▼ 【4-17-2】巨大ミノムシ現る
部屋に戻って真っ先にしたことは、ぐっしょり濡れた服を上から下までまるっとお取り換えすることだった。まあ上半身はだいぶマシだったんだ、ダウンジャケット着てたおかげで。しかし下は防水対策は皆無。じっとりびっとり足に貼り付き、ひしひしと熱を奪ってくれた。
乾いた服に着替えた程度じゃ、体の芯まで染み透る寒さはちっとも収まらず、とにかく着るものを探して部屋中ふらふらゾンビのようにさまよい歩く。あったかいもの、あったかいもの、とにかくあったかいもの。
「あー……」
ぼやけた目でソファの上の鮮やかな縞模様を眺める。あったかさは申し分ない。いまいち機動性に欠けるが、この際だ。これでいいや。
ぐらぐら揺れる意識をどうにか奮い起こしてデスクの前に座る。さてと、出かけた分は、きっちり進めとかないとな。
※ ※ ※ ※
「ふーっ!」
飯を食いに上に行ったら、ひと目見るなりオーレに唸られた。
背中を丸め全身の毛を逆立て、俺をにらんでとっ、とととっと斜め歩き。青い瞳をらんらんに光らせ、全身全霊で叫んでやがる。
『あやしい! あやしい! あやしい!』
あんまり騒がしいもんだから、オティアが出てきて……固まった。
「何、してる」
「あ"……」
説明しようとしたら、一瞬のどの奥がくっついて上手く声が出せなかった。
「んが、あががっ、げほっ」
オーレをかかえてオティアはささっと後ずさり。うんうん、正しい判断だ……。
「どうした、ヒウェル」
あ。
まま、来た。
……で、やっぱ目ぇ丸くしてぼーぜんとする訳ね。あ、あ、拳握って口んとこに当ててるよ。
「何だ、その格好……」
「ちょっと待て、今説明するから」
咳き込んだ拍子にゆるんだ縁を、よいしょっと体に巻き付ける。
「……寒かったんだ」
「ああ、それはわかる」
「着替えようにもダウンジャケット、ぐっしょり濡れててさ。セーターも洗ったばっかで、まだ乾いてなくて……」
「で、ブランケットをぐるぐる巻きつけた、と」
「うん」
「自主的に、す巻きになったと」
「うん」
「その格好で、ここまで来たのか」
「だって、寒くてさあ…」
ずびっと鼻をすする。
ただいまの俺の服装。とりあえず乾いてるシャツとズボン。動きにくいからってんで置いてったおかげで、無事だったマフラーでのど元をぐるぐる。さらにその上からブランケットをぐるーりぐるりと巻き付けて、はい、できあがり。
巨大ミノムシ、もしくはブリトーファッションとでも名付けてこの冬流行らせたろか?
あー、いかんな、いい加減、脳みそ沸いてる……。
ぼーっとしてたら、べしんと濡れタオルがかぶせられた。
「さんきゅー」
ずびっと鼻をすすって顔を拭いて(かろうじて眼鏡を外すのを思い出すには間に合った)頭に乗せる。かっかかっかとのぼせていた脳天がしゅわーっと楽になった。
「ふぅ……」
「お前……そもそも、何やらかしたんだ」
「スケートの練習」
「それだけか?」
「それだけだよー。軽〜くすっ転んで、仕上げにアイス食って帰ってきた」
ああ。ディフとオティアの目線が……冷たい。レオンは明らかに面白がってる。
ディフが目を三白眼にしてじとーっとねめつけてきた。
次のひと言、何となく予想がつくような気がする。
「阿呆か!」
ほらな。
「う、うるへー。最近運動不足だから、ちょーどいいかなって思ったんだよ!」
「運動は大いに喜ばしいことだがな、ヒウェル。お前ただでさえ冷えやすいんだから、もっと防寒に気を使え。体を大事にしろ」
「……うん」
「食欲はあるのか?」
「うん、一応」
「そうか。じゃあ胃腸には来てないんだな……そら」
背中を押されてぼふんと座らされたのは、暖房がいちばん効く、この部屋で一番あったかい場所だった。
「できたら呼んでやるから。休んでろ」
「うん……さんきゅ」
ディフがキッチンに戻るのを見計らって、レオンがぽつりと言った。これ以上ないつーくらいににこやかに、ほほ笑みつつ。
「似合うよ、そのファッション」
「どーも」
「金門橋の下に沈めたくなるね」
ぞぞっと背筋に寒気が走ったのは、熱のせいだけじゃない。
※ ※ ※ ※
ディフがキッチンに入って行くと、一足先に戻ったオティアが鳥肉を一部とりわけていた。
本来なら、サリーから教わった『カラアゲ』……日本風フライドチキンにする所だったが、さすがに揚物は食べづらいだろう。オカユさんを作るのには、いささか時間が足りない。
オティアも概ね同じことを考えたようだ。一人分の鳥肉を一口大に切り分けて小鍋に入れて、固形スープのもとを放り込んでいる。
「オティア」
振り向いたところに、ぽんっとニンニクを放り投げる。造作もなく左手でキャッチ。いい腕だ。
「そいつも入れてやれ。すり下ろしてな」
「ん」
こくっとうなずくと、オティアはガラス瓶からトウガラシを大量につかみ出した。
辛味の基準はヒウェルの基準。これぐらいはお約束。
※ ※ ※ ※
夕食は、俺の分だけチキンスープだった。ニンニクと赤トウガラシをたっぷり入れた、熱々のピリ辛。
「うめぇ………しみじあったまる……」
「それ食ったらおとなしく寝ろよ」
「うん」
「さんざん苦労したようだけれど、肝心のスケートの成果はどうだったんだい?」
「あー……うん、どうにか……一人で滑れるように、なった」
一瞬、食卓の上に沈黙が訪れ、みんなして意外そうな表情でこっちを見てきやがった。
「ほんとだって。エリックに教わったんだ!」
どうにか信用させたいあまり、いらんことまで口走ったと気付いた時にはもう遅い。
一瞬浮かんだ『まさか!』がぱたぱたと、『あー、納得』に切り替わる。
「たまたま滑りに行ったら、あいつと出くわして、それで、その……」
「よかったね、滑れるようになって」
「う、うん……さんきゅ」
「エリック、スケート得意なんだ」
「ああ、Myシューズも持ってた。かーなーりスパルタでさ……いや、むしろバイキング式か?」
「じいさんに仕込まれたらしいぞ?」
「うえっ、やっぱ直伝かよ!」
「?」
「エリックのじいさんは、デンマーク人なんだ」
そして、夕食後。精一杯さりげなくオティアに近づき、そっとささやいた。
「スープ、ありがとな。んまかった」
「……」
こくっとうなずく気配がする。じわーっと胸の奥があったかくなった。
が。
ささやかな幸せを噛みしめる暇もなく、無慈悲な判決が下された。
「ヒウェル」
「はい、何でしょう」
「治るまで、出入り禁止」
「うっ」
よろっと来たとこに、ままが追い討ち。
「オティアとシエン、それにレオンに伝染ったらことだろ?」
「あー、はい、はい、確かにそうですねっ」
「飯は運んでやるから」
「……うん」
ずるずると毛布を引きずり、歩き出したところに背後から、ちりっと迫る鈴の音一つ。あっと思った時には既に遅く、鮮やかなダイブ&キックで床につっぷしていた。
「く……」
「オーレ、容赦ないな」
「弱ってる敵を叩くのは戦略の基本だよ」
「違いない」
しなやかな足音が顔のすぐそばを通り抜け、仕上げに長いしっぽでびしっと額を叩かれた。
あー……こんな風に倒れるのは何度めだろう、今日の俺。
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