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ローゼンベルク家の食卓

ポップコーンフラワー

2010/05/03 0:13 短編十海
 
 
 土曜日。サリーは久しぶりにのんびりと買い物に出かけることにした。
 バスと市電を乗り継いで、フェリービルディングに。今日はファーマーズマーケットの開かれる日だ。

 四角い時計塔を囲んだ赤レンガの広場には、新鮮な果物や農産物や乳製品のぎっしり並んだ屋台がひしめいている。
 バークレーに居た頃に通っていた、美味しいパン屋さんも出店を出している。
 一人暮らしだからそんなにたくさん食材は買わないけれど、見ているだけでけっこう楽しい。
 ビーズや手作りのカゴ、編み物に織物、木を削ってつくった箱や椅子。手作りの品物を並べたクラフトショップあるし、古本や古着やレコードを並べている店もある。

 きょろきょろしながら歩いていると、ふわんっと香ばしいトウモロコシのにおいが漂ってきた。ポップコーンだ。いつも通るたびに「美味しそうだなあ」と思うのだけど、とにかく量が尋常じゃない。
 枕かと思うくらいの袋に大粒のポップコーンがぎっしり、1サイズオンリー、小分けなし。とてもじゃないけれど食べきれない。

 子どもの頃もそうだった。
 神社のお祭りの屋台。よーこちゃんに手を引かれて二人で回った。わたあめ、リンゴ飴、チョコバナナにホットドッグ。お祭りの時だけ売っている食べ物は、とてもキラキラしていて。味よりもまず、買ってもらったって言うことそのものが嬉しかった。
 ……なぜか、わたあめの袋はいつも女の子用だったけど。よーこちゃんとおそろいだったから、気にしてなかったなあ。
 そもそも着てた浴衣からしてピンクだったし。金魚とか、ウサギとか、朝顔の模様だったし。

 つい、ちっちゃい頃のこと思い出してしまうのは、先日の事件の名残だろう。どちらかがピンチに陥ると、互いに助け合おうと無意識に共鳴するのだ。
 夢が終ってからも、しばらくは影響が残る。クリスマスみたいに二人一緒に酔っぱらってしまう時もあるけど(後で大変だった)それほど悪いことばかりじゃないと思ってる。
 だってよーこちゃん、あれでけっこう素直じゃないんだ。ちょっとは自分の気持ちに正直になってくれるといいんだけどな……。

「わっ」
「あ、失礼っ」

 ぱらぱらっと白くて軽やかなものが降ってくる。とってもいいにおいだ。
 でも、これ、何? 花びら?

 ぽろぽろと転がり落ちてきたものを手にとってみる。

「あ……ポップコーン……」
「すみません、うっかりして!」

 顔を上げる。
 ライムグリーンの瞳に濃い金色の髪。土曜日のラフな服装の人たちの中にまじり、きちんとしたコートとベスト、シャツとネクタイはほんの少し際立って見えた。

「エドワーズさん………」
「え? あ」

 ぱちぱちとまばたきしてる。

「サリー先生」
「はい! こんにちは」
「あ、こ、こんにちは」
「珍しいところでお会いしますね」
「ええ……ジャムの買い置きが切れてしまいまして……」

 もごもごと口の中でつぶやいている。あれ、どうしたんだろう。顔が赤い。

「そ、それに友人が、手作り製本のクラフトショップを出したので、手伝いに」
「そうだったんですか! やっぱり本屋さんですか?」
「いえ。警官時代の友人です。先日退職して、趣味で製本をやってみたいと言うので、私が手ほどきしました」
「なるほどー」
「あー、その……」

 よく見ると、エドワーズさんは大袋入りのポップコーンを抱えている。細長い袋にぎっしりつまった、それこそ大きめの枕みたいなのを。
 そうか、これだったんだ。さっきぱらぱらと花びらみたいに降ってきたのは。

「お好きなんですね、ポップコーン」
「は、はい、子どもの頃、買ってもらったのが懐かしくて。久しぶりに、つい」

 子ども? 
 あ、いや、そうだ。エドワーズさんにだって子どもの頃があるはずだ。
 でも、ちょっと想像できないなあ……。
 どんな子だったんだろう。やっぱり背、高かったのかな。そうだ、確かバンドやってったて……あ、でもそれはけっこう育ってからだよね。

 まじまじと見ていると、エドワーズさんの顔はますます真っ赤になって行く。

「どうしたんですか?」
「あ、いや、その……」

 すうっと屈みこんで顔を寄せてくる。ライムグリーンの瞳が。やや面長の顔が、予想以上に近づいてくる。なぜだか直視できず、視線をさまよわせる……。
 
(あ)

 耳たぶに、透明な粒が光っている。この前見た時はよくわからなかったけど、確かにあれはピアスだ。
 
(エドワーズさんが、ピアスをしている)

 ここはカリフォルニアだ。ピアスぐらい、身に付けてる人はいくらでもいる。学校の友だちにも。病院のスタッフにも。
 だけど、こんな風にきちんとした服装をした紳士の耳に、ピアスが光ってるのを見ると……今さらながらに、どきっとした。

「失礼」

 まさにそのタイミングで、しなやかな長い指が、髪の毛の間を通り抜ける。耳たぶのすぐそばを……掠めた。

「っ!」

 ほろほろと髪の毛の間から、花びらが散り咲いた。白くて、小さくて……くすぐったい。わずかな酸味の混じった甘い、果実に似た香りが舌先に触れる。

「……あ……」

 その瞬間、真冬の海辺、しかもまだ午前中の空気の中にいるのに……
 まるで春の日だまりにいるような、ほわっとした温かさを感じた。ハチミツをたっぷり入れたレモネードを飲んだ時みたいに、胸の奥がくすぐったい。

「その、髪の毛に、ついていましたので」
「え? え、えっと」
「ポップコーン」
「あ……」

 花びらじゃ、なかったんだ。
 俺、頭にポップコーンつけたまま、話してたんだ。ずっとエドワーズさんは見てたんだ……。

 かあっと頬が熱くなる。
 恥ずかしい!

 きゅーっと全身が縮こまる。ああ、どうしよう、もうどこかテーブルの下にでも潜り込んでしまいたい!
 そうだ、落ち着け、と、とにかくお礼を言わないと。

「サリー……先生」
「ありがとう……ございました」

 よし、言えた。

「いえ、元は私がこぼしたのですから……あの、よろしかったらいかがですか?」

 そ、と袋をさし出してくれた。

「え、いいんですか?」
「懐かしさにつられて買ってしまいましたが、やはり一人では多すぎる。一緒に食べていただければ、助かります」
「……はい! それじゃ、いただきます」

 そろっと手を入れる。まだほんの少し温かい。ぽりっと噛むと、新鮮なコーンの甘さが口の中に弾けた。ほどよい塩味に混じった柑橘系の酸味が一滴。レモンとはちょっと違う。きっとライムだ。

「んー、美味しい……これいっぺん食べてみたかったんだ……そばを通ると、いいにおいがするし!」
「ははっ、それはよかった」
「もうちょっと、いただいてもいいですか?」
「どうぞ、どうぞ」

 ちょっぴり意外だった。いつもきちんとしてるエドワーズさんが、立ったままポップコーンを買い食いするなんて。
 でも、ここでは大抵みんな、歩きながら何か食べているから、あまり目立たない。変に見えない。
 だからごく自然に、エドワーズさんと並んで歩いていた。ときどき手を入れて、袋からポップコーンをつまんでかじる。
 会話の合間に、ポリポリと軽やかな音が聞こえる。

「あ、キャラメルアップルだ。懐かしいなー」
「日本にも、あるのですか?」
「ええ、キャラメルじゃなくて、透明なシロップを使ったのが。子どもの頃、水晶玉みたいにきらきらしてるのがきれいで、ねだって買ってもらったことがあったんです。でも、結局食べきれなかった」
「リンゴを一個、丸ごとですからね……確かにけっこうお腹にたまる食べ物だ」
「一度口をつけた食べものは残しちゃいけないって言われてるし。夏だったから、どんどんアメが溶けてべたべた垂れ下がってくる。途方に暮れてたら、よーこちゃんが『じゃ、わたしが食べるー』って、ばきばきとあっと言う間に!」
「それは頼もしい」
「ええ。それ以来、約束ができたんです。リンゴ飴を買ってもらう時は必ず二人で一個! って」
 
 子どもの頃の思い出話。退屈かなって思ったけど、エドワーズさんはにこにこして聞いてくれた。相づちをうちながら、心の底から楽しそうに。

 やがて、古いレコードの並んでいるテントの前を通りかかった。

「……失礼、ちょっといいですか」
「はい、どうぞ」

 立ち止まって、熱心にレコードを見て、お店の人と早口で何かしゃべってる……。
 好きなのかな。クラッシックかな? それともジャズ?
 ひょいと手元をのぞき込む。

 ちがった。
 クラッシックでもビートルズでもない。レッドツェッペリンの「天国への階段」だった。

「あ、これ、知ってる……懐かしいなあ」
「え、これも、ですか?」
「伯父の書斎にあったんです。CDじゃなくて、レコードで」
「……なかなかにアグレッシブな趣味の伯父さまですね」
「よーこちゃんのお父さんです」
「ああ、なるほど」

 結局、エドワーズさんはそのレコードを買っていた。

「同じのを持ってるんですけどね……LPレコードも。CDも。ただレコードは経年劣化でどうしても脆くなる。だからいい状態のを見つけるとどうしても、手が出てしまうんです」
「いいと思いますよ。欲しいなって思ったときめきと、タイミングが奇跡みたいにぴったり合う時って、あるもの。あ、この辺は本も同じかな?」
「なるほど、確かにそうだ!」
「そう言えば、ジャケットは見たことがあったけど、これだって意識して聞いたことなかったな……」
「意外に聞き始めると、『ああ、この曲だ』って思うかも知れませんね」
「そうかも……子どもの時、聞いてたりして」
「実に興味深い曲ですよ。穏やかな旋律がずっと続いていて。このまま穏やかな曲が続くのかと思うと、終盤でがらりと曲調が変わる。打って変わって激しく叩きつけるような音に変わり、最後はまたしっとりとボーカルのソロで締めくくる……何度聞いても、飽きません」

 エドワーズさん、すごく舌の動きが滑らかだ。目をきらきらさせて、うっすら頬まで染めちゃってるよ!
 この人でも、こんなに熱く語ることってあるんだ。
 本と、猫以外のことで。

「っと、失礼、愚にも付かぬことを、ぺらぺらと」
「いえ、面白いです。何だかちょっと聞いてみたくなったな……CDじゃなくて、レコードで」

 エドワーズさんは俺の顔を見て、目を細めて、ほんの少し唇の端を上に上げた。笑おうと意識する前に、嬉しいきもちがほんのりと顔ににじみ出てしまった……そんなほほ笑みだった。

「いいですね。ぜひレコードで聞いてください」
「あの………」

 聞いてみたいけど、レコードが置いてあるのは日本の伯父さんの家だ。この間里帰りしちゃったし、もうしばらく帰国の予定はない。

「今度、お店で聞かせてもらってもいいですか?」

(え?)
(ちょっと待って、俺、今、何て言った?)
(わああーっっ!)

 何て大胆な。これじゃ、ほとんどよーこちゃんの行動パターンだよ……。

 きっと、まだ共鳴が残ってるんだ。そうに違いない。
 エドワーズさん、呆れてるよ。どうしよう、今ならまだ訂正できる、かな?

「あ、えと、その、あの」
「……ぜひ、いらしてください。お待ちしています」
「あ……」

 良かった……。

「それでは、友人が待っていますので。またいずれ……サリー先生」
「はい。あ、ポップコーンごちそうさまでした!」

 きちっと胸に手を当てて一礼すると、エドワーズさんはテントの一つに向かって歩いていった。きっとあそこがお友だちのクラフトショップなんだ。

 どうしたんだろう。
 何だか胸がどきどき言ってる。しかも、ちょっぴりさみしい。
 いつもは「さよなら」を言うのは俺の方からだった。
 お店に行く時は、買い物をして「それじゃ、また」って。
 リズをつれてエドワーズさんが病院に来る時は「もう大丈夫ですよ。お大事に」。だけど今日はちがっていた。先に別れの挨拶を口にしたのは、彼の方だった。

 言われた瞬間、思ってしまった。
 まだほんの少し、一緒に居たいって。

 家に帰ってから気付く。
 今日はエドワーズさんと、猫の話をしなかった。自分たちのことだけ、話していたな………。

(ポップコーンフラワー/了)

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