▼ 【3-13-2】天使の仕切る食卓
その日の夕飯時。
飯ができ上がるのを待ちながら、リビングで何気なく名刺入れを取り出して、古い名刺の整理をしていたら懐かしいのが出てきた。
「Mr.ジーノのミドルネームって……Aでしたよね」
「ああ」
「あれって、何の略なんですか?」
さらりとレオンが答えてくれた。
「アンヘルだよ」
「そっか……って……angel?」
騒がしいほど陽気なラテンガイと天使。何つーミスマッチ!
「天使………そっか、天使かぁ………ぷぷっ、く、く、くっ、に、にあわねーっ」
「あまり面白がらないでやってくれ。本人も気にしてるんだから」
「そ、そうは言っても、あ、だめだ! あの人が羽根背負って輪っかつけてる図が頭から離れねぇっ」
久々にツボにはまってしまった。
声を殺して笑っていると、レオンがぽそりと言った。
「ああ、でも実際に天使なら地上に居るかもしれないね」
「……どこに?」
「そこさ」
すっと指さす先はキッチン。
「ああ、双子が?」
「いや。ディフだよ」
「……pardon?(もしもし?)」
我と我が耳を疑った。昨夜遅くまでiPodでガンガンに音楽聴きながら原稿書いてたが、聴力はまだ衰えちゃいないはずだ。
「天使って……奴が、ですか」
「ああ」
「……」
真顔で何を言い出すのかこの男は。
ここんとこ忙しいのは知っていたが、とうとう眼精疲労が限界を突破したか、それとも意識が別の次元にスライドしたか?
「いい眼科を紹介しますよ」
「ヒウェル」
わあ。なんて清々しい笑顔だろう。どんなに偏屈な陪審員でもイチコロだぜ。
目が全然笑ってないけど。
「外見を言ってるんじゃない。俺は魂の問題を言っているんだよ」
さらりと恥ずかしい台詞を吐きやがった。
「……はあ」
「万人にとっての天使である必要はないんだ」
「あなた専用って訳ですか」
「願わくばね……ところでヒウェル」
「はい?」
「子供達の世話をして興奮して鼻血を出してたって聞いたけど?」
「……………………なっっ」
いきなり三ヶ月も前のこと持ち出すか? せっかく忘れかけていたのに!
「あ、あ、あ、あれはっ、ちょっと、集中の度合いが過ぎて、のぼせただけでっ」
ちらりとキッチンの方を見やる。聞こえてないだろうな……。念のため、声のトーンを落した。
「ってか、その言い方、やめてください。俺がよからぬ事ばっかり考えてる変質者みたいじゃないですか」
「ああ、失礼」
くすくす笑ってやがるよ、この人は。楽しそうだね、おい。
「どうせ……俺は……あなたみたいな鉄の忍耐力は持ちあわせちゃいませんよ、ええ」
「俺だって別に好きこのんで忍耐強いわけじゃないんだけどね」
レオンは両手の指を軽く組み合わせて目を伏せた。ふさふさとしたまつ毛が瞳の上にかぶさり、影を落とす。
「俺は……君よりも自分を信じていなかっただけだ」
「あなたが? そりゃ意外だ」
「今でもね」
「信じらんねぇ。俺の目から見れば十分あなたは恵まれてますよ。『相思相愛』だ」
思わず口元が歪む。
「何があったって……あいつはあなたを拒まない。あなたのすることなら何でも受け入れるだろうな……」
「だから困るんだよ」
「ほう?」
「君は君で、両手に花じゃないか、ヒウェル」
一瞬、言葉が出なかった。口をぱくぱくさせて、レオンとキッチンの方角を交互に見やって。
「それ、どんな皮肉ですかぃ」
けっと口を歪めて言い放ち、そっぽを向いた。
「……人の想いというのは、ままならないものだね」
「ものすっごく不本意ですが………同意します」
てめーが言うか!
腹の底で秘かに悪態をついていると、エプロンつけたごっつい赤毛の『天使』が金髪の双子を従えてキッチンから出てきて。三人で手際良く食卓に料理を並べ始めた。
口調はぶっきらぼうでそっけないが声音はとんでもなく穏やかで、ヘーゼルブラウンの瞳が何とも優しげにシエンとオティアを見守っている。
あー、やっぱ俺、あんないかつい天使は却下。
もっと線の細い美形希望。
思っても言えない。
笑顔でスルーされてるうちに口をつぐんでおいた方が世のため、人のため、身のためだ。
肩をすくめて古い名刺を名刺入れの奥にしまい込む。
4年前、まだ駆け出しの新米記者だった頃。
彼の情報提供で最初のスクープをモノにして以来、俺はレオンハルト・ローゼンベルクには逆らうまいと心に決めている。
恩義や友情よりはむしろ、畏怖故に。
彼は敵には決して容赦しない。いくらでも無慈悲になれる男なのだ。
『俺の天使』を守るためなら。
「できたぞ。冷めないうちに、食え」
次へ→【3-13-3】脅迫
飯ができ上がるのを待ちながら、リビングで何気なく名刺入れを取り出して、古い名刺の整理をしていたら懐かしいのが出てきた。
俺がまだ駆け出しの(そして堅気の)新聞記者だった頃、Mr.ジーノにもらった名刺だ。
ブラッドフォード法律事務所
弁護士 デイビット・A・ジーノ
「Mr.ジーノのミドルネームって……Aでしたよね」
「ああ」
「あれって、何の略なんですか?」
さらりとレオンが答えてくれた。
「アンヘルだよ」
「そっか……って……angel?」
騒がしいほど陽気なラテンガイと天使。何つーミスマッチ!
「天使………そっか、天使かぁ………ぷぷっ、く、く、くっ、に、にあわねーっ」
「あまり面白がらないでやってくれ。本人も気にしてるんだから」
「そ、そうは言っても、あ、だめだ! あの人が羽根背負って輪っかつけてる図が頭から離れねぇっ」
久々にツボにはまってしまった。
声を殺して笑っていると、レオンがぽそりと言った。
「ああ、でも実際に天使なら地上に居るかもしれないね」
「……どこに?」
「そこさ」
すっと指さす先はキッチン。
「ああ、双子が?」
「いや。ディフだよ」
「……pardon?(もしもし?)」
我と我が耳を疑った。昨夜遅くまでiPodでガンガンに音楽聴きながら原稿書いてたが、聴力はまだ衰えちゃいないはずだ。
「天使って……奴が、ですか」
「ああ」
「……」
真顔で何を言い出すのかこの男は。
ここんとこ忙しいのは知っていたが、とうとう眼精疲労が限界を突破したか、それとも意識が別の次元にスライドしたか?
「いい眼科を紹介しますよ」
「ヒウェル」
わあ。なんて清々しい笑顔だろう。どんなに偏屈な陪審員でもイチコロだぜ。
目が全然笑ってないけど。
「外見を言ってるんじゃない。俺は魂の問題を言っているんだよ」
さらりと恥ずかしい台詞を吐きやがった。
「……はあ」
「万人にとっての天使である必要はないんだ」
「あなた専用って訳ですか」
「願わくばね……ところでヒウェル」
「はい?」
「子供達の世話をして興奮して鼻血を出してたって聞いたけど?」
「……………………なっっ」
いきなり三ヶ月も前のこと持ち出すか? せっかく忘れかけていたのに!
「あ、あ、あ、あれはっ、ちょっと、集中の度合いが過ぎて、のぼせただけでっ」
ちらりとキッチンの方を見やる。聞こえてないだろうな……。念のため、声のトーンを落した。
「ってか、その言い方、やめてください。俺がよからぬ事ばっかり考えてる変質者みたいじゃないですか」
「ああ、失礼」
くすくす笑ってやがるよ、この人は。楽しそうだね、おい。
「どうせ……俺は……あなたみたいな鉄の忍耐力は持ちあわせちゃいませんよ、ええ」
「俺だって別に好きこのんで忍耐強いわけじゃないんだけどね」
レオンは両手の指を軽く組み合わせて目を伏せた。ふさふさとしたまつ毛が瞳の上にかぶさり、影を落とす。
「俺は……君よりも自分を信じていなかっただけだ」
「あなたが? そりゃ意外だ」
「今でもね」
「信じらんねぇ。俺の目から見れば十分あなたは恵まれてますよ。『相思相愛』だ」
思わず口元が歪む。
「何があったって……あいつはあなたを拒まない。あなたのすることなら何でも受け入れるだろうな……」
「だから困るんだよ」
「ほう?」
「君は君で、両手に花じゃないか、ヒウェル」
一瞬、言葉が出なかった。口をぱくぱくさせて、レオンとキッチンの方角を交互に見やって。
「それ、どんな皮肉ですかぃ」
けっと口を歪めて言い放ち、そっぽを向いた。
「……人の想いというのは、ままならないものだね」
「ものすっごく不本意ですが………同意します」
てめーが言うか!
腹の底で秘かに悪態をついていると、エプロンつけたごっつい赤毛の『天使』が金髪の双子を従えてキッチンから出てきて。三人で手際良く食卓に料理を並べ始めた。
口調はぶっきらぼうでそっけないが声音はとんでもなく穏やかで、ヘーゼルブラウンの瞳が何とも優しげにシエンとオティアを見守っている。
あー、やっぱ俺、あんないかつい天使は却下。
もっと線の細い美形希望。
思っても言えない。
笑顔でスルーされてるうちに口をつぐんでおいた方が世のため、人のため、身のためだ。
肩をすくめて古い名刺を名刺入れの奥にしまい込む。
4年前、まだ駆け出しの新米記者だった頃。
彼の情報提供で最初のスクープをモノにして以来、俺はレオンハルト・ローゼンベルクには逆らうまいと心に決めている。
恩義や友情よりはむしろ、畏怖故に。
彼は敵には決して容赦しない。いくらでも無慈悲になれる男なのだ。
『俺の天使』を守るためなら。
「できたぞ。冷めないうちに、食え」
次へ→【3-13-3】脅迫