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ローゼンベルク家の食卓

【4-6-3】二人で回転木馬に

2008/10/18 2:20 四話十海
 
 七月のある日。アレックスは神妙な顔つきでヒウェルの部屋を尋ねた。

「よう、アレックス。どうした」
「一つご相談があるのですが」

 おや、またか?
 ヒウェルはぴくりと片方の眉を跳ね上げた。

「もしかして、またご婦人へのお礼の相談?」
「いえ……実は………その……」

 おろ、言いよどんでるよ、珍しい。いつもはきはきしてる彼が、いったいどうしたってんだい?

「…………ご婦人をエスコートして出かけるのに、サンフランシスコ市内ではどのような場所がよろしいでしょうか」
「えーっと……つまり」

 目をぱちくりさせて、眼鏡を外し、レンズをふいてまたかけ直すとヒウェルは改めてまじまじと執事の様子を観察した。
 表情が変わってないもんだからうっかり見落としていた。かすかに頬が赤いじゃないか。
 しかも、微妙に目線が左右に泳いでいる。

 もしかして、アレックス…………照れてる?

「ご婦人と二人で出かけたり食事したりするのに的確なプランをお聞きになりたいと?」
「はい」
「それって、つまり、デートだよな?」

 その一言で、執事は石みたいに固まってしまった。
 いかんいかん、遊びが過ぎたか。

「その、お相手ってのは地元の人?」
「はい」

 何気ない風に話を続けると、ほっとした表情で答えを返してきた。どうやら、そうとうに緊張していたらしい。
 こりゃ真剣だな。おそらく免疫ないぞ、この人は。ずーっとレオンぼっちゃまのお世話ばっかり焼いてきたんだ。大人になってからはマクラウドさまも込みで、んでもって去年の秋からは双子も一緒に。
 考えてみればアレックスはれっきとした独身男性なのである。気になるご婦人がいても何ら不思議はない。いささか遅めの春ではあるが、遅すぎるってことはない。そもそも人生に置いて恋する時期に旬も外れもあるものか。
 出逢った時がその時だ。

 がんばれ、アレックス。
 
「じゃあ、かえってコテコテの観光名所巡りってのはどうだろう。案外、市内に住んでると足を運ばないもんだしね……ゴールデン・ゲート公園、ツインピークス、フィッシャマンズワーフ、コイト・タワー、ビクトリアン・ハウス、あとユニオン・スクウェアのハートのオブジェとか、アクアリアム・オブ・ザ・ベイ、アルカトラズ島は……あんましデート向きじゃないか。監獄だもんな」

 すらすらとヒウェルの口から流れ出す観光名所の数々を、アレックスは一つ残らず丹念に手帳にメモして行く。

「もしかして……今言ったとこ、一度も行ったことない?」
「はい」
「シスコに来てから何年めだっけ」
「レオンさまが高校に上がられた年からですから、もう12年になります」
「……そうか……いい機会だよアレックス。その、ご婦人とやらに存分にシスコを案内してもらうといい」

 アレックスはわずかに眉根を寄せた。

「しかし。お言葉ですがメイリールさま、こう言った場合は私がエスコートするべきなのではありませんか?」
「アレックス、アレックス、アレックス!」
 
 まったく、どこまで生真面目な男なんだろう!
 半ば呆れて、半ば関心しながらぱたぱたとヒウェルは手を振った。ほのかなデジャビュを感じながら。

「デートなんだろ? お客様をおもてなしするんじゃなくって。堅くなるな。適度にリラックスしろ。お前さんも楽しまなくっちゃ!」
「私も……楽しむ?」
「そうだよ。お前さんが楽しけりゃ、一緒にいるレディも楽しい。デートってのはそーゆーものなんだよ」
「そうなのですか? なかなかに、新鮮です」
「だろーね」
 
  
 ※ ※ ※ ※
 
 
 何年ぶりだったろう? フィッシャーマンズ・ワーフに行くなんて。
 オーウェンさんと二人で美味しいカニを食べて、ギラデリ・スクウェアのチョコレート工場を見学した。ディーンへのお土産にチョコレートを買っていると、オーウェンさんも興味津々にのぞきこんで。自分でもチョコバーを5つ買っていた。
 きちんと包装していたからきっとお土産ね。でも、誰に?
 双子ちゃんたちは甘いものは好きではないみたいだし、あのチョコバーはけっこう堅い。お嬢様がぼりぼり食べるのにはちょっと不向きね。と、言うことは……赤毛さんかしら。

 次はどこに行こうかと聞かれ、遊園地で回転木馬に乗りたいと言ったら、オーウェンさんは少し驚いたようだった。

「子どもの頃から大好きだったんです。本物の馬は大きくて怖かったけれど、回転木馬なら平気だった」
「なるほど。それでは、ぜひご一緒に」
 
 大人になってから回転木馬に乗るには勇気が要る。
 ディーンと一緒の時はいつも付き添いで、馬車に並んで座るか、木馬に夫と二人で乗るあの子を輪の外で見守っていた。

 大人二人で回転木馬に乗るのは正直言って恥ずかしい。けれどオーウェンさんは私の手を引いて、並んで木馬に乗ってくれた。
 私は白い馬に。彼は栗毛の馬に。

 ピーポッポ、ポワポワ、プワン……

 軽くてちょっぴりチープなサーカス・ミュージックに合わせて木馬がぴょんぴょん跳ねる。くるくる回る。ちらちらと彼の顔をうかがった。
 興味しんしんに木馬の動きを観察している。目を輝かせてはしゃぐのとはちょっと違っていたけれど、それなりに楽しそうで、ほっとひと安心。

 やがて音楽が止まり、回転が終わる。私の乗った馬は高く上がったまま止まってしまった。
 どうしよう、足が届かない。子どもの時はパパが抱えて降ろしてくれたけれど、今は……。
 木馬の鞍の手をかけて床面を見下ろす。一人で飛び降りるしかないわね。気合いを入れてヒールのある靴なんか履いてくるんじゃなかった。
 覚悟を決めた瞬間、目の前にすっと手がさしのべられた。

「どうぞ、ソフィアさん、こちらに」
「……はい」

 オーウェンさんに支えられて、羽毛のように軽やかに木馬から降りることができた。

 その時、ソフィアはぼんやりと思ったのだ。
 午後のうたた寝から覚める間際のような穏やかな、うっとりと心地よいくつろぎの中で。

 もしも、この人と、これから先の時間を一緒に過ごすことができたら……と。
 
「回転木馬と言うのもなかなかに楽しいものですね。本物の馬に乗るのとは、また違ったおもむきがある」
「そうでしょう?」

 木馬を降りた後も二人は手を離さず、そのまま並んで歩いていた。ごく自然に、さりげなく。まるでずっと前からそうしていたように。

「Yerba Buena Gardensには、ここよりもっと大きな回転木馬があるんですよ」
「それは興味深い……」

 アレックスは改めてソフィアの目を見つめた。赤みの強い濃い茶色の瞳。黒目が大きく、日陰ではますます黒く見える。つやつやとして、実に……愛くるしい。
 まるでクマのぬいるぐみのようだ。

「また、ご一緒していただけますか? あなたさえよろしければ」
「はい。喜んで」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 次の日、ヒウェルはアレックスから土産をもらった。
 ギラデリ・チョコレートのバータイプの奴を5枚。キャラメル、ピーナッツバター、ミントにブラック、そしてラズベリー。

「……これは?」
「お土産です」
「そりゃどーも。んで、首尾は?」
「………………………………Yerba Buena Gardensに行く約束をいたしました」
「あー、Zeumのカルーセル(回転木馬)?」
「はい」
「おめっとさん」
「おそれいります。それでは失礼いたします」

 きちんと一礼して退室する執事を見送ってから、さっそくピーナッツバター入りの包み紙を開けてぼりぼりいただいた。

「んー……美味い……」

 濃厚なピーナッツバターに負けない、しっかりしたカカオの苦み、そして砂糖とミルクのしっとりとした甘さが舌をつつみこむ。一口味わうごとに口の中から体の隅々に向かって痺れるような幸福感が広がって行く。
 さすが「納得できる豆以外は使わない」ギラデリのチョコバー。自分じゃ滅多に食えない、買わないが、たまにはこう言う高級チョコも悪かない。

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