▼ 【side8】くるくる、きゅっ!
- 【4-8】ひとりぼっちの双子の前、レオン出張の直前の出来事。
- すっかり子どもたちにかかりっきりの"まま"に、秘かに"ぱぱ"はストレスをためていたようで……
【attenntion!】タイトルに『★★★』の入っている章には男性同士のベッドシーンが含まれています。十八歳未満の方、および男性同士の恋愛描写がNGの方は閲覧をお控えください。
記事リスト
- 【side8-1】物は試しと夜会巻き (2008-12-19)
- 【side8-2】★★検証の結果… (2008-12-19)
- 【side8-3】★★★焦らして、噛んで (2008-12-19)
- 【side8-4】★★★二段目の引き出し (2008-12-19)
▼ 【side8-1】物は試しと夜会巻き
面白いものを見た。
でき上がった写真と原稿を出版社に届けに行った時のことだ。
「Hi,トリッシュ」
「あら、ヒウェル」
やり手の女編集者は珍しく豊かな黒髪をふさふさと肩の上にたらしたままだった。
「ちょっと待ってね」
彼女はデスクの上に置かれていた小さな金具を手にとった。
ラインストーンの飾りがついた金属の軸から、櫛みたいに細長い歯が伸びている。だが、櫛にしちゃ妙にその、何て言うか……歯の間隔が、広過ぎる。髪の毛とかすにはあまりにスカスカだよ。5本ぐらいしかない。
しかも、全体的に半球状にゆるくカーブがかかっているし。
何なんだ、アレは?
「……ブラッシングするのか?」
「いいえ」
くすっと笑うと、トリッシュはくるくると髪の毛をねじりあげ、謎の金具をきゅっと挿して、くいっとひっくり返して、深く押し込んで……あっと言う間にいつもの見慣れたアップの髪型ができあがり。
この間、10秒もかからない。
「……ちょっと待て、今、何があった?」
「夜会巻きって言うのよ、この髪型」
「いや、それは知ってる……俺が言いたいのは、その」
「ああ、最近は便利な道具があってね、これ一本で簡単にできちゃうのよ」
「へえ……それ、どこで売ってる?」
※ ※ ※ ※
「ってな訳でアクセサリー売り場で買ってきてみたんだけどさ……俺だと、髪の毛の長さが足りなかったんだよね」
「買ったのか……」
「原稿書く時に、髪の毛まとめんのに便利だと思ったんだよ、そん時は! 輪ゴムよか気が利いてるし、くるくる、きゅって、えっらい簡単にまとまってたしさぁ」
ディフはぎろっと三白眼でねめつけてきた。あ、あ、あ、お前、今心底呆れてるだろ。そーゆー顔してる。
「新しいモノを試したかっただけだろ」
「……うん、実は」
小さな紙袋に入った夜会巻きコーム(と、言うらしい)と付属のマニュアルを食卓の上に乗せる。
「お前ぐらい長けりゃちょうどいいと思うんだよね」
「持ってきたのか……」
「うん。せっかく買ったのを無駄にするのもアレだしさ。写真の図解付きで説明書もついてるから、試してみろよ」
※ ※ ※ ※
ヒウェルが帰ってから、問題の紙袋を開けてみる。青い大粒のラインストーンのついたコームが入っていた。
「………あいつ……何考えてこんな、キラキラしたものを……」
トリッシュの髪はふさふさと豊で、こしがあって量も多い。やわな髪飾りでは『ぱきーんって割れちゃうのよ』と笑いながら言っていた。
こんなちっぽけな物で、ほんとに留まるのか?
好奇心をおさえられず、コームを手にとり説明書を読む。
……ふむ。なるほど、こうやって、髪の毛をまとめて……ねじって……。
最終的に固定するのと逆向きから束ねた根本に挿すんだな。で、こうやって裏返して、きゅっと押し込む、と。
「お」
ほんとだ。できた。首筋から背中にかけてひろがってた髪の毛が、きっちり一つにまとまって大人しく固定されてる。試しに頭を左右に振ってみたが、ずれる気配はない。
髪に挿したコームに手をやり、くいっとひっぱる。
ばさばさと髪の毛が降りてきて、また元のように広がった。
てのひらの中のコームはほっそりして、小さくて。こんな簡単な構造の物であそこまできっちりまとまるのが信じられない。
中々に機能的な道具じゃないか。
うん、気に入った。
説明書には、他にもこのコームを使ってアレンジできる髪型が掲載されていた。
本当に、こんな形になるんだろうか?
こうなると、全パターン試してみたくなる……。
コームと説明書を持って洗面所に向かう。
とりあえずこの「ハーフアップ」とか言うのを試してみるか。
次へ→【side8-2】★★検証の結果…
でき上がった写真と原稿を出版社に届けに行った時のことだ。
「Hi,トリッシュ」
「あら、ヒウェル」
やり手の女編集者は珍しく豊かな黒髪をふさふさと肩の上にたらしたままだった。
「ちょっと待ってね」
彼女はデスクの上に置かれていた小さな金具を手にとった。
ラインストーンの飾りがついた金属の軸から、櫛みたいに細長い歯が伸びている。だが、櫛にしちゃ妙にその、何て言うか……歯の間隔が、広過ぎる。髪の毛とかすにはあまりにスカスカだよ。5本ぐらいしかない。
しかも、全体的に半球状にゆるくカーブがかかっているし。
何なんだ、アレは?
「……ブラッシングするのか?」
「いいえ」
くすっと笑うと、トリッシュはくるくると髪の毛をねじりあげ、謎の金具をきゅっと挿して、くいっとひっくり返して、深く押し込んで……あっと言う間にいつもの見慣れたアップの髪型ができあがり。
この間、10秒もかからない。
「……ちょっと待て、今、何があった?」
「夜会巻きって言うのよ、この髪型」
「いや、それは知ってる……俺が言いたいのは、その」
「ああ、最近は便利な道具があってね、これ一本で簡単にできちゃうのよ」
「へえ……それ、どこで売ってる?」
※ ※ ※ ※
「ってな訳でアクセサリー売り場で買ってきてみたんだけどさ……俺だと、髪の毛の長さが足りなかったんだよね」
「買ったのか……」
「原稿書く時に、髪の毛まとめんのに便利だと思ったんだよ、そん時は! 輪ゴムよか気が利いてるし、くるくる、きゅって、えっらい簡単にまとまってたしさぁ」
ディフはぎろっと三白眼でねめつけてきた。あ、あ、あ、お前、今心底呆れてるだろ。そーゆー顔してる。
「新しいモノを試したかっただけだろ」
「……うん、実は」
小さな紙袋に入った夜会巻きコーム(と、言うらしい)と付属のマニュアルを食卓の上に乗せる。
「お前ぐらい長けりゃちょうどいいと思うんだよね」
「持ってきたのか……」
「うん。せっかく買ったのを無駄にするのもアレだしさ。写真の図解付きで説明書もついてるから、試してみろよ」
※ ※ ※ ※
ヒウェルが帰ってから、問題の紙袋を開けてみる。青い大粒のラインストーンのついたコームが入っていた。
「………あいつ……何考えてこんな、キラキラしたものを……」
トリッシュの髪はふさふさと豊で、こしがあって量も多い。やわな髪飾りでは『ぱきーんって割れちゃうのよ』と笑いながら言っていた。
こんなちっぽけな物で、ほんとに留まるのか?
好奇心をおさえられず、コームを手にとり説明書を読む。
……ふむ。なるほど、こうやって、髪の毛をまとめて……ねじって……。
最終的に固定するのと逆向きから束ねた根本に挿すんだな。で、こうやって裏返して、きゅっと押し込む、と。
「お」
ほんとだ。できた。首筋から背中にかけてひろがってた髪の毛が、きっちり一つにまとまって大人しく固定されてる。試しに頭を左右に振ってみたが、ずれる気配はない。
髪に挿したコームに手をやり、くいっとひっぱる。
ばさばさと髪の毛が降りてきて、また元のように広がった。
てのひらの中のコームはほっそりして、小さくて。こんな簡単な構造の物であそこまできっちりまとまるのが信じられない。
中々に機能的な道具じゃないか。
うん、気に入った。
説明書には、他にもこのコームを使ってアレンジできる髪型が掲載されていた。
本当に、こんな形になるんだろうか?
こうなると、全パターン試してみたくなる……。
コームと説明書を持って洗面所に向かう。
とりあえずこの「ハーフアップ」とか言うのを試してみるか。
次へ→【side8-2】★★検証の結果…
▼ 【side8-2】★★検証の結果…
「……ふむ」
検証の結果、面白いことがわかった。一見、手間がかからないように見えるハーフアップ(耳の上の髪の毛だけねじりあげて留める方法)やサイドアップ(左右いずれかに髪の毛をねじって留める。ゴムで括るやり方に一番近い)の方が実は、難易度が高い。
全部ひっくるめてアップにする『夜会巻き』が一番、手軽にできるようだ。
無造作にやってもそれなりにきれいな形ができあがる。
しかしこれ、自分でやると後ろがどんな具合になってるか見えないのが難点だな……。
鏡を見ながらもう一度『夜会巻き』を試してみる。首をひねって、後ろを見ようとしていると。
「……ただいま」
「レオンっ? いつから、そこに?」
バスルームの入り口にレオンが立っていた。帰ってきたばかり、まだ上着も脱いでいない。にこにこしながらこっちを見てる。
……参ったな。
玩具のロボット、手に持って空を飛ばす。『ぐぉおん、ががががが』効果音も、ヒーローの決め台詞も、必殺技のかけ声も、悪役の悲鳴にいたるまで全部自分。そんな一人遊びの現場を見つかった子どもの気分になる。
やたらめったら、気恥ずかしい。
「珍しい髪型をしているね」
「あー、その……変わった髪留め、もらってさ」
コームの説明書をぴらっと掲げてみせる。
「いろいろ試してみたんだ。ちょっとした好奇心ってやつだ」
「ふうん?」
「どうかな。後ろ、きちんと留まってるか? この写真の通りに」
「どれどれ……」
レオンは近づくと、顔を寄せてきた。
「大丈夫そうだよ」
首筋に息がかかる。くすぐったい……。あ、そうか、後ろの髪の毛を全部上げちまってるからか……。
「そ、そうか」
温かなものがうなじを撫でる。とっさに正面の鏡を見る。
手で触れたらしい。変だな、いつもと微妙に感じが違う。考えてみれば、首筋をこんな風にむき出しにするのって何年ぶりだろう?
髪を伸ばす前、警察官をしていた時以来じゃないか。
「針金曲げても作れそうなのに。こんな簡単な構造なのに機能的なんだな……ほんとに髪の毛が留まるのか、半信半疑だったけど」
鏡の中のレオンが動く。うなじの生え際をなでた指先が滑り降りて、左の首筋の火傷の跡に近づいて行く。
ゆっくりと。
彼の指の触れた部分の皮膚が泡立ち、意識をそらそうとすればするほど余計にその部分に集中しちまう。
「ぁっ……」
いじられた。
3年前の爆発事件の置き土産。薔薇の花びらほどの大きさの傷跡が、白い光の中で赤々と浮び上がっている。
(何、火照ってるんだ。何をがっついてるんだ、俺はっ)
鏡に写るレオンが顔を寄せて行く。彼の視線が実体をそなえて肌に触れているような錯覚に陥る。
「……何……して……んっ」
聞くまでもない。
皮膚の薄い傷跡はひと際外からの刺激に鋭敏で、触れた瞬間にわかってしまう。指なのか。それとも唇なのか。
「は……あ……あ……」
目が離せない。鏡の中で俺のうなじに吸い付いてるレオンの姿に。吸われる首筋から伝わる湿った熱が皮膚から内側に染み通り、体の隅々まで広がって行く……侵して行く。
目を閉じれればその瞬間、溶けてしまいそうだ。
「レオン……っ」
後ろに手を回し、ぴたりと寄せられた腰にすがりつく。
きゅっと強く吸い上げられ、歯が当てられる。ほんの一瞬、跡がつくほど長くはない。それでも研ぎ澄まされた神経にとどめの一刺しを与えるには十分だった。
「くっ、う、あっ」
「いいね。とても魅力的だ」
噛まれた場所にぬるりと温かな物が押し当てられる。
「んっ」
耳元に微かに響く湿った音、白い歯の間に桃色の舌が閃く。
もう……限界だ。聞いてるだけで脳細胞が沸騰する。
体を回して正面から抱きつき、貪った。ほんの今しがたまで首筋に吸い付いていた、温かな唇を。
※ ※ ※ ※
洗面所に入った瞬間から、無防備にさらけ出されたうなじから目が離せなかった。わずかに襟足にこぼれ落ちる赤みの強いかっ色の髪が。ほんのり赤く浮び上がる火傷の跡が。雪花石膏のような肌の白さとなめらかさを否応無く際立たせていた。
(何てことだ。首筋が……むき出しじゃないか。そもそもその傷跡を隠すために髪を伸ばしたんじゃなかったかな?)
「う……んん……」
抱きしめた腕の中で愛しい人が、うっすら涙をにじませて身じろぎしている。キスだけでこんなに熱くなって。感度のいいのも考えものだね。
でも、もう少し。
ずい、と奥まで舌を差し入れると、びくっと震えてすがりついてきた。
狭い、湿った空間の中で小魚みたいにぴちぴちともがく彼の舌を捕えて吸い上げる。
小刻みに震えて目蓋を開いた。
ミルクを溶かしこんだような茶色の瞳の中に緑色のきらめきが揺れている。
余韻を味わいながら唇を離すとレオンは手を回し赤い髪に挿さったコームを引き抜いた。ゆるやかに波打つ髪がぱさりとこぼれおち、首筋を覆う。
そうだ、これでいい。
「………お………」
「ん?」
肩にもたれかかり、体を支えながらディフがささやいてくる。乱れた息の合間から切れ切れに。
「お帰り………」
「………ただ今」
うっすらとほほ笑むとレオンは抜き取ったコームをそっと自分のポケットに滑り込ませた。
しばらく息を整えてから、ディフがようやく体を起こしてほほ笑んだ。
「すぐ、飯の仕度するから」
「ああ」
キッチンの手前で何やら探している。
「どうかしたかい?」
「いや……さっきのコーム」
「これかい?」
内心渋々ポケットから取り出し、手のひらに乗せる。
「ああ、それだ。ありがとう」
青いラインストーンのついたコームを口にくわえると、ディフは片手でポニーテールでも結うように髪の毛を一つにまとめてねじりあげる。
コームをさして、きゅっとひっくりかえすと、もうアップの髪型ができ上がっている。ずいぶん慣れた手つきじゃないか。
わき起こる陽炎のような苛立ちを押さえ切れず、わずかに口の端が歪んだ。
エプロンをつけ、甲斐甲斐しくキッチンで立ち働く彼の後ろ姿を見守った。えらくご機嫌だ。困ったことにどうやら、この髪型が気に入っているらしい。
まさか、その格好で外を歩いたりしていないだろうね?
ああ、まったく。君は気づいていないから困るんだ。自分がどれほど“男に欲情する男”を惹き付けてしまうか……。
そうこうする間にテーブルには手際よくペペロンチーノと野菜のスープ、パンとサラダが並べられて行く。
スープとサラダの味付けは中華風。どれもこれも子どもたちの好きな献立ばかりだ。
このところ二人とも元気がないから少しでも食べやすいようにとの心遣いなのだろう。君の作ってくれる料理なら何でも好きだ。だけど……これは……。
「どうした、レオン。味付け、辛かったか?」
「いや。美味しいよ」
正直、面白くない。
次へ→【side8-3】★★★焦らして、噛んで
検証の結果、面白いことがわかった。一見、手間がかからないように見えるハーフアップ(耳の上の髪の毛だけねじりあげて留める方法)やサイドアップ(左右いずれかに髪の毛をねじって留める。ゴムで括るやり方に一番近い)の方が実は、難易度が高い。
全部ひっくるめてアップにする『夜会巻き』が一番、手軽にできるようだ。
無造作にやってもそれなりにきれいな形ができあがる。
しかしこれ、自分でやると後ろがどんな具合になってるか見えないのが難点だな……。
鏡を見ながらもう一度『夜会巻き』を試してみる。首をひねって、後ろを見ようとしていると。
「……ただいま」
「レオンっ? いつから、そこに?」
バスルームの入り口にレオンが立っていた。帰ってきたばかり、まだ上着も脱いでいない。にこにこしながらこっちを見てる。
……参ったな。
玩具のロボット、手に持って空を飛ばす。『ぐぉおん、ががががが』効果音も、ヒーローの決め台詞も、必殺技のかけ声も、悪役の悲鳴にいたるまで全部自分。そんな一人遊びの現場を見つかった子どもの気分になる。
やたらめったら、気恥ずかしい。
「珍しい髪型をしているね」
「あー、その……変わった髪留め、もらってさ」
コームの説明書をぴらっと掲げてみせる。
「いろいろ試してみたんだ。ちょっとした好奇心ってやつだ」
「ふうん?」
「どうかな。後ろ、きちんと留まってるか? この写真の通りに」
「どれどれ……」
レオンは近づくと、顔を寄せてきた。
「大丈夫そうだよ」
首筋に息がかかる。くすぐったい……。あ、そうか、後ろの髪の毛を全部上げちまってるからか……。
「そ、そうか」
温かなものがうなじを撫でる。とっさに正面の鏡を見る。
手で触れたらしい。変だな、いつもと微妙に感じが違う。考えてみれば、首筋をこんな風にむき出しにするのって何年ぶりだろう?
髪を伸ばす前、警察官をしていた時以来じゃないか。
「針金曲げても作れそうなのに。こんな簡単な構造なのに機能的なんだな……ほんとに髪の毛が留まるのか、半信半疑だったけど」
鏡の中のレオンが動く。うなじの生え際をなでた指先が滑り降りて、左の首筋の火傷の跡に近づいて行く。
ゆっくりと。
彼の指の触れた部分の皮膚が泡立ち、意識をそらそうとすればするほど余計にその部分に集中しちまう。
「ぁっ……」
いじられた。
3年前の爆発事件の置き土産。薔薇の花びらほどの大きさの傷跡が、白い光の中で赤々と浮び上がっている。
(何、火照ってるんだ。何をがっついてるんだ、俺はっ)
鏡に写るレオンが顔を寄せて行く。彼の視線が実体をそなえて肌に触れているような錯覚に陥る。
「……何……して……んっ」
聞くまでもない。
皮膚の薄い傷跡はひと際外からの刺激に鋭敏で、触れた瞬間にわかってしまう。指なのか。それとも唇なのか。
「は……あ……あ……」
目が離せない。鏡の中で俺のうなじに吸い付いてるレオンの姿に。吸われる首筋から伝わる湿った熱が皮膚から内側に染み通り、体の隅々まで広がって行く……侵して行く。
目を閉じれればその瞬間、溶けてしまいそうだ。
「レオン……っ」
後ろに手を回し、ぴたりと寄せられた腰にすがりつく。
きゅっと強く吸い上げられ、歯が当てられる。ほんの一瞬、跡がつくほど長くはない。それでも研ぎ澄まされた神経にとどめの一刺しを与えるには十分だった。
「くっ、う、あっ」
「いいね。とても魅力的だ」
噛まれた場所にぬるりと温かな物が押し当てられる。
「んっ」
耳元に微かに響く湿った音、白い歯の間に桃色の舌が閃く。
もう……限界だ。聞いてるだけで脳細胞が沸騰する。
体を回して正面から抱きつき、貪った。ほんの今しがたまで首筋に吸い付いていた、温かな唇を。
※ ※ ※ ※
洗面所に入った瞬間から、無防備にさらけ出されたうなじから目が離せなかった。わずかに襟足にこぼれ落ちる赤みの強いかっ色の髪が。ほんのり赤く浮び上がる火傷の跡が。雪花石膏のような肌の白さとなめらかさを否応無く際立たせていた。
(何てことだ。首筋が……むき出しじゃないか。そもそもその傷跡を隠すために髪を伸ばしたんじゃなかったかな?)
「う……んん……」
抱きしめた腕の中で愛しい人が、うっすら涙をにじませて身じろぎしている。キスだけでこんなに熱くなって。感度のいいのも考えものだね。
でも、もう少し。
ずい、と奥まで舌を差し入れると、びくっと震えてすがりついてきた。
狭い、湿った空間の中で小魚みたいにぴちぴちともがく彼の舌を捕えて吸い上げる。
小刻みに震えて目蓋を開いた。
ミルクを溶かしこんだような茶色の瞳の中に緑色のきらめきが揺れている。
余韻を味わいながら唇を離すとレオンは手を回し赤い髪に挿さったコームを引き抜いた。ゆるやかに波打つ髪がぱさりとこぼれおち、首筋を覆う。
そうだ、これでいい。
「………お………」
「ん?」
肩にもたれかかり、体を支えながらディフがささやいてくる。乱れた息の合間から切れ切れに。
「お帰り………」
「………ただ今」
うっすらとほほ笑むとレオンは抜き取ったコームをそっと自分のポケットに滑り込ませた。
しばらく息を整えてから、ディフがようやく体を起こしてほほ笑んだ。
「すぐ、飯の仕度するから」
「ああ」
キッチンの手前で何やら探している。
「どうかしたかい?」
「いや……さっきのコーム」
「これかい?」
内心渋々ポケットから取り出し、手のひらに乗せる。
「ああ、それだ。ありがとう」
青いラインストーンのついたコームを口にくわえると、ディフは片手でポニーテールでも結うように髪の毛を一つにまとめてねじりあげる。
コームをさして、きゅっとひっくりかえすと、もうアップの髪型ができ上がっている。ずいぶん慣れた手つきじゃないか。
わき起こる陽炎のような苛立ちを押さえ切れず、わずかに口の端が歪んだ。
エプロンをつけ、甲斐甲斐しくキッチンで立ち働く彼の後ろ姿を見守った。えらくご機嫌だ。困ったことにどうやら、この髪型が気に入っているらしい。
まさか、その格好で外を歩いたりしていないだろうね?
ああ、まったく。君は気づいていないから困るんだ。自分がどれほど“男に欲情する男”を惹き付けてしまうか……。
そうこうする間にテーブルには手際よくペペロンチーノと野菜のスープ、パンとサラダが並べられて行く。
スープとサラダの味付けは中華風。どれもこれも子どもたちの好きな献立ばかりだ。
このところ二人とも元気がないから少しでも食べやすいようにとの心遣いなのだろう。君の作ってくれる料理なら何でも好きだ。だけど……これは……。
「どうした、レオン。味付け、辛かったか?」
「いや。美味しいよ」
正直、面白くない。
次へ→【side8-3】★★★焦らして、噛んで
▼ 【side8-3】★★★焦らして、噛んで
食事の間、ずっとさらけ出されたうなじから目が離せなかったが、理性を振り絞り手を伸ばすのは我慢した。
時間は22時を回っている。子どもたちはもうベッドに入る頃だ。リビングに来る気づかいはないが、念には念を入れておこう。
現に以前もシエンが夜遅くディフを呼びに来たことがある。『オティアが書庫に閉じこもったきり出て来ない』と言って……ディフはすぐさま立ち上がり、双子の部屋へと行ってしまった。戻って来るまでの時間がひどく長く感じられた。
寝室のドアを開けてさりげなく彼を先に通し、後ろ手にドアを閉めるなり背後から抱きすくめた。
「レオンっ?」
答えず首筋に吸い付き、やんわりと吸い上げる。洗面所でのいたずらを思い出したのか、すぐに息が乱れてきた。
「こっちを向いて……」
素直にくるりと向き直り、正面から抱きついて来る。頭を撫でながらコームを探り出し、素早く抜き取った。
「あっ」
こぼれおちる自分の毛先が当たる感触さえ刺激となるのか。くすぐったそうに身じろぎしている。
抜き取ったコームをこっそりとベッド脇のサイドボードに乗せる。
これは危険すぎるね。
封印しておこう……。
※ ※ ※
抱き合ったままもつれ合うようにしてベッドに倒れ込み、互いの服を引きはがして求め合う。
焦り過ぎて脱ぎかけた服が手足にまとわりつき、もどかしさのあまり喉の奥で呻いていると、喉をなであげられた。
「焦らないで……。俺はどこにも逃げないから」
「ったり前だ、逃がしてたまるかよ」
笑ってる。
余裕たっぷりって感じだよな、レオン……がっついてるのは俺だけか? 悶えてるのは俺だけか?
「さっさと触れ」
手をとって、ぐいと胸元に押し付ける。
「君が望むなら」
柔らかな羽毛の先端でくすぐるような手つきで撫でられた。指先と唇、舌、彼自身の胸、足、それ以外の何か。熱く濡れてすっかり堅くなっている。俺と同じだ……嬉しさで震えた。
それなのに、レオンの奴はいつまでたっても優しくくすぐるばかりで、肝心の場所をいじってはくれない。
肌の内側と足の間でどんどん熱さがつのり、むずがゆさを通り越して痛みに近くなっても、まだ……。堅く尖って充血した胸の突起にさえ触れてはくれない。すぐそばまできても、そこだけ避けて通りすぎる。
何度も。
何度も。
期待と喪失感が交互に押し寄せ、その度に体内でのぼせあがった獣が身をよじらせる。出口を求めてうねり、吼え、たぎる。
「レオ……ン……っ」
決死の覚悟でねだろうとすると、深いキスで口を塞がれた。舌をからめとられて言葉を封じられたまま、また焦らされる。
「く……う……んぅう」
解放されても空気をもとめて喘ぐのが精一杯。とてもじゃないが言葉をしゃべる余裕が……ない……。
「は……あぁ……んん」
視界がぼんやりと霞んでる。涙がにじんでるんだ。
頼む、レオン。それ以上優しくしなくていいから! もうおかしくなりそうだ……。
「たのむ……はやく……っ」
かろうじてそれだけ口にすることができた。しかし、彼は首を横に振った。
「まだだよ。もう少し、我慢して」
両の手首をしっかりと握られ、シーツに縫いとめられる。押しのけることも、抱き寄せることもできない。もどかしさに自分の唇を噛みながら、それでもうなずいた。
「……いい子だ」
唇が滑って行く。
ああ、また首筋を吸うのか。これで何度目だろう。やんわりと火傷の跡の上を吸うだけ。決して強くはしない。
洗面所でした時と同じ……
「う」
いかん。思い出してしまった。鏡の中で首筋に吸い付いていたレオンの姿を。うっすら頬を紅潮させ、快楽に喘いでいた自分を。
その瞬間。
「ひっ」
噛まれた。
口の中に吸い込んだ肌に歯を立てて、きり、きりっと。もがけばもがくほど強く、深く食い込んで行く。
皮膚が薄くなり、わずかな刺激にも敏感な場所。初めて愛を交わした夜に優しくキスされた場所。
「あ……や……め……」
一段と強く噛まれる。
「あぁっっ」
行き場を封じられていた熱が一気にほとばしる。
重ねられた二人の体の間でぴしゃりと弾け、飛び散った。
「可愛いよ、ディフ」
「う……ん、あ……」
気だるい解放感。
いっちまった。
たった、これだけの事で。
ぴちゃり、と頬を舐められた。そんな所まで飛沫が飛んだのか。恥ずかしさで身が縮む。その一方で、えも言われぬ甘い痺れがじわじわと広がり、満たして行く。
頭の中を。
体の中を。
膝の後ろに手が当てられる。足を押し広げられながら、ようやく……まだ明かりも消していなかった事に気づいた。それでも俺の後ろは彼を待ち望み、期待に震えている。
やっと自由になった手を伸ばし、のしかかるレオンの頬に触れた。
「これ以上、待たせるな………」
「だめだよ、ちゃんと解さないと」
ほほ笑むと、レオンはしなやかな指先で後ろの入り口を撫でてきた。
噛まれたばかりの場所がずくりと疼く。
夜はまだ長い。
俺は……どこまで焦らされるのだろう……。
次へ→【side8-4】★★★二段目の引き出し
▼ 【side8-4】★★★二段目の引き出し
「レオン………」
「焦らないで」
「レオン?」
「まだ準備ができていないだろう?」
「レオン!」
「何だい?」
手を伸ばし、ベッドサイドの引き出しの上から二段目を開ける。
勢い良くガタっと。
引き出しの中で、半透明の液を満たしたプラスチックのボトルが転がった。おや? と言う顔をしてレオンが首をかしげる。
こいつ、どこまですっとぼけるつもりだ!
じとっとにらんで言い放つ。まとわりつく後ろめたさと恥ずかしさを振り払おうと、語尾に力をこめて……。
「………さっさとやれ!」
「わかったよ」
くそ、拗ねたような声出しちまった!
レオンはほくそ笑み、手のひらにボトルの中味を注いだ。わざと俺の目の前で、見せつけるように糸を引かせて。粘り気のある液体が灯りを反射してきらきらと光る。丁寧にボトルのフタを閉めてから、片方の手のひらでもう片方にぴったりフタをした。
「何……してる」
「あっためてるんだよ。いきなり塗ったら冷たいだろ?」
「いいから!」
ひそやかな笑いを漏らすと、彼は手を伸ばしてきた。とろみのあるローションをたっぷり絡めた指が乳首を掠める。
「あっ」
「まだ冷たいようだね」
「ち……が……」
ぬるぬるした指で、さらに延々とくすぐるだけの愛撫が続けられた。念入りに、丁寧に、じっくりと。
「レオン……」
「どうかしたかい?」
ちょこんと首をかしげてのぞきこんでくる。入れたばかりの紅茶みたいな瞳が語りかけてくる。
言いたいことがあるなら遠慮なく言ってごらん……と。
どうする。ここで曖昧な言い方に逃げれば逃げられ、また焦らされてしまうだろう。
「あ………う……」
言いよどんでいると、ふうっと息を吹きかけられた。ローションで濡らされた胸の突起を。
たったそれだけのことなのに、言葉にならない悲鳴が溢れ、背筋が反り返る。もう限界だ、我慢できない!
「…………………入れろ!」
「OK」
やっと入ってきた。
「んっ、う、んんっ……ん?」
とろみのある半透明の液体をたっぷりからめた指が………1本だけ。
すっかり充血し、ぽってりと膨らんだアヌスがその1本にすがりつき、飲み込み、必死になってしゃぶっている。もっと奥に来て欲しい、それなのにお前、なんでそんな浅い所ばかり弄るんだ?
「レオ……もっ……いいから……」
「まだだよ。やっと1本入ったばかりじゃないか」
埋められた指が捻られる。それだけで体の奥底に覚え込まされた快楽を思い出し、肉の道が締まる。
「く………あぅっ」
「ああ、思った通りだ。まだきついね……もっと解さないと」
「は……あう……あ……はぁ……」
まさぐりながら指が浅く抜き差しされ、くいっと中で曲げられた。その瞬間、頭の内側で真っ白な火花が弾けた。
「レオンっ」
夢中だった。
バネ仕掛けの人形みたいに跳ねて起きあがり、彼の手首をつかんで無理矢理引き抜く。
「うぅっ」
「ディフ?」
強烈な刺激に、焦らされた心と体が悲鳴を挙げる……だがもう止まらない。歯を食いしばってかみ殺し、レオンの肩に手をかけて逆に押し倒した。
「欲しいんだ……」
欲情に濡れそぼった声が唇から滴り落ちる。しなやかな体の上にまたがり、自らの指でぬちりとアヌスを広げると、そそり立つ彼のペニスに押し当てた。
「んっ」
かすかに眉を寄せて呻いてる。お前もそうなんだろ? レオン。
一気に腰を落す。
「う………あ………あぁっ」
灼熱の塊が。ついさっきまで狂おしいほど求めていたモノが、深々と貫いてゆく。まだほぐれ切っていない肉の道を押し開き、衝撃と快楽が背筋を駆け抜ける。脳天まで突き抜ける。
「あぁ………やっと……」
「そんなに………欲しかった?」
「っ」
「いつまでじっとしてるのかな。動かなくていいのかい……? ほら」
じっくり味わう暇さえ与えてくれなかった。
意地悪な手が太ももを這いずり、上って行く。一度昇り詰めたばかりなのにもう堅くなってる俺のペニスに向かって、じりじりと。
「やっ、よせっ、今、触ったらっ」
「触ったら……どうなるのかな……」
腰骨にまとわりつき、なでさする。じわじわとむずがゆさがこみ上げてきた。
「このまま、身動きできないように押さえ込んだら、君はどうするのかな?」
「なっ」
「自分で弄るかい?」
「バカ言うなっ」
「ああ、それも悪くないね……」
こいつ、本気か? つやつやと濡れたかっ色の瞳が見上げてくる。なでさすっていた手に次第に力が込められて行く。
「動く……動く……からっ……」
震える手をレオンの腰に当てる。汗ばんだ肌の下で引き締まった筋肉がぴくりと動いた。
「邪魔……するなよ」
「わかったよ」
深く息を吸い、整えて……腰を揺すった。
俺の中の彼が動く。
内壁のこすれる感覚だけで痺れるほどの快感がわき起こり、広がって行く。揺するたびに強くなって行く。
まだ足りない。
まだだ。
「う……く……んんっ、んっ」
欲しい。
もっと強く、もっと激しく。
前のめりに屈み込み、自分のペニスをレオンの体に擦り付ける。
「ああ……熱いね……」
「くっ、お前……だっ……てっ……」
前と後ろ、両方から押し寄せる快楽の波が高まる。上下の動きだけでは物足りず、前後にくねらせた。
くちゅ、ちゅぷ、ぬちゅり……。
繋がった部分から水音が溢れてくる。
ほんの今しがた、指を入れられた時に塗り込められたローションが、抜きさす動きに合わせて中でかき混ぜられ、つたい落ちる。
ぐちゃり。ぬちょ、ちゅぷ、ちゅぷ……。
耳から入り込む生々しい水音が容赦無く教えてくれる。今、自分が何をしているのか、ともすれば溶けて霞みそうな意識に。
上になってるのは俺だ。自分の気持ちいい場所に当たるように腰を動かすことができる、そのはずなのに。
いい場所にレオンの先端が当たった途端、強過ぎる刺激に体がびくん、とすくみあがって逃げちまう。
「は……あ……あぁ……」
もどかしい。何だって自分で自分を焦らさなきゃいけないんだ?
「いいね……最高に……いやらしい顔……してる……」
「お前だって……んんっ」
いつも冷静で、エレガントで、おだやかな男が……ベッドの中ではこんなにも無邪気に潤んで、溶けて、ひたすら俺を求めてくれる。
きちんと整えられていた明るいかっ色の髪が、揺さぶられて乱れるのもかまわずに……。
あ、にこっと笑ったよ。
可愛いな。
「うあっ」
いきなり、突き上げられた!
「やっ、あ、あ」
よりによって、さっきから当てたくてたまらなかった場所を狙い撃ち。立て続けに二度、三度と。
「ひあっ、う、あっ、あぁうっ」
突き上げられるたびに喉の底から無防備な悲鳴がほとばしる。
自分の五感を翻弄し、侵してゆく衝撃が快楽なのか。それともの痛みなのか。
区別が……つかな………い……。
「く……あぁ……」
頬を汗以外の雫が流れてゆく。自分がどんな表情(かお)をしているのか。どんな声を挙げているのか。もう判断できなかった。ただ奥歯を噛みしめて耐えるしかなかった。
体内に深々と打ち込まれた肉の楔のもたらす炎が燃え移り、今にも爆発しそうなペニスをなだめるのに必死になった。
こらえきれなかった分が先端ににじみ、滴り落ちるのさえ感じ取れる……。
「我慢しなくていいよ、ディフ」
ずるいぞ、お前、反則だ! このタイミングでそんなに優しい声、出すか? にらみつけてやろうと思った。けれど。
「や……だ………俺ばかり、二回も……そんな……」
(切ないよ……レオン)
言葉にならず、ふるふると首を横に振るのが精一杯。
(すごく、切ない)
「……おいで」
引き寄せられ、抱き合ったままころりと転がる。
ああ。
やっと。
「くぅっ」
のしかかり、動いてくれた。突いてくれた。
「あ、あぁっ、ん、く、ふ、あっ」
深々と彼のペニスが打ち込まれる。えぐられるたびにアヌスが絡み付き、さらに奥へと誘い込む。
「気持ち……いい?」
「気持ちい……い……あ、そこ、もっとっ」
あられもなく腰をくねらせ、堅く張りつめたペニスをすり付ける。
背中に回した腕だけでは足りず、足を絡めて引き寄せた。すがりついた。全身で鞭の様にしなるレオンの体を包み込んだ。
「あ、あ、ひっ、うん、んん、ん、あ、く、うぅ、んっ」
ひっきりなしに押し寄せる快楽を、どちらの動きが生み出しているのかもう分らない。
「いい子だね……可愛いくてたまらな……い……ああ」
「レオン………」
ずっと、こうしたかった……レオン……。
「あ、あ、あ、も、だ、め、だ、ぁ、あ、あっ」
「我慢しないで……」
一段と強く、奥深くまで突き入れられた。反動で仰け反りそうになるのを押さえ込まれる。密着した肌と肌の間で限界まで張りつめたペニスが圧迫され、容赦無く擦り上げられる。
「あ、あ、レオン、レオンっ」
理性も自制心も全て手放し、愛しい人を呼びながら全てを解き放つ。
ペニスの先端からほとばしる波と。自分の意志と関係なしに収縮する後ろを満たす、彼の波に溺れた。
「レ………オ……ン……」
真っ白に塗りつぶされた世界の中、掠れた声で愛してると囁いた。
優しい声で愛してると返された。
※ ※ ※ ※
こらえていた欲情を解き放ち、余波に震えていると……
がっしりした腕に抱き寄せられ、包み込まれる。
「……ディフ」
胸に顔をうずめた。骨組みのしっかりした手のひらが髪にをかきわけ、頭を撫でる。くり返し、何度も。
ちらりと見上げる。左の首筋、赤々と浮かぶ『薔薇の花びら』に己の歯形がくっきりと刻まれていた。
指先でなぞると、彼はかすかに眉をよせ、ぴくりと震えた。
ああ、少しやりすぎたかな。でもこれで当分、髪の毛を結い上げようなんて気は起こさないでくれるだろう?
視界の隅でチカっと何かが光る。青いラインストーン、ベッドの脇のサイドボードに乗せたままのコーム。
これは後でしまっておくとしよう。
そうだな。上から二段目の引き出しにでも。
「何……笑ってる?」
「ん? 何でもないよ」
顔をすり寄せるとディフはかすかに笑った。
「こら、くすぐったいぞ」
「君ほどじゃないよ」
「言ってろ」
こぼれ落ちる長い髪を一房すくいとり、キスをした。
(くるくる、きゅっ!/了)
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「焦らないで」
「レオン?」
「まだ準備ができていないだろう?」
「レオン!」
「何だい?」
手を伸ばし、ベッドサイドの引き出しの上から二段目を開ける。
勢い良くガタっと。
引き出しの中で、半透明の液を満たしたプラスチックのボトルが転がった。おや? と言う顔をしてレオンが首をかしげる。
こいつ、どこまですっとぼけるつもりだ!
じとっとにらんで言い放つ。まとわりつく後ろめたさと恥ずかしさを振り払おうと、語尾に力をこめて……。
「………さっさとやれ!」
「わかったよ」
くそ、拗ねたような声出しちまった!
レオンはほくそ笑み、手のひらにボトルの中味を注いだ。わざと俺の目の前で、見せつけるように糸を引かせて。粘り気のある液体が灯りを反射してきらきらと光る。丁寧にボトルのフタを閉めてから、片方の手のひらでもう片方にぴったりフタをした。
「何……してる」
「あっためてるんだよ。いきなり塗ったら冷たいだろ?」
「いいから!」
ひそやかな笑いを漏らすと、彼は手を伸ばしてきた。とろみのあるローションをたっぷり絡めた指が乳首を掠める。
「あっ」
「まだ冷たいようだね」
「ち……が……」
ぬるぬるした指で、さらに延々とくすぐるだけの愛撫が続けられた。念入りに、丁寧に、じっくりと。
「レオン……」
「どうかしたかい?」
ちょこんと首をかしげてのぞきこんでくる。入れたばかりの紅茶みたいな瞳が語りかけてくる。
言いたいことがあるなら遠慮なく言ってごらん……と。
どうする。ここで曖昧な言い方に逃げれば逃げられ、また焦らされてしまうだろう。
「あ………う……」
言いよどんでいると、ふうっと息を吹きかけられた。ローションで濡らされた胸の突起を。
たったそれだけのことなのに、言葉にならない悲鳴が溢れ、背筋が反り返る。もう限界だ、我慢できない!
「…………………入れろ!」
「OK」
やっと入ってきた。
「んっ、う、んんっ……ん?」
とろみのある半透明の液体をたっぷりからめた指が………1本だけ。
すっかり充血し、ぽってりと膨らんだアヌスがその1本にすがりつき、飲み込み、必死になってしゃぶっている。もっと奥に来て欲しい、それなのにお前、なんでそんな浅い所ばかり弄るんだ?
「レオ……もっ……いいから……」
「まだだよ。やっと1本入ったばかりじゃないか」
埋められた指が捻られる。それだけで体の奥底に覚え込まされた快楽を思い出し、肉の道が締まる。
「く………あぅっ」
「ああ、思った通りだ。まだきついね……もっと解さないと」
「は……あう……あ……はぁ……」
まさぐりながら指が浅く抜き差しされ、くいっと中で曲げられた。その瞬間、頭の内側で真っ白な火花が弾けた。
「レオンっ」
夢中だった。
バネ仕掛けの人形みたいに跳ねて起きあがり、彼の手首をつかんで無理矢理引き抜く。
「うぅっ」
「ディフ?」
強烈な刺激に、焦らされた心と体が悲鳴を挙げる……だがもう止まらない。歯を食いしばってかみ殺し、レオンの肩に手をかけて逆に押し倒した。
「欲しいんだ……」
欲情に濡れそぼった声が唇から滴り落ちる。しなやかな体の上にまたがり、自らの指でぬちりとアヌスを広げると、そそり立つ彼のペニスに押し当てた。
「んっ」
かすかに眉を寄せて呻いてる。お前もそうなんだろ? レオン。
一気に腰を落す。
「う………あ………あぁっ」
灼熱の塊が。ついさっきまで狂おしいほど求めていたモノが、深々と貫いてゆく。まだほぐれ切っていない肉の道を押し開き、衝撃と快楽が背筋を駆け抜ける。脳天まで突き抜ける。
「あぁ………やっと……」
「そんなに………欲しかった?」
「っ」
「いつまでじっとしてるのかな。動かなくていいのかい……? ほら」
じっくり味わう暇さえ与えてくれなかった。
意地悪な手が太ももを這いずり、上って行く。一度昇り詰めたばかりなのにもう堅くなってる俺のペニスに向かって、じりじりと。
「やっ、よせっ、今、触ったらっ」
「触ったら……どうなるのかな……」
腰骨にまとわりつき、なでさする。じわじわとむずがゆさがこみ上げてきた。
「このまま、身動きできないように押さえ込んだら、君はどうするのかな?」
「なっ」
「自分で弄るかい?」
「バカ言うなっ」
「ああ、それも悪くないね……」
こいつ、本気か? つやつやと濡れたかっ色の瞳が見上げてくる。なでさすっていた手に次第に力が込められて行く。
「動く……動く……からっ……」
震える手をレオンの腰に当てる。汗ばんだ肌の下で引き締まった筋肉がぴくりと動いた。
「邪魔……するなよ」
「わかったよ」
深く息を吸い、整えて……腰を揺すった。
俺の中の彼が動く。
内壁のこすれる感覚だけで痺れるほどの快感がわき起こり、広がって行く。揺するたびに強くなって行く。
まだ足りない。
まだだ。
「う……く……んんっ、んっ」
欲しい。
もっと強く、もっと激しく。
前のめりに屈み込み、自分のペニスをレオンの体に擦り付ける。
「ああ……熱いね……」
「くっ、お前……だっ……てっ……」
前と後ろ、両方から押し寄せる快楽の波が高まる。上下の動きだけでは物足りず、前後にくねらせた。
くちゅ、ちゅぷ、ぬちゅり……。
繋がった部分から水音が溢れてくる。
ほんの今しがた、指を入れられた時に塗り込められたローションが、抜きさす動きに合わせて中でかき混ぜられ、つたい落ちる。
ぐちゃり。ぬちょ、ちゅぷ、ちゅぷ……。
耳から入り込む生々しい水音が容赦無く教えてくれる。今、自分が何をしているのか、ともすれば溶けて霞みそうな意識に。
上になってるのは俺だ。自分の気持ちいい場所に当たるように腰を動かすことができる、そのはずなのに。
いい場所にレオンの先端が当たった途端、強過ぎる刺激に体がびくん、とすくみあがって逃げちまう。
「は……あ……あぁ……」
もどかしい。何だって自分で自分を焦らさなきゃいけないんだ?
「いいね……最高に……いやらしい顔……してる……」
「お前だって……んんっ」
いつも冷静で、エレガントで、おだやかな男が……ベッドの中ではこんなにも無邪気に潤んで、溶けて、ひたすら俺を求めてくれる。
きちんと整えられていた明るいかっ色の髪が、揺さぶられて乱れるのもかまわずに……。
あ、にこっと笑ったよ。
可愛いな。
「うあっ」
いきなり、突き上げられた!
「やっ、あ、あ」
よりによって、さっきから当てたくてたまらなかった場所を狙い撃ち。立て続けに二度、三度と。
「ひあっ、う、あっ、あぁうっ」
突き上げられるたびに喉の底から無防備な悲鳴がほとばしる。
自分の五感を翻弄し、侵してゆく衝撃が快楽なのか。それともの痛みなのか。
区別が……つかな………い……。
「く……あぁ……」
頬を汗以外の雫が流れてゆく。自分がどんな表情(かお)をしているのか。どんな声を挙げているのか。もう判断できなかった。ただ奥歯を噛みしめて耐えるしかなかった。
体内に深々と打ち込まれた肉の楔のもたらす炎が燃え移り、今にも爆発しそうなペニスをなだめるのに必死になった。
こらえきれなかった分が先端ににじみ、滴り落ちるのさえ感じ取れる……。
「我慢しなくていいよ、ディフ」
ずるいぞ、お前、反則だ! このタイミングでそんなに優しい声、出すか? にらみつけてやろうと思った。けれど。
「や……だ………俺ばかり、二回も……そんな……」
(切ないよ……レオン)
言葉にならず、ふるふると首を横に振るのが精一杯。
(すごく、切ない)
「……おいで」
引き寄せられ、抱き合ったままころりと転がる。
ああ。
やっと。
「くぅっ」
のしかかり、動いてくれた。突いてくれた。
「あ、あぁっ、ん、く、ふ、あっ」
深々と彼のペニスが打ち込まれる。えぐられるたびにアヌスが絡み付き、さらに奥へと誘い込む。
「気持ち……いい?」
「気持ちい……い……あ、そこ、もっとっ」
あられもなく腰をくねらせ、堅く張りつめたペニスをすり付ける。
背中に回した腕だけでは足りず、足を絡めて引き寄せた。すがりついた。全身で鞭の様にしなるレオンの体を包み込んだ。
「あ、あ、ひっ、うん、んん、ん、あ、く、うぅ、んっ」
ひっきりなしに押し寄せる快楽を、どちらの動きが生み出しているのかもう分らない。
「いい子だね……可愛いくてたまらな……い……ああ」
「レオン………」
ずっと、こうしたかった……レオン……。
「あ、あ、あ、も、だ、め、だ、ぁ、あ、あっ」
「我慢しないで……」
一段と強く、奥深くまで突き入れられた。反動で仰け反りそうになるのを押さえ込まれる。密着した肌と肌の間で限界まで張りつめたペニスが圧迫され、容赦無く擦り上げられる。
「あ、あ、レオン、レオンっ」
理性も自制心も全て手放し、愛しい人を呼びながら全てを解き放つ。
ペニスの先端からほとばしる波と。自分の意志と関係なしに収縮する後ろを満たす、彼の波に溺れた。
「レ………オ……ン……」
真っ白に塗りつぶされた世界の中、掠れた声で愛してると囁いた。
優しい声で愛してると返された。
※ ※ ※ ※
こらえていた欲情を解き放ち、余波に震えていると……
がっしりした腕に抱き寄せられ、包み込まれる。
「……ディフ」
胸に顔をうずめた。骨組みのしっかりした手のひらが髪にをかきわけ、頭を撫でる。くり返し、何度も。
ちらりと見上げる。左の首筋、赤々と浮かぶ『薔薇の花びら』に己の歯形がくっきりと刻まれていた。
指先でなぞると、彼はかすかに眉をよせ、ぴくりと震えた。
ああ、少しやりすぎたかな。でもこれで当分、髪の毛を結い上げようなんて気は起こさないでくれるだろう?
視界の隅でチカっと何かが光る。青いラインストーン、ベッドの脇のサイドボードに乗せたままのコーム。
これは後でしまっておくとしよう。
そうだな。上から二段目の引き出しにでも。
「何……笑ってる?」
「ん? 何でもないよ」
顔をすり寄せるとディフはかすかに笑った。
「こら、くすぐったいぞ」
「君ほどじゃないよ」
「言ってろ」
こぼれ落ちる長い髪を一房すくいとり、キスをした。
(くるくる、きゅっ!/了)
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▼ メロンパンの森
- 拍手お礼用短編を加筆して再録。
- サンフランシスコで大変なことが起きていたのとほぼ同じ頃、日本では……
昼休み。
ロイは胸の時めきを爽やかな笑顔で巧みに隠しつつ、幼なじみの風見光一に声をかけた。
「Hey,コウイチ。一緒にランチを食べないか?」
「うん、いいよ?」
(やったーっ!)
アメリカ生まれの彼にとって、二人で一緒にカフェテリアでランチを食べる、と言うのはそれなりに特別なイベントだった。
要するにおつきあいするようになったカップルの、嬉し恥ずかし初々しい校内デート。周りに「二人はおつきあいしています」とさりげなくお披露目する場でもある。
うきうきしながら並んで歩いて行くその先は、しかし学食ではなく何故か部室だった。
「……Why?」
「だって、俺もロイも弁当じゃないか。屋上で食うのも気持ちいいけど、今日は風強いだろ?」
(がっで〜〜〜む!)
2号校舎の4階はもともとは三年生が使っていたのだが、昨年新設された3号棟に移っていったため、大量に部屋が空いた。
そこで空き教室を有効に活用すべくこの一角は文化系クラブの部室や生徒会の執務室に転用されたのだ。
そして風見とロイ、遠藤 始の3人は『民間伝承研究会』、略して『伝研』なる同好会に所属している。
顧問は言わずと知れた社会科教師、結城羊子。
とかく人には言えない理由で……もとい、人知を越えた事件を解決するために行動する際、部活動と言うのはかっこうのカモフラージュなのだ。
妖怪や魔物、魔術に呪術、妖術、怪人、怪獣。怪しげな話題を展開していようが、休日ごとに神社や寺に足蹴く通っていようが対外的には『部活ですから!』の一言で説明できる。
(はっ、でも、これは考えようによっては学食よりイイかもしれない!)
基本的に文化部の部室は一つの教室をパーテーションと戸棚で区切って二部屋に分けている。彼らの部室は顧問の根回しと裏工作で上手い具合に校舎の角部屋をあてがわれていた。しかも隣は物置だ。
多少、行き来に時間はかかるが人に聞かれて困る話も心置きなくできる。
ついでに言うと部員の一人、遠藤は昼休みは必ず早々に食事を済ませて自主トレに出かける。はち合わせする可能性はかなり低い。
二人っきりで静かにランチタイム!
予想とは若干違う展開になったものの、期待に胸をふくらませて部室に入って行くと……。
「あれ、羊子先生」
奥の椅子にちょこんと腰かけて、しょんぼりうつむいてる人がいたりするわけで。
身長154cm、うっかりすると生徒に紛れそうな童顔、だがこれでもれっきとした26歳。
夏休みの見回りで、「学校はどこかね」と補導員に声をかけられて「(勤務先は)戸有高校です」と答えたら「担任の先生は?」と真顔で聞かれたと言う伝説を持つ女教師、結城羊子。
彼らの担任にして同好会の顧問、そして『チームメイト』でもある。
ロングのストレートを本日はハーフアップにして、トレードマークの赤い縁のちいさな眼鏡を顔に乗せ、白いハイネックのセーターの上から薄いカフェオレ色のストールをくるりと巻き付けている。
何だかハムスターみたいな配色だ。それがまた妙に似合っている。
「どうしたんですか」
「小鳩屋さんのメロンパンが……売り切れてたんだ」
「ああ、学校の前のパン屋さん」
「仕方なくて角のコンビニまで遠征したんだけど、そこでも売り切れててっ」
しゅん、と羊子先生は肩を落してうつむいた。
「メロンパンが………買えなかったんだ」
「先生好きだもんね、メロンパン」
「メロンパンたべたかったのに………メロンパン………」
ふるふると小さく震えている。よっぽどがっくりきたらしい。空腹と失望のあまり、微妙に幼児化している。
購買で買ってきたら、と言いかけてロイは口をつぐんだ。どうやら風見も同じことを考えたらしい。
昼休みの壮絶な争奪戦の繰り広げられるパン売り場に、このミニマムでプチな先生が潜り込むなんて………。
想像してみる。
殺気立った食べ盛りの高校生が群がるパン売り場に、よじよじと羊子先生が潜り込んで行く。あっと言うまにもみくちゃにされて、きゅーっと床に倒れた所を踏みつぶされて………。
ロイと風見は同時にぶるっと身震いした。
(だめだ、あまりにも危険すぎる!)
(通勤ラッシュの山手線にハムスターを放り込むようなもんデス!)
「あのー、先生」
「ボクたちが買ってきましょうか?」
その瞬間、羊子先生は顔をあげて、にっぱーっと笑顔全開。こくこくうなずくと、赤いがまぐちから500円硬貨を一枚取り出して風見の手に握らせた。
「ありがとう! お釣りで好きな物買ってきていいよ」
※ ※ ※ ※
昼休みのパン売り場はやはり戦場だった。
お腹をすかせた食べ盛りの高校生がぎっちり群がり、獲物を確保しようとぎらぎらと目を輝かせてにらみ合う。一瞬の油断が命取り。
だが、幸いにしてこう言った場では「メロンパン」は人気が薄く、競争率は若干低い。
「よし、行くぞ……」
「コウイチ、ちょっと待った!」
ロイは親友の肩をわしっとつかんだ。伸ばした前髪のすき間からちらりと青い瞳がのぞく。
「ボクが行ってくる」
「大丈夫か?」
「ボクの方が身のこなしは軽いからネ! 適材適所だヨ」
(あんな、人口密度の高い所にコウイチが入って行くなんて……他の生徒にもみくちゃにされるなんてっ! ダメだ。絶対に、許せない!)
爽やかな笑顔を浮かべるロイの胸の内は、ほんのりブラックだった。
「わかった。任せたぞ、ロイ!」
「御意!」
しゅたっとロイは天井に飛び、空いた空間を見極めるやいなや、すかさず着地。床に足がついたときにはもう、メロンパンを確保していた。この間、わずか5秒弱。
「これクダサイ!」
「はいメロンパン、120円ね」
(よし、ミッションコンプリート!)
安堵した瞬間、後ろから圧倒的な質量と勢いで容赦無く押され、ぐらりとよろける。
(ふ、不覚っ)
バランスを失い、傾いたロイの体をがしっと力強い手が支えてくれた。
「コウイチ? いつの間に……」
「危なかったな、ロイ。買い物が終わったら横にどかないと危ないぞ?」
「う、うん………今度から気をつけるヨ」
コウイチが、ボクを助けてくれた。
コウイチが。
コウイチが!
「ありがとう……」
「気にするな!」
その瞬間、ロイの頭からはパン争奪戦を繰り広げるクラスメイトの姿も。購買部の喧騒も、まとめてデルタ宇宙域の彼方へすっ飛んでいた。
ぱああっと広がる虹色の光と天使のハープの音色に包まれて、彼は(ささやかな)幸福のただ中に舞い上がった。
「行こうか。先生が待ってる」
「うん!」
二人は手に手をとってパン売り場を脱出した。
「お釣りどうする?」
「そうだな、とりあえず飲み物でも買ってくか……」
自動販売機の前で立ち止まる。
「お、新作入ってる」
がしょん、と四角い紙パック入りのジュースが落ちてきた。
「ロイは何を飲む?」
「コウイチと一緒でいいよ」
「OK……ほら、これ」
手渡されたのは、柔らかなクリーム色の紙パック。表面に印刷された文字は……
「豆乳ヨーグルト……きなこ味?」
「体に良さそうだろ?」
(ああ、コウイチ。その、ちょっとズレてるとこも……滅茶苦茶キュートだ!)
※ ※ ※ ※
「はい、先生、メロンパン」
「わーい、メロンパンだーっ! ありがと、風見、ありがと、ロイ!」
メロンパンを受けとると羊子先生はぺりっと袋を開けて、両手で抱えてあむっと一口。しみじみと目を閉じて味わっている。
「んー……美味しい………」
その姿を見ながら風見とロイは同じことを考えていた。
何だか、リスみたいだな、と。
「どうした、お前ら、弁当食わないのか?」
いつもの調子が戻って来たらしい。
「食べますよ。あ、そうだ、先生これ」
風見はカバンからオレンジ色の丸いものを取り出した。
「親戚がいっぱい送ってきたんです。よろしかったらどうぞ」
「みかんか! うん、それじゃありがたく………うわあ、大きいな。ずっしりしてる!」
つやつやのみかんを手にとると、羊子先生はまずめきょっと二つに割って、それからちまちまと皮をむいて、ひとふさ口に入れた。
「うっ」
口をすぼめて目をぎゅーっとつぶっている。
「すっぱーっ」
(あー、甘いメロンパンの後に食べるから……)
でも、まだ食べる。次のひとふさを口に入れて、またきゅーっと口をすぼめる。どうやら、このすっぱいのが気に入ったらしい。
ひとふさひとふさ丁寧に、しみじみ味わっている。
少し考えてから、風見は携帯を取り出し、撮った。
「……何してるんだい、コウイチ」
「うん……なんか、和むから、動画で」
「なるほど、確かにそうだネ」
ロイも携帯を取り出すと、写した。
みかんを食べる羊子を撮影しながら、にこにこしている風見の横顔を。
手のひらいっぱい分の丸いオレンジ色の果実を残らず食べ終えると、羊子は指をちゅぴちゅぴとなめて、それからほうっと幸せそうに息をはいた。
「はー、おいしかった。ごちそうさま」
「どういたしまして!」
にこにこしながら風見光一は買ってきた紙パックにぷすっとストローを刺して一口すする。
「ん、けっこういける」
その隣でロイも同じ様にさりげなく、ぷすっとストローを刺してちゅーっと一口。
(ううっ、豆乳のこくが喉にからまって……ヨーグルトの酸っぱさと、きなこと甘みと絶妙の不協和音をっ)
「う、うん、美味しいネ!」
「何、それ。自販機の新作」
「そうです、豆乳ヨーグルトきなこ味です。はい、これおつり」
「律儀だなあ……もっと贅沢しても良かったのに」
「これで十分ですよ。なあ、ロイ?」
「うん、十分、十分だヨっ!」
(コウイチと同じジュースを飲んでる、それだけでボクは十分幸せだ……)
「ところでさ、風見。お前、パスポート持ってる?」
「一応……」
「ロイは持ってるから問題ないよな?」
「ハイ」
「ふむ……」
「どうしたんですか、先生」
「いや、事と次第によっちゃ、海外遠征に付き合ってもらうかもしれないんだ」
「どこに?」
くい、と羊子先生は人さし指で眼鏡の位置を整えた。赤いフレームの奥で、黒目がちの瞳がきらりと光る。
「サンフランシスコ」
※ ※ ※ ※
その夜、風見とロイは夢を見た。ひょっとしたら、二人で一緒に一つの夢を見ていたのかもしれない。
とにかく二人は森の中にいた。足元には、茶色や黄色、赤の落ち葉がふかふかと積もっている。
目の前をちょろちょろと羊子先生が走って行く。何故か手のひらに乗るほどの大きさで、両手で大きなメロンパンを抱えて。
木の根本をちょろちょろと。
そして、ちっちゃな手で地面を掘って、メロンパンを埋めて。土をかぶせて、落ち葉をのせて、満足げにうなずいた。
「何……やってるんだろう」
「保存してるんじゃないかな」
「もうすぐ冬だしな」
ちょろちょろっと走っていったかと思うと、またもう一個、メロンパンを抱えて駆けて来て、さっきとは違う場所に埋めた。
「いくつ埋めるんだろう。って言うか、ひょっとしたら埋めた場所忘れたりしないのかナ。もったいない」
「大丈夫、そうなったら春になったら芽が出て、すくすく育って、秋になったらメロンパンの実がなるよ……こんな風に、ほら」
風見が指さすその先には、メロンパンが鈴なりになっていた。
「そっか。こうやって自然の恵みは巡っているんだね……」
「この世には何一つ、無駄なものなんてないんだよ」
メロンパンの木の枝の間を、ちょろちょろとちっちゃな生き物が走って行く。
「あれ? 羊子先生が二人?」
「あっちはサクヤさんだよ」
「あ……ほんとだ」
サクヤと羊子が二人並んでちょろちょろと、足元に走りよってきた。
と、思ったら森の奥からもう一人、ちっちゃな生き物が走ってきて仲間に加わった。
「あれ、ランドールさん」
ちっちゃな生き物たちはロイと風見の足元で何やら互いにキィキィ話している。
良く見るとランドールが手に抱えているのはヒマワリの種で、サクヤが抱えているのは桜餅だった。
※月梨さん画「きぃ、きぃ、きぃ」
「そっか、主食が違うんだ……」
「サクヤさんの通った後には桜餅の木が生えて、ランドールさんの通った後にはヒマワリの種の木が生えるんだな」
ロイはのびあがって森の奥を眺めた。それぞれ桜餅(何故か道明寺)と、ちっちゃなジップロックに入ったヒマワリの種がすずなりになっていた。
しかもそれぞれの境目あたりには、ほんのりピンク色のメロンパンや、ヒマワリの種がトッピングされた桜餅までちらほらと。
「……ホントだ」
「かわいいなあ」
(むっ!)
その瞬間、ロイの胸の中でざわっと何かが燃え上がる。
(ヨーコ先生ならギリで許せる、でも、サクヤさんとMr.ランドールはダメっ)
ちっちゃな生き物に手を伸ばす風見より早く、ロイはランドールとサクヤをかっさらって抱き上げた。
「……ロイ、お前…………」
「か……かわいいねっ。うん、So cute!」
「いや……サクヤさんが泣いてる」
「えっ?」
きぃ、きぃ、きぃ!
ロイの手の中でちっちゃなサクヤがじたばたしてポロポロ涙をこぼしていた。
足元では羊子が心配そうに見上げている。ふるふると両手を伸ばしてロイのズボンの裾をにぎり、きぃ、と一声、鳴いた。
「Oh,sorry………」
そーっと地面に降ろすと、サクヤはとことこと羊子に寄って行く。羊子は安心したようだ。ぎゅっと両手でサクヤを抱きしめた。
※ ※ ※ ※
目がさめてから、風見はしばらく布団の中でぼーっとしていた。
(妙な夢見たなあ……)
羊子先生と、サクヤさんと、ランドールさん。いつも自分たちを教えて、導いてくれる人たちがあんなにちっちゃくなっちゃうなんて。
でも、可愛かった。
あれは何かの予知夢なんだろうか。それとも、ただの夢なんだろうか。
一方、ロイはベッドの中で幸せに打ち震えていた。
(森の中でコウイチと二人っきり……いい夢だった。神様ありがとう!)
ちっちゃな生き物の存在はとりあえずノーカウントってことらしい。
そしてその頃、サンフランシスコでは……
青年社長、カルヴィン・ランドールJrが、日本の『メル友』から送られた和み動画を見ながら昼食後のひと時を寛いでいた。
「ははっ、すっぱかったのか」
くすくす笑いつつ、彼女の小動物めいた動きにふと、昨夜見た夢を思い出す。
自分がものすごく小さくなって、森の中を走り回っていた。確かヨーコとサリーも一緒だったな……と。
時計の針は確実に進んでいる。日本とアメリカ、二つの道の交差する、ある一点を目指して。
(メロンパンの森/了)
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