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ローゼンベルク家の食卓

【4-18-2】制服警官ディフ

2010/05/28 1:27 四話十海
 
 戻ってくるなり、シエンが言った。

「………大丈夫?」
「ん? ああ、大丈夫だよ」

 そのひと事で張りつめた空気が緩む。ほんの少し残ってはいたけれど、とにかく今にも破裂しそうな険悪な状態からは抜け出した。

「あ……これ、充電、終ったよ」
「ありがとう」

 接続を解除し、コードを外すと、エリックは白いつるりとした平たい箱を少年の手に滑り込ませた。

「ついでに何曲か新しいのを入れておいたよ」
「えっ、そんなことできるの?」

 シエンはくるくると指先を箱の表面のリング状のパネルに走らせ、収録された曲を表示した。
 確かに、見覚えのない曲名が増えている。それも一曲や二曲ではない。
 
(ただ充電してるだけじゃなかったんだ!)

 素直に感嘆の言葉を口にする。

「すごいね、このパソコン。音楽を自由に出し入れできるなんて」
「趣味用のだからね。仕事用だとこうは行かない」

 ほめられ、エリックもまんざらでもないらしい。嬉しそうに目を細めてパソコンのトラックバッドに指を載せた。
 くるくると回して、滑らせて、画面の下に並んだアイコンの一つをちょん、と叩く。

「音楽だけじゃなくて、こう言うのも入ってる」
「あ……」

 画面の中に、碁盤の目のように小さな写真が並んでいる。カーソルがその中の一つに載ったと思ったら、テーブルの上に並べたカードみたいにずらっと何枚もの紺色の制服を着た人たちの写真が展開された。

 オティアがわずかに顔をしかめる。
 これは、ちょっと……言いかけたシエンの目が、一枚の写真にすうっと吸い寄せられた。
 がっちりした体つき、首は太く、胸板が厚く、肩幅も広い。そして、日の光を浴びた鮮やかな赤い髪。ぐいっと口を一直線に結び、厳しい表情をしている。ヘーゼルブラウンの瞳は鋭い光を宿し、まっすぐに前を見据えていた。
 と、言うか、睨んでいた。

「これ、もしかしてディフ?」
「そうだよ。5年前の写真だから、爆発物処理班にいた頃だね」
「制服着てるよ?」
「式典の時の写真なんだ。だから盛装してる」

 改めて写真を見る。
 きっちりしたネイビーブルーの制服。サイズがあっているはずなのに、何となくきつそうに見えるのはどうしてだろう。元々は制服警官だったんだから、毎日着ていたはずなのに。

「窮屈そうだな……って言うか、あまり似合わない……」

 よく見ると、着ている服は普段見かける警察官の制服と微妙に形が違う。生地が厚手でボタンの数が多く、白い手袋までしている。

(そうか、これ、礼装用なんだ)

 ディフのすぐ隣にひょろりと背の高い金髪の警察官が居た。こちらはきつそう、と言うことはないが、やっぱり服が体に馴染んでいない。

「あれ? こっちのはもしかして」
「そう、オレ」
「……慣れてない?」
「実は。制服ってあまり着る機会がないしね」

 オティアはむすっとして画面を眺めていた。

 写真は嫌いだ。今はもう存在しない、忌まわしい『撮影所』の記憶につながるから。

 それなのに、いきなりこんなものを広げるなんて……これが他人のパソコンじゃなかったら、即座に電源を落としてやりたい所だが。
 初めて見る、警察官時代のディフの姿にほんの少し、興味を引かれる。厳つい体に厳つい顔、全身からひしひしと剣呑な圧迫感がにじみ出している。レオンの部屋で最初に会った時も、こんな表情をしていた。
 あの時は、ただただ柄の悪そうな男で、てっきりやばい筋の人間かと思った。
 この写真も、制服を着ていなければやっぱり同じように思ったことだろう。

(あれ?)

 見覚えのある人物がもう一人写っていた。濃い金髪にライムグリーンの瞳、おだやかな表情の紳士然とした男性。

(Mr.エドワーズだ……)

 意識が画面に向いた、その時だ。
 画面いっぱいに一枚の写真が広がった。

「で、こっちが式典直後の写真」

 ディフだ。『うえー』っと顔をしかめ、襟をぐいぐいひっぱって緩めている。タイはほどかれ、首の周りに引っかかったまま。ボタンは上三つ外され、くつろげた襟からは鎖骨のあたりまで肌があらわになっていた。
 
「……………」

 オティアの眉の間に深い皺が刻まれた。
 こう言う仕草をしている時のディフは、無自覚にある種の色気を漂わせる
 別に誰かにセクシーな姿を見せつけよう、なんて意識はカケラほどもない。それはわかっているのだが……。

「よっぽど窮屈だったんだろうね」

 エリックがさらりと言った。こいつも自覚していないらしい。自分がどれほど危険なブツを所持してるか。
 シエンはしばらく迷っていたが、遠慮がちにそ、と切り出した。

「こう言う写真は……ちょっと……まずいと思う」
「え?」

 すかさずオティアが冷たく言い放つ。

「レオンに抹殺されるな」
「えーっと……」

(参ったな、Mr.ローゼンベルクってそんなに嫉妬深い人なのか? ただの職場のスナップ写真じゃないか)

 そもそも、エリックにとってレオンハルト・ローゼンベルクは穏やかな物腰と言葉で冷静に退路を塞ぐ知略に長けた弁護士だった。
 愛しい配偶者の為とは言え、よもやそんなに激しい感情を燃やす男だったなんて。

「もしかしてこれもダメ?」

 すっとまた一枚、別の写真が拡大表示される。
 ラスベガスで行われる、毎年恒例120マイルの警官砂漠駅伝。退職するまで、ディフォレスト・マクラウドは常にサンフランシスコ市警察の生え抜きの選手だった。彼がいたからこそ、SFPD爆発物処理班はLAのSES特殊強化部隊や、NYPDのSWATとほぼ互角に張り合う事ができたのだ。
 写真には、目を閉じてグレイのTシャツ一の上からざぶざぶと、ボトルの水を被るディフの姿が写っていた。
 担当地区を走り終えた直後の一枚だ。強烈な日差しの中、流れ落ちる水は髪を濡らし、肌を濡らし、グレイの柔らかな布を濡らし、ぺっとりと体に貼り付かせている。
 最悪だ。
 警戒心のかけらもない大ざっぱな動き。無防備にさらけ出された体。
 オティアは凍えるような目つきでエリックを睨んだ。

「棺桶の準備しとけ」

 その言葉が終るか終らないかのうちに、ぷつっとMacBookの電源が落ちた。

「え?」
「あれっ?」

 エリックは目をぱちくり。驚きはしたが、慌ててはいない。

「またか……」
「また……って?」
「あー、うん、これ初期ロットだからね。いきなり電源が落ちる不具合があったんだ。Firmwareをアップデートしてからは、こんなことなかったんだけど……やっぱりきちんと修理に出すべきかなぁ」

 ぶつぶつ言いながらエリックは電源スイッチを押した。

「……あれ?」

 動かない。

「RAMクリアしないとダメ……か?」

 キィを押しながら電源を入れる。
 ウンともスンとも動かない。そもそも通電している気配すら感じない。

「あれ? あれれ?」

「ごめんね」
「え。何で君が謝るの? 君のせいじゃないよ」
「うん、でも……」

 シエンにはよくわかっていた。何が起きたのか、どうしてパソコンの電源が切れたのか。
 オティアの顔から一切の表情が消えている。カタカタと、手も触れていないのにコーヒーの紙カップが細かく振動を始めている。
 いけない、このままじゃ、暴走しちゃう。早くこの場を離れなきゃ………

(でも)

 エリックのパソコンを壊してしまったことも気掛かりだ。元はと言えば、自分のために持ってきてくれたのだ。
 ディフの写真を見せたのだって、昔の彼がどんなだったか、以前たずねたのを覚えていたから。
『写真』と言うものがオティアにどんな影響を与えるか。エリックは知らない。知るはずもない。

「昼休み、そろそろ終るんでしょ? オレも行かないと」

 エリックがパソコンを抱えて立ち上がった。この人はいつもそうだ。俺が困らないように、一歩早く動く。するりと素早く、自分から。

「うん……」

 ごめんねって言った方がいいのかな。それとも、バイバイ?
 迷っていたら、やっぱり先に言われてしまった。

「またね、シエン」
「……ん」

 白っぽいコートが店を出て行く。
 白いパソコンの入った平たいかばんを抱えて、すたすたと。ドアを潜り、外に出て歩き始めるその動きを、じっと目で追ってると……ガラス越しに目が合ってしまった。
 にこっと笑って、手を振ってきた。
 無意識のうちに手を揚げて、振っていた。低い位置で、小さく。

「……帰るぞ」
「あ、うん」

 事務所に戻る間、オティアはいらいらしていた。
 写真は嫌いだ。
 自分が写ってなければどうにか我慢できるようになってはいたが、あんな、いやらしい姿は論外だ。
 目にした瞬間、頭の中で色のない火花が迸り、実体のない腕を振り上げ、パソコンを殴りつけていた。
 
 それだけじゃない。
 わざわざ帰ると、口に出して伝えなければいけなかった。あの金髪眼鏡のバイキングを目で追っていたシエンに……。

 冷静さを取り戻すにつれ、オティアは残念に思わずにはいられなかった。
 やはりあの写真、消すべきじゃなかった。レオンに言いつければ、奴を抹殺する事ができたのだから。

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