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ローゼンベルク家の食卓

【第五話】ガブリエル寮の食卓

2011/03/14 0:10 五話十海
  • さかのぼって学生時代のお話。
  • 「姫」と呼ばれていたレオン、ディフと呼ばれる前のディフ、そして愛らしい美少年だったヒウェル。
  • 聖アーシェラ高校男子寮、ガブリエル寮。優雅に一人暮らしを満喫していたはずのレオンハルト・ローゼンベルクの元に不意に転がり込んできた一年生。
  • 態度もでかいし図体も声もでかい。とにかくがさつで大ざっぱ。
  • 一時預かりだからと寮長に頼み込まれ、しぶしぶ引き受ける。後に彼こそが、最愛の『運命の人』となることも知らずに……。
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【5-0】登場人物

2011/03/14 0:11 五話十海
 
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【ディフォレスト・マクラウド/Deforest-Macleod】 
 通称ディフ、もしくはマックス。
 家族からはディーと呼ばれていた。
 聖アーシェラ高校一年。
 テキサス出身。父親の七光りから自立すべく、サンフランシスコの高校を選んだ。
 ゆるくウェーブのかかった赤毛、ヘーゼルブラウンの瞳、鼻と頬の周辺にそばかす。
 裏表のない直情家、世話好きでおせっかいな熱血漢、時々天然。
 学生寮でレオンと運命的な出会いをする。
 
 
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【レオンハルト・ローゼンベルク/Leonhard-Rosenberg】 
 通称レオン。
 聖アーシェラ高校二年。ロスの実家を離れて学生寮で暮らしている。
 ライトブラウンの髪と瞳、ほっそりと華奢な体格、整った顔立ち。
 人との接触を好まず滅多に笑わない。
 その冴えた美貌と遺伝子レベルで組み込まれた高貴さ故に秘かに「姫」と呼ばれている。
 寮の二人部屋を一人で使っていたが、あぶれた一年生を引き受ける羽目に陥る。
 
  
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【ヒウェル・メイリール/Hywel-Maelwys】
 サンフランシスコ出身、聖アーシェラ高校一年。
 さらさらの黒髪にくりっとしたアンバーアイ、細身で愛らしい子リスのような美少年。
 ディフのクラスメートで、最初に彼を「ディフ」と呼び始めた。
 五才の歳に両親と死に別れ、里親の元で育てられている。
 その愛くるしい外見と人当たりの良さ故に上級生に人気がある。
 カニが怖い。
 
  
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【結城羊子/ゆうき ようこ】
 日本出身の留学生、聖アーシェラ高校一年。
 通称ヨーコ。
 小柄でほっそりぺったん、ほとんど小学生と言っても通りそうな外見だが、れっきとした高校生。
 強気で勝ち気で歯に衣着せぬ男前女子。
 物事の本質を鋭く見抜く、ヒウェルの天敵。
 そのコンパクトなボディに反してものすごく食べる。とにかく食べる。
 
次へ→【5-1】入学前夜

【5-1】入学前夜

2011/03/14 0:13 五話十海
  
 サンフランシスコは桜の町だ。町の至るところに桜が植えられ、四月の第二週からはジャパン・タウンで桜祭りが始まる。
 濃いピンクのつぼみが花開き、徐々に白く変わり、最後は雪のひとひらのように宙に舞い、地に落ちる。その儚いひと時に、ここぞとばかりに町中が賑わい、浮かれ、沸き立ち踊る。
 桜色を目にすると自然と心が浮き立ち、足取りが軽くなる。
 スーパーのチラシにプリントされた桜。街灯にくくりつけられたプラスチックの造花。そして、地面に植えられた本物の木。
 通りすがりにふと、足を止めて見上げてみる。
 何てタイミングだ。
 くるくる回る花びらが、ぺとっと顔に貼り付いた。指でつまんでしみじみと眺める。ハートを引き伸ばした形の、白に近い薄いピンク色。ちっぽけな花びらが記憶の鍵穴にぴたりとはまり、過去につながる扉を開く。

 桜が咲くたび、思い出す。きっとこの先、何度も、何年も――。
 あの日から全てが始まった。
 
    ※
 
 1995年4月、テキサス州、ベルトン。

 卒業を二ヶ月後に控えたある日の放課後。中学の中庭に寝ころんで、満開の桜を見上げてた。
 まるで天と地がひっくり返って逆さになって、桜が散っているのか、昇っているのかわからなくなる。青い空に吸い込まれそうな気分になった。
 心はとっくに決まってる。先生とも相談した。後は家族にいつ、どんな風に伝えるか、だ。
 別に隠してるつもりじゃない。
 タイミングが掴めないってだけで。
 ひらっと落ちてきた花びらが、ぺとりと鼻に貼り付いた。

「ぶえっくしっ」

 派手なクシャミひとつ。脳みそがいい感じにシェイクされ、あっちこっちにぶわぶわ飛んでた考えがすーっと一つにまとまった……ような気がした。

(ええい、ぐだぐだしてても、何も始まんねえや!)

 むくっと起き上がったら、花びらがぱらぱらと足下に落ちた。西の空がいつの間にか真っ赤だ。けっこう長い間、ここに居たんだな。
 
     ※
 
 その日、夕食の席でダンカン・マクラウド署長は何気なく次男に言った。

「ディー。お前、進学先は決めたのか?」

 口いっぱいにほお張ったミートローフをごっくん、と飲み下すと、赤毛の次男はまばたきを一回。しかる後、はっきりと答えた。

「うん、聖アーシェラ高校」
「……聞かない名だな。どこの学校だ」
「サンフランシスコ」

 つかの間、食卓を静寂が覆う。署長も長男もひと言も喋らず、ただマクラウド夫人が小さな声で「まぁ」と言っただけ。
 
「先生にも相談した。OKもらった。州外からの学生も受け入れてくれるとこだし、寮もある」
「……そうか」

 署長がうなずく。それを合図に、一時停止していた夕食は何事もなかったように再開された。
 しかしながら。食事が終わり、夫人の手作りのチェリーパイを心ゆくまで賞味して後、彼は眉一つ動かさずに息子に問いかけたのだ。

「理由を聞こう」

 間髪入れず赤毛の次男坊が答える。

「俺、警察官になりたいんだ」
「だったら地元の高校でも問題ないだろう」
「ある。ここに居る限り、どこに行っても俺はマクラウド署長の息子だ」

 声には張りがあり、まっすぐ見返すヘーゼルブラウンの瞳には迷いの欠片もない。ただ感情が昂ぶっているのは確かなようだ。ほお骨の辺りが赤く染まり、顔に散ったそばかすがいつもよりくっきり浮かび上がっている。
 何より瞳の中央にちろちろと、緑色の炎が踊っている。

「だから他の州で警官になる。だったら、早いうちからその土地に馴染んでおいた方がいい」
「……なるほど。一理あるな」
「家族は愛してる。でも確かめたいんだ。自分一人で何ができるか」

 わずかに言いよどんだのは、最初のうちだけ。後はもう淀みなくすらすらと言葉が出ている。堂々とした口調で、力がこもっていた。昨日今日考えついた、薄っぺらな計画ではないようだ。
 何度もかみ砕き、長い年月をかけて練り上げてきたのだろう。
 くいっと食後の紅茶を飲み干すと、署長は今やすっかり緑色に染まった息子の瞳を見返し、厳かに告げた。

「良かろう。だが覚悟を決めた以上、途中で投げ出すな。いいな、ディー」
「うんっ! ありがとう、父さん」

 途端に満面の笑みが花開く。一気に緊張がほどけたのだろう。

(よかった……)

 ほっと安堵の息をつくと、マクラウド夫人は二切れ目のチェリーパイを息子の皿に乗せた。
 ディーもダンカンも頑固な所はそっくり。意地の張り合いになったらどうしよう、と内心冷や冷やしていた。でも結局は警察官を目指すあたり、ディーも父親を慕い、尊敬しているのだ。
 彼も、ちゃんとそれがわかってる。だから許可したのだろう。相変わらず堅苦しい、厳しい言い方だったけれど。

(嬉しいのね、ダンカン。可愛い人……。それにしてもサンフランシスコだなんて! 何でわざわざ、そんな遠い場所を選んだのかしら?)

「ディー」
「なに」
「何で、サンフランシスコなんだ?」

 長男も同じことを考えていたらしい。兄弟同士、やはり親より距離が近い。気にしていたことを、するっと聞いてくれた。

「んー、海辺の街だから」
「それだけかよ」
「まだある」

 ずいっとマクラウド家の次男、ディフォレストは胸を張り、得意げに言いきった。

「SFPDの制服って、すげえかっこいいんだぜ!」
「………」

 やれやれ。
 マクラウド署長は小さくため息をつき、こめかみを押さえた。
 少し、早まったかも知れない。
 
    ※
 
 季節は流れ、桜の咲く4月から若葉の芽吹く5月を経て、巣立ちの6月に。そして輝きの7月と8月――長い、長い夏休みが始まった。

 無事に中学校の卒業式を終えてから、ディーはせっせと荷造りに精を出していた。着替えやお気に入りの本、靴、文房具。働きバチのように動き回り、見知らぬ土地で学校生活を送るのに必要なものを、せっせと箱に詰めこんだ。
 フォトフレームに収めた家族の写真に続き、ベッドの上の茶色いクマに手を伸ばす。
 ごく自然に手にとって、ふと動きが止まった。

 テディベア、テディベア、黒いつぶらなボタンの目、ジョイントで繋がったがっしりした手足がぐりぐり動く。ばんざいするのも、ハグも、握手も自由自在。
 ディー坊やが生まれた時に、おじいちゃんがプレゼントしてくれた、大事なクマのぬいぐるみ。片方耳が取れていて、茶色い毛皮も今は色あせ、ほとんどカフェオレみたいな薄茶色になっている。
 ずうっと一緒だった。無くした時は、必死になって家中探した。

「っと……」

 ちらりと箱の中味を見る。
 結局、元通りベッドの上に戻した。
 そうだ、まだ時間はある。いざとなったら、サンフランシスコに発つ時に、カバンに入れて持って行けばいい。
 今送るのは重たいもの。
 かさばるもの。

「……そうだ」

 立ち上がり、廊下に出る。とことこと階段を降りて、台所に向かった。

 コーンミールと小麦粉の割合は1対1、ベーキングパウダーとバターと粉チーズ、メープルシロップと玉子に牛乳を加え、塩をぱらっと振って、木ベラでざっと混ぜる。
 
「母さん」

 マクラウド夫人は手を止め、顔を上げた。

「どうしたの、ディー」
「あ、コーンブレッド作ってるの?」

 目をきらきらさせて手元をのぞきこんで来る。

「ええ、そうよ」
「手伝う」

 四角い型にいそいそとバターを塗っている。小さい頃から、この子は料理ができ上がるまで、じっとのぞきこんでいた。
 見ているうちに、手順を覚えてしまったのだろう。自分の好物は特に。
 パンケーキにコーンブレッド、コーンスープ、ミートローフにアップルパイ、そして忘れちゃいけない、スクランブルエッグ。

 型に種を流し込み、とん、とん、と揺すって空気を抜く。仕上げに上にもコーンミールを振って、余熱の終ったオーブンに入れる。
 後は焼き上がるのを待つばかり。

「ありがとう、助かったわ! それで、何か用事があったんじゃないの、ディー?」
「あ、うん、そうだ。母さん、鍋貸して?」
「え、お鍋?」
「うん。あの俺がちっちゃい頃、スープ煮るのに使ってたオレンジ色のやつ」
「ああ……あれね」

 下の棚を開けてとり出したのは、どっしりした鋳物のホウロウびきの鍋。マクラウド家の台所で一番最初の、一番古い鍋だった。
 結婚のプレゼントでもらって以来、新婚家庭の食卓を豊かにしてくれた。ことこととスープを煮て、シチューを煮て。肉も魚も、キャベツもジャガイモも。
 息子たちが生まれてからは、ベビーフードを作るのに大活躍。
 今でも、ちょっとジャム煮たり、玉子を茹でるのに使っていた。

「はい、これ。どうするの? 何か作りたいものでもあるの?」
「うん。でも今すぐじゃない。サンフランシスコに持って行きたいんだ。学校の寮に、キッチンついてるから。ちちゃい流しと電熱式のコンロ一台と、冷蔵庫一つのままごとみてーなコンパクトな奴だけど」

 ああ、何となくそんな予感がしていた。

「いいの? もっと新しいお鍋もあるわよ?」
「いいんだ。これが、いい」

 にっこり笑って、ぺたぺたと鍋をなでている。

「こいつがあれば、いろいろ作れる。きっと楽しい」
「……そうね。あなたがそうしたいのなら。持ってお行きなさい」
「サンクス!」

 部屋に戻ると、ディーはオレンジ色の鋳物の鍋を、しっかりと新聞紙で包んだ。さらにエアーキャップで包んで、箱の一番下に入れた。
 さあ、必要なものは全部入れた。フタを閉めて、ダクトテープで念入りに封をした。
 後は発送するだけだ。箱を抱えて、廊下に出て階段を下りる途中で呼び止められた。

「ディー!」
「何、兄貴?」
「忘れもんだぞ」

 兄の手には、茶色のクマが握られていた。

「これがなきゃ眠れないだろ?」

 兄貴の奴、確信してるんだ! このクマ、当然サンフランシスコに持って行くんだろうって。
 むっと口をヘの字に曲げると、ディーはきっぱりと答えた。

「それは、ここに置いて行く」
「え? マジか?」
「うん。もう高校生になるんだから、自立する」
「……無理すんなよ」
「してない」
「そーかよ」

 振り向きもせずにだかだかと階段を降りて、そのまま荷物を出しに行った。
 
     ※
  
 8月の終わり、出発の日。
 身の回りの品を詰めたバッグを肩にかけて、ディフォレスト・マクラウドは住み慣れた部屋を出た。
 最後に戸口で振り返る。
 やけにがらん、として見えた。
 それほど沢山の荷物をシスコに送った訳じゃない。ただ、よく使う物が。今まで常に身近に出してあった物が、きれいに消えている。ベッドの枕元にちょこんと座った茶色いクマ以外は。

「……行ってくる」

 お別れじゃない。ここは自分の家だから。帰ってくる場所だから。
 ドアが閉まる。

 さんさんと日の光の差しこむ部屋には、クマが一匹残されていた。
 
     ※
 
 聖アーシェラとはSancta Ursula――「小さな熊」を意味する。


(入学前夜/了)

次へ→【5-2】お前はレオン、俺はディフ

hとOともう一匹

2011/03/14 0:14 短編十海
  • 拍手御礼短編の再録。
  • エリックがレオンに呼び出された後、ヒウェルとオティアの間でこんなやり取りがありました。
  • 実際にはトレンタサイズが出るのは2011年の春なんですが、ネタと言うことで。
 
「スヴェンソンくん」

 食後の紅茶を飲み終わったところで、レオンが眼鏡バイキングに声をかけた。

「ちょっと来てくれるかな。話したいことがあるんだ」
「わかりました」

 うわ、とうとう来たか、書斎への呼び出し。軽く十字を切って見送りつつ、隣の部屋に向かう。
 前を歩く、オティアの後をついて行く。この頃、夕食の後にしばらく彼の部屋で一緒にすごすのが日課になりつつある。
 と言っても特に何をするでもない。居間に座ってぽつりぽつりと言葉を交わす程度だ。
 オティアの部屋のインテリアは、おしなべて丈が低く、床に敷いたラグは上質で肌触りのいいものが揃っている。
 それと言うもの、こいつが床の上でころんころん転がってるからだ。本を読むのも、パソコンを使うのも、床の上。寝ころんだり、ヨガをやる時みたいにあぐらをかいたり。
 よくぞそこまで足が開くと感心する。関節が柔らかいんだろうな。

 そして今、丈の低いソファの上に足を組んで座るオティアの膝の上には、白いお猫さまが丸くなっていらっしゃる。
 俺が部屋にいる時の定位置だ。青い目を光らせ、じっとにらんでいる。
 俺を。
 ちょっと動くと、針みたいな視線が追いかけてくる。

「お前、ほんとに猫に嫌われてるな」
「言うな。それほど嫌われてもいないと思うんだ!」

 子猫の時分に、バスケットに入れて。はるばるエドワーズ古書店からこの家にお連れしたのは、他ならぬこの俺なんだ。留守番してる時は、飯もやってるし。トイレも掃除してるし!
 何よりそのキャットタワーは誰が贈ったものだとお思いか。

「なー。オーレさんや?」

 精一杯、清らかな笑顔を浮かべて手を出す。電光石火、べしっとひっぱたかれた。見事な手さばきだ。白い残像しか見えなかった。
 一拍置いて、手の甲にちっちゃな引っかき傷が浮かぶ。

「………いたひ」
「当たり前だ。バカ」
「バカってゆーな」

 でも、嬉しい。俺を見てくれる。ちゃんと会話してくれる。何より部屋に来ても追い出さない。
 座って、一緒に居てくれる。

「お前、ヤニくさいんだよ」
「歯磨きしたし、消臭剤だってちゃんと吹いてるぞ!」
「動物にごまかしなんか効かねーよ」
「厳しいな……」

 オーレはもわもわに膨らんで俺をにらんでる。ほっそりした体が1.5倍になってる。長い尻尾は鞭のようにしなり、ひゅんひゅんと空を切り――さっきからずーっと俺を叩いてる。ぴしり、ぱしりと、容赦無く。
 所詮は猫の尻尾、痛くも痒くもないけれど。

「どーして俺にだけ攻撃的なのかな、このお姫さまは」
「にーう」
「目つき悪ぃよ、お前」
「そう言うこと言うからだろう」
「……あ」

 口は災いのもと。
 しばし沈黙を置いてから、それとなく口にしてみる。今日、二人きりになったら言おうとしていたことを。

「その……そろそろ切れそうなんだ、アレ」
「ああ」

 アレと言うのはデカフェのコーヒー豆のことだ。煮詰まるようなコーヒーをがぶ飲みし、カフェインの過剰摂取を続けるのは体に良くない、と、二ヶ月前からオティアが差し入れしてくれている。
 一週間ばかり前に、初めてその事実を知らされた時は、顎がかっくん、と落ちたね。
 二ヶ月も、カフェイン抜きのコーヒーを飲んでたのか! って。恐ろしいことに、ちゃんと効いてたあたりが我ながら情けない。

「カフェインがなきゃ、絶対、毎日成り立たないって思ってたんだよな。でもコーヒー飲めれば満足してるし……ってか香りだけでもかなりしゃん、とする」
「末期だな」
「はい、末期です。カフェ中です」

 絶妙のタイミングで、オーレがふんっと鼻を鳴らした。顎をくいっと上げて、鼻先で笑ったみたいに。こいつ、絶対わかってやってるな?

「あー、新しくスタバのサイズが増えたの知ってるか?」
「ああ」
「ヴェンティのさらに上、トレンタってーの。ワインボトル一本分、余裕で入るらしいぜ? あれ、いいよな! おかわりの手間が省けて」
「阿呆か。冷めるだろ」
「えー、電子レンジがあるじゃん」

 じっとーっとにらまれた。斜め上方四十五度に、上目遣いで。

「劣化が気にならないなら、インスタントでも飲んどけ」
「えー」
「お前、コーヒーの善し悪しなんかわかっちゃいないんだろ」
「そんなこと、無いと……思うなあ……………タブン」

 しとろもどろに話してる間に、ちっちゃな引っかき傷は跡形もなく消えていた。
 
   ※
 
 次の日、オティアが俺の部屋に来た。

「お、どうした?」

 つかつかと部屋に入り、テーブルの上にどんっと。1500mlサイズのコーラと見まごうような特大の、インスタントコーヒーの瓶が乗せられた。
 ラベルにはでかでかと「カフェインレス」の文字が。

 やりやがった!

「いや、確かにこれもデカフェだけど」

 オティアはかっぽん、と赤い蓋を開けると中味をさらさらとマグカップに入れた。お湯を注いで、かきまぜて、どんっと目の前に置いた。

「飲め」
「……はい」

 ずぞー、と一口。うん、味も香りも確かにコーヒー豆だよ。ちゃんとコーヒー豆から作ってるし、チコリとかタンポポに比べりゃはるかにコーヒーなんだけど。
 うえええ、と口が歪む。
 決定的な何かが欠けてるのが、ありありと分かっちまう。
 すさまじく……味気ねえ………。

 即座に俺は白旗を振った。
 がばっとテーブルに手をつき、頭を下げる。

「ごめんなさい。私が悪うございました」
「……ふん」

 かさり、と軽い音がする。顔を上げると、どでかいインスタントコーヒーの瓶の隣に、見慣れた袋が置かれていた。
 いつものデカフェだ。ちゃんと、用意しててくれたんだ!

「ありがとうっ」

 やっぱ優しいよお前。ちくしょう、可愛い奴め!

 で、その後インスタントはどうしたかっつーと……飲んでます。時間ないときに。
 真性のカフェ中は、コーヒーの匂いと味と色さえついてりゃ何でもいいんです。せっぱ詰まってる時は。
 
(hとOともう一匹/了)

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