▼ 【3-8-1】母との電話
赤々とした西日は既に地上と空の境目ををわずかに染めるに留まり。
窓の外に広がるサンフランシスコの空は、西の薔薇色から南のラベンダーブルーと徐々に青みを増してゆき、東の空には既に藍色の夜が広がっていた。
レオンの部屋から見た時は、もう少し薔薇色の部分が少なかった。ドア一つずれただけで窓の外の風景も微妙に違うのだ。
もっともこのところ滅多になくなっていた。
この時間にディフォレスト・マクラウドが自分の部屋にいる事なんて。
深く呼吸するとディフは受話器をとり、短縮ダイヤルの二番、すなわち実家の番号を押した。
「ハロー、ディー?」
「やあ、母さん」
「珍しいわね、あなたから電話くれるなんて」
「うん……まあ、たまにはね。この間の電話で言い忘れていたこともあったし」
「まあ、何かしら」
さあ、ここからが正念場だ。ぐっと腹に力を入れて、精一杯『普通の』声を出す。
「オティアのことなんだ。ほんとはただのバイトじゃない。もう一人、シエンって子が一緒で……双子の兄弟なんだ」
「あら、そうだったの。二人ともあなたの所で?」
「いや、シエンはレオンの事務所に行ってる。それで……二人とも今、レオンの部屋に住んでるんだ」
しばしの沈黙。母なりに考えているらしい。矢継ぎ早に言葉を続けたい。だがいっぺんに言ったらおそらく混乱させてしまうだろう。
ここはじっと我慢。我慢だ、ディフォレスト。
「レオンの……親戚のお子さん、なのかしら?」
「いや。レオンの手がけた事件に関わってた子どもたちで……身よりがないんだ。行く所がないから、レオンが引き取った」
再び沈黙。ただし、かすかにうなずく気配がした。よし、いい傾向だ。
「それで……ほら、レオンの奴、家事、苦手だろ? だから俺が毎日隣に通って、世話してるんだ。飯作ったり、洗濯したり……」
「うん、うん、あなたレオンのこともしょっちゅう世話焼いてたものね。高校生の時から、ず〜っと」
「うん……一人も二人も三人も同じだから」
「ふふっ、そうね、同じ、かもね」
笑ってる。少し胸の奥が疼いた。
双子の世話をしているのは確かだが、今自分が口にした言葉と事実は微妙にマッチしていない。何よりレオンと自分の関係も母はまだ知らないのだ。
後ろめたさを胸の奥に押し込んで、本題を切り出す。
「それで、ね、母さん。今年はその、クリスマスもニューイヤーも、帰れそうにないんだ」
「そう……残念だけど、しかたないわね。育児って年中無休ですもの。」
「ごめん」
「いいのよ、ディー」
良かった。声が長調だ。頭の片隅で小さなファンファーレが聞こえた。
「よっぽど可愛いのね」
「うん! 二人ともいい子なんだ。最初はガリガリに痩せてたけど、今じゃすっかり健康になって……」
微妙に今、主語が省かれていたような気がしないでもないが、些細な問題だ。
ほっとした途端、今まで言いたかった言葉があとからあとから流れ出す。
「シエンはもの静かな優しい子で、一緒に飯、作ってるんだ。ビスケットも焼いた。中華料理が得意で、ちっちゃな鍋でいそいそ作ってる。俺が入院してた時は、見舞いにライオンのぬいぐるみをプレゼントしてくれたんだ」
「まあ、可愛いわね」
「オティアはすげえ頭が切れる子でね。事務所のアシスタントとしても有能だし、俺が教えたことを片っ端からどんどん吸収してく。本読むのが大好きで……」
「確かに有能ね!」
「ああ。いい子たちだよ……」
目を細めると、ディフは自分でも気づかぬまま、うっとりとほほ笑んでいた。目もとを和ませ、目尻を下げて。口角を上げて。
尻尾があったら、わさわさと力いっぱい左右に振っていたろう。
喉の奥から滑らかな声がこぼれる。ベルベットのようにしなやかで、あらゆるものを柔らかく包み込むあたたかな声が。
「子どもって不思議だよな。あんなにちっちゃくて、やわらかで、華奢なのに、ちゃんと人間のパーツがひとそろい揃ってる。においもふわっとしてて、大人とは違う」
「可愛くてしかたない?」
「うん」
「あなた、ランスが生まれた時も。ナンシーの時も、同じこと言ってたわよ?」
「そうだっけ?」
「ええ。あなたきっと、自分の子どもが生まれた時も同じ事を言うわね」
どきりとした。冷たい指で心臓をわしづかみにされたような心地がする。一瞬で笑みがかき消えた。
(ごめん、母さん。俺はもう、女性を愛することはできないんだ。いや、男でも女でも関係ない。ただ一人、レオン以外は……)
一番大事なことは、やっぱり言えなかった。
「ところで……。あなた、こんな時間に電話していていいの? 夕飯作ってるんでしょ?」
「ああ、大丈夫。今日の飯は、ヒウェルが作ってるから」
「まあああ! ヒウェルが? 脱いだ靴下を丸めて床に放り出して、絶対に片付けないあのヒウェルが?」
「そう、あのヒウェルが」
「いったいどうしちゃったの、あなたたち」
声が1オクターブ上がってる。よっぽど驚いたらしい。
「……まあ、いろいろあったんだよ。いろいろね」
次へ→【3-8-2】茹で過ぎは食えたもんじゃねえ
窓の外に広がるサンフランシスコの空は、西の薔薇色から南のラベンダーブルーと徐々に青みを増してゆき、東の空には既に藍色の夜が広がっていた。
レオンの部屋から見た時は、もう少し薔薇色の部分が少なかった。ドア一つずれただけで窓の外の風景も微妙に違うのだ。
もっともこのところ滅多になくなっていた。
この時間にディフォレスト・マクラウドが自分の部屋にいる事なんて。
深く呼吸するとディフは受話器をとり、短縮ダイヤルの二番、すなわち実家の番号を押した。
「ハロー、ディー?」
「やあ、母さん」
「珍しいわね、あなたから電話くれるなんて」
「うん……まあ、たまにはね。この間の電話で言い忘れていたこともあったし」
「まあ、何かしら」
さあ、ここからが正念場だ。ぐっと腹に力を入れて、精一杯『普通の』声を出す。
「オティアのことなんだ。ほんとはただのバイトじゃない。もう一人、シエンって子が一緒で……双子の兄弟なんだ」
「あら、そうだったの。二人ともあなたの所で?」
「いや、シエンはレオンの事務所に行ってる。それで……二人とも今、レオンの部屋に住んでるんだ」
しばしの沈黙。母なりに考えているらしい。矢継ぎ早に言葉を続けたい。だがいっぺんに言ったらおそらく混乱させてしまうだろう。
ここはじっと我慢。我慢だ、ディフォレスト。
「レオンの……親戚のお子さん、なのかしら?」
「いや。レオンの手がけた事件に関わってた子どもたちで……身よりがないんだ。行く所がないから、レオンが引き取った」
再び沈黙。ただし、かすかにうなずく気配がした。よし、いい傾向だ。
「それで……ほら、レオンの奴、家事、苦手だろ? だから俺が毎日隣に通って、世話してるんだ。飯作ったり、洗濯したり……」
「うん、うん、あなたレオンのこともしょっちゅう世話焼いてたものね。高校生の時から、ず〜っと」
「うん……一人も二人も三人も同じだから」
「ふふっ、そうね、同じ、かもね」
笑ってる。少し胸の奥が疼いた。
双子の世話をしているのは確かだが、今自分が口にした言葉と事実は微妙にマッチしていない。何よりレオンと自分の関係も母はまだ知らないのだ。
後ろめたさを胸の奥に押し込んで、本題を切り出す。
「それで、ね、母さん。今年はその、クリスマスもニューイヤーも、帰れそうにないんだ」
「そう……残念だけど、しかたないわね。育児って年中無休ですもの。」
「ごめん」
「いいのよ、ディー」
良かった。声が長調だ。頭の片隅で小さなファンファーレが聞こえた。
「よっぽど可愛いのね」
「うん! 二人ともいい子なんだ。最初はガリガリに痩せてたけど、今じゃすっかり健康になって……」
微妙に今、主語が省かれていたような気がしないでもないが、些細な問題だ。
ほっとした途端、今まで言いたかった言葉があとからあとから流れ出す。
「シエンはもの静かな優しい子で、一緒に飯、作ってるんだ。ビスケットも焼いた。中華料理が得意で、ちっちゃな鍋でいそいそ作ってる。俺が入院してた時は、見舞いにライオンのぬいぐるみをプレゼントしてくれたんだ」
「まあ、可愛いわね」
「オティアはすげえ頭が切れる子でね。事務所のアシスタントとしても有能だし、俺が教えたことを片っ端からどんどん吸収してく。本読むのが大好きで……」
「確かに有能ね!」
「ああ。いい子たちだよ……」
目を細めると、ディフは自分でも気づかぬまま、うっとりとほほ笑んでいた。目もとを和ませ、目尻を下げて。口角を上げて。
尻尾があったら、わさわさと力いっぱい左右に振っていたろう。
喉の奥から滑らかな声がこぼれる。ベルベットのようにしなやかで、あらゆるものを柔らかく包み込むあたたかな声が。
「子どもって不思議だよな。あんなにちっちゃくて、やわらかで、華奢なのに、ちゃんと人間のパーツがひとそろい揃ってる。においもふわっとしてて、大人とは違う」
「可愛くてしかたない?」
「うん」
「あなた、ランスが生まれた時も。ナンシーの時も、同じこと言ってたわよ?」
「そうだっけ?」
「ええ。あなたきっと、自分の子どもが生まれた時も同じ事を言うわね」
どきりとした。冷たい指で心臓をわしづかみにされたような心地がする。一瞬で笑みがかき消えた。
(ごめん、母さん。俺はもう、女性を愛することはできないんだ。いや、男でも女でも関係ない。ただ一人、レオン以外は……)
一番大事なことは、やっぱり言えなかった。
「ところで……。あなた、こんな時間に電話していていいの? 夕飯作ってるんでしょ?」
「ああ、大丈夫。今日の飯は、ヒウェルが作ってるから」
「まあああ! ヒウェルが? 脱いだ靴下を丸めて床に放り出して、絶対に片付けないあのヒウェルが?」
「そう、あのヒウェルが」
「いったいどうしちゃったの、あなたたち」
声が1オクターブ上がってる。よっぽど驚いたらしい。
「……まあ、いろいろあったんだよ。いろいろね」
次へ→【3-8-2】茹で過ぎは食えたもんじゃねえ