▼ 【ex8-9】対決!!
3体の魔女が地を蹴って宙に飛ぶ。岩山を飛び歩く山羊さながらに、3つの方向から襲いかかってきた。
「そこ!」
びしっと指差すサリーの指先から細い電光がほとばしり、真っ向から魔女の胸を貫いた。
「ギィヤアアア」
ばちばちと強烈な電撃に当てられ、青白い光に包まれて、魔女は苦悶の表情で身をよじる。
「あわ、あわわわ、しび、しびれるううう。このっ、キモノガール、よくもやったわねっ」
ずだぼろになりながらも角を振り立て、爪をひらめかせてサリーにつかみかかろうとした。
が。
「ガウ!」
子牛ほどもある狼が飛びかかり、のど笛にくらいつく。
天敵のひと噛みに山羊角の魔女は悶絶し、耳障りな絶叫を残して地に倒れた。
「グルルル……」
狼は容赦なく倒れた魔女にのしかかり、のどを締め上げる顎に力を入れた。ぽっかりと開いたうつろな目から黒い霧が二筋ゆらゆらと立ちのぼり、枯れ木のような指が空中をかきむしる。
「グゥワウ」
ぼきっと骨の砕ける音がして魔女の体が痙攣し、動かなくなった。
ピクリとも動かなくなった赤い塊から顔を上げる狼にサリーが呼びかける。
「ありがとう、ランドールさん」
狼の足下には、ランドールがさっきまで身につけていた衣服が抜け殻のようにそっくり脱げ落ちていた。
「……また、脱げちゃったんだ………」
「キュウン」
きまり悪そうに耳を伏せ、ぱたぱたと尻尾を振った。
仲間が倒れるのを見るや、魔女の一人は角を振り立てて頭から突っ込んできた。
「よーっくも妹をやったわねっ! アンタらちょームカつくーっ」
ドカカカカッ!
横合いから手裏剣が飛んできて、魔女の体に縦一列に突き立った。
「ひぎっ」
勢いがそがれたところに風見が切り掛かる。赤い衣に包まれた胴体を、無造作にも見える太刀筋でざっと一なぎ。問答無用、電光石火、横一文字に切り捨てた。
傷口からおびただしい黒い霧が吹き出し、魔女はカサカサに乾涸びて倒れ伏す。
「風神流居合…『風断ち』(かぜたち)」
ぱちりと刀を収めると風見は顔をほころばせて相棒を見上げ、ぐっと拳を握り親指を立てた。
「さんきゅ、ロイ!」
「グッジョブでござる、コウイチ!」
白い歯をきらめかせて金髪ニンジャは爽やかにサムズアップを返した。
「くぅう、こいつら、強い、強いよ……」
最後に残った一体は無駄にぴょんぴょんとそこらを跳ね回っている。隙をうかがっているのか、あるいは単にうろたえているのか。
「どうやら、残ったのはあなただけみたいね」
跳ね回る魔女に向かってヨーコがびしっと人差し指をつきつけた。
「いたいけな子どもに取り憑き、あまつさえその家族すら毒牙にかけんともくろむとは断じて許しがたし。結城神社の名にかけて、きちっとお祓いしてさしあげるわ!」
「よーこさん、よーこさん」
「何、サクヤちゃん?」
「そう言うときって神様のお名前をあげるのが筋ってもんじゃないかなあ」
「………タケミキャヅチ………タケミカジュチ………タケミ」
「はいはい、噛んじゃうのね」
「うん」
ちらっと山羊角の魔女はヨーコの様子をうかがった。
武器、持ってない。えらそうにしてるけど、あの嫌なビリビリする光も出さない。牙も爪もない。何より一番、小さい。
「こいつが一番弱い!」
高々と空中に跳ね上がり、一気に鋭角に突っ込んできた。
「角で引っ掛けてぇえええ、ざっくり血祭りぃいいいいいいいい!」
ヨーコは逃げない。避けようともしない。ただ右手をまっすぐに伸ばし、開いた手を握っただけ。
手のひらの中にチカっと銀色の光がひらめき、一瞬ではっきりした形になる。
二連式の銃身、ほとんど装飾のないシンプルな外観の中折れ式の小型拳銃。それはロイの祖父の用意してくれたものに比べるといささか古びていて、グリップの所に目立つ傷が一筋、斜めに走っていた。
「ぎ?」
慌てて魔女は方向転換を試みるが今更止まれる訳がない。
真っ正面から向き合った状態、至近距離でぴたりと狙いをつけられる。
BANG!
轟音一発ボツっと魔女の額に穴が空き、後頭部に銃弾が突き抜ける。
頭を射ち抜かれ、衝撃でもんどりうって倒れた体からじゅわじゅわと黒い霧が立ちのぼった。
「……当たりに来てくれてありがとう」
にやりと笑うとヨーコはくるりと銃をスピンさせ、元の場所へと戻した。
はるか日本の自分の部屋の、秘密の隠し場所へ………夢の中では、物理的な距離は関係ないのだ。
魔女は倒れた。
しかし、彼女たちの残した悪夢の檻は未だに生きている。少年の心の闇に巣食い、なおもその根を伸ばして彼を絡み取ろうとしている。
「先生、オティアが!」
「いけない。あの子をこっちに誘導しなきゃ……」
乾涸びた影の根で編まれた檻の中に居る限り、彼の意識は漂い続ける。繰り返し再生される過去の陰惨な記憶の中を。
現に今、この瞬間もオティアの力を吸収し、ざわざわと地面の底から新たな羽虫の群れがわき出しつつあった。
「何か……安心できるイメージを……」
「わかった。ヨーコさん、手伝って」
「うん」
サリーとヨーコは寄り添い、手をとりあった。
風見とロイ、そして狼に変身したカルは二人の巫女を守るために進み出て、羽虫の群れを迎え撃つ。
「あの子が安心できる場所を……」
瞳を閉じて念じる。二人の記憶の中にある場所に意識を重ねて印象を呼び覚まし、思い浮かべる。
あの場所に何があっただろう。何が聞こえただろう。空気の質感、温度、ただようにおい、そこにいるはずの人たちの顔、声、気配。
淡い金色の光が重ねた手のひらから広がり、白い袖、緋色の袴がふわりと舞い上がる。
あたたかな空気の流れに沿って光の粒が細かく舞い散り、一つの部屋の形を成して行く。
どっしりした木の食卓。北欧産のオーダーメイドの一点もの、材料はウォールナットの無垢材。
キッチンと食堂の間はオープン式のカウンターで区切られ、台所からはあたたかな湯気が漂って来る。
食卓の上には食器と皿が並べられ、誰かが来るのを待っていた。
その間にも羽虫の群れがうなりを立てて押し寄せていた。明らかに焦っていた。後から後からわき出し、数を頼みになりふり構わず二人を止めようとしていた。
しかし捨て身の攻撃も閃く太刀と正確無比に射たれる手裏剣、力強い牙と爪に削ぎ取られ、阻まれる。
サリーが目を開き、少年の名前を呼んだ。
「オティア!」
ぴくりと少年が身を震わせた。
「おいで、オティア」
きょろきょろと周囲を見回し、立ち上がった……ごく自然な動きで。夢魔の編んだ影の檻が、ばらばらにほどけて崩れ落ちる。だが、まだ完全には消えていない。
地面の上で芋虫のようにのたうち回りながらオティアめがけて這いよろうとしていた。
急がないと……
「オティア!」
(オティア)
「オティア!」
(オティア)
鈴を振るようなサリーの声にもう一つ、だれかの声が重なり響く。よく通るバリトン、だが名前を構成する音の一つ一つにまで包み込むような温かさがにじむ。
「オティア」
(オティア!)
オティアが歩き出した。
最初はぎこちなくゆっくりと。
檻の名残りが弱々しく足首に絡み付いた。
「オティア!」
(オティア!)
すっと一歩、迷いのない動きで前に出る。まとわりつく檻の名残りを苦もなく振り切って、ふわふわと寄り添い飛び回る白い光を従えて。
一歩、また一歩と着実に早さを増し、まっすぐに歩いて来る。
食卓に向かって。
もう少し………。
(オティア!)
食卓にたどり着くと、彼は迷わず椅子の一つに向かって歩いて行く。そこは彼のために用意された場所だった。
いつでも彼を迎え入れてくれる。
わずかに。
ほんのわずかにオティアの顔がほころんだ。それは、こわばりが抜けた程度のささやかな変化でしかなかったけれど……。
その瞬間、秋の日だまりにも似た柔らかな金色の翼が広がり、少年を迎え入れた。
オティアの姿が変わって行く。さっきまでやせ衰え、ぼろぼろの薄い服をまとっただけだったが今は見違えるようにふっくらして……あたたかそうな青いセーターを着ていた。
(お帰り)
ふわりと赤い髪がゆれ、だれかが笑いかけた。小さな白い光を抱きしめて、金色の翼に包まれて、オティアの姿は徐々に薄れ、食堂のイメージとともに光の中へととけ込んでいった。
同時に羽虫の群れの発生もようやく止まる。
ふう、と息を吐くとヨーコも目を開けた。
「……今の赤い髪の天使、投影したの誰?」
「……俺じゃないよ?」
「俺も、応戦で手一杯で」
「拙者もでござる」
「じゃあ……やっぱり呼ばれちゃってたんだ、彼」
「危なかったなあ……」
「ううぬぬぬぬぬ」
ロイが拳を握って身を震わせた。
「子を思う親心に付け込むたぁふてぇ野郎です。断固許すまじ!」
「ほんと、熱いなあ、ロイ」
※ ※ ※
はっとオティアは目を開けた。毛布にくるまれ、書庫の床の上で。胸元では真っ白な子猫がうずくまっている。そしてすぐそばにディフが膝をついてのぞきこんでいた。
「……ああ、起きたか。大丈夫か?」
「ん……」
そう言えば何となく呼ばれていたような気がする。でもあの声はディフだけじゃなかったような……。
ああ、なんだかものすごくだるい。
「心配したぞ。いつもは近づいただけで起きるのに、呼んでも目、さまさないから……」
ヘーゼルブラウンの瞳がじっと見下ろして来る。
のろのろとうなずく。
もう大丈夫だから。
今はただ、眠いだけだから。
ディフがうなずいた。
口に出すのもおっくうだったが、わかってくれたようだった。目を閉じて枕に顔をつける。体の上にもう一枚毛布がかけられた。
「……おやすみ」
何があってもディフは決して自分に危害を加えない。少しばかり過保護だけど着るものや食べるものの世話をしてくれるし、今の自分にとって信頼できる雇い主だ。
だから……安心して眠っていいのだと思った。
※ ※ ※ ※
一方、夢の中では一仕事終えたハンターたちが後片付けをしていた。あちこち夢魔に食い荒らされたオティアの夢を可能な限り修復し、そこ、ここにしつこくはびこる悪夢の根っこや羽虫どもの残党を取り除く。
さっきの戦闘に比べればいたって楽な作業だ。
自然と口数も増えてくる。
「ビビの弱点、一つ見つけたね。狼に弱いんだ」
「山羊ですからね」
「わう!」
「どうして今まで気づかれなかったのかな」
「うーん、狼って欧米ではよくないモノの役割振られてるからじゃないかな。狼憑きとか、人狼(ル・ガルー)とか」
「ああ、なるほど。どっちかって言うと憑く方なんだ」
「日本だと、逆に山の神様や憑き物落としの神獣だったりするんだけどね。三峰神社とか」
「大神と書いて『おおかみ』って読む説もありますしネ」
「そうなんだ」
「ほんとカルがいて助かったわ」
ランドールは二本足ですっくと立ち上がり、胸を張って爽やかに笑みかけた。
「光栄だよ、ヨーコ」
「カル…………」
にっこりほほ笑むと、ヨーコはついっと地面に散らばる黒マントその他衣類一式を指差した。
「着なさい」
「おっと」
いそいそと服を着るランドールから四人はそっと目をそらした。行儀良く、さりげなく。
「変身のたびに全部脱げちゃうのが難点ですよね」
「何度も練習したんだけどね……現実の感覚が抜けないらしくって」
「でも、確実に狼に変身できるんですよね」
「うん、あとコウモリに」
「さすがルーマニア系」
「カル、まーだぁ?」
「もう少し…………」
5人はまだ気づかない。倒したはずの魔女の姿がじわじわと変わっていることに。
確かに倒れたときは赤い衣を着た背の高い女だった。
しかしそれが今、縮んでねじくれ、別の形に変化している。長い首、細い四本の足、よれたあごひげ、二つに割れた蹄。節くれ立った角の生えた、黒い山羊へと……。
「よし、終わったよ」
ほっと安堵の息をつくと風見とロイ、サリーとヨーコはランドールに向き直った。まだちょっと襟元が乱れたり髪の毛がくしゃくしゃだったりしているが少なくとも服は着てくれた。
「OK、それじゃあたしたちも現実に戻ろうか………」
風が吹く。
ブーーーーーーーーーーーーーフゥウウウウウウウウウウウウウウウ………………
禍々しいうめき、生臭いにおいはさながら獣の息吹。
はっと身構える間もなく地面から真っ黒な紐状の何かが走り、3人の胸を貫いた。
「うっ」
「あうっ」
「くっ」
「サクヤさんっ。先生っ」
「Mr.ランドールっ?」
びっくん、とサリーとヨーコ、ランドールの体が痙攣する。
「しまった!」
駆け寄ろうとしたその刹那、目に見えるもの、触れるもの、聞こえる音、全てが形を失い、崩壊した。
※ ※ ※ ※
「う………」
凍えるような明け方の風。頭上でざわめく木々の枝。
まちがいない。ドリームアウト……強制的に夢からはじき出されてしまったらしい。舌の上にいやな苦みが。耳の奥に鈍い衝撃が残っている。
「コウイチ……大丈夫?」
「ああ。平気だ……これしき……」
風見とロイは互いに支え合い、立ち上がった。
木を中央に、東西南北四方に盛ったはずの塩がべちょべちょに溶けてしまっている。
「結界が消失しちゃったんだ……」
「だから放り出されたんだネ」
自分の意志で抜け出したときと違って感覚の切り替えが上手く行かない。音も、視界も、触覚も、薄紙を挟んだようにどこかぎこちなく、遠い。
「そうだ! 羊子先生! サクヤさん! ランドールさん!」
夢の終わる間際、影に貫かれた三人の姿が脳裏に蘇る。
「先生! どこですか、先生!」
「かざみ……?」
灌木の茂みの向こうでよれよれと、だれかが起き上がる気配がした。
「先生っ」
「ご無事だったんですネっ」
「ロイ。お前も無事だったか!」
おかしい。確かに先生の声だけど、何だか、妙に……甲高い。裏声? こんな時に?
「あーったくあの魔女め、やってくれるよ……」
がさがさと枝葉がかき分けられ、にゅっと声の主が顔を出した。
「よーこ……せん……せい?」
「どうした。二人とも妙に背がのびたな」
「いや、そうじゃなくて」
「先生が………」
「ええっ?」
ヨーコは両手でばたばたと自分の体をなで回した。つるりん、ぺたん。って言うか腕短くなってない? え、え、え? この手は何。
むっちりした子どもの手……。
あ、動いた。
やっぱり、これ、あたしの手?
「まさか……そんな、まさか………」
「先生が、ちっちゃくなっちゃってる」
「ええーーーーーーーーーーっ」
結城羊子は子どもに戻っていた。せいぜい小学校低学年、下手すりゃまだ幼稚園かもしれない。水色のベルベットのジャンパースカートに白いタートルネックのセーター、赤い靴。この服、見覚えがある。
ちっちゃい頃お気に入りだった……。
(やられた!)
「さ……さくやちゃん? カル?」
震える声で名前を呼ぶ。自分と同じ様に影に射たれた二人を。
がさがさと茂みをかき分け、だれかが出てきた。
くせのある黒髪にネイビーブルーの瞳の男の子と、くりっとした瞳にほっそりした手足、自分そっくりの男の子。
「よーこちゃん」
「サクヤちゃん」
ぱちぱちとサリーがまばたきし、すがりついてきた。
「だ……だいじょうぶ。だいじょうぶだからね」
抱きしめてぱたぱたと背中を撫でた。カルが不安そうにこっちを見てる。手をのばすと、両手でぎゅっと握ってきた。
「だい……じょうぶ………だから………」
声がふるえる。精一杯握り返してるはずなのに、笑っちゃうくらい力が入らない。これじゃ銃なんて射てやしない。
教え子たちはおろか、自分の身さえ守れない!
どうしよう。
泣きそうだ………。
東の空がうっすらと白くなってゆく。じきに陽が昇るだろう。だが……。
風見はかすれた声でつぶやいた。
「何てこった……3人とも、子どもにされちゃったんだ…………」
じっとりと冷たい汗が額ににじむ。
小さなヨーコと小さなサリー、そしてやっぱり小さなランドール。
ついさっきまで自分たちを導いてくれた人たちが、途方に暮れた瞳で見上げて来る。しっかり手を握り合い、おびえる小動物のようにぴったりと身を寄せ合って。
悪夢はまだ、終わらない。
(to be continued…………)
後編へ→【ex8】桑港悪夢狩り紀行(後編)
「そこ!」
びしっと指差すサリーの指先から細い電光がほとばしり、真っ向から魔女の胸を貫いた。
「ギィヤアアア」
ばちばちと強烈な電撃に当てられ、青白い光に包まれて、魔女は苦悶の表情で身をよじる。
「あわ、あわわわ、しび、しびれるううう。このっ、キモノガール、よくもやったわねっ」
ずだぼろになりながらも角を振り立て、爪をひらめかせてサリーにつかみかかろうとした。
が。
「ガウ!」
子牛ほどもある狼が飛びかかり、のど笛にくらいつく。
天敵のひと噛みに山羊角の魔女は悶絶し、耳障りな絶叫を残して地に倒れた。
「グルルル……」
狼は容赦なく倒れた魔女にのしかかり、のどを締め上げる顎に力を入れた。ぽっかりと開いたうつろな目から黒い霧が二筋ゆらゆらと立ちのぼり、枯れ木のような指が空中をかきむしる。
「グゥワウ」
ぼきっと骨の砕ける音がして魔女の体が痙攣し、動かなくなった。
ピクリとも動かなくなった赤い塊から顔を上げる狼にサリーが呼びかける。
「ありがとう、ランドールさん」
狼の足下には、ランドールがさっきまで身につけていた衣服が抜け殻のようにそっくり脱げ落ちていた。
「……また、脱げちゃったんだ………」
「キュウン」
きまり悪そうに耳を伏せ、ぱたぱたと尻尾を振った。
仲間が倒れるのを見るや、魔女の一人は角を振り立てて頭から突っ込んできた。
「よーっくも妹をやったわねっ! アンタらちょームカつくーっ」
ドカカカカッ!
横合いから手裏剣が飛んできて、魔女の体に縦一列に突き立った。
「ひぎっ」
勢いがそがれたところに風見が切り掛かる。赤い衣に包まれた胴体を、無造作にも見える太刀筋でざっと一なぎ。問答無用、電光石火、横一文字に切り捨てた。
傷口からおびただしい黒い霧が吹き出し、魔女はカサカサに乾涸びて倒れ伏す。
「風神流居合…『風断ち』(かぜたち)」
ぱちりと刀を収めると風見は顔をほころばせて相棒を見上げ、ぐっと拳を握り親指を立てた。
「さんきゅ、ロイ!」
「グッジョブでござる、コウイチ!」
白い歯をきらめかせて金髪ニンジャは爽やかにサムズアップを返した。
「くぅう、こいつら、強い、強いよ……」
最後に残った一体は無駄にぴょんぴょんとそこらを跳ね回っている。隙をうかがっているのか、あるいは単にうろたえているのか。
「どうやら、残ったのはあなただけみたいね」
跳ね回る魔女に向かってヨーコがびしっと人差し指をつきつけた。
「いたいけな子どもに取り憑き、あまつさえその家族すら毒牙にかけんともくろむとは断じて許しがたし。結城神社の名にかけて、きちっとお祓いしてさしあげるわ!」
「よーこさん、よーこさん」
「何、サクヤちゃん?」
「そう言うときって神様のお名前をあげるのが筋ってもんじゃないかなあ」
「………タケミキャヅチ………タケミカジュチ………タケミ」
「はいはい、噛んじゃうのね」
「うん」
ちらっと山羊角の魔女はヨーコの様子をうかがった。
武器、持ってない。えらそうにしてるけど、あの嫌なビリビリする光も出さない。牙も爪もない。何より一番、小さい。
「こいつが一番弱い!」
高々と空中に跳ね上がり、一気に鋭角に突っ込んできた。
「角で引っ掛けてぇえええ、ざっくり血祭りぃいいいいいいいい!」
ヨーコは逃げない。避けようともしない。ただ右手をまっすぐに伸ばし、開いた手を握っただけ。
手のひらの中にチカっと銀色の光がひらめき、一瞬ではっきりした形になる。
二連式の銃身、ほとんど装飾のないシンプルな外観の中折れ式の小型拳銃。それはロイの祖父の用意してくれたものに比べるといささか古びていて、グリップの所に目立つ傷が一筋、斜めに走っていた。
「ぎ?」
慌てて魔女は方向転換を試みるが今更止まれる訳がない。
真っ正面から向き合った状態、至近距離でぴたりと狙いをつけられる。
BANG!
轟音一発ボツっと魔女の額に穴が空き、後頭部に銃弾が突き抜ける。
頭を射ち抜かれ、衝撃でもんどりうって倒れた体からじゅわじゅわと黒い霧が立ちのぼった。
「……当たりに来てくれてありがとう」
にやりと笑うとヨーコはくるりと銃をスピンさせ、元の場所へと戻した。
はるか日本の自分の部屋の、秘密の隠し場所へ………夢の中では、物理的な距離は関係ないのだ。
魔女は倒れた。
しかし、彼女たちの残した悪夢の檻は未だに生きている。少年の心の闇に巣食い、なおもその根を伸ばして彼を絡み取ろうとしている。
「先生、オティアが!」
「いけない。あの子をこっちに誘導しなきゃ……」
乾涸びた影の根で編まれた檻の中に居る限り、彼の意識は漂い続ける。繰り返し再生される過去の陰惨な記憶の中を。
現に今、この瞬間もオティアの力を吸収し、ざわざわと地面の底から新たな羽虫の群れがわき出しつつあった。
「何か……安心できるイメージを……」
「わかった。ヨーコさん、手伝って」
「うん」
サリーとヨーコは寄り添い、手をとりあった。
風見とロイ、そして狼に変身したカルは二人の巫女を守るために進み出て、羽虫の群れを迎え撃つ。
「あの子が安心できる場所を……」
瞳を閉じて念じる。二人の記憶の中にある場所に意識を重ねて印象を呼び覚まし、思い浮かべる。
あの場所に何があっただろう。何が聞こえただろう。空気の質感、温度、ただようにおい、そこにいるはずの人たちの顔、声、気配。
淡い金色の光が重ねた手のひらから広がり、白い袖、緋色の袴がふわりと舞い上がる。
あたたかな空気の流れに沿って光の粒が細かく舞い散り、一つの部屋の形を成して行く。
どっしりした木の食卓。北欧産のオーダーメイドの一点もの、材料はウォールナットの無垢材。
キッチンと食堂の間はオープン式のカウンターで区切られ、台所からはあたたかな湯気が漂って来る。
食卓の上には食器と皿が並べられ、誰かが来るのを待っていた。
その間にも羽虫の群れがうなりを立てて押し寄せていた。明らかに焦っていた。後から後からわき出し、数を頼みになりふり構わず二人を止めようとしていた。
しかし捨て身の攻撃も閃く太刀と正確無比に射たれる手裏剣、力強い牙と爪に削ぎ取られ、阻まれる。
サリーが目を開き、少年の名前を呼んだ。
「オティア!」
ぴくりと少年が身を震わせた。
「おいで、オティア」
きょろきょろと周囲を見回し、立ち上がった……ごく自然な動きで。夢魔の編んだ影の檻が、ばらばらにほどけて崩れ落ちる。だが、まだ完全には消えていない。
地面の上で芋虫のようにのたうち回りながらオティアめがけて這いよろうとしていた。
急がないと……
「オティア!」
(オティア)
「オティア!」
(オティア)
鈴を振るようなサリーの声にもう一つ、だれかの声が重なり響く。よく通るバリトン、だが名前を構成する音の一つ一つにまで包み込むような温かさがにじむ。
「オティア」
(オティア!)
オティアが歩き出した。
最初はぎこちなくゆっくりと。
檻の名残りが弱々しく足首に絡み付いた。
「オティア!」
(オティア!)
すっと一歩、迷いのない動きで前に出る。まとわりつく檻の名残りを苦もなく振り切って、ふわふわと寄り添い飛び回る白い光を従えて。
一歩、また一歩と着実に早さを増し、まっすぐに歩いて来る。
食卓に向かって。
もう少し………。
(オティア!)
食卓にたどり着くと、彼は迷わず椅子の一つに向かって歩いて行く。そこは彼のために用意された場所だった。
いつでも彼を迎え入れてくれる。
わずかに。
ほんのわずかにオティアの顔がほころんだ。それは、こわばりが抜けた程度のささやかな変化でしかなかったけれど……。
その瞬間、秋の日だまりにも似た柔らかな金色の翼が広がり、少年を迎え入れた。
オティアの姿が変わって行く。さっきまでやせ衰え、ぼろぼろの薄い服をまとっただけだったが今は見違えるようにふっくらして……あたたかそうな青いセーターを着ていた。
(お帰り)
ふわりと赤い髪がゆれ、だれかが笑いかけた。小さな白い光を抱きしめて、金色の翼に包まれて、オティアの姿は徐々に薄れ、食堂のイメージとともに光の中へととけ込んでいった。
同時に羽虫の群れの発生もようやく止まる。
ふう、と息を吐くとヨーコも目を開けた。
「……今の赤い髪の天使、投影したの誰?」
「……俺じゃないよ?」
「俺も、応戦で手一杯で」
「拙者もでござる」
「じゃあ……やっぱり呼ばれちゃってたんだ、彼」
「危なかったなあ……」
「ううぬぬぬぬぬ」
ロイが拳を握って身を震わせた。
「子を思う親心に付け込むたぁふてぇ野郎です。断固許すまじ!」
「ほんと、熱いなあ、ロイ」
※ ※ ※
はっとオティアは目を開けた。毛布にくるまれ、書庫の床の上で。胸元では真っ白な子猫がうずくまっている。そしてすぐそばにディフが膝をついてのぞきこんでいた。
「……ああ、起きたか。大丈夫か?」
「ん……」
そう言えば何となく呼ばれていたような気がする。でもあの声はディフだけじゃなかったような……。
ああ、なんだかものすごくだるい。
「心配したぞ。いつもは近づいただけで起きるのに、呼んでも目、さまさないから……」
ヘーゼルブラウンの瞳がじっと見下ろして来る。
のろのろとうなずく。
もう大丈夫だから。
今はただ、眠いだけだから。
ディフがうなずいた。
口に出すのもおっくうだったが、わかってくれたようだった。目を閉じて枕に顔をつける。体の上にもう一枚毛布がかけられた。
「……おやすみ」
何があってもディフは決して自分に危害を加えない。少しばかり過保護だけど着るものや食べるものの世話をしてくれるし、今の自分にとって信頼できる雇い主だ。
だから……安心して眠っていいのだと思った。
※ ※ ※ ※
一方、夢の中では一仕事終えたハンターたちが後片付けをしていた。あちこち夢魔に食い荒らされたオティアの夢を可能な限り修復し、そこ、ここにしつこくはびこる悪夢の根っこや羽虫どもの残党を取り除く。
さっきの戦闘に比べればいたって楽な作業だ。
自然と口数も増えてくる。
「ビビの弱点、一つ見つけたね。狼に弱いんだ」
「山羊ですからね」
「わう!」
「どうして今まで気づかれなかったのかな」
「うーん、狼って欧米ではよくないモノの役割振られてるからじゃないかな。狼憑きとか、人狼(ル・ガルー)とか」
「ああ、なるほど。どっちかって言うと憑く方なんだ」
「日本だと、逆に山の神様や憑き物落としの神獣だったりするんだけどね。三峰神社とか」
「大神と書いて『おおかみ』って読む説もありますしネ」
「そうなんだ」
「ほんとカルがいて助かったわ」
ランドールは二本足ですっくと立ち上がり、胸を張って爽やかに笑みかけた。
「光栄だよ、ヨーコ」
「カル…………」
にっこりほほ笑むと、ヨーコはついっと地面に散らばる黒マントその他衣類一式を指差した。
「着なさい」
「おっと」
いそいそと服を着るランドールから四人はそっと目をそらした。行儀良く、さりげなく。
「変身のたびに全部脱げちゃうのが難点ですよね」
「何度も練習したんだけどね……現実の感覚が抜けないらしくって」
「でも、確実に狼に変身できるんですよね」
「うん、あとコウモリに」
「さすがルーマニア系」
「カル、まーだぁ?」
「もう少し…………」
5人はまだ気づかない。倒したはずの魔女の姿がじわじわと変わっていることに。
確かに倒れたときは赤い衣を着た背の高い女だった。
しかしそれが今、縮んでねじくれ、別の形に変化している。長い首、細い四本の足、よれたあごひげ、二つに割れた蹄。節くれ立った角の生えた、黒い山羊へと……。
「よし、終わったよ」
ほっと安堵の息をつくと風見とロイ、サリーとヨーコはランドールに向き直った。まだちょっと襟元が乱れたり髪の毛がくしゃくしゃだったりしているが少なくとも服は着てくれた。
「OK、それじゃあたしたちも現実に戻ろうか………」
風が吹く。
ブーーーーーーーーーーーーーフゥウウウウウウウウウウウウウウウ………………
禍々しいうめき、生臭いにおいはさながら獣の息吹。
はっと身構える間もなく地面から真っ黒な紐状の何かが走り、3人の胸を貫いた。
「うっ」
「あうっ」
「くっ」
「サクヤさんっ。先生っ」
「Mr.ランドールっ?」
びっくん、とサリーとヨーコ、ランドールの体が痙攣する。
「しまった!」
駆け寄ろうとしたその刹那、目に見えるもの、触れるもの、聞こえる音、全てが形を失い、崩壊した。
※ ※ ※ ※
「う………」
凍えるような明け方の風。頭上でざわめく木々の枝。
まちがいない。ドリームアウト……強制的に夢からはじき出されてしまったらしい。舌の上にいやな苦みが。耳の奥に鈍い衝撃が残っている。
「コウイチ……大丈夫?」
「ああ。平気だ……これしき……」
風見とロイは互いに支え合い、立ち上がった。
木を中央に、東西南北四方に盛ったはずの塩がべちょべちょに溶けてしまっている。
「結界が消失しちゃったんだ……」
「だから放り出されたんだネ」
自分の意志で抜け出したときと違って感覚の切り替えが上手く行かない。音も、視界も、触覚も、薄紙を挟んだようにどこかぎこちなく、遠い。
「そうだ! 羊子先生! サクヤさん! ランドールさん!」
夢の終わる間際、影に貫かれた三人の姿が脳裏に蘇る。
「先生! どこですか、先生!」
「かざみ……?」
灌木の茂みの向こうでよれよれと、だれかが起き上がる気配がした。
「先生っ」
「ご無事だったんですネっ」
「ロイ。お前も無事だったか!」
おかしい。確かに先生の声だけど、何だか、妙に……甲高い。裏声? こんな時に?
「あーったくあの魔女め、やってくれるよ……」
がさがさと枝葉がかき分けられ、にゅっと声の主が顔を出した。
「よーこ……せん……せい?」
「どうした。二人とも妙に背がのびたな」
「いや、そうじゃなくて」
「先生が………」
「ええっ?」
ヨーコは両手でばたばたと自分の体をなで回した。つるりん、ぺたん。って言うか腕短くなってない? え、え、え? この手は何。
むっちりした子どもの手……。
あ、動いた。
やっぱり、これ、あたしの手?
「まさか……そんな、まさか………」
「先生が、ちっちゃくなっちゃってる」
「ええーーーーーーーーーーっ」
結城羊子は子どもに戻っていた。せいぜい小学校低学年、下手すりゃまだ幼稚園かもしれない。水色のベルベットのジャンパースカートに白いタートルネックのセーター、赤い靴。この服、見覚えがある。
ちっちゃい頃お気に入りだった……。
(やられた!)
「さ……さくやちゃん? カル?」
震える声で名前を呼ぶ。自分と同じ様に影に射たれた二人を。
がさがさと茂みをかき分け、だれかが出てきた。
くせのある黒髪にネイビーブルーの瞳の男の子と、くりっとした瞳にほっそりした手足、自分そっくりの男の子。
「よーこちゃん」
「サクヤちゃん」
ぱちぱちとサリーがまばたきし、すがりついてきた。
「だ……だいじょうぶ。だいじょうぶだからね」
抱きしめてぱたぱたと背中を撫でた。カルが不安そうにこっちを見てる。手をのばすと、両手でぎゅっと握ってきた。
「だい……じょうぶ………だから………」
声がふるえる。精一杯握り返してるはずなのに、笑っちゃうくらい力が入らない。これじゃ銃なんて射てやしない。
教え子たちはおろか、自分の身さえ守れない!
どうしよう。
泣きそうだ………。
東の空がうっすらと白くなってゆく。じきに陽が昇るだろう。だが……。
風見はかすれた声でつぶやいた。
「何てこった……3人とも、子どもにされちゃったんだ…………」
じっとりと冷たい汗が額ににじむ。
小さなヨーコと小さなサリー、そしてやっぱり小さなランドール。
ついさっきまで自分たちを導いてくれた人たちが、途方に暮れた瞳で見上げて来る。しっかり手を握り合い、おびえる小動物のようにぴったりと身を寄せ合って。
悪夢はまだ、終わらない。
(to be continued…………)
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