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お使いサクヤちゃん

2012/10/30 23:39 短編十海
 
  • 拍手お礼用短編の再録。
  • サンフランシスコに留学中の従姉に、食料を送ることにしたサクヤちゃん。
  • でもレトルト食品やインスタント食品を一人で買ったことがないので、心細い。
  • ちょうど神社にやって来た裕二さんと一緒にお買い物に行くことに……。
 
 風邪引きのお見舞い以来、裕二さんが結城神社に来るようになった。
 無論、藤野先生のお使いや、伯父さんと話があったりするついでなのだけれど、それでもすぐには帰らずに居てくれる。
 だからお茶の間で犬や猫と話したり。散歩に行ったり、ぽちの世話をしたりして、のんびり過ごすことができる。
 たまにカラスのクロウが一緒にくっついて来て、賑やかになる時もある。
 犬の新十郎さんとは犬の言葉で、猫たちとはちゃんと猫の言葉で喋ってるからすごい。バイリンガル? それともトライリンガルって言うのかな?

 ある日、よーこちゃんからハガキが届いた。送ったセーターが、最初はピンク色でびっくりしたけど、あったかいしクラスメイトにも似合うってほめられたって書いてあった。
 他にも学校のことや友達と出かけた場所、見たこと聞いたことを簡潔に、でも楽しそうに報告した後、最後に一言

 「日本食たべたーいっ」

 ……って書いてあった。
 ざっと走り書きで追加された一文。そこだけ筆跡がちょこっと崩れていて、本音が出てる。相当、がまんしてるんだろうなって思った。
 伯母さんも母も同じことを感じたみたいだった。

「日本食を送ってあげましょう」
「そうしましょう」
「いや……わざわざそんなことする必要があるのだろうか」

 遠慮がちに伯父さんが口をはさむ。

「サンフランシスコは日系人が多いから、日本食も売ってるだろう。日本人街まで行けば、日本式のラーメンも牛丼も買えるんじゃないか?」
「だけど海を越えて運ぶんでしょ? それなりにいいお値段になっちゃうはずよね」
「留学生の限られたお小遣いじゃ、滅多に買えないわよね」
「そうそう、よーこちゃんって質実剛健の倹約家で、お侍さんみたいなとこあるし?」

 そして伯母さんと母は口をつぐみ、じっと伯父さんを見た。
 誰に似たのか言わなくてもわかるわよね? って顔をして。

「うー……む」
「ちょっぴりホームシックなんじゃないかな」

 ぽつりと呟く。何となくそんな感じがした。何故って聞かれると困るけど、とにかくよーこちゃんの感じた事を、自分でも感じるんだ。ほとんど虫の知らせみたいな、淡い感触でしかないけれど……小さい頃から、ずっと。

「よし」

 伯父さんはうなずいて、すっくと立ち上がった。

「送ろう!」

 伯母さんたちも同時にうなずいた。

「日持ちのするものがいいわね……レトルトとか?」
「できるだけ軽いものがいいわね……インスタントとか?」
「よし、では早速!」
「ちょっと待ってあなた」

 勇んで飛び出そうとする伯父さんの袴の裾を、くいっと伯母さんが引っ張る。

「午後から、七五三のご祈祷が入ってるじゃありませんか」 
「うーむむむむ」

 十一月から年末にかけて、神社は一番、忙しい。
 くるっと母がこっちを見た。

「サクヤちゃん、お願いできる?」

 少し迷ってから、頷いた。

「……うん、いいけど」
「しかし結構な荷物になるぞ?」
「もう、羊司さんったら」
「どれだけ送るつもり?」
「いやその……サクヤくん一人に任せていいものかと、心配で」

 ちょうどその時、玄関から聞き慣れた声がした。

「こんちわー」
「あ」
「あ」
「あ」

    ※

「ふーむ、なるほどね」

 縁側に座って、ずぞーっと温めのお茶をすする裕二の膝の上には、白に点茶模様の猫「みつまめ」がまあるくなっている。サクヤの膝の上には、お団子尻尾の黒猫「おはぎ」が。白黒模様の「いそべ」はその隣できちっと香箱を作っている。

「うち、あんまりインスタント食品とか、レトルトを買わないから……」
「んまあ、ここん家は人数多いしな。ああ言うのは二人前とか、一人前が基本だし」

 裕二はくあーっとあくびをすると、大きくのびをした。みつまめが、ちょっぴり残念そうな声を出して膝から降りる。

「そう言う事なら、お手伝いしますかね」
「……ありがとう」

 正直、ほっとした。母に頼まれてうなずいたものの、本当は一人きりで慣れない物を買いに出かけるのは、心細かったのだ。

 そんな訳で、サクヤと裕二は駅前の商店街まで買い物に出かけた。
 さほど距離は離れていないので、歩きで移動する。
 深緑のダッフルコートを着て、くるっと水色のマフラーを巻いたサクヤの隣に、茶色いトレンチコートの裕二が並んで歩く。

「よーこちゃんの好きな食べ物って何だ?」

 迷わず答える。

「メロンパン」
「……さすがにそれ、アメリカに送るのは無理だろうなあ」

 送ることはできるだろうが、届いた時、きっと原形は留めていない。

「あと、ちらし寿司とめん類。うどんに、おそば、ラーメンも」
「なるほど、そっちは何とかなるな」
「あと、向こうのプリンミックスがすっごい味だったんだって」

 思わず裕二はぷっと吹き出した。

「試したんだな?」
「うん。根性で残さず食べたって、ハガキに書いてあった」
「ははっ、真面目だなあ。んじゃ、本物の日本製を送ってあげますかね!」

 スーパーで、カートに目当ての食品を入れて行く。
 プリンミックス、カレーにお茶漬けに海苔にインスタント味噌汁、炊き立てご飯に混ぜればOK、ちらし寿司の素。
 袋ラーメンは塩、醤油、味噌、とんこつ各種1セット。
 さらに乾めんタイプの蕎麦とうどん、粉末の蕎麦つゆの素もおつけして。

「ついでに切り餅も入れておくか?」

 こくっとサクヤはうなずき、小さな声で付け加えた。

「年末年始も帰国しないから」
「そりゃあ、寂しいな」
「……仕方ないよ」

 一個ずつ真空パックされた切り餅をカートに入れながら裕二は胸の奥でつぶやいた。

(真面目で何かっつーと我慢しちまうのは、二人一緒なんだろうな)

「お、ついでにこれも入れとくか」
「ご飯?」

 裕二が手にしたのは、四角いパックには、ほかほかと湯気を立てる白ご飯の写真がプリントされていた。

「うん、レンジで温めればほかほかの白ご飯が食べられるって代物だ」
「炊く必要、ないんだ」
「お湯で温めてもいいしな。米送るより、手っ取り早いだろ」

     ※

 帰りがけに、駅前のラーメン屋の前で。ふわんっと漂ってくるスープのにおいに誘われて、ついつい足が止まる。

「腹減ったし、軽く食べてくか?」
「う……うん」

 ここのラーメンは何度か食べたことがある。でもそれは出前で、お店に入るのは初めてだった。つい珍しくてきょろきょろしてしまう。

「何にする?」

 サクヤはメニューを見て、しばらくの間、首を捻った。それから、そ、と献立の一つを指さした。

「……これ」
「OK、醤油ラーメンな。んじゃ醤油ラーメン二つ!」
「はい、かしこまりました!」
「ちっちゃい器もつけてな」

 葱のたっぷり入った熱々の醤油ラーメンは、外を歩いて冷えた体には何よりのご馳走だ。

「いただきます……」
「いただきます」

 そう言って、裕二は小さな器にめんとスープを少しとりわけて、ちょっと時間を置いてからすする。
 猫舌なのだ。お茶も、紅茶も、スープもいつもさましてから口にする。
 一方、サクヤは熱々のをふーふー覚まして、美味しそうにちゅるちゅるとすする。

「めん類好きなんだな」
「うん……あ」

 曇った眼鏡を外すと、テーブルに備え付けの箱ティッシュから一枚引き抜き、きゅっきゅっとレンズを拭っている。どことなく、恥じらっているような仕草だった。

「ははっ、熱々だからなあ」

 ちゅるちゅるとラーメンを食べるサクヤの姿に、もう一人の子が重なる。

(まだ写真でしか見たことないけれど、よーこって子もこんな感じなんだろうな)

     ※

 およそ十日後。
 
「うわああ!」

 結城羊子は、届いた荷物を見て目を丸くした。

「ラーメンだ! おそばだ、うどんだああ! あ、お茶漬けもお餅も入ってる! え、え、え、何これ、ご飯に混ぜればそのままちらし寿司できるの? 具材を用意する手間省けるの? うっわーどうしよう!」

 はーはー、と荒く息を吐きながら、荷物をほどく手が一瞬止まる。
 箱の下の方から、ぴちっとビニールで密封された、平べったい木箱が出てきたのだ。

「え、素麺? 何で?」

 冬なのに何故、今、素麺。
 お中元の余り……のはずはない。家に来た分は、出国前に全部食べ尽くして来たはずだから。

「ま、いっか、にうめんにすればいいよね……うふ、うふふっ」

 羊子は喜びのあまり……
 ちらし寿司の素をかかえて、ベッドの上をごろんごろんと転がった。無論、ごくごく一般的なシングルサイズのベッドなのだけれど。あくまでアメリカンが基準なものだから、小柄な彼女は、余裕で転げ回るだけの広さがある。

「んっきゅーっ……っ! うれしー、うれしー!」
 
 はしゃぎまくってはたと気付くと。

「……ヨーコ?」
「あ」

 いつ戻って来たものやら、ルームメイトのカリーがぼう然としてのぞきこんでいた。

「どうしちゃったの?」
「な……何でもない」

(不覚ーっ!)

 耳まで真っ赤になりながら、ヨーコはもそもそと起き上がるのだった。

    ※

「ついでにこれも入れとくか、素麺」
「え、こんなに沢山?」
「気にするな、どうせもらいもんだ。うち二人しかいないから、盛大に余っちゃうんだよなあ」

 買ってきた食料を箱に詰めてる時、そんな会話があった事は、知る由もないのだった。

(お使いサクヤちゃん/了)

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カボチャとサクヤちゃん

2013/01/13 3:01 短編十海
 
 10月も終わりに近い土曜日の午後。
 結城サクヤが伯父の羊治に連れられて占い喫茶「エンブレイス」を訪れると、大量の『笑顔』に出迎えられた。
 オレンジ色のカボチャがごろりんごろん。
 丸や三角の目をくりぬいて、ぎざぎざの口で笑っている。

「わーカボチャがいっぱい……」

 しげしげと眺めている所に、天井からばさばさっと黒い翼が舞い降りる。烏のクロウだ。

「いぇーい、さっくーや! はっぴーはろうぃーん!」

 相変わらずテンションが高い。しかも英語の発音は完璧だ。(どこで覚えたんだろう)

「え、はろういん? スヌーピーのアニメでやってた、あれ?」
 
 結城サクヤは神社の子だ。洋風のイベントにはあまり馴染みがない。時に1995年、日本ではまだそれほどハロウィンが定着していなかった。
 ハロウィン限定パッケージのお菓子がスーパーやコンビニで普通に売られるようになるのは、まだまだ先の事だったのだ。

「おう、サクヤ。来てたのか」

 カウンターの奥から裕二さんが出て来る。お店のオーナー、藤野先生のお孫さん。てっきり高校生だと思ってたら、実は大人の人だった。手にはオレンジ色のカボチャを持っている。ちょうどでき上がったばかりなんだろう。目や口の切り口が新しい。

「こんにちは、裕二さん。それ、ハロウィンのカボチャ?」
「ああ」
「これ、何に使うの?」

 スヌーピーのアニメではそこまで詳しく出てなかった。ただカボチャをくりぬいて顔を作るだけとしか知らなかったのだ。

「こうやって中味をくりぬいて、ロウソクを入れるんだ」

 そう言って裕二さんはカボチャの提灯を隅のテーブルに運び、窓のカーテンを閉めた。日の光が遮られ、そのテーブルの周りだけがほんのり薄暗くなる。

「見てろ」

 取り出されたのは、銀色の円筒形の器に入った平べったいロウソク。アロマポット用のキャンドルだ。そーっとカボチャの中に入れて、火をつける。

「あ」

 カボチャの目と口がぽやあっとオレンジ色に光ってる!

「ほい、カボチャのランタン……ジャック・オ・ランタンのできあがりっと」
「わあ、すごい!」
「元はカブだったらしいが、カボチャの方が皮があるし細工しやすいからな」
「提灯みたいだね」
「ははっ、そうだな。日本で言うとお盆に当たる行事だしな」
「………じゃあ、これ持ってお墓参りに行くの?」

 お墓にずらあっとカボチャのランタンが並んでいる所を想像する。ちょっと、怖い。

「いや、これは魔除けだよ」
「魔除け?」
「うん。昔のヨーロッパの暦では、一年は10月31日でおしまい。11月1日からは新しい年が始まっていたんだ」
「早いね」
「丁度、季節が切り替わる時期だからな。特に北の方では11月になると日の出がどんどん遅くなって、その分、日の入りが早くなる。昼の時間が短くなって、気温も下がる。湖もカチコチに凍っちまう」

 想像して、サクヤはぶるっと身震いした。日本の暦ではまだ霜が降りるかどうかと言う時期なのに。北ヨーロッパではもう、湖が凍るほど寒いのだ。

「一年の終わりの夜は、あの世とこの世の境目が無くなって。死者の霊や魔物がこの世にやって来るって信じられてたんだな」
「ほんとだ、お盆に似てるね」

 裕二さんは頷いた。

「死者の霊の中には懐かしい祖先もいるけれど、恐ろしい悪霊もいる。だから、おっかない顔を作って魔除けの火を灯したり。自分達もお化けの格好をして身を守ろう……ってのがメインさね」
「何でお化けの格好をするの?」
「悪霊や魔物に会っても、仲間だと思わせるためさね。まあ、元々はケルトの収穫祭なんだけどな」
「ふうん……ハロウィンって、ちょっと怖い日なんだね。あ、でも仮装は楽しそうだな」
「ま、ここは日本だ、楽しく仮装して、お菓子もらって遊べば良いのさ」
「それ……やったことない」
「おや、そうなのかい」
「うち、洋風のイベントはあまりやらないから。ちょうど七五三の準備で忙しい時期だし」

 今ごろ、家では母と伯母さんがエンジン全開で千歳あめの袋詰めをしているはずだ。
 伯父さんもこの後、家に帰ったら、千歳あめとお札のご祈祷ラッシュが待っている。

 サクヤの説明に頷きながら、裕二は思った。
 そんな忙しい中、わざわざ結城神社の宮司さんはここに来た。娘さんがアメリカに留学して以来、めっきり口数の少なくなった甥っ子を連れて。

『サクヤちゃんね、ほとんど家族以外とは話そうとしなかったんですって』

 祖母の言葉を思い出す。

『うちのお店に来て、あなたや私と話すようになって皆さん喜んでるわ。すごい進歩だって』

「サクヤ、ちょっと目、つぶってろ」
「うん」
「待ってろよー。まだだぞーまだー」

 カウンターの奥からごそごそと、かねて用意したある物を引っ張り出す。

「ようし、動くなよ?」
「う、うん」
 
 素直に目を閉じたサクヤの肩にそろっと黒いマントを羽織らせて、同じく黒のとんがり帽子を頭に乗せる。

「ほい、できあがり。目、開けていいぞ」

 ぱちっと目を開けて、サクヤはぽかーんっと口を開けた。
 肩を覆う黒いマントに。次いで頭の上の帽子を手で触って確かめる。

「こ、これって、もしかして……」

 魔法使いの帽子だ。魔法使いのマントだ!

「ハロウィンの、仮装?」

 ほわほわっとサクヤの頬に薄いピンクが広がる。

「ふふっ、ただの仮装じゃねぇぞ? 本物の『魔女(ウィッカ)の衣装』だからな」
「本物? 本物なの、これっ」
「おう、つっても作ったのは婆ちゃんじゃなくて俺だけどな……魔除けの印を入れてあるだけの、仮装に毛が生えた程度の代物さね」

 サクヤはぺろっとマントの裾を持ち上げた。黒地に銀色の糸でうねうねと、草を編んだような(何となく植物だなって感じたのだ)模様が刺繍されている。
 さらに胸元には、ハートとスペード、ダイヤとクラブ。左右対称に二つずつ、トランプのマークのアップリケが縫い付けられていた。

 刺繍とアップリケからは穏やかで、清々しい気配が伝わって来る。しんとした夜の空気を感じた。全てを青く染める月の光にも似た穏やかな気配が自分を包み込み、守ってくれるのを感じた。

「ほわあああ、すごい……」

 サクヤのほっぺは今やリンゴのように真っ赤っか。瞳はまん丸く見開かれ、潤み、きらきら輝いている。

「サクヤ、『トリックオアトリート』っつってみな?」
「とりっくおあとりーと?」

 首をかしげながら裕二さんの言葉をマネしてみる。

「おぉっと。お菓子くれなきゃ悪戯しちゃうってか?」

 裕二さんは大げさに目を見開き、ぎょっとした顔でのけ反った。

「悪戯されちゃあ敵わなねぇ、ほれ、もっていきな?」

 ひょい、とオレンジの丸いものが手のひらに乗せられる。プラスチックでできた小さなカボチャのランタン。中には、クッキーやキャンディが詰まってる。

「…………っ」

 同じだ。スヌーピーと同じだ!
 嬉しさのあまり、サクヤはぷるぷるぷる震えた。言葉も無く、無表情で立ち尽くす。
 嬉しい気持ちが強すぎて、顔から表情がすっ飛んでしまったのだ。

「おい、サクヤ?」

 名前を呼ばれて、すっ飛んだ喜びと感激がぐるっと一周回って戻って来る。目元が緩み、唇がほどけ、サクヤはほわあっとほほ笑んだ。

「こんなの始めて……ありがとう」
「ん、どーいたしまして」

(たったこれだけの事なのに、んーなに楽しそうな顔しちまってまあ)

 見守る裕二の視界がいきなり、ばささっと黒い翼で遮られる。

「っかーっ! とりっくおあとりーと! とりっくおあとりーとーっ」
「ええい、うるさいっ!」

 顔面に張り付くクロウをべりっとひっぺがし、ぽいっと空中に投げ捨てる。

「かーあ、かーあ、とりっくおあとりーとー! お菓子くれなきゃ悪戯するぞー」
「そら、持ってけ!」

 ぶんっと投げつけたパンプキンクッキーを、クロウは器用にくちばしでキャッチ。途端に静かになってテーブルの上に舞い降り、かつこつ砕いて飲み込んだ。

 くすくす笑いながら、サクヤは裕二を見上げた。

「ね、裕二さん、写真とっていいかな」
「ああ、それ、やるから持って帰って良いぜ? 写真も好きなだけどうぞ」
「いいのっ?」
「ああ」

(そのために準備したんだしな?)

「あ……あ……ありがとうっゆーじさんありがとう! すっごくうれしい!」
「どういたしまして」
 
    ※
 
 神社に戻って、魔女のとんがり帽子とマントを見せると、母と伯母さんは口をそろえてさえずった。

「着て、着て、サクヤちゃん」
「見せて! 見たい、すごく見たい!」
「う、うん」

 マントを羽織って帽子を被って、ふっと顔を見上げたら伯母さんの腕には、神社の飼い猫おはぎさんが……全身真っ黒な猫が抱かれていた。

「さあ、サクヤちゃん。おはぎさんを抱っこして」
「う、うん」
「はい、カボチャのランタンも持って」
「うん」

 おはぎさんを抱っこして、裕二さんからもらったカボチャのランタンを手に下げると母に呼ばれた。

「サクヤちゃーん、こっち向いてー」

 いつ持ってきたんだろう。しっかりカメラが構えられていた。

「はい、チーズ!」

 その日の夕方。結城神社の宮司、結城羊治が千歳あめの祈祷を終えて戻って来ると………。

「はーい、サクヤちゃんこっち見てー」
「いいねー、そのポーズいいねー」
「はい笑ってー」
「それじゃ今度はほうき持ってみよっか!」

 茶の間がグラビアの撮影会場と化していたと言う。 

     ※

 この時の写真は翌日、速攻で現像され、サンフランシスコの羊子に宛てて郵送された。
 羊子の元に写真が届くのと同じ頃、結城神社の郵便受けにもコトリと、アメリカから分厚い封筒が届いた。

「あれ?」
「あれれ?」

 海を越え国境を越え、時差を越え、ほぼ同時に写真を見たサクヤとヨーコは首を傾げずにはいられなかった。
 届いたのも。送ったのも、どちらも『黒猫を連れたハロウィンの魔女』だったからだ。
 ただし、ヨーコの隣の黒猫は眼鏡をかけて、ふてくされていたけれど。

(カボチャとサクヤちゃん/了)

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さんふらん通信「ぱぱは戸惑う」

2013/03/11 20:14 短編十海
  • サイト開設5周年を祝して、読者の皆様にあふれる感謝とともにささやかなお話を贈ります。
  • ちょっぴり不思議な力を持った双子と、熱血漢なままと、美人なぱぱ、そして周りの人たちのほんわりした何気ないいつもの日常。
  • サンフラン(San-Fra)はサンフランシスコ(San Francisco)の略称です。
 
 さらさらと柔らかな絹のような髪の毛。大理石の女神像を思わせる端正で、なおかつ怜悧な知性の輝きを秘めた顔立ち、透き通る紅茶色の瞳。
 美貌の弁護士、レオンハルト・ローゼンベルクは戸惑っていた。
 キッチンの床の一角を凝視したまま、その優美な細い眉をしかめて途方に暮れていた。
 原因は、つやつやに磨かれたフローリングの上にぽとりと落ちた紐状の物体。鮮やかな若葉色のそれは、大人の小指ほどの太さと長さがあり、動いていた。
 にゅっ、にゅっと、動いていた。
 くねっていた。

 要するにそいつはキャベツの切れっ端でもなければ紐でもなく、増して茹で過ぎたホウレンソウ入りパスタでもなければ、スナップエンドウでもない。
 れっきとした生き物、いわゆる「青虫」と言う存在だったのだ。
(……困った)
 くわしい種類はわからないが一応、知識として鱗翅類の幼虫だと理解はしている。問題は何故、それがマンションの六階のキッチンにいるのか、と言うことだ。

 可能性はいくつか考えられる。
 その1。
 ベランダの家庭菜園から紛れ込んだ。土も葉っぱもあるから、有り得ない事ではない。ディフとシエンがこまめに手入れをしているが、
「それでもどっからともなく卵産みにやって来るんだ。あいつら根性あるな」
 って事らしい。

 可能性、その2。
 ファーマーズマーケットから買ってきた『新鮮』な野菜にくっついて来たのがこぼれ落ちた。
 畑からほとんど人の手を経ずにやってきたのだ、こう言ったことはままある。
「新鮮な印だ。虫が食うほど上手い野菜だってことだろ!」

 どちらの場合もディフは動じる事なく青虫を回収し、紙にくるんでぽいっとゴミ箱に入れていた。
 自分はいつもそれを見守っていただけだ。触れたことなんか一度もない。
 だから、困っている。
 いつも青虫の対応を任せているディフは今、シエンと一緒に買い物に出かけているのだ!

 にゅっ、にゅっ、にゅっ。
 
 青虫がのたうつ。
 眉間の皴が深くなる。
 どうする。電話するか?

「ハロー、キッチンの床の上に青虫がいるんだけど帰ってきてくれないか」

 いや、駄目だ。一家の主がたかだか青虫一匹でワイフを電話で呼び戻すなんて! あらゆる意味で駄目過ぎる。
 アレックスを呼ぶ事も考えたが、子供の頃ならいざ知らず、いい年の大人が「青虫を取って」なんて執事に言えるだろうか?
 第三の選択として、ヒウェルを呼ぶのはどうだろう。……いや、無しだ。駄目だ。うかつに彼に借りを作ったら、後々まで何かにつけて言われるに決まってる。

『そーいやレオン、あん時の青虫には度肝を抜かれましたよねぇ』と得意げに。

 却下だ。あいつに得意そうな顔をさせるぐらいなら、青虫を素手で掴んだ方がよっぽどましだ。
 やったことがないだけで、サリーのように『苦手』と言う程じゃない。
 ここは家長の尊厳をかけて、自分で解決するしかない。
 意を決して屈みこみ、伸ばしたその指先で……

 にゅっ!

「………」

 青虫が派手にのたうち、レオンは硬直した。
 この不規則に動くぐにぐにした生き物に触れるなんて、考えただけで虫酸が走る。(青虫だなだけに)
 床に膝をついて、手を伸ばしたまま途方に暮れていると。
 ちりっと鈴の音が聞こえた。
 刹那、白い旋風がかけぬけ、青虫が消える。いや、実際には移動していたのだ。得意げにこっちを振り返る、白い猫の口に!

「…………オーレ」

 白いほっそりした猫は、とことことレオンの目の前に歩いてきてきちっと座った。
 しっかりと青虫をくわえて、期待に目を輝かせている!
 だが、獲物はまだ動いていた。
 
 にゅっ。にゅっ。にゅっ。

(どうしよう。どうすればいい!)
 正直、猫は苦手だ。虫はもっと苦手だ。苦手なものが、苦手なものをくわえている。この厄介な連鎖からどうやって抜け出せばいいんだ!

 その時、意外な方向から救い主が現われた!

「オーレ」
  
 食堂の入り口に、くすんだ金髪に紫の瞳の小柄な少年が立っている。珍しい事に双子の片割れは買い出しに行かず、家に残っていたようだ。
 愛しの『おうじさま』によばれ、オーレはたたたたたっと小走りに駆け寄った。得意げに鼻面を膨らませ、しっぽをつぴーんっと立てて細かく震わせている。

「よくやったな」

 オティアは平然と青虫を受け取るとティッシュでくるみ、すたすたと食器カゴの方へと歩いて行く。

「……これでいいか」

 洗い終わって干してあったピクルスの空き瓶を選び、テーブルに乗せた。
 さらに冷蔵庫からキャベツを持ち出し、外側の葉をちぎって瓶に入れて、その上にぽいっと青虫を放り込む。
 仕上げに瓶の口にキッチンペーパーを被せ、手際よく輪ゴムで止めた。

「どうするんだい、それ」
「ディーンに持ってく。これはモンシロチョウの幼虫だ。観察の役に立つ」

 執事の息子ディーン・オーウェンは好奇心旺盛な4歳児。目下の所、昆虫図鑑が愛読書なのだった。
 床に屈みこむと、オティアは改めてオーレの頭を、耳の後ろ、顎の下を撫で回した。オーレはうっとりと目を細め、ぐいぐいとオティアの手に顔をすりつけている。結果として、ものすごい力でオティアの手に体がこすられるが、当猫はいたって上機嫌。ごろごろ咽を鳴らしている。
 撫でられているのか、自分から撫でさせているのか、あるいはその両方か。

「行くぞ」

 オティアはひょいっと白い猫を抱きあげて、襟巻きみたいに首にくるりと巻き付ける。
 そのまま青虫入りの瓶を手に、キッチンを出て行った。見送ってから、レオンはほーっと胸をなで下ろした。

 レオンハルト・ローゼンベルクは一つ、学んだ。
(なるほど、ああすればよいのだな)と。
 今後も青虫が落ちていたら、まずオーレを連れて来よう。自分はただ、受け取ればいい。それで万事、解決だ。
 ただし、ティッシュは………2枚重ねておこう。

    ※

 その後。
 帰宅したシエンの目の前にオティアはとんっとピクルスの空き瓶を置いた。

「どうしたの、これ」
「落ちてた。オーレに噛まれてるんだ」
「むー……」

 シエンは腕組みして、キャベツの葉っぱに乗っかった青虫をにらんだ。

「治せると思うか?」
「塞ぐだけなら?」

 瓶の中で、ショリショリとキャベツをかじる青虫をじーっと見つめて、双子はどちらからともなく手を伸ばし、瓶の口にかざした。
 青虫の治療と言う、前代未聞のチャレンジが始まろうとしていた。

 一時間後。
 疲労困ぱいしながらも、爽やかな表情のオティアがオーウェン家の呼び鈴を押した。
 父親に呼ばれたディーンはピクルス瓶の中味を見るなり飛び上がって大喜び。
 何度も「すげえ!」と「ありがとう!」を連発する息子をアレックスとソフィアはほほ笑ましく見守った。
 ……ただし、ソフィアはほんのちょっと離れた所から。
 

(さんふらん通信「ぱぱは戸惑う」/了)

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さんふらん通信2「白いシャツ」★

2013/04/14 16:49 短編十海
 
 カーテンを開け放つと、まばゆい朝日と晴れ渡る青空が目に飛び込んで来た。
 雲一つない鮮やかなブルー。これぞまさしく「カリフォルニアの空」ってやつだ。

 ディフォレスト・マクラウドは窓の傍らに立ち、ネクタイを結んでいた。
 と言っても自分のではない。愛する伴侶、レオンハルト・ローゼンベルクのネクタイだ。
 シャツの襟をぴんと立てたままネクタイを首にかける。背丈が同じだから自然と目が合う。

「すっかり自分で結ぶのより、お前のを結ぶ方が多くなっちまったな」
「……そうだね」

 レオンは満足げにほくそ笑む。
 彼は俗に言う『butter finger』、指にバターが塗ってあるようなと形容されるほどの不器用な男だった。だが弁護士と言う職業柄、スーツとネクタイは欠かせない。
 いつまでの執事の世話になる訳にも行かず、鍛練の末不器用なりに自分で結べるまでになっていた。
 ディフもそれを知っている。だから寝起きを共にしていた学生の頃から、結んでる最中に手を出すような不粋な真似はしなかった。

「どうだろう?」
「ん、ちょっと曲がってるな」

 そうして待ちかまえるレオンの胸元に顔を寄せ、タイを整えるに留める。
 恋人同士になってからは、そこからキスまでへの流れは極めて近く、自然とそうなった。
 十年近く続いた恒例行事に転機が訪れたのは、一年前の六月。レオンのプロポーズを受け入れた翌朝、彼は始めて自分から申し出たのだ。

「お前のネクタイ、結んでもいいか?」と。
「もちろんだよ」

 もう夫婦なのだ。生涯を通して唯一の伴侶なのだ。何を遠慮する事があろう?
 ディフは泣き腫した赤い目で、うつむいて恥じらいながらも幸せそうにネクタイを結んだ。

「えーっと、こっちが左で、こっちが右か?」
「うん、それでいい。そう、そう、その調子……」

 他人のネクタイを最初から結ぶのは始めてだった。悪戦苦闘したものの、ディフは本来、器用な男だった。複雑に絡み合った爆弾の配線を眉一つ動かさずに切断し、ジャガイモの皮もするする剥ける。
 何度か失敗を繰り返したものの、一度覚えてしまえば後は早い。

 幅の広い方を右に、狭い方を左に。
 右を左の上にして交差させ、くるりと絡めて下から首の輪に通し、そうして作ったループをくぐらせる。最後に軽く引っ張って形を整え、できあがり。
 今やすっかりその動きも手に馴染んだ。だが困ったことに、途中で妨害が入ってしまう。
 もちろん、時間に余裕がある時に限るのだが。

 タイを結んでいる間、ディフの両手はふさがっている。
 レオンには思う存分、ゆるく波打つ赤い髪の毛をかいだり、無防備な頬や耳たぶにキスをする機会があった。隙あらば虎視眈々とディフに触れる機会を狙う彼が、それを見逃すはずがなかった。

「んっ、あ、こら何してる」
「キスしてる」
「よせって、くすぐったいだろ!」

 眉をしかめてにらんだ所で、抑止力はまるでない。むしろ逆効果と言うものだ。
 耳たぶからうなじに唇を這わせ、赤く色づいた『薔薇の花びら』へ。軽く吸い付き、尖らせた舌先で皮膚をつつき回す。

「んー……」
「こら、レオンっ。そこは、あ、あ、ぁ」

 寝起きで自制心がちょっとゆるんでいるのも原因の一つだ。
 ことに今朝は、ディフはまだ身支度を終えてはいない。洗面所から出たばかりで、白いタンクトップにパジャマのズボンと言うこの上もなくゆるい服装だ。
 水気を残し、ほんの少し赤らんだ首筋にくっきり浮かぶ、薔薇の花びらの形をした火傷跡を間近に見ていると……どうにも我慢できず、つい手が出てしまう。
 困った事にディフもまた、根本的にはいやがってないのだ。
 悩ましげなため息をもらし、何度か中断しながらも手を動かす。
 じゃれ合いながらタイを結び終わって、整えるとディフは正面からしみじみとレオンを見つめ、うなずいた。

「OK、完璧だ。最高にハンサムだぞ、レオン」
「ありがとう」

 改めて抱き合い、キスを交わす。わずかに残るペパーミントの香りをかぎながら、レオンの意識はどうしても今し方起きたばかりのベッドに引き寄せられる。
(このままもう一度、押し倒したい)
 懸命にその誘惑と戦い、わき起こる情欲をキスに込めるに留める。

「ん……んんっ」

 鼻にかかった甘えた声が耳をくすぐる。ミント味の舌先をやんわりと吸い上げながらしぶしぶ唇を離した。

「ふ……っはぁ……」

 頬をうっすら赤くして、なんてつつましやかな表現はもはや追いつかない。
 寝巻きも同然の姿のまま、ディフは瞳をうるませ、濡れた唇から切なげな息を漏らしている。
 胸元や二の腕、そして肩。普段、衣服に隠れている部分は透き通るように色が白い。
 その上にこぼれ落ちた赤毛の鮮やかさが、眩いほどに艶めかしい。きめ細やかな肌は触れれば手に吸い付き、離れてもくっきりと指の形を赤く刻む。

 いつまでも見ていたい。触れていたい。
 だが、あいにくと今日は平日だ。

「レオン……」
「そろそろ君も着替えた方がいいんじゃないかな」
「あ、ああ、そうだな」

 クローゼットの扉を開け放つ。その背後に立つとちらっと肩越しににらんできた。 

「大丈夫。もう邪魔はしないよ」
 
 ふんっと鼻息一つ吐き出すと、ディフはいつものTシャツではなく、白いワイシャツを手に取った。

「おや、今日はスーツを着るのかい?」
「ああ、午前中に一件、裁判所で証言するんでな」

 言いながらディフはタンクトップを脱ぎ、襟の詰まった丸首のアンダーシャツに着替えた。
 露になった背中に触れずにいるため、レオンは最大限の努力を振り絞る。
 その間にディフは、静かにワイシャツに袖を通していた。本来は勢い良くばっとなびかせて一気に着るのだが、今日はすぐ後ろにレオンがいる。そんな真似したら、布でしたたか顔をひっぱたいてしまう。
 だから自粛して、そろそろと静かに羽織るのだ。

 長く伸ばした髪の毛が襟の中に巻き込まれないよう、くいと手でまとめて左肩から垂らす。結果としてレオンの目の前に、がっしりした広い背中が無防備にさらされた。
 ノリの利いたシャツを着たところで、ディフの体のラインは隠せるもんじゃない。肩から腕、背中、そして腰。バランス良くついた筋肉の流れに布が寄り添い、引き締まった所と、盛り上がった所に明暗を作る。
 そして、アンダーシャツとワイシャツ。二層の布を通してもなお、隠し切れない色がうっすらと浮かび上がるのだ。

 ディフの背中には翼がある。比喩でがなく、実際に。
 血にまみれた忌まわしい刻印の上を覆う、翼とライオン。
 髪の色に合わせ、付け根から先端にかけて明るめの黄褐色から赤褐色へとグラデーションを描く、やわらかな翼。その中央でまどろむ明るい褐色のライオン。
 日本人のアーティストの手で入れられたタトゥーはあまりに鮮明で、白いシャツを着ると表面に透けてしまう。
 色の濃いシャツなら問題はないが、法廷での心証はやはり白の方が良いのだ。

 このタトゥーを入れて以来、ディフはどんなに暑い日でも必ず、きちっとアンダーシャツを着て。さらにワイシャツの上からベストを羽織る。
 ライオンと翼が決して人目に触れないように。

『見せるのは、お前だけだ』

 その誓いはディフ自身から口にしたものだった。決してレオンが強いたものではない。
 それでも彼と秘密を共有し、独り占めできる事にレオンは秘かに満足を覚えている。
 毎日の暮らしの中、こうしてしっかりと服を着込む何気ない姿にさえも。
 もはや気負う事なく、ごく自然に日常となっている。その事実に背筋が震えるほどの甘美な悦びが走るのだった。

 きっちりシャツのボタンを締めて、パジャマのズボンを脱ぐ。
 ワイシャツの裾からのぞく引き締まったたくましい太ももは、あまりに目の毒だ。汗ばむそこをこの手で撫で回し、甘く蕩けた喘ぎに聞きほれた瞬間がまざまざと蘇る。
 てきぱきと朝の身支度をするディフは、そんな愛する人の思惑など知る由も無い。スーツのズボンを履いて、ジッパーを上げ、いつもと打って変わって上品なバックルをつけたベルトを締める。
 シャツはあまりきちんとは伸ばさず、若干、上半身に余裕を作る。なまじ体格がいいものだからこうしておかないと動きづらいのだ。
 さらにネクタイを首に巻いて、結ぶ。
 幅の広い方を右に、狭い方を左に。右を左の上にして交差させ、くるりと絡めて下から首の輪に通し、そうして作ったループをくぐらせる。
 鏡を見ながら、さっきと全く同じ結び目を作ってゆく。どちらも彼が結んで整えたのだから、同じ癖がつくのは当然だ。
 すっかり仕上げてから、ディフはくるりと身を翻してレオンに向き直った。

「っし、どうだ?」

 問いかける唇に吸い付き、二人の間に小鳥にも似たさえずりを奏でる。

「きれいだよ、最高に」
「どっちが」

 つややかな髪をかき上げて、首筋にキスをする。

「あ」

『薔薇の花びら』は、きちんと締めたシャツの襟に隠れて見えない。
(これでいい)

「行こうか」
「うん」

 ディフは腕まくりしながら歩いて行く。ベッドルームを出て廊下を通り抜け、居間へと続くドアへ。双子の待つキッチンへと向かう。
 レオンはわざとほんの少し遅れて着いて行く。
 みっしり着込んだベストと、さらにその下の白いシャツ。秘密を隠した背中を、もう少し見ていたいから。

(さんふら通信2「白いシャツ」/了)

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さんふらん通信3「エドワーズの試練」

2013/10/15 2:48 短編十海
 
 それは、エドワード・エヴェン・エドワーズにとって一つの試練だった。

 最初の結婚は寂しい結末を迎え、独り身に戻ってから十余年。警察官として真面目に職務を全うし、退職してからは父親から引き継いだ古書店を切り盛りしてきた。若い頃のヤンチャはともかく、結婚に破れひたすらコツコツと真面目に生きてきた男が……
 もう一度恋をした。
 相手は飼い猫リズの主治医、サリー先生。日本からやって来た、黒髪にぱっちりした瞳の、子鹿のように可憐な獣医さんだ。出会った当初こそ女性と誤解していたが、男性だとわかった時には既に彼への恋心は確たる物になっていた。
 そっくりな従姉がいたからって乗り換えられるような問題ではないのである。

 その後、自分より若く、お金持ちでハンサムな男性とデートをしているのを見かけ、さらにその席上でサリー先生と同じ年ごろの青年が「俺たちつきあってます!」と宣言するのを聞いてしまった。
 あの時は衝撃のあまり酔いつぶれ、元上司に介抱される失態を演じた。その後も度々あの人を思い、同じ名前の薔薇を買い、物思いにふけって居間で酔いつぶれた。
 セクシーな夢を見て、年甲斐も無く朝っぱらからパンツを洗う羽目に陥った事もある。
 サリー先生の事となると、いともたやすく冷静な判断力を失ってしまう。かつての暴走少年が、重ねた歳月と社会的良識の殻をぶち破って出現するのだ。
 そんな三十六歳バツイチ男の目の前でよりによってサリー先生が倒れた。

 場所はエドワーズ古書店、時間は朝。
 店に入って来た時はいつものように笑顔で挨拶を交わしたのだが、思えばその時から少し、様子がおかしかった。ほんのりと頬を桜色に染め、濃い茶色の瞳は潤んでいるように見えた。風邪気味……だったのだろうか。
「いらっしゃい、サリー先生」
「こんにちは、エドワーズさん」
「みゃ」
「こんにちは、リズ」
 いつものように和やかに言葉を交わしていると、急にサリー先生が体を硬直させ、びくんっと震えた。リズが鋭く鳴くのを聞いた瞬間、確信した。これは非常事態だ、と。
「サリー先生!」
 とっさに駆け寄り、伸ばした腕の中にくたんっと小柄な体が倒れ込んできた。
「サリー先生、サリー先生!」
 呼んでも反応が無い。抱き留めた体は、衣服を通してさえわかるほどはっきりと熱い。
(熱?)
 確かに肌の赤みも強くなっているし、ほんのり汗ばんでいる。息づかいも荒い。
「……失礼」
 とっさに背中と膝に腕を回して抱き上げた。意識がないとは言え、華奢なサリー先生の体は苦も無く腕の中に収まった。
(休ませないと!)

 奥の住居に通じる扉を開け、階段を上る。一歩一歩慎重に……。三階の寝室か二階の居間か、一瞬迷った。
「はぁあ……んんっ!」
 胸元に響く悩ましげな喘ぎを聞いた瞬間、腹を決めた。
 二階だ。今、この人を寝室になんか連れていったら、正直、理性を保つ自信がない。
 それほどにサリー先生の声は艶めいていて、男としての本能を強く強く揺さぶらずにはいられない物だったのだ。
 しきりと身じろぎする手や足、肩が押し付けられる。弾けるような若い体の存在に鼓動が跳ね上がる。
 自制心を総動員して居間に通じるドアを肩で押し明け、ソファの上に彼の体を横たえた。

(楽にしてあげた方がいいのだろうか?)
 迷いながら、シャツの一番上のボタンを外し襟元を緩める。この程度なら、応急処置の範疇を越えないだろうと判断した上での決断だった。ゆるめられた衣服と肌の間から、ほんのりと暖まった空気が立ち昇る。ねっとりと甘い、それでいてぴりっとした刺激が鼻腔の奥まで突き抜ける。
「っくぅうんっ!」
 眉根を寄せて、ぴくぴくっと手足を震わせる。その仕草は経験に基づいて判断する限り苦痛よりはむしろ、快楽よりのものだったが。
 すがりつくように伸ばされた華奢な手をとっさに握りしめていた。
「あ……も、もっと」
「え?」
 予想以上に強い力で引き寄せられ、あっと思った時には床に膝をついたまま、上半身のみサリー先生に覆いかぶさるような姿勢になっていた。
(こ、これは……っ!)
 今にも心臓が爆発しそうだ。両腕でしがみついたまま、サリー先生は切なげな吐息を漏らしている。囁かれる言葉は日本語なのだろう、意味はわからない。だが……『こう言う時』の求め方は、言語に関わらず体で理解できる。
「っはぁ、うぅん……っ……もっと……強く、抱いてぇ……っ」
「サリー先生……サクヤっ」
 求められるままエドワーズは彼を抱きしめた。しがみつく手がシャツを掴み、指の間に皴が寄る。ぴったり密着した体と体は、既に間に布を挟んでいる事を忘れそうになるくらいに熱くて、生々しい質感を感じる。
(ああ、だめだ、このままではっ!)

 相手に意識がないか、もしくは正常な状態で無いことはわかりきってる。この状態で求められるまま本能に身をまかせたら。手を出したら、自分は最低の男になってしまう。
(しっかりしろエドワーズ)
 滾る血潮を無理矢理ねじ伏せる。
 サリー先生との絆は、自分にとっては至上の宝だ。
 一時の肉体的な欲望なんかとは、到底引き換えにできるものではない。
 警察官時代に培った鋼のごとき強靭な精神力を振り絞り、エドワーズは熱い抱擁をやんわりとほどき、サリー先生の体をソファに横たえた。
 頭の下に枕代わりにクッションを置く。眼鏡を外して畳み、テーブルの上に乗せた。
「少しだけ待っていてください。サリー先生」

 三階の寝室から毛布をとってきて、ついでに一度店に戻って『休憩中』の札を出し、改めて二階の居間に入る頃には、エドワーズはいつものイギリス人らしい良識と確固たる自制心を取り戻していた。
「みゃ」
 サリー先生の傍らで白い猫が首をもたげる。ずっと付き添っていてくれたのだろう。
「ありがとう、リズ」
 顎の下を撫でてて労ってから、毛布をかける。うっすらと汗ばんだ額に乱れた髪が貼り付いていた。
 ごく自然に手を伸ばし、髪を整える。その何気ない動作の直後に訪れたわずかな隙に、鉄壁の理性がほころぶ。
 気付いた時はもう行動は終わっていた。
 火照り、色づき、しっとり湿り気を帯びた肌が唇に当たっている。きめの細かさ、なめらかさを直に感じた。
(あ)
 エドワド・エヴェン・エドワーズは、秘かに恋する相手の。サリー先生の額に、唇で触れていたのだった。
(しまった!)

 しかし己の迂闊さを悔いるよりもその瞬間、エドワーズの全身は甘美な喜びに満たされていた。
(ああ、私は、サリー先生に……キスしてしまった!)
 たかだか額へのキスである。祝福とか挨拶と称しても許されるレベルのキスだ。しかし、そんな礼儀正しい定義では済まないことはエドワーズ自身がよくわかっていた。
「うーん………」
 間近で響く声にはっと理性を取り戻す。エドワーズは再び強固な自制心を総動員し、体を起こした。
 体内でくすぶる炎はまだ冷めない。だが、とにもかくにも最大の試練は乗り越えた。
 そう、信じて。

     ※

 小さくうめくと、サリーはうっすらと目を開けた。
「大丈夫ですか、サリー先生」
 明るいライムグリーンの瞳が見下ろしてくる。夢の続きを見ているような、ほんわりした心地で差し伸べた手が、ほんの少し乾いた器用そうな手のひらに包まれる。骨組みのしっかりした、見かけよりずっと力強い手。その熱さと確かさが心地よくて、また意識がほわほわと漂いそうになる。
「サリー先生?」
 問いかけるようにまた、名前を呼ばれた。この声、知ってる。低く滑らかな響き、耳に心地よいイギリス式のアクセント……そう、イギリスだ。知ってる中でこんな喋り方をする人は一人しかいない。
「っ、エドワーズさん」
(どうして? いや、何でっ?)

 衝撃と驚きに吹き出したアドレナリンの恩恵で意識がはっきりする。
「急に倒れたから、心配しました」
「え、う、あ、はい、あ、ありがとうございます」
 今朝は朝早くから体調が変だった。頭がぽやーっとして、妙に脈も速かった。風邪でも引いたかなとも思ったけど、クシャミも咳もない。体温が少し高めだけれど、これぐらいなら許容範囲だ。
 今日は病院の勤務は午後からで午前中はフリー。せっかくエドワーズ古書店に行ける貴重な機会を、諦めたく無かったのだ。
 ケーブルカーに揺られる途中、何度か意識がふうっと漂いそうになったけれど、幸い通い慣れた道筋だ。どうにかこうにか砂岩作りの細長い建物にたどり着き、和やかなドアベルの響きに迎えられた時はほっとした。
「いらっしゃい、サリー先生」
「こんにちは、エドワーズさん」
「みゃ」
「こんにちは、リズ」
(ああ、やっぱり来て良かった)
 エドワーズさんと言葉を交わしながら、紙と糊と革、そして木とインクの香る静かな空気の中をゆっくりとたゆたう。
 そんな掛け替えのないひとときの中、不意に衝撃が訪れた。
「あ……れ?」

 体の奥底で何かが弾けるような感触があった。と思ったら次の瞬間、ありとあらゆる感覚が真っ白に焼き付いた。
 リズが警戒の声を上げ、駆け寄ってくるエドワーズさんが伸ばした腕の中に倒れ込んで………後は覚えていない。
「……俺、失神しちゃってたんですね」
「はい。不躾ながらこちらにお運びしました」
 カボチャ色の明るい壁に囲まれた部屋で、ソファに寝かされていた。以前、ここで一緒に昼食を食べた事がある。
 ここは、エドワーズさんの居間だ。頭の下には枕がわりのクッションが置かれ、体には毛布がかけられている。
「すいません、ご迷惑かけて」
「とんでもない。お身体の調子はもう、よろしいのですか?」
「はい……」
 胸に手を当てる。さっきのは、あくまで余波だ。原因は自分ではない。海を越えた向こうにある。
(よーこちゃん……)

 どう言う状況なのかまではわからない。けれど、とても満ち足りて幸せなのだと感じた。
(だから、これでいいんだ)
 ぽろっと涙がこぼれる。
「サリー先生っ?」
「あれ? あれれっ?」
 止まらない。後から後からぽろぽろとこぼれる。エドワーズさんがポケットからハンカチを取り出し(さすがイギリス紳士、いつも持ち歩いているのだ。)拭ってくれたけどそれでも追いつかない。
「ごめんなさい……な、なんだか、止まらなくってっ……っ!」
 エドワーズさんは何も聞かなかった。ただ両腕を広げて、抱きしめてくれた。がっしりした手が。本を直す『魔法の手』が、ゆっくりと背中を撫でてくれる。
 余計な事なんか考える余裕がなかった。内側からあふれ出す感情が静まるまでずっと、優しい腕に身を委ねた。

「も……大丈夫です……ありがとう……ございます」
 腕が解かれる。離れて行く温もりに思わず手を伸ばして追いすがりそうになった。
「お茶をいれて来ます。こう言う時は、あたたかいものを飲むのが一番だ」
「……はい、お願いします」

 エドワーズさんが台所で立ち働く間、リズはずっと付き添っていてくれた。白い柔らかな毛並に顔を埋める。
「リズ」
「にゃ」
「よーこちゃんがね、ランドールさんのお嫁さんになるんだよ」
「にゃうう!」
「うん……そうだね」
 ごそごそとポケットから携帯を取り出し、メールを打とうとして初めて気付く。
「眼鏡………」
 きょろきょろと見回すと、すぐ近くのローテーブルにきちんと畳まれた眼鏡が乗っていた。
(外してくれたんだ。)
 かけ直すと、ぼやけていた世界がはっきりと輪郭を取り戻す。深呼吸してから指を走らせ、短いメッセージを送った。
『おめでとう』
 ただ、それだけ。
(これで、いい)
(だけど、よーこちゃんがお嫁に行くのなら、神社の跡を継ぐのは……)
 つくん、と胸の奥が疼いた。
 それは、まだ先の事。だけど確実に待ち受けている事実。
 このまま、サンフランシスコ(ここ)でずっと続いて行くんじゃないかって思っていた日々の暮らしに、初めて突きつけられた変化の兆し。

「お待たせしました、どうぞ」
 エドワーズが盆に乗せたカップを運んできた。きっと紅茶だ。だって、この人はイギリス生まれだもの。
「……ありがとうございます」
 カップからたちのぼる湯気には、はちみつの香りが混じっていた。
「あ。甘い」
「はちみつとレモンを入れました。体調が良くない時は、これが一番です」
 穏やかに見守ってくれるライムグリーンの瞳。見上げながらふと思った。
(日本に帰ったら……エドワーズさんとも会えなくなっちゃうなあ)
 親しい友人の誰よりもまず、彼の事を思い浮かべたのは何故なのか。サリー自身もまだ、気付いていなかった。

(さんふらん通信3「エドワーズの試練」/了)

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