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ローゼンベルク家の食卓

【4-11-5】★★闇より暗い夢に迷い

2009/07/03 19:28 四話十海
  
「腹減ったー。今日の飯、何?」

 テーブルを拭いていたオティアが顔をあげ、ぼそりとつぶやいた。

「牡蛎」

 くんっと鼻をうごめかせる。キッチンからコンソメと牛乳らしきにおいが漂ってきた。

「……シチューか」
「ん」
「みう」

 このお嬢さん、エビにはあんなに大騒ぎするくせに、牡蛎はそれほどお好みでもないらしい。

「よう、オーレ」

 ちょい、と指をさし出すとくんくんとにおいをかいで、鼻面に皺を寄せた。
 あー、やっぱバレちまったかな、血のにおい。服も着替えてシャワーも浴びてきたはずなんだが……ダウンジャケットがずっしり赤く染まったんだ。ちょっとやそっとじゃとれないだろう。
 あの、生臭い銅の混じったにおいは。

「………」

 オティアまで不審そうな顔してこっちを見てる。カンのいい子だ。俺が常ならぬ者に触れたとおぼろげに悟ったのだろうか?

 ……なーんてな。
 今となっちゃ、あれが夢だったのか現実だったのか俺にもわかりゃしない。なるほど、シャツとジャケットはばっくり切り裂かれていた。が、体には傷一つ残っていないんだから。

「オティア!」
「呼んでるぞ、ほら」
「……ん……」

 ちらちらとこっちを振り返りながらキッチンに歩いていった。すぐ後をオーレがちょこまかと着いて行く。シエンがいないから、自分がその分手伝っているつもりらしい。
 
 
 ※ ※ ※ 
 
 
 夕飯のコーンブレッドを口に含んだ瞬間、あれっと思った。

「どうした?」
「あ、いや、レシピ変えたか?」
「ああ。ソフィアに教えてもらった」

 いつものぎっしりと密度の詰まったコーンブレッドじゃない。しっとりとしてふわふわと柔らかくて口に入れた瞬間、ほろりとくずれる。
 歯ごたえは劣るが、とにかく食べやすい。

「ベーキングパウダーと重曹半分ずつ混ぜて。コーンミールの割合を減らしたんだ」
「そうか……」

 何のためにそんなことしたか、なんて聞くまでもなくすぐわかる。レオンはここんとこ毎日帰りが遅い。ちらっとしか顔合わせていないが、疲労の色が濃厚だ。

 オティアはオティアで微妙に精気に欠けていた。目の下にうっすら隈が浮いていたし、ディフの話じゃベッドじゃなくて書庫の床で寝ているらしい。

 2人に比べればシエンはまだ元気と言えなくもないが、それでも夕食の時間にはあまり顔を出さない。

 双子も、レオンも、程度こそ違うものの、何となくピリピリしてる。ぎりぎりまで張りつめて、いつプチっと行くかと傍で見ていて怖くて仕方ない。
 それでも、オティアは昨日までに比べればだいぶ、表情が柔らかくなったかな……。食事の量も増えている。無理に飲み込もうとしている気配が消えた。

 うん、よかった。

「おい、ヒウェル」
「何だい、まま」
「……何、にやついてる」
「べーっつーにぃい……って、おい、お前」
「ん?」

 ふさふさの赤い髪の毛が一房、細く三つ編みにされている。ちっちゃな手が編んだような、きっちりと細いお下げ髪がサイドに一本。

「どうしたんだ、それ」
「ああ……」

 三つ編みに軽く手を触れると、ディフはかすかに頬をそめて照れくさそうに笑った。

「昼間にちょっと、子守りをしてな」
「子守り?」
「うん。ヨーコとサリーの親類の子が遊びに来てたんだ。サリーのアパートに」
「その子に編まれたと」
「ああ。女の子が一人混じっててな」

 ぞわあっと皮膚の表面が泡立つ。今日の夕方出くわした、ちっぽけな魔女の顔がちらついた。

「まさか………赤い眼鏡かけてて、水色のスカートはいてる子じゃないよ……な?」
「知ってるのか?」
「ピンクのペンダント首にかけてて」
「ああ、弟とおそろいのやつをな」
 
 それ以上、確かめる勇気はなかった。

 夢と現実の境目なんざ、必ずしも明確に引く必要はない。あいまいのまま置いといた方がいいってこともあらぁな。
 そうだよ。
 それでいいじゃねえか。

 クリスマスだものな!
 
 
 ※ ※ ※
  
 
「ぐっ」 

 とろりとしたまどろみが不意に破られた。
 
 皮膚が焼ける。押し付けられた熱さと衝撃にうめいて目を開けると、そこは窓の塗りつぶされた虚ろな部屋だった。

(ここは……まさか……)

『そらそら、おねんねしてる暇はないぜ』
『反応が鈍くなってきたな』
『そろそろガソリンを追加してやるか』

 注射器がひらめく。針が刺さる。

(やめろ、そのクスリはもう嫌だ)

 闇色の手が伸びて来る。獣の臭いを滴らせて。

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 illustrated by Kasuri

 冷たいベッドの上で身をよじるが、手足に棘の生えた何かがしっかりと絡み付いていてびくともしない。逃げられない。服をはぎ取られ、容赦なく体中をまさぐられる。

 あの幸せな日々は夢、これが現実なのだ………恐怖が冷たい指を伸ばし心臓を握りつぶす。

『うれしいね。やっと願いがかなう』

(フレディ?)

 フレデリック・パリス。初めて警察官になった自分に全てを教えてくれた。命を救い、救われたこともあった。兄のように慕っていた男に最悪の形で裏切られた。

『ずっとお前をこうしてやりたかったんだよ……』

 執拗に髪をいじられ、音をたててしゃぶられた。嫌悪感に鳥肌が立ち、囁かれた言葉に心臓が凍り付く。顔を背けたがぐいと髪の毛をつかんで引き戻される。

「嘘……だ……っ」
『嘘じゃない』

 首筋を生暖かい舌が這いずり、皮膚の上を唾液が滴り落ちる。幾筋も。幾筋も。

『ええ、おめでたい奴だな。気づかなかったのか? どうして俺が赤毛の男や女を弄んでたと思う。逃げた女房の身代わりとでも思ったか? 違うね』

『全部お前のせいだよ。ずっとお前が欲しかったんだ……』

『お前を見てると否応無く火をつけられる。思い出しちまうんだよ。自分が男に欲情する男だってことをな!』

『まったくお前って奴は存在そのものが毒だな。髪をかき上げる仕草、飯の食べ方一つとっても震えがくるほどいやらしい。無防備に色気だだ流しにしやがって、そんなに男が欲しいのか?』

「ち……が……う」

『嘘をつくな。お望み通りにしてやるよ、そら、足を開きな』

「よせ……フレディっ!」
『愛してるぜ、マックス。お前はもう、俺のモノだ』
「ちがう! ちがう! ちがう!」

 犯しながら「愛してる」とささやく彼の言葉に偽りはない。
 逃れようの無い事実を突きつけられる。他のだれでもない、俺自身が彼を狂わせ、ここまで追い込んだ……。
 かろうじて自分を支えていた怒りが崩れ去り、底知れぬ悲しみが意識を塗りつぶす。
 左の首筋に顔が寄せられ、火傷の跡の薄くなった皮膚に歯が立てられる。

「ひっ、あ、あっ」
『俺一人じゃ物足りないんだろう……』

 ドアが開き、数人の男たちが入ってきた。ぎらつく視線が肌の上を這いずり回る。無防備な姿をさらけ出したまま、逃げることも体を隠すこともできない。

『滅多にない上玉だ。さあ、たっぷり可愛がってやれ』
「よせ! 触るな!」

 叫んだ声は全て闇に飲み込まれ、生臭い奔流にむせび、溺れる。悲鳴をあげることすら許されなかった。

(やめろ、やめろ、やめろっ)

 見知らぬ男たちに嬲られている間、地獄の快楽に身をよじり、あられもない声をあげ続けた。
 少しでも苦痛から逃れるため、命じられるまま男どもの一物を口に含み、舐めさえした。
 水色の瞳が全てを見つめている。食い入るように。ぎらぎらと得体の知れぬ光を宿して。

『こいつはいい。最高だ……』
『ああ、まったくいやらしい体だよ。そこらの娼婦なんざメじゃないな』
『たっぷり楽しませてもらおうじゃないか。ムショじゃ滅多にお目にかかれないぜ、こんな可愛いスケベ野郎はよ?』
『ローゼンベルクも果報者だな。そら、もっと腰を振れよ……そうだ、それでいい……ああ、たまんねぇな』

 自分が男に抱かれるのは相手がレオンだからだ。愛する人だからだ。そう信じていた。
 それが今、犯罪者どもに容赦なくねじ伏せられて。なす術も無く体をこじ開けられ、貫かれ、己の無力さを思い知らされる。

(嫌だ。こんなのは嫌だ!)

 屈辱のどん底で見ず知らずの男たちに犯されながらも悦びに震え、快楽にもだえ狂う自分に絶望する。

「も……や……め……」
『遠慮するな』
『もっと欲しいんだろう?』
『ローゼンベルク一人じゃ物足りなかったんじゃないか?』
「ち……が……う……」
『口では何とでも言えるさ。カラダは正直だ。なあ、マックス?』
「あぐっ、う、ぐうっ」

 罵られ、嘲られ、踏みにじられて。汚辱にまみれ、それでも浅ましく生き延びた……愛する人にもう一度会いたい一心で。

「う……あ、あぁっ」

 ぼろぼろにしゃぶり尽くされ、床に崩れ落ちる。自分のものとも、男どもの放ったものともつかぬ濁った液にまみれて震えていると、ふと人の気配を感じた。
 
『ディフ』

 忘れもしない愛しい人の声を聞いた。一秒でいい、一瞬でいいからもう一度会いたいと願い続けた面影がそこに居た。

「……レオ……ン……」

 震える手を伸ばしたが、ぴしゃりと払われる。
 冷たい目で見下ろされた。形の良い唇が動く。熱の無い声で言われた。

『汚らわしい』

 最も恐れていた言葉だった。自分の中で何度も繰り返しこだましていた言葉。声にならない悲鳴が喉を裂き、目から血の涙が噴き出す。

『汚れきったその体で、どの面下げてローゼンベルクの前に出るつもりだ?』

 ぐいと髪の毛をつかんで引き倒される。

『もうお前は奴一人の可愛い恋人じゃないんだよ、ディフ』

 冷たい鉄の寝台にねじ伏せられ、うつぶせに張りつけにされた。背後からだれかがのしかかる。消毒薬の臭いに息が詰まる。

 そして背中に針が突き立てられた。

『ずうっとお前をこうしてやりたかったんだよ……」

「う、ぁ、あ、やめ……ろ……やめろ……っ!」
「ディフ!」


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