▼ 【4-17-1】バイキング滑る!
水曜日の午後。天気がいいのでユニオン・スクエアに行った。と言っても買い物じゃない。コーヒーを飲みに行くのでもない(帰りにちらっと寄ってもいいかな、とは思ってる)
滑るために。
illsutrated by Kasuri
一月からずっと厳しい寒さが続き、屋外スケートリンクのコンディションは絶好調。
滑るのはずいぶんと久しぶりだけど、じいちゃん仕込みのウィンタースポーツの腕はまだ衰えていない……はずだ。いや、むしろ足かな?
元々スケートは好きなんだ。子どもの頃はそれこそ暇を見つけては滑ってたし、大人になってからも冬場、体を動かすのはジムより、公園のランニングロードより、氷の上。一応、靴も自前のを揃えてる。
さて、まずは軽く準備運動。しかる後リンクの入場料を払って靴を履き替え、さっそうと氷の上に滑り出す。
一年ぶりの滑走だ。ジャーっと懐かしい音とともに景色が背後に飛ぶ。冷たい、かわいた空気が頬を撫でる。
少しずつ速度を上げながら人の流れに乗り、外周に沿って回った。平日だが、人は多い。学校帰りの子どものみならず、仕事の合間にちょいと滑りに来る人もいるんだろう。あるいは、休みが不規則な職場とか。
一周もすれば、じきに感覚は取り戻せる。周囲を眺める余裕も出てくる。
もこもこのダウンジャケットを着た人の群れ。鮮やかな赤や黄色、青、ピンクにオレンジ。鮮やかなビタミンカラーをかきわけくぐりぬけ、森に溶け込む穏やかなアースカラーを探した。帽子からわずかにのぞく金髪とすれちがう度、ぐいっと目が引き寄せられる。
来てる……かな……シエン。
あれからも彼とは週に一度、運が良ければ二度、スターバックスで一緒にコーヒーを飲む日が続いてる。もっとも約束してる訳じゃないから、必ず会えるとは限らない。運良く会えても、いつ急な呼び出しがかかるかわからない。
わずかコーヒー一杯飲む間の、大切なひととき。とりとめのない事を話したり、この間貸した、iPodの使い方を説明したり。
この頃は「休みの日は何してる?」なんて話題も口にするようになっていた。
シエンにしてみれば一緒にいる間、話が途切れないように話題を探していたって感じだったけど……。それでも自分の体験を、家族以外に話せることが新鮮で、楽しそうでもあった。
この間はサリーとテリー(サリー先生の友だちだそうだ)と一緒に犬を見に行ったって聞いた。大きな犬がいっぱいいたけれど、一番大きなのはデイビットの家のベアトリスだった、と。
「ヒューイやデューイより大きいのに、デイビットはちっちゃなお姫さまって呼んでるんだ」
「ギャップがすごいね。一度聞いたら忘れそうにないや」
「うん。なのに、ディフも、サリーも、テリーもみんなして言うんだ。『なるほど、確かにちっちゃいな』って!」
先週はスケート。始めて滑った。氷の上を、体が走るより早く動くのが楽しかった、ケーブルテレビの中継で見たスピンを思いきって試してみた。
どきどきしたけど上手く行った!
「見てる人が拍手して、ちょっぴり恥ずかしかった……」
「嬉しかった?」
「んー……………うん!」
目を輝かせて話す彼の愛らしい事と言ったら! きっと自分じゃ気がついてないんだろうな……。
楽しい経験ってのは、自分以外の誰かに伝えることでより強く、色鮮やかに記憶に残る。
ほんの少しでいい、オレが君の毎日を彩る手助けができているとしたら。
これほど嬉しいことって、ないよ、シエン。
「……ふぅ」
一周したけど、探し人の姿はなかった。いいさ、もとより分の悪い賭けだった。最も完全なスカと言う訳でもなく、一応見覚えのある顔がいるにはいた。
ひょろりとした黒髪、眼鏡、カーキ色のダウンジャケットの下はワイシャツにネクタイ。へっぴり腰で手すりにしがみつき、よろよろふらふら、カタツムリの這う速度よりゆっくり微速前進。
やれやれ。どうやら、力いっぱいジョーカーを引いたらしいや。
まあ、知りあいなんだし。目があっちゃった以上、無視するわけにも行かないか。
近づいて、手前でざーっとブレーキをかける。減速成功、上手い具合に目標の目の前で停止した。
「やあh。手すりの掃除ですか?」
「見てわかんねーのかバイキング。リンクでする事と言やあ一つだろうがよ!」
「……一応スケート靴ははいてるようですが?」
むっとしてる。頑張ってるつもりなんだろうな……努力がまるきり反映されてないっぽいけど。
「初めてでそれぐらいできれば、上出来ですよ」
「…………」
あ、さらにむすーとした顔になった。口をヘの字に曲げちゃってるよ。
「もしかして、二回目……ですか?」
「しょうがねえだろ。初めてスケート靴履いたのが、先週なんだからっ」
「はー、なるほど。二回目ねぇ」
「この間来た時ぁ全員初心者だったんだぜ。それなのに、みんなして俺を置いてきぼりにしやがって!」
「だから練習しに来た、と」
「おお、秘密の特訓だ!」
これだけ大々的にやってて、秘密も何もないと思うんだけどなあ……。
(あれ、ちょっと待て? 先週はじめて?)
「あの、つかぬ事お聞きしますが、h」
「おう、何だ、バイキング」
「みんなって、ダレ?」
ぱちぱちとまばたきすると、hはさも当然って口調でつらつら言ってのけた。
「レオンと、オティアとシエン、それからディーン」
match。
その四人が一緒だったってことは、もう一人も一緒だったってことだ。
なるほど……この人は、センパイと、シエンと一緒にスケートに行ったんだ。
シエンと一緒に。
シ エ ン と、一 緒 に。
目の前の男に、目を輝かせてスケートの話をするシエンの顔がダブる。
オレがこんなにも必死で探し求める相手と、この人は当たり前って顔して毎日一緒に夕飯食べている。しかも、スケートにまで行ったんだ。
(わあ、なんか、面白くないぞ)
「なあ、エリック。教えてくれよ。いったいどーやったらそんなにジャーコジャーコ滑れるんだ!」
「わかりました教えてあげます」
ぐいっと襟首をひっつかんで手すりから引きはがす。
「ぐえっ、ちょ、ちょっと、待てこれはっ」
「はーい、力抜いてー。手でどこかにつかまってちゃ、いつまでたっても一人で滑れませんよ?」
「う、ふ、わ、わかった」
さすがに襟首はあんまりだな、と思い直してダウンジャケットのフードをつかむ。
「じゃ、支えてますから。まずはゆーっくり歩くことから始めましょう」
「う、うん。離すなよ? 絶対離すなよっ?」
「はいはい、じゃあまず右……左……あ、基礎はわかってるみたいですね」
「ま、まーな」
フードをつかんで支えたまま、男二人でくっついて、そろりそろりとまず一周。へっぴり腰だけど、向上心は大したもんだ。
気迫で体力をカバーしようって姿勢は立派だと思う……ほとんどカバーできてないけど。根本的に体動かすってことになれてないよ、この人は。ほら、もう息が上がってきた。
「大丈夫ですか、h?」
「お、おう……だいじょ……ぶ……」
「そうですか」
本人が大丈夫って言ってるんだから気を使う道理はない、か。いい大人なんだし。
「それじゃ、そろそろ次のステップに進みましょうか」
「次か?」
「はい」
フードをつかむ手を離す。
「一人で立ってみてください」
「おっ、と、と、う、うー、うー、うー……」
hは四苦八苦しながら手をばたつかせていたが、どうにか。だいぶ腰が低いけれど、どうにか自力で立った。
「ど、どーだ。立ったぞ!」
「おみごと」
ぱちぱちと手を叩く。
「それじゃ、もうちょっと前傾姿勢をとって……」
「こ、こうか?」
「はい、OK。それでは」
再び襟首をつかんで、一旦後ろに引いて……どーんっと前に突き出した。
「うぎゃああああああああああああああああああああ」
平日だし。空いてるし。大丈夫だよね。
晴れ晴れとした気分で遠ざかる背に手を振った。
「習うより慣れるのが一番ですよ、h」
「おっ、覚えてやがれーっっっとととつぉわっ!」
けっこうな勢いで彼は滑り続け、リンクの反対側の壁にぶつかって止まった。
いや、正確にはぶつかる前に止まろうと努力はしたらしい。前のめりににつんのめり、膝から順に氷の上に突っ伏して、最終的には熊皮の敷物みたいに長々とのびていた。
illsutrated by Kasuri
びろーんと伸びたきり、動かない。さすがに心配になってそばに滑り寄ってみる。
「……h?」
「…………」
むくっと起き上がった。ざっと見た限りでは目立った傷はなさそうだ。上手い具合に受け身とってたもんな。
「あー、ちょっと強過ぎましたね、すみません」
「お前、ぜんっぜん悪いと思ってねぇだろ!」
「ははっ」
そうかも。
「おわびにおごりますよ」
「ったりめーだっ!」
※ ※ ※※
特訓の甲斐あって、夕方にはhは一人でどうにか、リンクの外周を一周できるようになった。生まれたての子鹿……と言うにはいささかトウが立ってる足取りではあったけど、かろうじて手すり磨きからは卒業した。大した進歩だ。
健闘を讃えて約束通り、リンク脇のスタンドでおごった。
「どうぞ」
「……なあエリック。おごってもらって言うのも何だけど……何で、アイス」
「ひと滑りした後は、咽が渇くじゃないですか」
「貴様……俺に何か恨みでもあるのかーっ」
他意はない。単に自分が食べたいものと同じものをおごっただけだ。ソフトアイス(日本で言うところのソフトクリーム)にチョコレートパウダー、チェリーにマシュマロをトッピングして。
「ちくしょう、バイキングめ………」
文句言いつつ、がちがち震えながら一心不乱に食べてる。結局好きなんだな、アイス。
「美味いな、これ」
「美味いでしょ」
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