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ローゼンベルク家の食卓

【4-11-6】★闇を照らす灯火

2009/07/03 22:32 四話十海
  
「ディフ?」
「あ…………レオン……」

 温かいベッドの中に居た。レオンの腕の中にいた。
 目を閉じて、もう一度開く。

 これは夢なのか?
 それとも、現実か?

 夢でもいい。夢なら覚めないでくれ。ほんの少しの間でもいい。閉ざされた部屋を。冷たいベッドを。背中を抉る針を忘れさせてくれ……お願いだから。

 しなやかな指が顔に触れる。手のひらが頬を包み込む。薬指の根元に硬いものがはめこまれているのを感じた。

「あぁ………」

 同じ物が、自分の指にも宿っている。対を成す銀色の輪。青いライオンのエンブレム。
 物にすがるのは愚かなことだろうか。そう思いながらも彼と、自分の左手に存在する指輪を確かめずにはいられなかった。

「レオン……レオン……レオン……レオン……」

 ためらいながら服を握り、かすれた声で名前を呼ぶ。繰り返し、何度も。
 呼んでも、虐げられることはない。鞭で打たれることも。針を刺されることもない。その事実に心の底から安堵する。
 これは、夢じゃない。夢じゃないんだ。

「レオン……」
「大丈夫だよ。大丈夫だから」
 
 
 震えるディフを抱きしめ、レオンは何度も髪を撫でた。ゆるく波打つ赤い髪が指の間をすり抜ける。ひと撫でごとにしっとりとつややかな感触を残して。いつまでも触れていたい。自分以外のだれの手にも触れさせたくない。

 もう、二度と。

(また、あの時の記憶が君を苦しめているのか)

 闇の向こう側を睨む。
 これまでも何度となくディフが悪夢にうなされる事はあった。そんな時、彼は黙って歯を食いしばるか、悲しげに自分を見つめているかのどちらかで。いつも静かに恐怖に耐えていた。

 こんな風に声を挙げるのは、初めてだった。
 怯えた悲鳴に飛び起きて灯りをつけると、うつろに見開かれた目は瞳孔が針で突いた穴のように収縮していた。色の薄い瞳が灯りを反射して光る。ガラス玉さながらにどこにも焦点が合っていない。何も写していない。

「ごめん、レオン、ごめん……ごめん……」

 呼びかけても反応はない。うわ言を口走り、がくがくと震えるばかり。
 あまりにも異様な状況に、救急車を呼ぶべきか迷った。だが、怯え切った彼の表情を見て悟ったのだ。
 ディフが必要としているのは医療的な措置なんかじゃない。どんな薬でも治療でもない、自分なのだと。
 今、この手を離せば彼を永遠に失ってしまう。理屈や知識を飛び越え、感じた。
 
 渾身の力で抱きしめ、何度も呼びかけた。

 祈りが通じたのだろうか……。
 一瞬、大きく痙攣してからディフの体から力が抜け、がくりと崩れ落ちた。名前を呼ぶと、閉じられた瞼がぴくりと震え……開いた。わずかに緑を帯びたヘーゼルの瞳は穏やかな光を取り戻し、しっかりと見つめ返してくれた。

 それが何なのかは分からない。だがこの瞬間、自分たちは確実に一つの極めて深刻な危機を乗り越えた。

 安堵の息を吐き、愛しい人の頬に口づける。わずかに身震いすると彼は自分から唇を求めてきた。

 長い、長いキスの後、耳もとにささやいた。

「大丈夫……もう、だれも君を傷つけたりしない」
「うん」
「俺が、させない」

 そうとも。
 もう二度と、奴を君に触れさせたりするものか。

 
 この数ヶ月と言うもの、レオンはずっとアメリカ全土を飛び回っていた。ロスやフロリダ、フェニックス、テキサス。フレデリック・パリスとその部下たちの活動範囲は広く、他の州でも指名手配されていた。

 レオンハルト・ローゼンベルクは弁護士の職務を越えて彼らの犯罪歴をことごとく調べ上げ、暴き出してきたのだ………検察官さながらに、いやそれ以上に執拗に。証拠に証言、必要とあらば証人も。全てそろえてFBIに提出した。
 とっくに『善意の市民』の協力の範疇は越えていたが、バートン捜査官は黙って受け取り、然るべき措置をとることを約束してくれた。
 ジェフリー・バートンは誠実かつ意志の強い男で、有能な捜査官だ。彼が約束したのなら、刑の執行に向けてスタートが切られたに等しい。

(そうとも。起訴だけでは不十分だ。執行されることこそが最も重要なのだ)

 場所はどこでもいい。それこそ国外でもかまわない。とにかく死刑が廃止されていない州へ。確実に、速やかに執行される場所に送りこんでやる。
 パリスだけじゃない。君を汚した奴ら全員、一人残らずだ。

 その一念が、レオンを突き動かしていた。日々の業務に加えて、それこそ1セントにもならない、膨大な無料奉仕をやり遂げるために。

 正義にはほど遠い。大義名分はない……これはただの私怨だ。それでもディフは受け入れてくれるだろう。自分への愛情故に為されたことだと知っているから。

(もしパリスが俺や子どもたちに手を出していたなら、君は絶対に彼を許さなかっただろう)

(だが君自身にしたことは……。悲しみはしても怒りはしない。増して憎むなんて。奴もそれを知っている。だからこそ生かしておけない)

 彼は光だ。
 それもさんさんと降り注ぐ陽の光と言うよりむしろ、闇の中にぽつりとともされた小さな灯火。どんなに遠く離れていても、路に迷っても、待っていてくれる。受け入れてくれる。
 
 light1.jpg
 illustrated by Kasuri
 
 優しさ、友情、寛容、慈しみ、そして愛情。いずれとも異なる。だがそのどれよりも深くあたたかく、乾ききった心を包みこむ。
 一度触れれば二度と手放せない。
 
(奴もそれを知っている)

 腕の中のディフがわずかに身じろぎした。

「ディフ?」

 呼びかけると手がのびてきて、頭を撫でられた。柔らかな赤い髪に顔をうずめる。かすかな汗と、温もる肌の香りに包まれてうっとりと目を細める。

 わかっているよ愛しい人。君は復讐なんか望んでいない。それでも俺はフレデリック・パリスを排除するよ……今度こそ、永久に。
 もう二度と奴を君に触れさせはしない。肉体はもとより、精神も。奴が君を記憶にとどめることすら許すものか。

 この手で引き金を引くことはできなかったが、法の力で奴を葬ることはできる。

(ああ……それでも君は……涙を流し、彼のために祈るのだろうね)

 いっそ、君をどこかに閉じ込めてしまおうか。塔の上、日の射さない地下室、絶海の孤島。
 そうして俺の目の届く場所で、俺だけを見て、俺だけの声を聞いて。
 俺だけに触れて生きて行けばいい。

「レオン?」

 微笑み返し、唇を重ねた。

 愛してるよ、ディフ……君さえ居れば、何もいらない。

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