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ローゼンベルク家の食卓

【side8-2】★★検証の結果…

2008/12/19 22:35 番外十海
「……ふむ」

 検証の結果、面白いことがわかった。一見、手間がかからないように見えるハーフアップ(耳の上の髪の毛だけねじりあげて留める方法)やサイドアップ(左右いずれかに髪の毛をねじって留める。ゴムで括るやり方に一番近い)の方が実は、難易度が高い。

 全部ひっくるめてアップにする『夜会巻き』が一番、手軽にできるようだ。
 無造作にやってもそれなりにきれいな形ができあがる。

 しかしこれ、自分でやると後ろがどんな具合になってるか見えないのが難点だな……。
 鏡を見ながらもう一度『夜会巻き』を試してみる。首をひねって、後ろを見ようとしていると。

「……ただいま」
「レオンっ? いつから、そこに?」

 バスルームの入り口にレオンが立っていた。帰ってきたばかり、まだ上着も脱いでいない。にこにこしながらこっちを見てる。

 ……参ったな。

 玩具のロボット、手に持って空を飛ばす。『ぐぉおん、ががががが』効果音も、ヒーローの決め台詞も、必殺技のかけ声も、悪役の悲鳴にいたるまで全部自分。そんな一人遊びの現場を見つかった子どもの気分になる。
 やたらめったら、気恥ずかしい。

「珍しい髪型をしているね」
「あー、その……変わった髪留め、もらってさ」
 
 コームの説明書をぴらっと掲げてみせる。

「いろいろ試してみたんだ。ちょっとした好奇心ってやつだ」
「ふうん?」

「どうかな。後ろ、きちんと留まってるか? この写真の通りに」
「どれどれ……」

 レオンは近づくと、顔を寄せてきた。

「大丈夫そうだよ」

 首筋に息がかかる。くすぐったい……。あ、そうか、後ろの髪の毛を全部上げちまってるからか……。

「そ、そうか」

 温かなものがうなじを撫でる。とっさに正面の鏡を見る。
 手で触れたらしい。変だな、いつもと微妙に感じが違う。考えてみれば、首筋をこんな風にむき出しにするのって何年ぶりだろう?
 髪を伸ばす前、警察官をしていた時以来じゃないか。

「針金曲げても作れそうなのに。こんな簡単な構造なのに機能的なんだな……ほんとに髪の毛が留まるのか、半信半疑だったけど」

 鏡の中のレオンが動く。うなじの生え際をなでた指先が滑り降りて、左の首筋の火傷の跡に近づいて行く。
 ゆっくりと。
 彼の指の触れた部分の皮膚が泡立ち、意識をそらそうとすればするほど余計にその部分に集中しちまう。

「ぁっ……」

 いじられた。
 3年前の爆発事件の置き土産。薔薇の花びらほどの大きさの傷跡が、白い光の中で赤々と浮び上がっている。

(何、火照ってるんだ。何をがっついてるんだ、俺はっ)

 鏡に写るレオンが顔を寄せて行く。彼の視線が実体をそなえて肌に触れているような錯覚に陥る。

「……何……して……んっ」 

 聞くまでもない。
 皮膚の薄い傷跡はひと際外からの刺激に鋭敏で、触れた瞬間にわかってしまう。指なのか。それとも唇なのか。

「は……あ……あ……」
 
 目が離せない。鏡の中で俺のうなじに吸い付いてるレオンの姿に。吸われる首筋から伝わる湿った熱が皮膚から内側に染み通り、体の隅々まで広がって行く……侵して行く。
 目を閉じれればその瞬間、溶けてしまいそうだ。

「レオン……っ」

 後ろに手を回し、ぴたりと寄せられた腰にすがりつく。
 きゅっと強く吸い上げられ、歯が当てられる。ほんの一瞬、跡がつくほど長くはない。それでも研ぎ澄まされた神経にとどめの一刺しを与えるには十分だった。

「くっ、う、あっ」
「いいね。とても魅力的だ」

 噛まれた場所にぬるりと温かな物が押し当てられる。

「んっ」

 耳元に微かに響く湿った音、白い歯の間に桃色の舌が閃く。
 もう……限界だ。聞いてるだけで脳細胞が沸騰する。
 体を回して正面から抱きつき、貪った。ほんの今しがたまで首筋に吸い付いていた、温かな唇を。
 
 
 ※ ※ ※ ※


 洗面所に入った瞬間から、無防備にさらけ出されたうなじから目が離せなかった。わずかに襟足にこぼれ落ちる赤みの強いかっ色の髪が。ほんのり赤く浮び上がる火傷の跡が。雪花石膏のような肌の白さとなめらかさを否応無く際立たせていた。

(何てことだ。首筋が……むき出しじゃないか。そもそもその傷跡を隠すために髪を伸ばしたんじゃなかったかな?)

「う……んん……」

 抱きしめた腕の中で愛しい人が、うっすら涙をにじませて身じろぎしている。キスだけでこんなに熱くなって。感度のいいのも考えものだね。
 でも、もう少し。

 ずい、と奥まで舌を差し入れると、びくっと震えてすがりついてきた。
 狭い、湿った空間の中で小魚みたいにぴちぴちともがく彼の舌を捕えて吸い上げる。
 小刻みに震えて目蓋を開いた。
 ミルクを溶かしこんだような茶色の瞳の中に緑色のきらめきが揺れている。

 余韻を味わいながら唇を離すとレオンは手を回し赤い髪に挿さったコームを引き抜いた。ゆるやかに波打つ髪がぱさりとこぼれおち、首筋を覆う。

 そうだ、これでいい。

「………お………」
「ん?」

 肩にもたれかかり、体を支えながらディフがささやいてくる。乱れた息の合間から切れ切れに。

「お帰り………」
「………ただ今」

 うっすらとほほ笑むとレオンは抜き取ったコームをそっと自分のポケットに滑り込ませた。
 しばらく息を整えてから、ディフがようやく体を起こしてほほ笑んだ。

「すぐ、飯の仕度するから」 
「ああ」

 キッチンの手前で何やら探している。

「どうかしたかい?」
「いや……さっきのコーム」
「これかい?」

 内心渋々ポケットから取り出し、手のひらに乗せる。

「ああ、それだ。ありがとう」

 青いラインストーンのついたコームを口にくわえると、ディフは片手でポニーテールでも結うように髪の毛を一つにまとめてねじりあげる。
 コームをさして、きゅっとひっくりかえすと、もうアップの髪型ができ上がっている。ずいぶん慣れた手つきじゃないか。

 わき起こる陽炎のような苛立ちを押さえ切れず、わずかに口の端が歪んだ。

 エプロンをつけ、甲斐甲斐しくキッチンで立ち働く彼の後ろ姿を見守った。えらくご機嫌だ。困ったことにどうやら、この髪型が気に入っているらしい。
 まさか、その格好で外を歩いたりしていないだろうね?
 ああ、まったく。君は気づいていないから困るんだ。自分がどれほど“男に欲情する男”を惹き付けてしまうか……。

 そうこうする間にテーブルには手際よくペペロンチーノと野菜のスープ、パンとサラダが並べられて行く。
 スープとサラダの味付けは中華風。どれもこれも子どもたちの好きな献立ばかりだ。
 このところ二人とも元気がないから少しでも食べやすいようにとの心遣いなのだろう。君の作ってくれる料理なら何でも好きだ。だけど……これは……。

「どうした、レオン。味付け、辛かったか?」
「いや。美味しいよ」

 正直、面白くない。
 
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