▼ hとOともう一匹
- 拍手御礼短編の再録。
- エリックがレオンに呼び出された後、ヒウェルとオティアの間でこんなやり取りがありました。
- 実際にはトレンタサイズが出るのは2011年の春なんですが、ネタと言うことで。
「スヴェンソンくん」
食後の紅茶を飲み終わったところで、レオンが眼鏡バイキングに声をかけた。
「ちょっと来てくれるかな。話したいことがあるんだ」
「わかりました」
うわ、とうとう来たか、書斎への呼び出し。軽く十字を切って見送りつつ、隣の部屋に向かう。
前を歩く、オティアの後をついて行く。この頃、夕食の後にしばらく彼の部屋で一緒にすごすのが日課になりつつある。
と言っても特に何をするでもない。居間に座ってぽつりぽつりと言葉を交わす程度だ。
オティアの部屋のインテリアは、おしなべて丈が低く、床に敷いたラグは上質で肌触りのいいものが揃っている。
それと言うもの、こいつが床の上でころんころん転がってるからだ。本を読むのも、パソコンを使うのも、床の上。寝ころんだり、ヨガをやる時みたいにあぐらをかいたり。
よくぞそこまで足が開くと感心する。関節が柔らかいんだろうな。
そして今、丈の低いソファの上に足を組んで座るオティアの膝の上には、白いお猫さまが丸くなっていらっしゃる。
俺が部屋にいる時の定位置だ。青い目を光らせ、じっとにらんでいる。
俺を。
ちょっと動くと、針みたいな視線が追いかけてくる。
「お前、ほんとに猫に嫌われてるな」
「言うな。それほど嫌われてもいないと思うんだ!」
子猫の時分に、バスケットに入れて。はるばるエドワーズ古書店からこの家にお連れしたのは、他ならぬこの俺なんだ。留守番してる時は、飯もやってるし。トイレも掃除してるし!
何よりそのキャットタワーは誰が贈ったものだとお思いか。
「なー。オーレさんや?」
精一杯、清らかな笑顔を浮かべて手を出す。電光石火、べしっとひっぱたかれた。見事な手さばきだ。白い残像しか見えなかった。
一拍置いて、手の甲にちっちゃな引っかき傷が浮かぶ。
「………いたひ」
「当たり前だ。バカ」
「バカってゆーな」
でも、嬉しい。俺を見てくれる。ちゃんと会話してくれる。何より部屋に来ても追い出さない。
座って、一緒に居てくれる。
「お前、ヤニくさいんだよ」
「歯磨きしたし、消臭剤だってちゃんと吹いてるぞ!」
「動物にごまかしなんか効かねーよ」
「厳しいな……」
オーレはもわもわに膨らんで俺をにらんでる。ほっそりした体が1.5倍になってる。長い尻尾は鞭のようにしなり、ひゅんひゅんと空を切り――さっきからずーっと俺を叩いてる。ぴしり、ぱしりと、容赦無く。
所詮は猫の尻尾、痛くも痒くもないけれど。
「どーして俺にだけ攻撃的なのかな、このお姫さまは」
「にーう」
「目つき悪ぃよ、お前」
「そう言うこと言うからだろう」
「……あ」
口は災いのもと。
しばし沈黙を置いてから、それとなく口にしてみる。今日、二人きりになったら言おうとしていたことを。
「その……そろそろ切れそうなんだ、アレ」
「ああ」
アレと言うのはデカフェのコーヒー豆のことだ。煮詰まるようなコーヒーをがぶ飲みし、カフェインの過剰摂取を続けるのは体に良くない、と、二ヶ月前からオティアが差し入れしてくれている。
一週間ばかり前に、初めてその事実を知らされた時は、顎がかっくん、と落ちたね。
二ヶ月も、カフェイン抜きのコーヒーを飲んでたのか! って。恐ろしいことに、ちゃんと効いてたあたりが我ながら情けない。
「カフェインがなきゃ、絶対、毎日成り立たないって思ってたんだよな。でもコーヒー飲めれば満足してるし……ってか香りだけでもかなりしゃん、とする」
「末期だな」
「はい、末期です。カフェ中です」
絶妙のタイミングで、オーレがふんっと鼻を鳴らした。顎をくいっと上げて、鼻先で笑ったみたいに。こいつ、絶対わかってやってるな?
「あー、新しくスタバのサイズが増えたの知ってるか?」
「ああ」
「ヴェンティのさらに上、トレンタってーの。ワインボトル一本分、余裕で入るらしいぜ? あれ、いいよな! おかわりの手間が省けて」
「阿呆か。冷めるだろ」
「えー、電子レンジがあるじゃん」
じっとーっとにらまれた。斜め上方四十五度に、上目遣いで。
「劣化が気にならないなら、インスタントでも飲んどけ」
「えー」
「お前、コーヒーの善し悪しなんかわかっちゃいないんだろ」
「そんなこと、無いと……思うなあ……………タブン」
しとろもどろに話してる間に、ちっちゃな引っかき傷は跡形もなく消えていた。
※
次の日、オティアが俺の部屋に来た。
「お、どうした?」
つかつかと部屋に入り、テーブルの上にどんっと。1500mlサイズのコーラと見まごうような特大の、インスタントコーヒーの瓶が乗せられた。
ラベルにはでかでかと「カフェインレス」の文字が。
やりやがった!
「いや、確かにこれもデカフェだけど」
オティアはかっぽん、と赤い蓋を開けると中味をさらさらとマグカップに入れた。お湯を注いで、かきまぜて、どんっと目の前に置いた。
「飲め」
「……はい」
ずぞー、と一口。うん、味も香りも確かにコーヒー豆だよ。ちゃんとコーヒー豆から作ってるし、チコリとかタンポポに比べりゃはるかにコーヒーなんだけど。
うえええ、と口が歪む。
決定的な何かが欠けてるのが、ありありと分かっちまう。
すさまじく……味気ねえ………。
即座に俺は白旗を振った。
がばっとテーブルに手をつき、頭を下げる。
「ごめんなさい。私が悪うございました」
「……ふん」
かさり、と軽い音がする。顔を上げると、どでかいインスタントコーヒーの瓶の隣に、見慣れた袋が置かれていた。
いつものデカフェだ。ちゃんと、用意しててくれたんだ!
「ありがとうっ」
やっぱ優しいよお前。ちくしょう、可愛い奴め!
で、その後インスタントはどうしたかっつーと……飲んでます。時間ないときに。
真性のカフェ中は、コーヒーの匂いと味と色さえついてりゃ何でもいいんです。せっぱ詰まってる時は。
(hとOともう一匹/了)
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