▼ 【side13-1】★四月一日限定販売
「エドワーズさんっ!」
エドワード・エヴェン・エドワーズは自分の身に何が起きたのか、理解できずにいた。
いつものように夕飯を終え、ささやかな娯楽の一時をすごした後、シャワーを浴びて。横着してパンツを履いてタオルを首にかけた状態で寝室に入り、ベッドに腰かけ……
ようとして、いきなり引き倒されたのだ。
(落ち着け、エドワード、まずは状況を把握するんだ!)
背後でスプリングが軋む。どうやら仰向けになっているようだ。そして上には温かく、ほっそりした生き物がのしかかっている。だがリズにしては大きすぎる!
目を開くと、見慣れた天井の代わりにつやつやした卵方の顔、さらりとした黒髪、眼鏡がすぐそばにあった。
「さっ、サリー先生っ?」
うるんだ目。耳たぶまで赤くそめ、着ているのはいつぞや写真で見たジンジャのユニフォームだ。
「俺のこと、どう思ってるんですか……はっきりしてください」
「どうって……むぐっ」
唇を奪われた。
あまつさえ、吸われ、なめられている。
いけない。こんなことをしてはいけない! 思っても体は正直に反応する。恋しい人がのしかかり、キスしているのだ。男としてきわめて自然な成り行きと言えよう。
「ん……ふっ……」
とろけんばかりの笑みを浮かべて唇を離すと、サリーは指先でくりくりと胸の突起をもてあそびはじめた。
さらに、緋色の袴に包まれた膝が、下着の内側でたぎり始めた彼の『息子』をくりっとさすりあげる。
「いけません……サリー先生……こんなことは……うっ」
「ひどいや、エドワード」
サリーはぐいっとのしかかり、顔をよせてきた。あわてて目をそらす。が、それがかえっていけなかった。乱れた白い着物の襟からのぞく、滑らかな陶器の肌が。淡い明かりに浮かび上がる華奢な鎖骨が、視界を占領する。
「っ!」
「あの時は……」
やわらかな唇が耳たぶを食む。
「サクヤって言ってくれたのに」
せつせつと訴える甘いささやきに、エドワーズの忍耐は振り切れた。サリーの肩をつかみ、引き寄せ、猛然とベッドに押し倒す。
「サクヤ……っ」
ジ リ リ リ リ リリリリリィン!
「う……」
ベルの音が寝起きの脳みそをシェイクする。強烈に、けたたましく。
長いことベルが鳴る直前に起きていたから、この音を聞くのはずいぶん久しぶりだ。
べちっと叩いてスイッチを切り、起き上がる。5:05……5分もあの音を聞いていたのか。
「……おはよう、リズ」
「みゃ」
ベッドから降りようとして、違和感に気付く。足の付け根が妙にねばつき、不自然に下着がはりく。それこそもう、長い間縁のなかった気まずい湿り気。
いちいち見て確認する気にはなれなかったし、その必要もない。何が起きたのかはわかりきっていた。
「何てことだ」
深いため息がこぼれ落ちる。
「この年になって………しかも………」
(サリー先生の夢を見て、こんなっ)
いたたまれずエドワーズはバスルームに駆け込んだ。
罪悪感にさいなまれつつ、ざばざばと下着を洗うその間、リズがずっとドアの向こうで鳴いていた。
「にゃーお、みゃーう、ふみゃーおおおう」
気まずい洗濯を終えてようやく浴室のドアを開ける。白い毛皮がするりとが飛び込んできた。
「みゃ、みゃ、みゃ?」
見上げる透き通った青い瞳が、痛い。直視できず、目をそらした。
「にゃあ」
柔らかな前足がズボンの裾をちょい、と引く。ぎこちなく首を回してほほ笑みかけた。
「ああ、心配かけてしまったね。大丈夫だよ、リズ……」
手にした濡れた布をタオルでくるみ、洗濯機に放り込む。
洗剤は、いつもより多めに入れた。
※ ※ ※ ※
「あ、もしもし、お母さん?」
「あらサクヤちゃん、元気?」
返事が返ってくるまでに1秒ほどタイムラグがある。携帯一本で気軽に話しているけれど、やはり海を隔てた向こう側なのだ。
「うん、元気だよ。荷物ありがとうね、無事届いた」
「そう! 海苔もお抹茶もちょっと多めに入れておいたわ」
「ありがとう。それで……ちょっと聞きたいんだけど」
サリーはテーブルの上にざらっと、トランプみたいに扇型に広がる細長い紙の束に視線を向ける。
透明のビニール袋に入ったステッカー、これは、まだわかる。実家の結城神社のお守りだ。好きな所にはりつけるステッカータイプ。だが、セットで入っているもう一枚が問題だ。
「何で、俺の写真がお守りとセットになってるの?」
しかも、白衣(はくえ)に緋袴の巫女姿。神社のご神獣であり、かけがえのない家族である鹿の「ぽち」と並んでにこにこ笑っている。眼鏡をかけ、くつろいだ表情をしているからおそらくご祈祷の最中ではない。
プライベートな時間の写真だろう。
「あーそれねー」
あっけらかんと母は応えた。
「男の娘(こ)巫女さんお守りステッカーよ。四月一日用に限定で売り出したの!」
「……はい?」
「お正月の時の写真を、パソコンで、ちょいちょいっとね? お遊び企画で作ってみたんだけど、これがけっこう人気でねー」
「ねー?」
ああ、母がWになってる。すぐそばに藤枝おばさんもいるんだ。
「いつの間に……」
「昨日だけで売り切れちゃった。意外に男の人に売れたのよねー」
「大成功だったわ!」
きゃっきゃとはしゃぐ母たちの声に混じり、低いため息が聞こえた。
「すまん、サクヤくん。止められなかった」
「いいんです、おじさん……」
目に浮かぶようだ。
『よーこちゃんの写真は使えないわよねー』
『公務員ですもの。副業扱いになっちゃうものね』
『じゃあ、サクヤちゃんのを使いましょう』
『そうしましょう』
『いや……それはちょっと……』
『あっ、この写真がいいわ!』
『ほんと、ぽちと一緒だといい顔するわね、あの子』
伯父貴の制止を軽々と振り切って、着々と計画が進んでいったにちがいない。
それにしても、限定と言う割にはずいぶんな数を送り付けてきてくれたもんだ。いったい全部で何枚作ったんだろう?
「それで、これ、どうしろと?」
「ああ、そっちでは人気があるんでしょ? そう言う和風のステッカーって!」
「うん……まあ……」
「お友だちに配ったら?」
「そうだね……」
写真はともかく、守り札は普通に使える。
明日にでもディフの事務所に持って行こう。彼に渡せば、双子のために使ってくれるはずだ。
※ ※ ※ ※
「へえ、面白いな、これ。ホームメイドのステッカーか。ありがとな!」
赤毛の探偵所長は思った通り素直に喜んでくれた。
「それで、この写真は……」
巫女姿の写真と自分の顔を交互に見ている。言うべき言葉を探しているようだ。
「ベースボールカード、みたいなものか?」
「いや、これは気にしないで」
ささっと写真だけ抜き取った。
「これ、どこに貼ればいいんだ?」
「うーんと……」
部屋を見回し、オティアの使うパソコンに目をつける。
「ここかな」
「OK」
ディフが守り札をオティアに渡す。少年はほっそりした手を器用に動かし、液晶モニターの裏側にぺたり、と貼り付けた。
(よかった。母さんたちの気まぐれも、これで役に立つ)
その日の夜、シャワーから上がって髪をふいていると電話がかかってきた。ディフからだ。
「よう、サリー。ちょっといいかな」
「ええ、いいですよ。どうしました?」
「うん、それが今日持ってきてくれたステッカーな。あれ、EEEが見て……」
「エドワーズさん……事務所に来てたんですか……」
「ああ。たまたま近くまで来たんでオーレの顔見にがてら寄ってった。君が来たすぐ後だ」
「そう……なんだ」
(もうちょっと居ればよかったかな)
「それで。あのステッカー、ものすごく気に入ったみたいなんだ」
「エドワーズさんが?」
「うん。よかったら、あいつ用にもう一枚、用立ててもらえると嬉しいんだが……まだ、あるか?」
「ありますよ」
そりゃもう、たくさん。
束で。
※ ※ ※ ※
翌日、サリーはさっそく、お守りステッカーを探偵事務所に届けに行った。
「はい、どうぞ」
「ありがとう。あいつも喜ぶよ」
「エドワーズさんって和風もの意外に好きなんですね」
「そうだな。あいつ昔はばりばりのハードロッカーだったんだけど、今は伝統のものが好きらしい。うん、特に和!」
「そういえばお店にも日本の本があったなぁ」
和やかに語らうサリーとディフを、オティアが微妙な表情で見ていた。
『このステッカーは?』
『サリーからもらったんだ。写真もついてたな、ベースボールカードみたいなやつが』
『ほう。神社の写真かな?』
『いや、サリーの。ハカマ着てた』
『サリー先生がっ』
事務所に来た時、エドワーズはディフとこんな会話をしていた。
サリーの名前を聞くなり、そわそわして、ため息をついて。オーレをなでながらしみじみと言ったのだ。
『見てみたかったな……』と。
今、サリーがディフに渡したのはステッカーだけ。と言うか、写真は最初から持ってこなかったらしい。
(あれは、多分、Mr.エドワーズが期待しているものとは違う)
思ったのだが。
「キモノの柄見本とか、古い画集とか集めてるみたいだぞ」
「浮世絵なんかはこちらの人にも人気ありますしねー」
「そう言や浮世絵の画集を仕入れた、とか言っていたな……写真じゃなくて、版画のやつ」
「わあ、すごいな! 日本でも滅多に手に入らないですよ! 見てみたいな……」
紅茶片手にほのぼのと語らう二人を見て、結局、言うのをやめたのだった。
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