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ローゼンベルク家の食卓

【3-13-4】罠

2008/06/13 3:39 三話十海
 オティアとシエンが自宅待機になってから二日が過ぎた。

 事務所がやけに広く感じる。妙な話だ。オティアが助手として来てからの時間より、自分一人でやっていた時間の方が長いってのに。
 苦笑しつつ、一人の気楽さからデスクの上に足を乗せる。こんな行儀の悪いマネをするのも、久しぶりだ。

 今頃、アレックスの家庭教師で勉強してるんだろうな……。
 ぼんやりしていると、電話が鳴った。受話器に手を伸ばしつつ、ディスプレイを確認する。
 公衆電話からだった。

 いよいよ俺のとこにも無言電話が来たか?
 用心しながら受話器をとった。

「はい、マクラウド探偵事務所」
「マックス、助けてくれ!」

 聞き覚えのある声だった。
 忘れるはずのない声だった。

 ネイビーブルーの制服に身を包み、サンフランシスコの町中をパトロールしていた時にいつも傍らにあった声……警官時代の相棒、フレデリック・パリス。
 電話越しで少し乾いた響きを帯びていたが、聞き違えるはずがない。

「フレディ?」
「ヤバいことになってるんだ……このままじゃ俺は消される」
「落ち着け。今、どこだ?」
「ハンターズ・ポイントだ……」

 荒い息づかいの合間に押し殺した声で囁かれた番地をメモする。凶悪犯罪の多発する治安の悪い地域のど真ん中だ。

「何だってそんな場所に。もっと人通りの多い場所に居た方が安全なんじゃないか?」
「追われてるんだ……下手に動けない。頼む、マックス。助けてくれ」
「わかった。そこ、動くなよ。すぐに出る。何かあったら携帯にかけろ」

 携帯の番号を教えて電話を切る。銃を取り出し、装填数を確かめてからベルトのホルスターにねじ込んだ。
 地下の駐車場で車に乗り込み、走り出す。

 彼には新人時代に相棒として世話になった。見捨てることなんかできない。
 事件を起こして逮捕されて、懲戒免職の形で警察を去ったが……だからと言って、彼から教わったもの、共に過ごした善き時間が無くなる訳じゃない。
 
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 illustrated by Kasuri

 娘のルースも俺に懐いてくれた。
 浅黒い肌にブロンズ色の巻き毛。ちょいと痩せっぽちだが、ころころとよく笑う可愛い子だった。
 本名はルーシーだが、その名前で呼ぶとむっとした表情でつんっと口をとがらせて。胸をそらし、腰に手を当てて言ってきたもんだ。

『その名前、のたーっとしてて好きじゃないの。ぜんっぜんCOOLじゃないし』
『OK、ルース』
『いい加減、覚えてよね!』

 あんまり可愛いから、あの顔見たさに何度もルーシーって呼んだっけなあ、わざと……。

「や……わたし……他所になんか……行きたくない」

 ずくん、と胸の奥がうずく。
 すがりつく手の感触が蘇る。
 最後に会ったのは四年前の7月。冷たい雨の降る日だった。母親が迎えにくるまで、ずっと泣いていた。
 今年で18歳になるはずだ。元気にしているだろうか。

 指定された場所に向かう途中、携帯に連絡が入る。非通知だったが迷わずとった。

「マックス」
「どうした、フレディ」
「お前に連絡したのがばれたらしい……お前、尾けられてないよな?」

 俺の車はエンジン音が五月蝿いし、図体もでかい。機動力はあるがあまり隠密行動には向かない。
 ちらっとバックミラーを確認する。
 二台後ろにグレイのセダンが居た。試しに急に道一本曲がってみると、ぴたりと着いて来る。おそらく俺に張り付いてる護衛だろう。
 だが、フレディはそのことを知らない。追っ手か、護衛か。追い詰められ、パニックを起こされたら厄介だ。

「わかった、歩きで行く」
「そうしてくれ………俺も移動する。ここはもうヤバい」
「OK。車を降りたら知らせる」

 護衛のセダンは律儀に着いて来る。
 どうしたものかと迷いつつ狭い道を選んでたらたら走っていると、上手い具合にどでかいトレーラー車が角を曲がって来るのに出くわした。いいぞ、あれを使おう。
 止まると見せかけて直前でアクセルを踏み込み、猛スピードでトレーラーの鼻先を掠めて突っ走る。不意を討たれたグレイのセダンは道を塞ぐトレーラーの向こう側で急停止。タイヤの軋る音とクラクションが響き渡る。

 ちらっと背後を伺うと、トレーラーの運転手がセダンの連中に向かって猛烈に悪態をついていた。
 すまん、非常事態なんだ。
 護衛のFBIに心の中で謝罪しつつ、スピードを上げた。


 ※ ※ ※ ※


 指定された場所に行くと、スラム街のそのまた裏通りに建つ安ホテルだった。しかも、明らかに今は営業していない。
 壁にはけばけばしいネオンサインの残骸が残っている。電気が通っていれば夜はさぞかし人目を引いたことだろう。宿泊より他の目的に使われることが多そうな類いのホテルだな。
 正面の入り口は流石に施錠され、頑丈な鎖で閉じられていた。
 こじ開けるべきか? いや、待て。フレディが既に中に入ってる。
 念のため裏に回ってみると……案の定、従業員用の通用口の鍵が壊されていて簡単に中に入ることができた。

 建物の外壁は頑丈そうだったが内壁は薄く、剥がれかけた壁紙は柄が派手な割にはペナペナ、床に敷き詰められた赤いカーペットもすり切れて薄っぺら。
 とてつもなくリーズナブルな造りの廊下には、湿ったティッシュペーパーやチョコバーの包み紙、丸めた新聞紙、コークの空き缶なんかが転がっていて……半端に生活感が残ってる。家具も何もかも放り出したまま、とっとと人だけ逃げ出したってとこか。隠れ場所にはもってこいだな。

 用心しながらフロントまで進む。

「フレディ……どこだ?」
「待ってたよ、マックス」

 カウンターの向こうからフレディが出てきた。服装は俺と似たり寄ったりだ。履き古したジーンズにどぎつい色のTシャツ、革のジャケット。ご同業か賞金稼ぎってところだろうか。

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illustrated by Kasuri

 記憶にあるのより若干、目つきが鋭くなっている。何とはなしに毛並みが荒れてるな、と思った。あまり穏やかな暮らしをしていないんじゃないか、こいつ……。

 俺も人の事は言えないか。

「大丈夫か?」
「ああ、もう大丈夫だよ。ヤバい所だったが、お前が来てくれたから」

 ばたばたと足音がした。
 数人の男が入って来る。どう見たって追いついた護衛じゃない。ミスった、尾けられたか?

 舌打ちしながら銃を抜き、振り向いて構える。7人……1人あたり2発ってとこか。

 ジャキっと撃鉄を引き起こす音が聞こえ、後頭部に銃口が突きつけられた。

「銃を捨てろ」
「……フレディ?」
「本当に……助かったよ。お前が来てくれて」


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