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ローゼンベルク家の食卓

【ex8-16】ままとテリーとお子様と

2009/02/03 18:59 番外十海
 サリーのアパートに行ったら駐車場で見覚えのある奴と出会った。

「よう、所長さん」

 以前、サリーと一緒に事務所に来たことがある。大学の友人で確か名前は……

「テリーか」
「そう、テリオス・ノースウッド。サリーんとこ行くのか?」
「ああ」

 ごく自然に階段を上って呼び鈴を押したらコウイチとロイが居た。手間が省けた、これならヨーコにも会えるなと思ったんだが。

「ヨーコ先生とサクヤさんは今、おでかけ中です」
「実は、親類が……遊びに来てて、シスコを案内してるんです」

 そいつは残念。ジンジャークッキー焼いたからお裾分け……ってのは大義名分だ。本当はいろいろ話したいことがあったんだけどな。
 留守じゃ仕方ない。また出直すか。

 部屋に居たのはコウイチとロイだけではなかった。男の子が2人に女の子が1人、ちっちゃな子どもがころころ3人。しかも腹をすかせていた。
 で、テリーと一緒にベビーシッターを買って出て、高校生2人を送り出したんだが。
 飯食ったら本来のパワーを取り戻したらしい。
 ちっちゃい子どもってのは動物並みの行動力だ。背中によじ上るわ、髪の毛ひっぱるわ……ほとんどオーレと同レベル。

「カルのえっち! へんたい!」
「ヘンタイ? わたしが………ヘンタイ?」

 挙げ句、ちょいとしたアクシデントが発生し、ちっちゃなヨーコが大むくれ、カル坊やはずどーんと落ちこみ再起不能。ちっちゃなサクヤはおろおろ。実に何って言うか、個性的な子どもたちだ。
 テリーと相談して気分転換に近くの公園に連れ出すことにした。

 公園に着くなり子どもらはころっと機嫌を直してくれた。
 ヨーコは目を輝かせて木に上り、カルはしばらく花壇の花や木を眺めていたと思ったらふっと姿を消しちまった。あわてて探すと、茶色のズボンを履いたちっちゃな尻と茶色のブーツが植え込みの下でもぞもぞ動いていた。

「あいつ、いつの間にっ」

 ズボンのベルトをひっつかんで引きずり出す。髪の毛をくしゃくしゃにしてふくれっつらで見上げてきた。

「じっとしてろ」

 そ知らぬふりして髪の毛や服にくっついた木の枝や枯れ葉を注意深く取り除く。くりくりとくせのある髪の毛をひっぱらないように。上質なコートにかぎ裂きを作らぬように、細心の注意を払って。
 
「よし、全部とれた」
「………ありがとう」
「どういたしまして」

 まだ微妙に不満げだがとにかく礼は言ったか。親御さんがしっかりした躾をしてるんだろうな。

「よーこちゃーん」
「やっほー、サクヤちゃーん」

 その間にちっちゃなヨーコはだいぶ高い所まで上っていた。サクヤが木の幹に手をついて心配そうに見上げている。テリーはさりげなく根元に立って身構えている。万が一落ちそうになったら、いつでも受け止められるように。
 俺の目線を追いかけたか。カル坊やはそっちを見るなり、血相を変えた。

「ヨーコっ! 君と言う人は、レディがスカートで木登りなんてはしたない!」
「だいじょーぶ、慣れてるからー」
「そう言う問題じゃない! 早く降りたまえ!」

 おやおや。中々にいっぱしのことを言うじゃないか、このちっちゃな紳士は。当のレディはまったく気にする風もなく、楽しそうに手なんか振っていらっしゃる。
 ちっちゃなサクヤは相変わらずおどおどしてる。お姉ちゃんにひっついてないと心細いんだろうな。
 
「わー、ゴールデンゲートブリッジが見えるー」
「ヨーコっ!」
「カルも来れば? 気持ちいいよ……っ!」

 はっとヨーコが表情を引き締める。見るとサクヤが声も出さずに硬直し、目の前の草むらを見つめていた。何事かと思えばバッタが一匹、日当りのいい草の上で足をもぞもぞさせている。もしかしてこの子、虫が苦手なのか?
 そう思った瞬間、すたん、と目の前にヨーコが降ってきた……いや、飛び降りてきたと言うべきか?
 首にかけた鈴が澄んだ音をたてる。

「わ」

 素早くバッタをひっつかみ、ぽいっと遠くに投げ捨てると、ぱんぱんと手を払って立ち上がった。

「よーこちゃん………」

 くりっとした目に涙をいっぱいにじませて、サクヤは今にも泣きそうな顔でヨーコにしがみついた。

「もう大丈夫だからね」
「うん……うん……」

 ちっちゃなヨーコはサクヤをだきしめて頭を撫でている。よく見ると、頭を撫でているのはちゃんとさっきバッタをつかんだのとは逆の手なのだった。


「…………………」
「どうした、ディフ?」
「あ、ああ、今、ヨーコがいるような気がして」
「この子だろ? 字ぃ違うけど」
「いや……俺の同級生の方の」
「親戚だから似てるんだろ」
「そうか……そうだな」

 まるっきり、飯作ってるときとは逆のパターンだな……。

「ほんと、こいつら顔もそっくりだよなー。って俺日本人の顔っていまいち見分けつかねぇ」
「ただでさえサリーとヨーコはそっくりだからな。子どもの頃はこんな感じだったんだろう……ほとんど双子だ」

 ちっちゃなヨーコはポケットからティッシュを出してサクヤの涙をふき、鼻をかませている。いかにも慣れた動作だった。
 その姿を見守りつつテリーがしみじみ言った。

「なんだか懐かしいな、以前は毎日こうやってガキどもの面倒みてた」
「……そんな感じがした。兄弟、多いのか?」
「上下あわせて30人ぐらいかな」
「………大家族だな」

 その言葉でそれとなく彼の育った環境を察することができた。

「ああ、両親が物好きなひとでね。もうけっこうな年なんだけど何年かおきに一人里子を連れてくるんだ。育ったら順番に”卒業”してくのさ。だから兄弟がたくさんできた」

 オティアとシエンと暮らすようになってから、里親(フォスターペアレンツ)の実情について知る機会が増えた。自分から情報を集めるようにもなった。
 1人か2人の里子を引き取り、普通に家庭の中で育てる人もいれば、5人から6人の子どもを手元に置いて小規模のグループで育てる人もいる。
 テリーを育てた両親は後者なのだろう。

「すごいな。尊敬に値する」

 テリーと並んで芝生に腰を降ろす。サクヤはバッタがいやしないかとびくびく見回してるので手招きして膝に乗せた。
 ちっぽけなあったかい体がとすんと乗っかってくる。

「……………………俺は……………二人でさえちゃんとこの手で受け止められずにおろおろしてるのにな……」
「そうだなぁ……母さんに言わせると、ダメなことはダメって教える。危険な時だけ叱る。他は何をしてても大丈夫、なんだそうだけどね」
「ダメなことは……ダメ、か」

 軽く拳をにぎって口もとに手を当てる。

「…それが正解なんだろうな……君を見てるとわかるよ。気持ちよくまっすぐに育ってる」
「ああでも、物壊したら自分で修理させられたよ。買い換えが大抵はできないから」
「しっかりしてるな。いいおふくろさんだ」
「ああ、感謝してる。今は卒業生になっちまったから兄貴と住んでるけど、時々ちびどもの顔見にいくんだ」
「卒業、か……」

 サクヤの頭を撫でる。この手の中に今ある小さな温もりも、いつかは離れる。頭では理解していたが、実際に里親の元を巣立った青年が目の前にいるのだと思うと……よりリアルな実感を伴ってひしひしと胸に迫ってくる。
 空っぽになった双子の部屋を思い描いてしまう。

「あの子たちもいつかは卒業するんだろうな……」

 言葉にした瞬間、不覚にも目がうるんだ。慌ててまばたきして紛らわせる。

「あの双子」
「うん?」
「いや。なんかスポーツさせるといいんじゃねぇかな」
「あ……そう言えば……ほとんど体動かしてない……な……休みも家にとじこもりっきりだし……そろそろ野外スケートリンク、始まってたか?」
「やってるよ」
「連れてってみるか。外の空気に当たるだけでもいいし」
「ああ。悩んでる時は身体動かすのが1番だ」
「……うん。ありがとな、テリー」

 背後からよじ上ってる奴がいる。多分、カルだ。ほんと、オーレと同じレベルなんだなあ、ちっちゃい子ってのは。

「……オティアが……な……ここんとこずっと書庫で寝てるんだ……夜。布団と枕を持ち込んで。誰にも見つかりたくないのか。隠れてるのかと思ったんだ……」
「ふぅん、狭いところのほうが落ち着くって子供はいるからなぁ」
「ああ……ちゃんと飼ってる猫が出入りできるようにドアは細く開けてあったし……それに、思い出したんだ」
「何を?」
「書庫は俺も使うって、前にあいつに言った。置いてあるの、ほとんど俺の本なんだ」

 両方の肩からにゅっと茶色いブーツをはいた足が突き出される。片手を添えて体を支えた。髪の毛はひっぱってくれるな、カル。

「………何てぇか、ほとんど気休めってぇか自己満足みたいなもんだが……少なくとも拒まれているのではないって、思うことにした」
「本当に隠れる気なら人のこないところにする」
「そうだな」

 くい、と髪の毛が軽く引っ張られる。首をひねるとヨーコがせっせと手を動かしていた。

「……ヨーコ……俺の髪いじるのそんなに楽しいか?」
「たのしい」

 一心不乱に三つ編みにしてる。器用だなあ……さすが女の子だ。

「なあ、ディフ」
「ん?」
「そんなに心配いらない気がする、それは。ベッドで寝ないのは……」
「うん」
「サクヤがちょっと前に、眠れてないみたいだって言ってたと思うんだが。今はちゃんと寝てるんだろう、部屋移って」
「ああ。眠ってる。何となく今朝は顔色も良かったし……表情も険しさが抜けて……」

 肩の上でもぞもぞ動いていたカルが急に大人しくなった。ヨーコが背後からにゅうっと顔をつきだし、膝の上のサリーもじっとこっちを見上げてくる。

「ここんとこずーっとまとわりついてた暗い影みたいなものが、消えたような気がした」

 ちびさん3人は互いに顔を見合わせ、にこにこ笑ってる。俺の言ってることをどこまで理解してるかもわからないが、えらく嬉しそうだ。
 つられてこっちも笑顔になる。

「ベッドだと眠れないって思い込んでるのかもしれないな。習慣づけってけっこう重要なんだ。特に入眠パターンを決めておいたほうが子供は良く寝る。夜これをしたら寝る時間ってね」
「絵本読んだり…ぬいぐるみかかえたり?」
「ああ。逆もあって、これしたら眠れないって思ったら眠れなくなる」

 シエンが部屋を出た夜、あいつは空っぽのベッドを見て打ちのめされた。

「…………………隣のベッド、見たくないのかもな」

 テリーが首をかしげてる。そうだよな、これじゃ事情が見えない。

「兄弟喧嘩。もう一人の子は今、別の部屋で寝てるんだ」
「それはありそうだ」

 うなずいてる。彼なりに納得してくれたらしい。

「また不眠で悩むようなことがあったら生活パターンをかえたほうがいいかもな」

 ヨーコがてこてことテリーのそばに歩み寄り、とすん、と膝に手をついてのびあがった。

「Good-Boyね。テリー。いいこ、いいこ」
「おう、ありがとよ」

 テリーは手を伸ばし、つやつやの黒髪をなでている。ちっちゃなヨーコはにまっと笑って目を細めた。

「ほんと、いいこ」
「……むー」

 頭の上で小さな声でうなってる奴がいるし。お前ほんっとに焼きもち焼きだね……。そんなに『お姉ちゃん』が他の奴を可愛がってるのがご不満か?
 ぷっと吹き出しそうになるが、木に上ってるヨーコに大まじめに説教たれてた姿を思い出し、こらえた。
 彼は彼なりに真剣なのだ。

「俺の場合、犬躾けるのも大差ないからな! 基本は褒める」
「君は犬の専門家だったなそういえば」
「うん。動物はみんな好きだけど、何って言っても犬がダントツだな」
「……ああ、そうだ。オティアに犬種ごとの性質や行動パターンを実地で覚えさせたいんだ。どこかいい場所、ないかな」
「いろんな犬がたくさん見たいのか?」
「うん。ジャックラッセルとプードルを同じように扱えないってことをね。体で覚えさせた方が早かろうと思ってな」
「じゃあ、ドッグランだな。単純に数だけならペットシェルターみたいなところに行くのもいいけどな。そっちは仕事でも行く機会ありそうだ」
「ああ。行方不明になったペットが保護されてる場合もあるし」

「……捨て犬も増えてるからな……最近」
「そうだな……クリスマスプレゼントにもらったはいいが飼えなくて捨てる奴もいる」
「経済状況が悪くなると最初に切られるのはペットなんだ。たぶん、もうじきもっと増える」

 くしゅんっとサクヤがくしゃみをした。話し込んでる間に空は鉛色の雲に覆われ、風も冷たさを増していた。

「そろそろ帰るか」
「そうだな。こいつらも機嫌直してくれたし……」
「カル、降りるか。それともこのまま帰るか?」
「降りる」

 するりと滑り降りた。やれやれ、やっと肩が軽くなった。
 何か打ち合わせでもしたみたいにヨーコがとことこと寄ってきてサリーと手をつなぐ。もう片方の手はカルと。

「しっかりしてんな。『お姉ちゃん』だ」
「ああ、お姉ちゃんだ」

 立ち上がって服についた葉っぱを軽く払う。帰る前にコウイチに連絡しとくか、と思ったがその前に当人たちがやって来た。

「そーら、お迎えが来たぞ」
「かざみー。ロイー」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 

 その女性はひっそりと立っていた。冬もなおみっしり枝葉を茂らせる常緑樹の木陰に隠れるようにして、子どもを遊ばせる母親たちに混じって。
 いつから彼女がそこに居たのか、だれも気づかなかった。

 寒い日だった。別に彼女が一分の隙もないほどみっしりコートを着込み、まぶかに帽子をかぶっていても、だれも不思議には思わなかった。
 真っ赤なコートに真っ赤な帽子。真っ赤な真っ赤な手袋と靴。
 鮮やかすぎてむしろ毒々しい赤づくし。

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