとした音楽とほんのりと良い香りの混じる空気、調整された柔らかな照明に包まれて、肌触りのいい椅子に座る。
 靴と靴下を脱ぎ、ほっそりした女性の手で足を念入りにオイルでマッサージされ……

 木の棒で、ぐりん! と足の裏を突かれた。

 ずぎゅうんっと、衝撃が背骨を駆け抜ける。目の奥でちかっと光の粒がまたたき、体中の毛穴が縮み上がる。
 むず痒い、痛い、くすぐったい、いや、やっぱり痛い!

「おああああっ」

 ひじ掛けをつかんでのたうっていると、施術士さんがさらっと聞いてきた。

「あ、痛いですか?」
「す、少し」
「じゃ、指でやりましょう」
「お、お願いします」

 地獄と煉獄の違いぐらいしかなかった。突き方も、突く場所も変わらない以上、やっぱりどうやっても痛いもんは痛い。
 しかも、痛いつってもこの人全然気にしねえし!

「痛いのは承知の上、遠慮なく全力でやってください、とうかがっておりますので!」

 ちくしょう、ジョーイめ。だから社内に希望者誰も居なかったんだな。気付いたところで後の祭り。

「体中ぼろぼろですねー。ここ、肝臓のツボ」
「あだだだ」
「胃」
「ほあだだだだだ!」
「目!」
「!!!!!!!!」

 もはや声にならない。

「パソコン使う方ってお仕事柄、ここが弱い方が多いんですよね。あとこことか」
「っっっ」
 
 ありとあらゆるツボを一通り体験させていただいて、終ったころにはいい具合にぼろぼろのよれんよれん。
 っかしいなあ。俺、健康になりたかったはずなのに……。
 お土産にハーブティーとお香とアロマオイルをいただき、礼を言って店を出る。

「お?」

 歩き出してみたら、足が軽かった。ギクシャク、よろよろのスリラー状態がかなり改善されている!

「そっか、痛いけどきいてるんだ……」

 渡された「足ツボの図」を取り出して見ながら歩く。悪いところに丸印をつけてくれたんだが、ほぼ全面埋まってるように見えるのは気のせいか。
 前を見ないで歩いていたせいか、どんっと誰かにぶつかった。

「っと、失礼」
「いや、こっちこそ」

 あれ、聞き覚えのある声だな。
 顔をあげると、褐色の髪にターコイズブルーの瞳の青年が、気まずそうに手にした携帯を閉じた所。

「テリーじゃねぇか。何やってんだ、こんなとこで」
「人、探してるんだ」
「おいおい、穏やかじゃないな。男か? 女か?」
「男。つーかBoy」
「ほう?」

 そいつはますます穏やかじゃない。ぴくっと厄介事のアンテナが反応してる。テリーはこっちを見て、何か言いかけたんだがそれより早く、ぐうーっと腹が鳴った。

「……ここで会ったんも何かの縁だ。飯おごるよ」
「さんきゅ」

 と言ってもこっちも取材の帰りだし。向こうもそわそわしていたんで道路脇のホットドッグスタンドで合意した。
 フライドオニオン、マスタード、ケチャップ。たっぷりかけた熱々のをほお張る。

「ん……んまい」
「もしかして、これが今日始めての食事、か?」
「いや、そうって訳じゃないんだけど。言われてみりゃ朝も昼もあんましっかり食ってなかったかな」
「そう……か」

 よほど大事な相手を探してるらしい。さりげなく話を向けてみる。

「探してるって、誰?」
「弟」
「年は?」
「十七」
「そいつぁ難しい」
「だろ? お袋が心配してる」
「いい息子だな」
「育ててもらった恩がある」
「月500ドルの、政府からの報酬とは別に?」
「………」

 口の動きが止まり、微妙にテリーの表情が強ばった。
 伺ってるな。
 ……いいだろう。この機会に今までお互いに何となく感じ取ってきた『共通点』を、そろそろ表にしとくか。お互いに。

「うちは、俺一人だけだったんだ。だから兄弟はいない。気難しい子だったし、親は火事で死んじまって、他に身内もいなかったから」
「……だいたい似たようなもんだな。うちは、事故で二親とも」
「そうか」

 こいつにしちゃ珍しく歯切れの悪い口調だ、言葉の端をあいまいに濁している。まあ、あまり詳しく思い出したい話でもないだろうし、な。
 いずれにせよ……
 引き取られるあてのない子どもが、一つの里親の家に落ち着いていられる。これがどれほど幸運な出来事なのか、よく知っているのは分かった。お互い、言葉にするまでもなく。

「十七か。ちょうど意地張ってる頃あいだな」
「うん。意地張って、帰ってこない。けっこう育ってから家に来たから、余計に」
「だからお前さんが探してるのか」
「まあな。一緒に世話になってた奴の中には……ふらっと出てって、そのまま帰ってこなかった奴もいるし」

 低い声で言うと、テリーは無造作にホットドッグを噛み千切った。頬に飛んだケチャップと脂をぐいっと手の甲でぬぐい、がつがつ噛んで、ごくっと飲み下す。
 その間、俺はと言うと黙って見守っていた。自分の分を、もそもそ噛みながら。

「俺は、あいつみたいに親に殴られてた訳じゃない。そういう意味では、本当に理解してやれないのかも……」

 しばらくの間、俺たちはホットドッグを食うことに専念した。

 わかってほしい。だけど「気持ちはわかる」なんて言われたらまず反発する。乾いてギザギザの気持ちのまっただ中。生のタマネギよりもツンツン尖って突っ張って、口に咽に、目に突き刺さる。

 最後の一口を飲み込んでから、もう一つ食うかと聞いてみた。

「もらう……いや、やっぱ、パンはいいや。ソーセージだけ」
「OK」

 二つ目は、俺はコーヒーだけ付き合うことにした。

「テリー」
「ん?」
「……ついてる」

 さし出したペーパーナプキンでごしごしと口の周りをぬぐってる。

「いや、そこじゃない。ここ」
「マジか、そんなとこまで? 参ったなぁ……」
「なあ、テリー」
「まだついてるのか?」
「少なくとも、親よりは近い位置にいる」

 そして、同じ里子だ。里親との微妙な距離感も体験している。

「……わからないんだ」
「何が?」
「あいつを見つけた時、何て言えばいいのか。まだ、わからない……」
「お兄ちゃんが迎えに来てくれた方が、その子もきっと……ちょっとだけ、意地張らずにすむさ」
「そっかな」
「俺だったら、そう思う」
「……」
「弟の名前、何てんだ?」

 ぽかん、としたコマドリの卵色の瞳に向かい、ぱちっとウィンクしてやった。

「こう見えてもそれなりに顔は広いんだ。手伝える事、あるかも知れないぜ?」
「ビリー。これ、写真……」
「気を付けてみるよ。見つけたら、君に連絡する」
「ああ。サンキュ、ヒウェル!」
 
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【4-17-5】真昼のコーヒーブレイク

2010/04/17 17:48 四話十海
 
 その日、マクラウド探偵事務所の所長はデスクワークに忙殺されていた。
 午前中の業務を終えると有能少年助手が湯を沸かす。マグに注いだ紅茶を二人分用意したら、お次は猫の番だ。
 ドライフードと缶詰め、新鮮な水をセットすると、待ちかねたように白い猫がすりより、皿に鼻を突っ込む。
 カリカリとフードをかじる軽やかな音をBGMに、ディフとオティアはそろって中央のテーブルに座り、弁当を開けた。
 今ごろはシエンとレオンも上の事務所で同じものを開けているだろう。
 
 本日の献立はブリトー(burrito)。小麦で焼いた皮(トルティーヤ)でくるっとおかずを巻いた、サンフランシスコ風の軽食だ。サリーに言わせると「巻きずしとお好み焼きの合体したサンドイッチ風」の食べ物らしい。
 小振りなのをオティアとシエン二本ずつ、ディフとレオンは三本ずつ。
 濃いめに味付けしたライスに昨夜の残りのチリ、茹でたインゲンマメに揚げたジャガイモと細切りキャベツをぎっしり巻きこんだのはディフが作った分。春雨やキュウリ、アルファルフアに茹でたササミとアボカドを巻き込んだ細目のは、シエンが巻いた分。
 形を作るのに、以前サリーからもらった寿司を巻く道具を使ったらきれいに巻けた。

 始めて作った時、レオンはあきらかに戸惑っていた。ディフが作るまでは食べたことなんかなかったし、食べ物をまるごとかじるのに抵抗があったからだ。
 以来、大きいのを一本どん! ではなく小振りのを二本、ローゼンベルク家のキッチンではそれが定番になっている。

 弁当を食べ終ると、オティアは自分の分のカップを流しに運び、洗って片づけて。それから携帯と財布をポケットに収めると、所長を振り返った。

「コーヒー飲んでくる」
「ん、行ってこい」

 チリン。
 鈴を鳴らしてオーレが飛んでくる。

『おでかけ、おでかけ、あたしも一緒なんでしょ?』
「……ごめんな」 

 オティアは小さな白い猫を抱き上げると、ディフに渡した。

「気をつけてな」
「みゃーっっ」

 ピンクの口をかぱっと開けるオーレを撫でると、くるっときびすを返し、事務所を出た。甲高い猫の声に、後ろ髪を引かれる思いで廊下を歩く。早足で歩く。
 ちょうど降りてきたエレベーターに乗り込むと、シエンが居た。いや、居るとわかっていたからこのタイミングで出てきたのだ。シエンもそのことは知っている。

 エレベーターが一階に着いた。二人はひと言も話さず、視線を合わせることもなくビルから出て、同時に手袋をはめた。オティアは青、シエンはピスタチオグリーン。すたすたと歩いて行き、何の打ち合わせもしないまま、緑色の丸い看板の下でひょいと曲ってドアをくぐった。

 コーヒーの香る空気の中。
 そこに、エリックが居た。


(レッドホットチキンスープ/了)

【4-18】苦いコーヒーに続く

うわさのヒウェ子

2010/04/17 17:55 短編十海
 
  • 拍手お礼用短編の再録。実は★★★夜に奏でると同じ日の夕食時の出来事でした。
  • 女装して一番アレなのは誰だろう? と言う話題から月梨さんが描いちゃったイラストに調子に乗ってテキストをつけて出来上がったお話。
  • タイトルの元ネタがわかった方は、おそらく同世代。
 
 土曜日は少し早めに上に行くことにしている。
 夕食の時間が早いからだ。加えていつもより凝った献立が出ることが多い。デザートにも気合いが入ってる。いかにも週末! って感じで年がいもなくウキウキしちまう。
 第一、これくらいのメリハリがないと、つい忘れちまうものな。締め切りまでの残り日数以外の日にちの数え方ってものを。

「腹減った。今日の飯なに?」
「まだ少しかかるよ」
「さいですか……それじゃ」

 どっかとリビングのソファに腰を降ろす。携帯を出すか、新聞をめくるか、さてどっちにしよう。
 すると。珍しいことにレオンが雑誌を一冊テーブルに載せ、すっと指先でこっちに押しやってきた。

「お、ありがとうございます」

 ごく自然に手にとり、ぺらりと開いて……硬直した。

「こ、これは………」
「ああ、うん。雑誌の整理をしていて見つけたんだ。懐かしいだろ?」

 懐かしい?
 冗談じゃないよ! 目に入るたび、この雑誌はことごとくこの世から抹殺してきたと言うにーっ!
 俺は本来写す側の人間だ。滅多に自ら被写体になることはない。だがたまには例外もある。その中で最も記憶に留めたくないケースがこれだ。

「……何固まってるんだ」

 もわっと美味そうなにおいが漂ってきたと思ったら、さっと背後からがっしりした手が雑誌を奪い取ってしまった。

「ああっ」

 100410_0201~01.JPG
 illustrated by Kasuri
 
 ディフはまじまじととあるページ(折り目つけてたのは誰だ! いや、聞くまでもない)を凝視して。

「……ぷっ」

 盛大に噴き出しやがった。

「……ぷっ、ぶわははははっ、何だこれは!」
「あーあー、もーいっそ爆笑してくれた方がすっきりすらぁ!」

 何てこったい聖ウィニフレッド様(ウェールズの守護聖人)。爆笑を聞きつけ、双子まで出てきちまった!
 涙を流して豪快に笑いこけるディフを見て首をかしげてる。
 やがてシエンがひょいと手元をのぞきこみ………………硬直した。

「これ………ヒウェル、だよ、ね?」
「ちっ、ちがうんだっ、これは、趣味とかそう言うんじゃなくてっ、仕事! 仕事なんだよっ」

 ばばっとディフの手から雑誌を奪い取り、別のページを開く。そこには身長2m近い、岩を刻んだようなアフリカ系の美女(?)がオレンジのサマードレスを着て仁王立ち。当日、「スコーピオン・クイーン」の伝説を打ち立てた写真が見開きで掲載されていた。

「ほら、俺だけじゃない!」
「わっ、レイモンド!」
「うん……そう、レイ………」

 何かただならぬ気配を感じたのだろう。ぽとっと、オーレの口からエビのぬいぐるみが落ちた。
 そして飼い主は………絶対零度のまなざしでこっちを見てる。

「言い訳じゃなくて、本当に仕事なんだってば! 一昨年の四月一日に、ジョーイとトリッシュの勤めてる雑誌社で男女逆転デイってイベントがあってだね!」

 男女逆転デイ。
 読んで字のごとく、男女逆の扮装をして一日すごす。小学校や幼稚園で、社会勉強と余興を兼ねて行うイベントだ。
 男の子と女の子の違いや共通点を体で覚え、相互理解を深めようってことらしんだが……子どもの時はもっぱらはしゃいでた。
 で、成長とともに余興の割合が増えて行き、そのうち自主的にやり始めるようになる訳だ……ハロウィンとか文化祭、あるいは寮のパーティーの馬鹿騒ぎとして。

 さらに、いい年こいた大人がやらかすと……金にあかせてこり出す分、悪ノリ度に拍車がかかってすんごいことになる。
 うっかりその日が四月一日ってことを忘れ、わざわざ徹夜明けに原稿と写真を届けに行ったのがそもそものまちがいだった。
 徹夜明けでぼーっとした俺の襟首を、ジョーイがむんずとつかまえ、女性陣に売り渡してくれやがった。

「ウィッグはいらないわよね」
「そーね。十分長いもの。まーこの髪! 無駄にツヤツヤしちゃってにくったらしい」
「せっかくだからリボンもつけちゃえ」
「体が細いからタイトなデザインは似あいそうにないわね。ニットにしましょ!」
「何、あんたスネ毛ないの? 卑怯だわ!」
「まーお肌かさかさじゃないの。それにこのクマ! パックしときましょ」

 あれよあれよと言う間に着替えさせられ、パックにクリーム、化粧までされて。
 はっと気付くと写真を撮られていた。隣にいる巨大なスコーピオン・クイーンがレイモンドだと気付くまでにしばらくかかった。

 一ヶ月後、束で届けられた見本誌はことごとく抹殺した、はずだった。
 レイモンド経由でレオンの事務所にも行ってたのか………! いや、予想すべきだった。

「……あ、もしかして、このお下げの女の人は、ジョーイ?」
「うん。それ、ヅラ」
「こっちの、スーツ着てんのはトリッシュか」
「そ」
「で、これは……………」
「ええい、しみじみ見るなーっ!」

 シエンは小さな声でぽつりと

「…………………すごいね」とつぶやいた。
「うん、すごいだろ」

 ちりん、と鈴が鳴る。オティアが床にかがみこんでエビのぬいぐるみを拾ってる所だった。目があうと、肩をすくめてふ、と軽くため息をついた。
 
 ※ ※ ※ ※
  
 オティアは思った。
 仕事なら、しかたない。周りの男性陣に比べれば、穏やかと言うか、マシなレベル……と言えなくもない。目もうつろだし、あいつの言う通り、ぼーっとしてるうちに否応なしに女装させられたのだろう。
 気の毒………いや、同情する必要もないか。

 そもそも、その仕事からして好きでやってるんだから。

「で、こっちが去年の分」
「レオンーっ!」

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 illustrated by Kasuri

 前言撤回。

(だめだ、こいつは)

 ぷいっとそっぽを向くと、オティアはすたすたとキッチンへと向かった。ちらとも振り返らず、まっすぐに。
 
 
(うわさのヒウェ子/了)