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ローゼンベルク家の食卓

【side15-5】釘を刺す人、刺される人

2011/02/21 22:41 番外十海
 
「スヴェンソンくん」

 食後の紅茶を飲み終わったところで、Mr.ローゼンベルクに声をかけられた。にこやかに、さらりと、文句のつけようのない丁寧な物腰で。

「ちょっと来てくれるかな。話したいことがあるんだ」

 言われて思った。これは逆らっちゃいけないんだと。ここは彼の家(テリトリー)なのだから。

「わかりました」

 シエンがこっちを心配そうに見てる。つまり彼が心配するような事態が待っているってことか。正直、ビビらないと言えば嘘になる。だけど、ほほ笑んで軽く手を振った。

(大丈夫だから)

 あれあれ。hがこっそり十字を切ってる。大げさ……じゃ、ないんだろうな、多分。

 リビングのドアを開けて、廊下を進む。以前、シエンの部屋に来た時とは反対側だ。ずっしりと重い樫材の扉を潜り、中に入る。
 部屋の壁は本で埋め尽くされ、奥には執務用のデスクが据えられている。書斎かな、ここは。
 ドアが閉まる。
 静けさの中に閉じこめられたような気がした。
 勧められた椅子に座り、デスクを挟んでMr.ローゼンベルクと視線を合わせる。この空気は、取調室に似ている……ただし今、取り調べを受けているのは俺だ。
 
「話したいことって、何でしょう?」
「ああ。今後のことについて、少しね」
「今後のこと……ですか」

 来るぞ。腹に力を入れて身構える。誰と誰の今後のことなのかは、互いに口にするまでもない。

「俺は、君とシエンの間のことは歓迎しない」
「……」

 予想以上にストレートだった。なまじ絡め手で来られるより、こたえる。逃げ場がない。同時に、わずかながらも反抗心が揺らめく。
 確かにあなたはシエンの保護者だ。だからってここまで露骨に言うか? いや、むしろ言ってくれて感謝するべきなんだろうな。
 
「職業上の問題もある。君にこの家に頻繁に出入りさせるわけにはいかない」
「です、ね」

 右手を顔の前に掲げ、中指と親指で眼鏡のフレームを支え、位置を整える。頭の中を、オフタイムからオンタイムへ。事件に向かい合う時の、ぴしっと張り詰めた思考に切り替える。

「以後、配慮して行動します。確かに現職の捜査官が弁護士の家に出入りするのは好ましい状況じゃない」
「まぁ、そんなことはどうとでもなるからいいんだが」
「……はい?」
「もっと深刻な問題もある」
「法的な問題、ですか」
「改めて言うまでもなく。君も知っていることだが――あの子達は、最悪の犯罪の被害者だ」
「はい」
「そして、君は一度しくじった」
 
 言葉に詰まる。

 降りしきる冷たい雨の中、シエンの肩を強引に掴み、引き寄せた。振り返った彼のおびえた瞳。凍りついた表情……そして逃走。

「この国では、失敗しても、失ってもまた立ち上がればいい……そんな夢があふれてるね。それは否定はしない」

 正面から見据えるライトブラウンの瞳からは、およそ人間らしい温もりが欠け落ちていた。まるで磨き抜かれた虎眼石だ――真実を見抜く石。

「だが、決して取り戻せないものも存在する」

 だらだらと、冷たい汗がしたたり落ちる。背中を。わきの下を。

「今はいい。シエンも安定してきた。以前のように家から出られなくなることも……少なくなった」

 ねばつく嫌な汗を流しながら、自分の体がだんだん縮んでゆくような錯覚に囚われる。さながら気分はクリスマスケーキに乗っかった、雪だるまのロウソクだ。

「何か、言いたいことは?」
「……シエンが好きです。浮ついた気持ちではなく、真剣に」

 ゆっくりと、言葉に変換して行く。自分の気持ちを偽らず、率直に。ここで見栄を張ったり取り繕ったところでどうなる?
 オレの本意ぐらい、この人はとっくの昔に見抜いている。だから呼び出されたんだ。

「失った信用は戻せない。だが新しく造ることはできる。それでもまたしくじったら……その時は容赦なく俺を断罪してください」
「それですむならね」

 うわ。氷の盾で払われた。だが負けるもんか。こちとらバイキングの末裔だ、寒さには耐性がある!

「……あなたに戦争をしかけるつもりはありません。退くつもりもありません」
「人の感情は不安定なものだ。恋愛ともなれば、なおさらだ」
「支えます。覚悟の上だ」

 美しい眉がわずかにひそめられる。
 ――怖いな。鋭いナイフを素手でにぎる気分だ。ちょっとでも動いたら、切れる。

「愛情こそが人を傷つける。実例なら山のようにある」

 普遍的な言葉。だが、込められた重みがずしんと胸を打つ。自ら見て、体験してきた者のみが知る、津波にも似た圧倒的な質量の重みが……。
 逃げずに正面から受け止めた。
 そうとも、逃げる訳には行かないんだ。その《実例》があなたとセンパイのことならば、なおさらに。

「だけど、手を離すことのできない相手がいる。俺にとって、それはシエンなんだ」
「それが君のひとりよがりでないと言えるかい?」
「……さあ……まだ途中ですから。いや、はじまったばかりかな?」

 ふっと彼の目が細められ、冷ややかに言い捨てられる。オレの方が背が高いはずなのに、一段高い場所から見下ろされたような気がした。

「その程度なら、さっさと恋心など捨てて帰りたまえ」
「お断りします」

 オレは一体何をしてるんだろう? 若手弁護士の中でも名うての切れ者、レオンハルト・ローゼンベルクに逆らってる。彼の家の、彼の書斎で。
 我ながら無謀なことをしてる。だけどここで退いたら今までの人生が無意味になる。シエンと過ごしてきた時間が、ゼロにされてしまう。真剣勝負だ、逃げも隠れもするもんか。

「シエンと俺は、今、ガラスのあちら側とこちら側で手探りしてるんです。手探りしながら、少しずつ前に出ている。ここでガラスをたたき割って手をつかんだら、それこそしくじりを繰り返す」

 ひと言発するごとに背筋がしゃっきりと伸びる。もう、汗はかかない。

「俺の態度をあなたが『その程度』と評価なさるのは自由です。だが、腹くくった上でやってる事だ。撤退と言う選択肢は、無い」
「それは……とても、危険な道だ。失敗のない人生はない。だが君にはもう二度と許されない」

 うなずいて同意を示す。

「ええ。もう、二度と」
「それがわかっていればいい」
「……了解」

 彼は立ち上がり、それとなく出口を示した。
 これにて謁見終了、下がってよろしいってことだ。

「失礼します。夕食をごちそうさまでした」
 
   ※
 
 居間に戻ると、シエンが待っていた。
 少しくすんだ金色の髪。夜明けの空にも似た紫の瞳。眉の間にうっすら皴がよっている。心配してくれてたんだね。ありがとう。

「エリック……」
「話、終ったよ」

 まださっきの対決の余波が抜けない。顔がこわばっている。正直、上手く笑うことができるかどうか……なんて、案ずるまでもなかった。シエンの顔を見た瞬間、書斎の重苦しさも、冷たく切りつける氷の刃もころっと忘れてしまった。

「夕飯ごちそうさま。また明日、ね」
「……うん」

 シエンはほんの少しとまどって、それから、はにかむような笑みを返してくれた。

「おやすみ」
「おやすみ」
 
   ※
 
 レオンはじっと目を閉じて、耳をすましていた。
 玄関の扉が閉まる、かすかな振動が伝わってくる。バイキングは出ていったようだ。

 目を開く。
 もともと最初から別れろ、と言う気はなかった。だが、シエンには正直、恋愛は早い。人を好いて、好かれて、それ故に傷ついて……あの子には、まだ、それに立ち向かうだけの耐性が無い。
 見た限りでは心配するような深い付き合いでは無さそうだが、相手はティーンエイジャーだ。どこで突然火が着くか、わかったものじゃない。
 バターを放り込んだまま空焚きした、フライパンみたいに。

 実際見えないところで会っているよりは、家に呼んだほうがいいのかどうか、迷う所だが……家庭の中は安心だ。けれどそこに篭ってしまうのも困る。
 彼がいるから。会いたいと願うからこそ、シエンは順調に回復しているのだ。それをハンス・エリック・スヴェンソンに教えるつもりは、毛頭ないが。

 当面、シエンのためには外で会わせた方がいい。それが恐怖感にならない限り。
 幸い、金髪眼鏡バイキングの性格はある程度把握している。しばらくの間はこうしてプレッシャーを与えておくだけでよしとしよう。

 のし、のし、と大股で歩く足音が近づいてくる。
 ああ、片づけが終ったんだな。

 頑丈な拳で、ゆっくりとドアがノックされる。

「どうぞ」

 扉が開いて、ディフが顔をのぞかせた。

「取り込み中か?」
「いや。もう終ったよ」
「……そうか」

 するりと部屋に滑り込み、近づくと体を寄せてきた。何があったか、彼はちゃんとわかっている。
 ヘーゼルブラウンの瞳は暖かい光をたたえ、背中に回された手は優しく、力強い。

「……おつかれ」
「ありがとう」

 唇を重ねる。ふわふわの赤い髪の毛から、まだかすかに……

 サーモンの香りがした。

(レッドサーモン、レッドコード/了)

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