▼ すやすや
- 拍手御礼短編の再録。
- 実はちっちゃな子供が苦手なレオンが子守を頼まれてしまいました。
- 双子は留守、ディフも席を外している中、さてどうなりますか……。
レオンハルト・ローゼンベルクは当惑していた。
illustrated by Kasuri
リビングのソファに腰かけ、優雅にひじかけにもたれかかりつつ、手にした本に目を落とす。反対側の手すりによりかかっているのはディーン。ついこの間、四歳になったばかりのアレックスの息子。でれんと手足を投げ出し、熟睡している。
信じられない。ついさっきまで、きゃっきゃとオーレを追いかけ回していたのに。
ランチの後、いつものようにバスケットを抱えてディーンが配達にやってきた。中味は焼きたてのクロワッサンとマドレーヌ。いつもは遠くから様子を伺うだけのオーレが、鼻を膨らませて飛びついてきた。
「みゃーっ」
「キティー!」
「おおっと」
速やかにディフがバスケットを確保、キッチンに退避。その間にディーンは猫を追いかけ、部屋中ぴょんぴょん跳ね回る。
ソファーの背に駆け上がったオーレに向かって手を伸ばし、いきなり動きが止まったなと思ったら……その場にぱたっと突っ伏してしまったのだ。
さすがにぎょっとしたが、ディフは落ち着き払ってディーンを抱き上げた。
「心配ない。眠ってるだけだ」
「……そうなのか」
「電池が切れたってやつだな。これぐらいの年の子供にはよくあることだ」
熟睡する四才児をソファに寝かしつけるディフの姿を、やや遠巻きに見守っていると。
「毛布とってくる。その間見ててくれ」
「わかった」
約束したから、見ている。可能な限り離れつつ、読書の合間にちらりちらりと横目で見ている。
正直、落ち着かない。小さな子供は苦手だ。早くディフが戻ってこないか。そわそわと主寝室につながるドアに目を向けていると。
「んー……」
ディーンが寝返りを打った。しかも、そのままずるりっと滑り落ちる。
危ない!
とっさに手を出し、受け止めた。
熟睡する四才児の体は、流動体だった。溶けたバターみたいにぐにゃぐにゃで、あらぬ方向に垂れ下がる。今にも腕をすり抜け、にゅるんっとこぼれ落ちそうだ。
(何で首がこんな角度に!)
抱き取ったのはいいものの、どうしても体が逃げてしまう。妙に熱っぽい、湿った体。骨が通ってるんだろうかと思うぐらい、ぐにゃっとした手足。まるで異界の生き物だ。必要以上に触りたくない。かと言って放り出す訳にも行かない。
(こ、これからどうすればいいんだ……)
今にも崩れそうな流動体生物を抱えたまま、立つことも座ることもできずに固まっていると……
のっしのっしと大股な足音が近づいてくる。ほどなくドアが開いた。
ああ、天使が戻ってきた!
「待たせた、レオン。ちょうどいい大きさのがなかなか見つからなくてな」
「ディフ!」
顔にも声にも、ほっとしたのがにじみ出ている。いや、あふれている。家長の威厳も何もあったもんじゃない。だが構うものか。幸い子供たちは図書館に出かけている。この場にいるのは自分とディフだけだ。
「……大胆な寝相だな」
「うん……ちょっとびっくりしたよ」
「ありがとな、助かった」
ひょいとディーンを抱き取り、くるんと手際よく毛布でくるんでいる。
「こんな状態でも起きる気配は無し、か。良い度胸してるなあ、ディーン」
目を細めて顔中笑み崩すと、ディフはすやすや眠るディーンを膝に抱いてぽふっとソファに腰かけた。
何て優しい眼差しだろう。何て穏やかな横顔だろう。レオンはすかさず妻の隣に座り、ぴと、と身を寄せた。
「どうした、レオン」
「……可愛いな」
「ああ、可愛いな」
二人の視線は微妙にすれ違っているのだが、まったく問題はない。
がっしりした肩に手を回し、ふわふわした赤い髪の毛をなでる。優しく指にまとわりつく手触りが、まるで綿菓子みたいだ。くすぐったい。心地よい。
「しばらく寝かせといてやるか」
「ああ、そうだね」
こう言う時のディフは最高に柔らかく、穏やかな表情を見せる。まるで幼子を見守る天使のように。間近に見ているとひしひしと幸せが胸を満たし、身も心も温かな光に包まれる。
幸い、ディーンの眠りは深く、目を覚ます気配はない。ゆるく波打つ赤い髪に顔をうずめる。腕の中、愛しい人がくすぐったそうに身をよじる。だが逃げる気配は微塵もない。
午後の陽射しの中、レオンは存分に幸せに浸るのだった。
(すやすや/了)
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