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ローゼンベルク家の食卓

【3-13-1】裁判

2008/06/13 3:36 三話十海
 2006年の5月、双子の事件の裁判が始まった。

 オティアの捕えられていた撮影所と、シエンが働かされていた工場。
 双方の事件の裁判で、子どもたちは未成年者であることを理由に直接の出廷は免除され、ビデオを通じて証言を行った。
 ヒウェルの助け出した5人の子どもたちや、シエンと一緒に工場に捕えられていた子どもたちも同様に。

 彼らの瞳の奥に揺らぐ怯えの色を見るたびに改めて怒りがこみ上げて。何度か傍聴席で牙を剥きそうになり、その度にそっとレオンに手を押さえられた。
 今日は午前中にヒウェルが証言を終え、午後から俺が証言をすることになっている。

 裁判所に来るのは何もこれが初めてじゃない。しかし、自分が事件の当事者となると話は別だ。
 控え室の中にあるのは飾り気のない、およそ実用一点張りのテーブルに椅子。床は足音を消すのに申し分ない程度の厚みを持ったカーペットが敷かれ、廊下に通じるドアは今は堅く閉ざされている。

 部屋の中にいるのは俺を含めて五人。
 レオンと、ヒウェルと、そしてFBIの捜査官が二人。
 一人は癖のある茶色の髪に藤色がかった灰色の瞳のオルファーン・ダーヘルム。小柄ですらりとした子鹿のような女性だが、意志の強そうなしっかりした口元で、実際にとんでもなく意志が強い。
 瞳の色に合わせた柔らかなパープルグレイのパンツスーツがよく似合っている。

「そんなに緊張しないで、マクラウド。事実をありのままに話せばいいんだから」
「ありのまま、か……」

 そう言う訳にいかないから余計に緊張するんだ。双子の特異な力のこと隠したまま、証言をやり通せるかどうか。しかも相手側の弁護士の追求をかわして。

「いつもの通りでいいんだよ、マックス」

 ダークブラウンと髪と瞳の背の高い男が、ポン、と肩を叩いてくれた。ジェフリー・バートンはいつも低くて耳に心地よい、穏やかな声で話す。
 FBIに入る前は海軍の犯罪法務部(JAG)の法務担当士官として勤務していた男で、軍事裁判で検事・弁護士の両方の経験がある。
 同じ法曹畑の人間同士、レオンと気が合うらしい。

「そーそー、堅くなるなって。ちょっと立って、宣誓して、さらっとしゃべって来りゃいいんだよ」

 相変わらずお気楽な奴だ。自分の出番が終わったもんだから……。

「難しく考えるな、ディフ。リラックス、リラックス」
「あなたはやりすぎよ、H」

 オルファにぴしゃりと言われてヒウェルが肩をすくめる。
 こいつときたら、まぬけを装いつつ相手の弁護士を言葉巧みに誘導して自滅寸前にまで追い込んだのだ。


 ※ ※ ※ ※


「……オレンジと紫の派手なシャツを着た男が部屋から出てきたので、彼がドアに鍵をかけている時に背後から近づき、小型懐中電灯で殴りました」
「つまり、あなたは被告を背後から殴ったと?」
「ぁ……はい、そう言うことになりますね」
「何故、そんなことをしたのですが? 無抵抗の人間を、背後から殴るなど!」
「それは……」

 こほん、と咳払い一つするとヒウェルはくいっと眼鏡の位置を整えた。

「彼が以前、施設の裏の路地で少年を連れ去ろうとした男たちの一人だったからです」
「確信を持ってそう言えますか?」
「はい。シャツが同じでしたし……それに、聞こえたんです」
「何が?」
「部屋の中で、子どもたちの声が。それに対し男が静かにするように、威圧的な言葉で命令していました」

 ここで相手の弁護士は声をひそめて何かぼそりとつぶやいた。低い声で、ほとんど傍聴席からは聞き取れない。
 おそらく、証人席からも。
 ヒウェルは首をかしげてしばらく耳を傾けていたが、やがてうなずいた。

「そうですね。ちょうど今ぐらいの大きさの声です」
「……何ですって?」
「今、おっしゃったでしょう? 『それはこれぐらいの大きさの声ですか』って」

 弁護士の顔色が変わる。
 最初っから奴はヒウェルに聞かせる気はなかった。わざと小さな声でしゃべって『聞こえない』ことを陪審員にアピールしようとしたのだ。
 この程度の声が聞こえないのだから、部屋の中の話し声なんか聞こえたはずがない、と。

「………」
「ジーザス。今度はそうおっしゃいました。さて、次は?」

 弁護士がほとんど無意識のうちにつぶやいた悪態すらヒウェルはきちんと『聞き取り』、優れた聴力をさらに強く印象づけた。
 被告側の反対尋問のはずが、結果として検察側に圧倒的に有利な事実を陪審員に提示して午前中の審議は終わったのだった。


 ※ ※ ※ ※


「確かに、あれはやりすぎだったね」

 レオンがやんわりと釘を刺す。

「君は確か、読唇術の心得があったよね?」
「かじった程度ですよ。正式に勉強したわけじゃない」

 そう。こいつは弁護士の声を耳で聞いたんじゃない。唇を読んだだけなのだ。

「H……あなたって人は」
「だが判事は知らない。あの弁護士も、陪審員もね」
「………ヒウェル?」
「わかりましたよ。次は自重します」

 今度は神妙な顔でうなずいてから、ヒウェルはこっちに視線を向けてきた。

「だいたいお前、何堅くなってんだよ。警察官やってた時分はしょっちゅう裁判所に顔出してたろうに」
「あの時と今は事情が違う。……服装、おかしかないか?」

 眼鏡の向こうで黄色がかった濃い茶色の瞳が細められる。
 さすがにいつもの革ジャケットって訳にも行かず、今日は濃いめのグレイのスーツに紺色のシャツを着ている。タイとベストは着けないが、ボタンは上まできっちり全部留めた。喉がきゅーっと詰まるような気がして、何となく落ちつかない。

「問題なし。判事の前に出てもおかしかないよ」
「……髪の毛切っといた方がよかったかな」
「いや、充分きちんとしてるよ。ちゃんとくくってあるし」
「そうか?」

 オルファがうなずいた。

「そうよ。あなたは長い方がいいの。自然なウェーブが出て、適度にふわっとしていて……印象が柔らかくなるわ」

 なるほど。そう言う考えもあるか。

「そーそー。下手に警官時代ばりに髪の毛短く刈り込んでたらさあ。例えば、アレだ。クルーカットなんぞにしようものなら、見るからにヤバい筋の人だよ、お前さん」
「What's?(何だと?)」

 引きつり笑いを浮かべてヒウェルに詰め寄ろうとした、まさにその時。
 控え室のドアがノックされた。五人の視線が一斉にドアに向けられる。
 扉が細めに開き、係官が顔をのぞかせた。

「時間です」

 うなずき、立ち上がる。真っ先にジェフリーが廊下に出て、オルファとヒウェルが後に続く。
 俺も行かなければ。
 歩き出そうとすると、後ろから肩に触れられた。

「レオン?」
 
 振り向いた瞬間、唇が重なる。触れるだけの柔らかな……そして、短いキス。

「……行っておいで」
「ああ。行ってくる」

 笑み返す唇にまだ微かな熱が残っている。それだけで、何にでも立ち向かえそうな気がした。


 ※ ※ ※ ※


 その日の午後の審問はちょっとした見ものだったね。

「真実のみを証言することを誓います」

 背筋を伸ばして証人席につくと、ディフは朗々と宣誓を行い、検事からの質問にはよどみのない声ではっきりと答えていた。
 時折かいま見せる戸惑いさえ、人の善さと誠実さの現れに思えるのだからある意味、お得な奴だ。
 そうこうするうちに一通り証言が終わり、被告側の弁護人(午前中に俺に自滅寸前に追い込まれた男だ)の反対尋問が始まった。

「あなたは2002年1月から2003年2月の間、警察の爆発物処理班に所属していましたね」
「はい」
「爆弾の解体にも、爆発物の扱いにも精通していた。逆に考えれば爆発を起こす技術も知識も持っていた」
「はい」
「あなたは救出された時に言ったそうですね? 爆発物の心配はない、クリアな状態だと。それは、あなた自身が爆発物をしかけて問題の倉庫を破壊したからではありませんか?」
「クリアではなく多分、クリアだ、と言いました。確信していたのではありません。それに……」
「それに、何です?」
「私は元爆発物処理班員であって、爆弾探知犬ではありません」

 くすくすと控えめな笑いが法廷内に広がる。
 あくまで真面目に答えるディフに、法廷侮辱罪を適用するほど相手方の弁護士はまぬけではなかったようで……苦虫を噛み潰したような顔で反対尋問の終わりを告げた。

「俺、ちゃんとやれたかな」

 戻って来たディフの肩をレオンがぽん、と叩いた。

「大丈夫だよ」

 ディフはほっと息を吐き、レオンにほほ笑みかけた。
 飼い主に頭をなでられ、『OK』と言われた犬みたいに。


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