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ローゼンベルク家の食卓

【ex10-5】何が見えた?

2010/04/25 16:34 番外十海
 
「さて、と……その間に」

 三上は改めて居住まいを正し、ゴードン氏に向き直った。

「実は私、カウンセラーの資格も持っていまして。これも何かのご縁でしょうし、ちょっと診てさしあげましょう」
「おお、ありがとうございます。日本では、カウンセラーにかかるのは一般的なことではないようで」

 さもありなん。アメリカでは、かかりつけのカウンセラーのいる人間はさほど珍しくはない。
 そもそもカウンセラーにかかるのは、医者にかかるうちには入らない。だが日本では別だ。気軽に相談できる相手もいない。
 最善の策としてゴードン氏が「ユメモリジンジャ」を訪れたのは、きわめて自然な成り行きであったろう。

「それじゃ、私、しばらく席を外すね」

 羊子は素早く立ち上がろうとした。が。

「待ってください」

 それより早く、三上の手が肩に乗せられる。指先にわずかに力がこもり、羊子は動きを止めた。
 なぜ?
 視線で問いかける。

「あなたが通訳しなくて、誰がするんですか」
「あ……そうだった……」

 つ、と目をそらし、羊子はふたたび正座した。

「ごめん」
「いえ。それではお願いします」

(おやおや)

 そっぽを向いてしまった。きゅうっと唇の端を噛みしめ、頬がわずかに紅潮している。
 拗ねているのか、悔しいのか。
 いずれにせよ、ランドール紡績の社名を聞いて動揺したようだ。それでも風見とロイの前では気を張っていた。二人が席を外してわずかに気がゆるんだ……おそらく、そんな所だろう。

(困ったことをしてくれましたね、Mr.ランドール……)

 やはり、彼とは一度きっちり話しておかねばならぬ。現実の地表においても、夢の中でも、その確かさに何ら変わりはない。
 そう、夢の守り人であり、狩人でもある自分たちにとっては。

 その時。

「にゃーっ」

 すっと廊下に面した雪見障子を引き開けて、やわらかな生き物が部屋に入ってきた。

「あ、こら、タマ」

 羊子が立ち上がり、細く開いた障子を閉める。

「もう、開けたんなら、閉めなさい?」
「にーっ」

 三毛猫は何やら不満げに耳をふせ、ぴこぽこと短い尻尾を左右に振った。

「おお、ジャパニーズボブテイル!」

 ゴードンは満面笑み崩してちょこん、と首をかしげ、三毛猫の一挙一動を見守っている。

(うわっ、この人猫好きだ!)

 三毛猫はぽてぽてとゴードンに近づき、当然、と言う顔で彼の膝に乗っかって。前足をたたんでうずくまった。

「ほああ………」

 ついさっきまでの不安げな表情はどこへやら。小声で話しかけながら、とろけきった表情で猫を撫ではじめた。

「キティ、キティ、キティ」
「その子は玉緒って言います。タマって呼んでるけど」
「おお。おタマさんですか」

(どこで覚えたんだろうなあ、そう言う表現)

 よほどの日本好きなのか。あるいは日本語を年配の人から習ってるのかも知れない……奥さんのおばあさんとか。
 三毛猫はうっとりと目を細めて、ごろごろとのどを鳴らし始めた。あきらかに猫を撫でるのに慣れた手つきだった。

(筋金入りだあ……)

「猫、お好きなんですね」
「はい、大好きです」

 カウンセリングはまず、相手の心をリラックスさせることから始まる。
 しかしながら猫の出現により、ゴードン氏の緊張もとまどいも一気に取り払われたようだった。

 羊子を通じて、時に日本語を交えつつ、ゴードン・ベネットはぽつり、ぽつりと語り始めた。
 心の中に抱え込んでいた不安を吐きだし、話す。三上は時折相づちを打ち、さりげなく導きはするものの、基本的には聞き役に徹した。
 やがて、密閉されていたゴードン氏の『不安』に出口がぽこっと開いた。あふれだす言葉と意識が、内側に溜まっていた澱(おり)を押し出し、洗い流す。

「今の職場の人も、妻の親族も、近所の人も、よくしてくれます。しかし生まれた国を離れて、異国に移り住んで……やっぱり心細い。ですが、どうしても、私たちはこうしなければならなかったのです」
「なるほど。あながしなければならかなったのは……ここに来ることですか? それとも、サンフランシスコを離れること?」

 ゴードン氏はしばし口をつぐみ、猫をなでた。三上はじっと待った。

「シスコを出ること、です。あの街を離れて、新しく出発したかった」
「ふむ。新しい出発は、いかがでしょう、順調だと思いますか?」
「はい!」

 迷いのない声だった。まっすぐに三上の目を見つめていた。

「妻を愛しています。世界で一番、大切な女性です。やはり、この町にきて、正解でした」

 前向きな言動とは裏腹に、ちらりと思い詰めた表情が浮かぶ。

(思ったよりダメージが大きいか……)

 彼は、実直で真面目な人間だ。しかし、得てしてそう言ったタイプの人間は、頑張りすぎる傾向が強い。
 外側はしっかりしているが、その分内側に侵食が進む。しかもなまじ残った外側が頑丈なだけに、ギリギリまで持ちこたえてしまう。

(念のため、もうちょっと回復させておいた方がよさそうですね……)

「んみ?」

 タマがぴくっと耳を立てる。ほどなく、隣室との境のふすまの向こうに人の気配がした。

「ただいま戻りました」
「おつかれ」

 すうっと音もなくふすまが開く。風見とロイがきちっと正座して控えていた。彼らの目の前には、透き通った水を満たした2リットルサイズのペットボトルが2本。水晶の塊のように穏やかな光をたたえている。

「ああ、ちょうど良いところに……風見くん」
「はい」
「戻ったところ申し訳ありませんが、ゴードンさんにもう一杯、お茶を入れてさしあげてくださいますか」
「イエ、そんなお構いなく」

 恐縮するゴードンに向かい風見光一は誇らしげに胸をはり、堂々と答えた。

「任せてください。お茶をたてるのは得意なんです」
「彼のおばあさまは茶道の先生をしてらっしゃるんですよ」
「サドー! おお、それはスバラシイ!」

 羊子は小さくうなずくと、立ち上がった。

「母から道具借りてくるね」

 すれ違いざまひょいと手を伸ばし、金髪と黒髪、それぞれに絡まる小枝と葉っぱをつまみとった。

「あ……」
「お疲れさん」
「では、私はお湯を沸かしてきましょう」

 ほどなくして。

 座敷に据えられた茶釜にしゅんしゅんと湯が沸き、風見光一は厳かな面持ちで茶を立てた。
 茶道具は羊子の母から借りたもの。袱紗が赤いのはこの際気にしないことにする。
 慎重な手つきで茶さじを操り、桜の樹皮細工の棗(なつめ)から抹茶をすくって腕に入れる。
 馴染みのない人でも飲みやすいよう、薄めに立てる。いわゆる「お薄」と言う奴だ。
 茶杓で茶釜のお湯をすくいとり、静かに注いで茶筅で混ぜる……。腕の中で泡立つ深い緑色と向き合い、思念を一つに絞り込む。

『癒したい。この人の内側に刻まれた、見えない傷を』

「……どうぞ」

 ゴードンは目を輝かせて畳の上に置かれた茶わんと、その内側の抹茶を見つめている。

「コレは、どうやって飲むのですか?」
「こうやって、手のひらにお茶わんをのせて、回すんです」
「こう、ですか?」
「そうそう、もう一回」

 味と香りを楽しみながら茶を飲み干すと、ゴードンはしみじみとため息をついた。

「ああ……fantastic!」

 楽しそうだ。張りつめたものが、だいぶ抜けてきた。
  
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 茶をふるまった後、ゴードン氏を伴って一同は本殿に赴き、神社に詣でた。
 羊子の父であり宮司である結城羊治が祝詞をあげる中、ゴードンは慎重な面持ちで背筋を伸ばし、熱心に祈っていた。
 参拝が終ってから、宮司はおもむろに三方に乗せた鈴をささげ持ち、進み出る。

「これは、『夢守りの鈴』と言って、この神社のタリスマンです。悪い夢を退け、おだやかな眠りを守ってくれます」
「おお、ありがとうございます……」

 ゴードン氏は大きな手のひらに、ちいさな鈴を乗せてころころ転がした。
 ちりりん。
 赤い紐の先端で、金色の鈴が軽やかな音色を奏でる。

「キュートなタリスマンですね」
「それから、こちらも」

 羊子が白い和紙に包まれた小さめの日本酒の瓶を。風見とロイがペットボトルに入れた神社のわき水を持って進み出る。

「水を飲む時は神社の水を混ぜて。お風呂にはこのお神酒を入れるとよいですよ」
「ありがとうございます」

 岩を刻んだような背中が遠ざかるのを見送りながら、風見がぽつりとつぶやいた。

「いい人ですね」
「……ああ。だからこそ、夢魔にとっちゃ『美味しいごはん』なんだ」
「これで、当面は大丈夫、ですよね」
「応急措置ですけどね」
「……十分だ。さて、作戦会議と行こうか?」

 社務所に戻り、居間のこたつに潜り込む。急に温度の下がったこたつの中で、『みゃっ』『にゃうっ』と不満げな声があがる。

「あ、ごめん」
「失礼シマス」

 猫団子を避けつつ、落ち着いたところでお互いの見えたもの、感じたものを話しあう。

 おぼろに感じ取ったのは女の顔、真珠色の鱗、ヘビの胴体、ゆらめく長い黒髪。
 今はまだゴードン氏は悪夢にうなされるだけ。だが少しずつ悪夢が現実に染み出している。

「どう思う? このケース、悪夢の宿主(レミング)が、ゴードンさんの夢に侵入して苦しめてると見た」
「同感です。取りついているのは、おそらく女性だ」
「半分蛇の、ね……」
「確かにアレは蛇。それも海ヘビだと思いマス」
「同感」
「今回の事件の鍵は、水だね」
「それも海の水ですね。あともう一つ、気になったことが」
「何?」
「その、半分蛇で半分女の夢魔なんですが……ゴードンさんに巻き付いて、こうささやいてたんです」

 しばし言葉を区切ってから、三上蓮はひと言、ひと言、己の読み取った夢魔の思念を言葉にした。

「返せ、と」
「うーん……蛇の体に、まとわりつく髪の毛、それに返せ、か………」

 羊子はこつこつと指先で額を叩き、首をひねった。

「女の嫉妬?」
「前の恋人?」
「不倫……と、言う可能性もありますね………」

 一同顔を見合わせ、すぐに首を左右に振った。

「ないないない」
「無理でしょうねえ、ゴードンさんには」

 すっと三上は右手を掲げ、人さし指を立てた。

「それからもう一つだけ、気になったことが」
「コロンボか!」
「すいません、今気付いたもので」
「……ま、そう言うことなら……で、何?」
「夜よりも、むしろ昼間の方が影響が強いように思えてならないんです。それだけ現実への侵食が強まった、とも考えられますが……」

 確かに。夜の夢はただ『奇妙な夢』と表現していたが、明け方や昼間にまとわりついてきた『影』は、より具体的なイメージを伴っていた。
 憑依の初期段階において、夢魔は宿主が眠っている時により強く力を発揮する。夜の夢の中では、起きている時よりも理性の締めつけゆるみ、秘めたる願望や欲望があらわになるためだ。

「つまり、夢魔の宿主が眠っているのは、『昼間』にあたる時間なんだ」
「夜起きて、働いてる?」
「あるいは、時差がある……そうか!」

 はっとした表情で風見が叫ぶ。

「宿主は、アメリカにいるんだ!」
「ええ……私も、そう思います」

 三上は静かにうなずいた。

「あの夢魔の顔立ちは、白人女性の特徴を備えていた」

(これは、なんともタイミングのいい)

 口元に笑みが浮かぶ。

 海外でのサポートが必要となるとまずは結城くんだろうが、彼一人ではやや心もとない。となれば、彼の補助ができるのは事実上社長しかいないだろう。
 社会的な影響力もあるし、財力も高い。この点ではロイくんの祖父もかなりものだが、何と言っても映画スター。潜入捜査をしようにも、あまりに目立ちすぎる。(当人は喜んでやりそうだが)

 いつものにこやかな「神父の微笑」とほとんど見分けがつかない穏やかなほほ笑みの内側で、三上は秘かに戦闘準備を始めることにした。

 カルヴィン・ランドールJrとの邂逅に備えて。

「結城さん」
「……わかった」

 羊子は懐から携帯を取りだした。いつものようにボタンを押そうとして、一瞬戸惑う。

(犠牲者がランドール紡績の関係者なんだから、まずはカルにかけるべき、なんだろうな………)
(でも……)

 さっき、言えなかったことがある。
 心が揺れたあの瞬間。半蛇の女妖の黒髪がゆらりと広がり、触れそうになった。
 敵対者への威嚇と言うより、まるで………自分を招くように蠢いていた。

(気のせいだ。そんな事、あるわけがない!)

 懸命に否定しながらも、不安をぬぐい去ることができない。それがただの憶測ではないことは、自分が一番良く知っている。
 今、あの人の声を聞いたら。
 心の波がもっと大きく波打って、崩れてしまうのではないか。また、あの夢魔を呼び寄せてしまうのではないか……。

 携帯片手に戸惑っていると、やにわにとんでもない爆弾が投下された。

「結城くん一人では少し不安ですよね。かと言ってロイくんのお祖父さんでは目立ちすぎますし……例の社長に頼ってみてはどうでしょう?」

 一瞬、羊子は硬直した。束ねた黒髪がぶわっと逆立つような心地がする。まるでびっくりした猫みたいに。

「………?!」

 そんな彼女を察してか、風見光一もまた、ぎょっとこたつの中ですくみ上がった。

「ラ、ランドールさんにですか……確かにサクヤさん一人じゃ大変なのはわかりますけど………」
「ええ、そのランドール氏にです。万一悪夢と戦うことにでもなったら、やはり一人では厳しいでしょうしね」

 ああ、さっきから心臓に悪い名前が連呼されているような気がする。
 そう言えば帰国してからこっち、だれも自分の前では彼の名前を口にしようとしていなかった。

(すまん、風見。おまえにまで気ぃ使わせて)
(って言うか、三上さん、事情全部知ってるくせに)

 そらせていた目線を、顎をとってくいっと向けられた気がした。しかるべき位置に、優しい指先で……しかし、断固とした動きで。

「そうだね」

 抑揚のない声で返事をすると、羊子はギクシャクした動きで携帯を開き、ボタンを押した。

(さて、どちらにかけるでしょうね……)

「やっほー、サクヤちゃん元気?」
「うん、元気だよ。どうしたの、よーこちゃん」

(ああ、やはり結城くんでしたか)

 サクヤの声を聞いたら、何だかしゃきっとした。遠く離れているのに、手をとりあって支えてくれたような気がした。

「事件だよ。根っこはたぶん、そっちにある」

 きっぱりと言い切る羊子の口調に、もはや迷いはなかった。

「あなたとカルの協力が必要なの」

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